鬼和尚 ◆qx3.49AOzA 2020/06/30(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1584893493/

672:避難民のマジレスさん[sage]:2020/06/30(火) 03:04:23 ID:EvahEWPk0
あなたは本当はいないのですか?
あなたは存在してないのですか?

673:避難民のマジレスさん[]:2020/06/30(火) 21:20:12 ID:Dp/qMVVc0 [6/6]
>>671
それを見て1日生きるほうが、見ないで100年生きるより優れているとお釈迦様が言われた境地が目の前にあるのに、気づかないのが惜しいです。
自我と認識が滅するまで観察に励み続けます。ありがとうございました。

675:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/06/30(火) 22:03:15 ID:1d4drIFg0 [166/167]
>>672 いないのじゃ。
 存在は在るのじゃ。
 個体はないのじゃ。

>>673 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさぃ。

674:避難民のマジレスさん[sage]:2020/06/30(火) 21:56:03 ID:fA7qRAsE0 [1/2]
善い報いを期待して行った善事は無駄ですか?

676:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/06/30(火) 22:04:48 ID:1d4drIFg0 [167/167]
>>674 無駄ではないのじゃ。
 それで助かる者も居るからのう。
 行いの分だけ報いも来るじゃろう。
 どんどん善事を積むと善いのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3 
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/

955:名無しを整える。[]:2020/06/30(火) 20:13:09.38 ID:Iqtg2r0g
>>948
これは、三昧の景色でありましょうか?
104
閻浮樹 閻ぶ樹
閻浮樹逼塞乾坤    乾坤にひっそくす
葉葉枝枝我脚跟 ようようしし
太極梅開紙窓外    うめ開くしそうのほか
暗香疎影月黄昏  あんこうそえいつきこうこん

*閻浮樹:閻浮提(えんぶだい)の大森林中にあると伝えられる想像上の大樹。常緑樹で、高さ百由旬(ゆ
じゅん)あるという。
*閻浮提:古代インドの宇宙説において世界の中心とされている須弥山 (しゅみせん) の南方に位する大陸
で,四大洲の一つ。
*太極:万物の根源

naitoukonan先生HP訳
閻浮樹は天地をふさぎ、
葉も枝もわしの足もとにある
宇宙を象徴する梅花は紙障子の外にあって、
ひそかな香りとまばらな影を黄昏の月が浮かび上がらせている。

naitoukonan先生解説
閻浮樹の根には黄金が埋まっているという。閻浮樹の根は、頭頂サハスラーラ・チャクラであり、葉と枝は
その下方に位置するから、一休の足の側にあるとはそのとおりである。さりげない人間の位置と窮極との逆
転がこの構図に秘められている。

くま訳
閻浮樹(私の身体)は天地いっぱいに拡がり
葉や枝は、私の脚である。
万物の根源である梅花は、障子の明かり窓のそとにある。
(梅花=悟の)かすかな香りと、黄昏時の月(=悟り)のうつろな影だけが、悟りの痕跡だ。

naitoukonan先生は、軍荼利明王に結び付けて説明しようとしてるのでありましょうか?
くまは、サマディに入った時の様子の喩え話ではないかと愚考してみたであります。

あなたは、うなずく石を信じますか?
105
題點頭石訝虎丘祖師 点頭石に題して くきゅう祖師をいぶかる
不信道石點頭 いふことを信ぜず、石てんとうすと、
若點頭非石流 もしてんとうせば石のたぐいにあらず。
石有霊是妖怪 石霊あらばこれ妖怪
吾祖師老虎丘 わが祖師のろうくきゅう

くま訳
うむ。ワシは、石がうなずくなどということは信じないのだ。
もし、石がうなずいたら、それは、もはや、石のたぐいではない。
石に霊があるのなら、それは妖怪である。
けど、わしの祖師が、うなずくと、言うておるのであるよ。うむ。

*頑石点頭:意味説得力や影響力が大きいことのたとえ。僧の道生が石を集めて説法すると、その説法を理解
して石はうなずいたという故事から。
*虎丘庵:一休さんが森女と住んだ庵。 二畳の水屋と、六畳、三畳の小部屋だけの、とても簡素なたたずま
いの建物。扁額「虎丘」は一休さん直筆だそうである。
(´・(ェ)・`)つ

957:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA [sage]:2020/06/30(火) 22:58:50.51 ID:T/ZDbeAX
>>955 そうじゃろう。
 一つの華に世界があり、それを宿す樹が己なのじゃ。
 三千世界が己の手の中に在るのじゃ。
 それを感じているのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

24:避難民のマジレスさん[]:2020/06/29(月) 23:11:42 ID:uc5m2TlI0 [1/2]
最初と最後の自由  第一部
第四章 自己認識 2

 私が言いましたように、私たちは自分たち自身を理解する過程-それは孤立する過程ではありません-を見出そうとしています。それは世界 [・世間] から退くことではありません。なぜなら、あなたは孤立 [の状態]では生きられないからです。有る [・生きる] ことは関係することですし、孤立 [の状態]で生きているようなものはありません。葛藤・抗争、悲惨、闘争をもたらすのは、正しい関係の欠如です。私たちの世界がどんなに小さくても、私たちがその狭い世界で関係を変容させられるなら、それは、いつのときも外側に広大する波のようになるでしょう。その点が-どんなに狭くても、世界は私たちの関係であるということが、わかることが重要であると、私は思います。そして私たちはそこに変容を-表面的ではなくて根本的変容をもたらせるなら、そのとき活動的に世界を変容させはじめるでしょう。ほんとうの革命は、左翼のでも右翼のでもどんな特定の様式にも応じたものではありません。それは価値の革命-感覚的な価値から感覚的でない[価値] 、または環境的影響によって造り出されない価値への革命です。根本的革命、変容、革新をもたらすであろうこれら真の価値を見つけるには、自分自身を理解することが本質的 [・不可欠] です 。自己認識は英知の始まりです。ゆえに変容や革新の始まりです。自分自身を理解するには、理解しようとする意図がなければなりません-それが、私たちの困難が入ってくるところです。私たちのほとんどは不満です。私たちは突然の変化をもたらしたいと願望するけれども、私たちの不満はたんに一定の結果を達成することに注がれるのです。私たちは不満であると、違った職を求めたり、たんに環境に屈服したりするのです。不満は私たちを燃え立たせ、生を [問わせ] 、存在の過程全体を問わせる原因になる代わりに、 [ 一定の結果を達成することに] 注がれます。よって私たちは平凡になり、存在の意義全体を見出そうとするあの衝動、あの強烈さを失っていくのです。ゆえに、自分たち自身でこれらのものごとを発見することが重要です。なぜなら、自己認識は他の一人によって与えてもらえないからです。それはどんな書物をとおしても見つけられるべきものではありません。私たちは発見しなければなりません。そして発見するには、意図、探求、探究がなければなりません。見出そう、深く探究しようとするその意図が弱かったり、存在していないかぎり、自分自身について見出したいというたんなる主張や思いつきの願いは、ほとんど意義がありません。
 こうして世界の変容は、自分自身の変容によってもたらされるのです。なぜなら、自己は人間存在の総合過程の産物、一部分であるからです。自己を変容させるには、自己認識が本質的 [・不可欠] です。あなたが何であるかを知ることなしに、正しい思考のための基礎はありません。あなた自身を知ることなしに、変容はありえません。自分自身をあるがままに知らなければなりません。ありたいと願うように-すなわち、たんに理想であり、ゆえに架空であり非真実であるところのもの-ではありません。変容させられるのは、あるがままだけです-あなたがありたいと願うものではありません。自分自身をあるがままに知ることは、とてつもない精神の鋭敏さを必要とします。なぜなら、あるがままは常に変容、変化を受けているし、それにすばやく付いて行くには、精神はどんな特定の教義や信念、どんな特定の行動の様式にも繋がれていてはならないからです。あなたは何かに付いていこうとするなら、繋がれていてはだめなのです。あなた自身を知るには、 [そこに] すべての信念から、すべての理想化からの自由がある [ところの] 気づきが、精神の鋭敏さが、なくてはなりません。なぜなら、信念と理想はただあなたに色を付けて真の知覚を倒錯させるからです。あなたは自分が何であるかを知りたいなら、何か自分がそうでないものを想像したり信じていたりできません。私は欲張りで、妬んでいて、暴力的であるなら、たんに非暴力の、無欲の理想を持つだけでは、ほとんど価値がありません。しかし、自分が欲張りまたは暴力的であることを知るには、それを知って理解するには、とてつもない知覚を必要とするのではないでしょうか。それは思考の正直さ、明晰さを要求します。ところが、あるがままから離れて理想を追求することは逃避です。それは、あなたが何であるかを発見して、それに対して直接的に作用するのを妨げるのです。
(´・(ェ)・`)つ

25:避難民のマジレスさん[]:2020/06/29(月) 23:26:21 ID:uc5m2TlI0 [2/2]
くまめも1-4-2
自身を理解する過程を見出そうとすることは、世間から退くことではない。有る・生きることは関係すること。葛藤・抗争、悲惨、をもたらすのは、正しい関係の欠如。
ほんとうの革命は、感覚的な価値から感覚的でない価値、環境的影響によって造り出されない価値への革命。真の価値を見つけるには、自分自身を理解することが不可欠。自己認識は英知、変容や革新の始まり。
理解するには、理解しようとする意図がなければならない。それが困難。
私たちは、突然の変化をもたらしたいと願望するが、不満は、一定の結果を達成することに注がれる。よって存在の意義全体を見出そうとする衝動を失っていく。
自分自身をあるがままに知らなければならない。ありたいと願うようにではない。変容させられるのは、あるがままだけ。あるがままは常に変容を受けているし、それにすばやく付いて行くには、精神はどんな特定の教義や信念、行動の様式、理想化からの自由があるところの気づきが、精神の鋭敏さが、必須。なぜなら、信念と理想はただあなたに色を付けて真の知覚を倒錯させるから。
あるがままの自分を知って理解するには、とてつもない知覚を必要。それは思考の正直さ、明晰さを要求する。あるがままから離れて理想を追求することは逃避。それは、あなたが何であるかを発見して、それに対して直接的に作用するのを妨げる。
(´・(ェ)・`)

26:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/06/30(火) 22:07:20 ID:1d4drIFg0 [8/8]
悟りの修行は世間を捨てて世捨て人になることではないのじゃ。
むしろその修行だけが世間の人を救うことができるのじゃ。
全ての社会的な革命が成し遂げられなかったことなのじゃ。
世界が変るのは自分が変わった時だけなのじゃ。

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