鬼和尚 ◆qx3.49AOzA 2020/06/07(日)

鬼和尚に聞いてみるスレ part16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1584893493/

520:龍閃[sage]:2020/06/06(土) 22:48:08 ID:3Jf3YuYY0
喜びや慈悲は感情ですか?

521:避難民のマジレスさん[sage]:2020/06/07(日) 06:51:19 ID:czRftzgI0 [14/14]
座禅していて初めて不動心を体感することができました。自分を見ている自分に気づいたのがよかったのだと思います。
和尚さんと自分を信じてきてよかったです。今後も指導をよろしくお願いします。

522:避難民のマジレスさん[]:2020/06/07(日) 18:39:46 ID:jRsPPGmc0
座禅や瞑想を一切しなくても鬼和尚のやり方で悟りは充分得られますか?
私はここ2年ずっと座禅をしてきたのですが、全く上手く座れなくて自分には完全に座禅のセンスがないと自暴自棄になりました、だから座禅を一切行わなくとも悟れるのであれば鬼和尚のとく観察を用いて悟りたいと思いここに書き込みました。

座禅が上手くなることの悟りが得られるか否かに対する影響力はいかほどですか?やっぱ重要ですか?

524:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/06/07(日) 22:38:44 ID:1d4drIFg0 [129/130]
>>520 それも感情と呼べるのじゃ。
 それもまた本来あるものじゃ。
 執着しなければ苦にはならないのじゃ。

>>521 良かったのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>522 観察が完全に出来れば可能なのじゃ。
 マハリシは未だ座禅や瞑想も知らない子供の頃に悟れたのじゃ。
 やる気と情熱があれば悟りも得られるのじゃ。

 かなり重要なのじゃ。
 瞑想に拠って心をコントロール出来るようにするのであるからのう。

 観察だけではかなり困難なのじゃ。
 そうとうなやる気と情熱がむ必要なのじゃ。

 長くやっていたのならば何か得られている筈なのじゃ。
 いろいろ試してみると善いのじゃ。

523:崇蓮[sage]:2020/06/07(日) 19:26:50 ID:ck5w8PBg0 [6/7]
>>519
鬼和尚さま、こんばんは。
ご回答ありがとうございます。
質問です。

1.
お釈迦さまは、自分のせいでお弟子さまが自殺されたことについて、どう想っていたのでしょうか?

2.
また、このお話が載っているオススメの本はありますか?できれば出版社も教えていただきたいです。

3.
以前別のスレで

>>障害者で生まれてきた子、例えば脳障害とか一生寝たっきりとか >>なぜ神はそのような事をなさるのですか
という質問に鬼和尚さまは

>> それらは自らの行いの報いなのじゃ。  自ら選んだともいえるのじゃ。

と答えられていました。

この自ら選んだ報いを生まれる前に挽回する方法はありますか?

4.
この時代に生まれて、
どうして鬼和尚さまのことを知ることができる人と、知ることできない人がいるのですか?

わたしはどうして
もっと早く鬼和尚さまのことを知ることが出来なかったのでしょうか?

525:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/06/07(日) 22:52:48 ID:1d4drIFg0 [130/130]
>>523 一 罪無くして安楽に赴いたことを善いことと思ったじゃろう。
      そうでない者も多いからのう。

    二 特に無いのじゃ。
       相応部経典にあるのじゃ。

    三 生前に懺悔告白して二度としないと誓うのじゃ。
       そして善事をすれば報いも軽くなるのじゃ。
       既に死んだ者にはどうもできないのじゃ。

    四 それは真摯に悟りや真実を求める者とそうでない者との違いなのじゃ。
      師匠は必要な時に現われると格言にもあるのじゃ。
      必要とした時にわしにも会えるのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】  52 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1585172010/

42:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/06/06(土) 23:01:22.11 ID:jc0qXu2L
鬼和尚、最近甘いものを食べたくなります。
食べると満足します。
この習慣を止めたいのですが、腹が減ります。
自分は朝食抜きの半日断食をしています。
糖尿病になるかもしれないので心配です。
何か良い方法はないでしょうか?

545:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/06/07(日) 23:06:23.86 ID:3A8Ew17o
>>542 甘いものを食べたくなるのはすい臓がわるいからというのじゃ。
 すい臓のインシュリンが足りなくて脳が糖分を余計に欲しがるというのじゃ。
 すい臓を直す気功法をするとよいのじゃ。
 背骨も伸ばすと善いのじゃ。
 ヨーガをやるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】80 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1585267583/

821:マジレスさん[sage]:2020/06/07(日) 19:18:05.38 ID:f+bhPArs
じゃあ漫画の事でも聞くのです。

ヒソカは何処にいるのですかね
イルミの中ですか?ボノの中ですか?
イルミはもう死人に口無しんでるのでしょうか?

824:マジレスさん[]:2020/06/07(日) 20:48:50.06 ID:TEeAFMhG
鬼和尚さま
今日バイト先の上司から、「結婚出来ない男は一生半人前」と言われてしまい悔しくて仕方ありません。
結婚しないとはそれ程罪悪なのでしょうか?
尚、僕は一生独身を貫くつもりです。

829:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA [sage]:2020/06/07(日) 22:59:39.03 ID:59vkoJUG
>>821 イルミは自力で蘇ったというのじゃ。
 単行本未収録なのじゃ。
 イルミもいきているようじゃ。

>>824 罪悪ではないのじゃ。
 妻子が居ればもっと一所懸命に働くと思っているのじゃろう。
 囚われなくて善いのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3 
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/

738:名無しを整える。[]:2020/06/07(日) 21:20:17.92 ID:IJaQgEEg [1/3]
>>733
68
謹白久参人  二首 1/2  謹んで  の人にもうす
圓頂方袍淫奸 えんちょうほうほういんかん
威風鎭逼人寒 威風とこしなへに人にせまって寒し
古則参得家業     の家業
可媿妄長我慢 愧ずべし妄りに我慢を長ずることを

くま訳
謹んで長く修行をしている人に申す
坊主は淫らな行為をするのである。
堂々とした態度で穏やかに人にせまるが、実は貧弱なのである。
古則公案を習得するのは家業である。
愧ずべきは、その知識を振りかざして、妄りに慢心長ずることである。

*方袍(ほうほう): 袈裟
*円頂(えんちょう)坊主頭、僧侶
*我慢:強い自我意識から生まれる慢心のこと。仏教では、自分を固定的な実体とみて、それに執着することで起こる、自分を高く見て他を軽視する思い上がりの心を〈慢まん(māna)〉と呼ぶ。

69
謹白久参人  二首 2/2
莫言公案則圓成 言ふなかれ    円じょう
八角磨盤心上横   の  心じょうに横たふ
邂逅難知自屎臭 かいこう知り難し自しの臭きを
他人敗闕鏡中明 他人のはいけつ  に明らかなり

くま訳
宇宙所現の万法、其のままが悟りの現われである、と言ってはならない。
其の一言で全て解決してしなうような究極兵器になってしまう。
自分の糞が臭いことに、気づくことは少ない。
他人の欠点に気づいたら、それは我が身を映す鏡であると明らかにとらえろ。

*公案則 圓成:宇宙所現の万法、其のままが悟りの現われである
*八角磨盤(はっかくのまばん):鋭い岩でできた石臼のような古代の武器。それが、空中を飛ぶ、ものすごい破壊力をもつ。

うむ。今夜の一休さんは、立派な師家である。
(´・(ェ)・`)つ

739:名無しを整える。[]:2020/06/07(日) 21:36:49.46 ID:njwSByGh [2/7]
きゅうさん とか こそく とか って読めないんだwwwww

>其の一言で全て解決してしなうような究極兵器になってしまう。

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

なんだこれwwwwwwwwww

八角磨盤心上横 っていうのは、言語によって実体と妄想された世界を破壊する行為の象徴的表現なんだよwwwwww

馬鹿過ぎて話にならんwww

741:名無しを整える。[]:2020/06/07(日) 22:14:31.24 ID:IJaQgEEg [2/3]
>>739
漢詩を音読する際に、少しでも迷いそうかなと、思われるところに、読み下しをつけているのである。
【八角磨盤空裏走】:入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「古代印度の神話に見える武器の一つで、
八つの尖りをもつグラインダー(研磨盤)が空中を旋転して、一切のものを破砕する。すさまじい破壊力の喩え」
とある。
それを、「其の一言で全て解決してしまうような究極兵器」と言ってみたが、分かり難かったであるか?
八角磨盤という、現在では誰も知らないような言葉では象徴表現にならないであろう。
なので、誰でもがわかる「究極兵器」という象徴表現に置き換えたのである。
くまは、学はないのである。なので、くまがわかるように、自力で噛み砕くのである。
(´・(ェ)・`)b

​​​​​​​745:ほんと、これだわwwwwwwww[]:2020/06/07(日) 22:39:01.54 ID:njwSByGh [7/7]
理解じゃねーんだよ、理解(=言語による分節)を破壊する作用の象徴として引き合いに出される武器なんだよwww

お前のそれは真逆の解釈って事なwwwwww

746:名無しを整える。[]:2020/06/07(日) 23:01:04.68 ID:IJaQgEEg [3/3]
>>745
「公案則圓成」←この言葉を「八角磨盤」にしちゃだめだよと、一休さんは言ってると、
くまは理解したのであるよ。そのように書いたが、これが間違いだと思うのであるか?
(´・(ェ)・`)b

747:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA [sage]:2020/06/08(月) 00:01:03.10 ID:qEM15qGE
謹んで長く修行をしている人に申す
坊主は淫らな行為をするのである。
堂々とした態度で穏やかに人にせまるが、実は貧弱なのである。
古則公案を習得するのは家業である。
愧ずべきは、その知識を振りかざして、妄りに慢心長ずることである。

自分の糞が臭いことに、気づくことは少ない。
他人の欠点に気づいたら、それは我が身を映す鏡であると明らかにとらえろ。

一休の言う通りじゃな。
今の臨済宗の坊主がセクハラをすることさえ見通していたのじゃな。
昔から続いていた伝統とはセクハラ禅なのじゃな。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

941:避難民のマジレスさん[]:2020/06/06(土) 23:43:31 ID:zulUrRnU0 [1/2]
変化の緊要

   冥想とエネルギー 3

質問者 この観察は確かに、とてつもない自己修練を要求します。

K あなたの言われる自己修練とはどういう意味でしょうか。自己に拘束服を帰せることにより自己を修練するという意味でしょうか。それとも自分自身(について)、主張し、支配し、野心的暴力的などである自分自身について修学する、それについて学ぶ、という意味でしょうか。学ぶことはそれ自体が修練です。修練という言葉は、学ぶ、修学するという意味です。蓄積ではなく、学びがあるとき、現行の学びがあるとき、それには注意が要るし、その学びがそれ自体の応答する責任能力、それ自体の活動、それ自体の次元をもたらすのです。それで、それに課されるものとしての修練はないのです。学びがあるとき、模倣はなく、順応はなく、権威はないのです。これがあなたが修練という言葉でいわれる意味であるのなら、そのとき確かに学ぶ自由がありますか。

質問者 あなたは、私をあまりに遠く、おそらくあまりに深く連れていっています。私は、この学びが関係するところでは、あなたにぜんぶは付いてゆけません。私は、観察者としての自己が終わりにならなければならないことが、明確に分かります。論理的にそのとおりですし、葛藤があってはなりません。それはごく明確です。しかし、あなたは、まさにこの観察が学びであるし、学ぶなかにはいつも蓄積があると言われています。この蓄積が過去になるのです。学びは付け加えの過程ですが、あなたは明らかにそれに全く違った意味を与えられています。私が理解したところからは、あなたは、学びは蓄積なき常の動きであると言われています。そのとおりでしょうか。蓄積なしの学びがありうるのでしょうか。

K 学びはそれ自体の行為です。一般的に起きることは、学んでおいて - 私たちは学んできたことにのって行為する、ということなのです。それで、過去と行為の間に分割があるし、ゆえに、有るべきもの・ことと有るもの・こと、またはあったもの・ことと有るもの・こととの間に、葛藤があるのです。私たちは、学びの動きこそに行為がありうると言っているのです。すなわち、学ぶことはなすことです。それは、学んでおいてそれから行為するという問題ではないのです。これを理解することがとても重要です。なぜなら、学んでおいてその蓄積から行為することは、「私に ‘me’ 」、「私 が ‘I’ 」、自我、またはどんな名を付けたくても、まさにその本性です。「私 ‘I’ 」は過去のまさに本質ですし、過去は現在に触れて、さらに未来になるのです。ここには常に分割があるのです。学びがあるところには、常に動きがあるのです。「私 ‘I’ 」になりうる蓄積はないのです。

質問者 しかし、科学技術の分野には、蓄積された知識があるのでなければなりません。知識なしには、大西洋を飛んだり、車を走らせたり、またはふつうの日々のことのほとんどをすることさえもできません。

K もちろんですね。そういう知識は絶対に必要です。しかし、私たちは、「私 ‘I’ 」の作動する心理的分野について話しているのです。「私 ‘I’ 」は、何かを立場や信望を達成するために、技術的な知識を用いられるのです。「私 ‘I’ 」は、作用するためその知識を用いられるのです。しかし、作用するなかで「私 ‘I’ 」が干渉するのなら、ものごとはおかしくなりはじめるのです。というのは、「私 ‘I’ 」は技術的な手段をとおして地位を探し求めるからです。それで、「私 ‘I’ 」は単に科学的な諸分野に関心を持つだけではありません。それは、何か他のものを達成するためにそれを用いているのです。それは、有名になるためピアノを用いる音楽家に似ています。彼が関心を持つものは、それ自体での、それ自体のための音楽の美しさではなくて、名声です。私たちは、技術的な知識を除かなければならないと、言っているのではありません。反対に、技術的な知識があるほど、それだけもっと良い生活状況があるでしょう。しかし、「私 ‘I’ 」がそれを用いるととたんに、ものごとはおかしくなりはじめるのです。
(´・(ェ)・`)つ

942:避難民のマジレスさん[]:2020/06/06(土) 23:47:27 ID:zulUrRnU0 [2/2]
くまめも3

修練とは、学ぶ、修学するという意味。蓄積ではなく、学びがあるとき、現行の学びがあるとき、それには注意が要る。学びがあるとき、模倣、順応、権威はない。
質問者 蓄積なしの学びがありうるのか。
K 学びはそれ自体の行為。一般的に起きることは、学んでおいて-私たちは学んできたことにのって行為する、ということ。
それで、過去と行為の間に分割があるし、ゆえに、有るべきものと有るもの、またはあったものと有るものとの間に、葛藤がある。私たちは、学びの動きこそに行為がありうると言っている。すなわち、学ぶことはなすこと。それは、学んでおいてそれから行為するという問題ではない。
これを理解することがとても重要。
なぜなら、学んでおいてその蓄積から行為することは、me’ 、I’ 自我、またはどんな名を付けたくても、まさにその本性。「私 ‘I’ 」は過去のまさに本質だし、過去は現在に触れて、さらに未来になる。ここには常に分割がある。学びがあるところには、常に動きがある。「私 ‘I’ 」になりうる蓄積はない。
科学技術の分野の知識は絶対に必要。しかし、私たちは、「私 ‘I’ 」の作動する心理的分野について話している。
「私 ‘I’ 」は、何かを立場や信望を達成するために、技術的な知識を用いられる。
「私 ‘I’ 」は、作用するためその知識を用いられる。
しかし、作用するなかで「私 ‘I’ 」が干渉するのなら、ものごとはおかしくなりはじめる。というのは、「私 ‘I’ 」は技術的な手段をとおして地位を探し求めるから。
それで、「私 ‘I’ 」は単に科学的な諸分野に関心を持つだけではない。技術的な知識があるほど、それだけもっと良い生活状況がある。
しかし、「私 ‘I’ 」がそれを用いるととたんに、ものごとはおかしくなりはじめる。
(´・(ェ)・`)

943:避難民のマジレスさん[]:2020/06/07(日) 23:30:16 ID:Jqx6nX820 [1/3]
変化の緊要

   冥想とエネルギー 4

質問者 私はあなたの言われていることを理解しはじめていると思います。あなたは、学びという言葉に、全く違った意味と次元を与えられています - それはすばらしいのです。私はそれをつかみはじめています。あなたは、冥想は学びの動きであるし、そこにはあらゆるものごとについて、冥想についてだけではなく、生き方、車の走らせ方、食べ方、話し方、あらゆるものごとについて学ぶ自由がある、と言われているのです。

K 私たちが言いましたように、エネルギーの本質は冥想です。それを違うように言うと - 冥想者があるかぎり、冥想はないのです。彼が他の人たちの叙述した状態や何か経験の閃きを達成しようと試みるなら・・・

質問者 お話を遮らせていただくと、あなたは、学ぶことは常であり、絶え間なき流れ、線であり、そのため学びと行為が一つ、または常の動きであるようでなければならないと、言われているのでしょうか。私はどういう言葉を用いるべきなのか知りませんが、私の言いたい意味は必ず理解なさると思うのです。学びと行為と冥想の間に絶え間があるととたんに、その絶え間は不調和ですし、その絶え間は葛藤です。その絶え間には、観察者と観察されるもの・ことが(あるし)、ゆえにエネルギーのむだ全体があるのです - それが、あなたの言われていることなのでしょうか。

K はい、それが私たちの言っている意味なのです。冥想は状態ではありません。行為が動きであるように、それは動きです。そして、ちょうどいま私たちが言いましたように、私たちが学びから行為を分離するとき、観察者が、学びと行為の間に来るのです。そのとき彼は、隠密の動機のために行為と学びを用いるのです。これが、行為し、学び、冥想する一つの調和的動きとしてごく明確に理解されるとき、エネルギーのむだはないし、これが冥想の美しさです。ただ一つの動きがあるのです。学びは、冥想や行為よりもはるかに重要です。学ぶには、完全な自由が、意識的にだけではなく、深く、内的に、あるのでなければなりません - 全的な自由です。そして、自由には、調和的全体として学び、行為し、冥想するこの動きが、あるのです。全体 whole という言葉は、(語源的に)健全 health というだけではなく、神聖 holy という意味なのです。それで、学びは神聖ですし、行為は神聖ですし、冥想は神聖です。これは本当に聖なることですし、美しさはそれを越えてではなく、それ自体にあるのです。
(´・(ェ)・`)つ

944:避難民のマジレスさん[]:2020/06/07(日) 23:34:37 ID:Jqx6nX820 [2/3]
くまめも4

K エネルギーの本質は冥想。
冥想者があるかぎり、冥想はない。
彼が他の人たちの叙述した状態や何か経験の閃きを達成しようと試みるなら・・・
質問者 あなたは、学ぶことは常であり、絶え間なき流れ、線であり、そのため学びと行為が一つ、または常の動きであるようでなければならないと、言われているのか。
学びと行為と冥想の間に絶え間があるととたんに、その絶え間は不調和だし、その絶え間は葛藤。その絶え間には、観察者と観察されるもの・ことが(あるし)、ゆえにエネルギーのむだ全体がある。それが、あなたの言われていることか。
K はい、それが私たちの言っている意味。冥想は状態ではない。
行為が動きであるように、それは動き。
そして、私たちが学びから行為を分離するとき、観察者が、学びと行為の間に来る。
そのとき彼は、隠密の動機のために行為と学びを用いる。
これが、行為し、学び、冥想する一つの調和的動きとしてごく明確に理解されるとき、エネルギーのむだはないし、これが冥想の美しさ。
ただ一つの動きがある。
学びは、冥想や行為よりもはるかに重要。
学ぶには、完全な自由が、意識的にだけではなく、深く、内的に、あるのでなければならない。全的な自由。そして、自由には、調和的全体として学び、行為し、冥想するこの動きが、ある。
全体 whole という言葉は、(語源的に)健全 health というだけではなく、神聖 holy という意味。それで、学びは神聖だし、行為は神聖だし、冥想は神聖。
これは本当に聖なることだし、美しさはそれを越えてではなく、それ自体にある。
(´・(ェ)・`)

945:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/06/07(日) 23:46:54 ID:1d4drIFg0 [369/369]
通常の学問では習うことと実践は離れているのじゃ。
数学を習って金勘定をするとかのう。
しかし、悟りのための学びは実践そのものなのじゃ。
自分を学ぶことで理解と気付きが訪れるのじゃ。
道元も仏法とは自己を習うことだと言っているのじゃ。
自己を習うことで自分を忘れる忘我も訪れるというのじゃ。

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