鬼和尚 ◆qx3.49AOzA 2020/06/06(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1584893493/

515:避難民のマジレスさん[sage]:2020/06/05(金) 22:44:06 ID:7YKjeIwA0 [2/2]
>>514
ありがとうございました

516:崇蓮[sage]:2020/06/06(土) 20:20:49 ID:ck5w8PBg0 [5/5]
>>514
鬼和尚さま、ご回答ありがとうございます。
また質問です。

1.
わたしたちは何回くらい生まれ変わるのですか?

2.
自殺した人は、自分が死んだ(体が無くなった)と思ってないんですか?

わたしの拙い実践では、
死んだ事をわかってない…というか、
普通に生活している、
というように感じました。

3.
わたしは、老病死は怖くありません。
出来れば早めに死にたいと考えていました。
ですが、
自ら命を断つことが出来ないということは、自分が気づいていないだけで、死を恐れているということでしょうか?

鬼和尚さまの
>> 真の修行者は常に死を想うのじゃ。 >>死を想えば修行も進むのじゃ。

という言葉が気にかかります。

「死を想う」とは自分の死でなくてはいけないのでしょうか?
わたしも常に死を想って修行をしたいのですが、この表面上「死は怖くない」という思いのせいで、修行が進みが遅くなるのではないかと考えてしまいます。

どうして死が怖くないと思うのか、原因を探したほうがいいでしょうか?

4.
鬼和尚さまは、今でも毎日
幸せですか?

517:避難民のマジレスさん[]:2020/06/06(土) 20:38:24 ID:3na2v5nI0 [5/5]
511です。ありがとうございました。
もう一つ質問なのですが、苦滅の法において、原因から苦が生じるのを観察する、まではわかりますが、
原因がなければ苦もない、と観察すると反応が止まるのはなぜですか?

518:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/06/06(土) 22:38:52 ID:1d4drIFg0 [127/128]
>>515 どういたしまして、またおいでなさい。

>>516 一 観念がある限り計り知れないほど生まれかわるのじゃ。
 数えるのも無理なぐらいなのじゃ。

 二 そのような者もいるじゃろう。
   眠りの意識にあるからのう。
   夢の中で生活しているのじゃ。

 三 恐れているじゃろう。
   未知のものは誰でも怖いからのう。

 四

519:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/06/06(土) 22:46:42 ID:1d4drIFg0 [128/128]
途中で送信してしまったのじゃ。

>>516 四 自分の死なのじゃ。
        そうじゃ、原因を探したらよいのじゃ。
       もはや身内のところにいきたいとか願っているのかもしれん。
       そのような原因から観察できればなくなるのじゃ。

     五 世間の幸福とは違うが常に安楽なのじゃ。
        一切の苦は永遠に無く、常に安らぎと喜びが在るのじゃ。

>>517 それは原因が無い状態を観れば、苦の働いていない元の心の働きに気付くからなのじゃ。
  元から苦がなかった状態を観ることができるのじゃ。
  それによって苦の働く心と、苦の無い心の気付きが起こり、完全に滅するのじゃ。
  心の働きのどこからどこまでが苦の縁起であるか理解できるのじゃ。

  そのように逆観がないと苦の完全な観察にはならないのじゃ。
  逆観によって苦は完全に観察されて滅するのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】80 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1585267583/

812:マジレスさん[sage]:2020/06/06(土) 03:18:19.78 ID:aXXYgFWJ
>>805
毎週再放送やってますし…
小難しいから録画も何周も観てますのですが!
誰も見てないとはどういう意味ですか?

817:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA [sage]:2020/06/06(土) 23:09:05.70 ID:3yNleyy8
>>812 物語はわかりやすくしないと読者や視聴者はついてこないのじゃ。
 主人公が成長するとか、姫を助けるとかのう。
 シナリオ学校でも一行で説明できるテーマでなければいかんと教えるのじゃ。
 制作者は気に入ってるかもしれんが、犯人は観ていないじゃろう。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3 
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/

730:名無しを整える。[]:2020/06/06(土) 00:17:52.11 ID:BIWEEJJt
>>728
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま、いつも、3回も4回も訳を作り直すのであります。
無我のことかなと言う一文は、今日、打ち込む時に、入れることにしたのであります。
漢文、漢詩は、イメージが湧きやすくて、良いでありますね。
(´・(ェ)・`)b

734:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA [sage]:2020/06/06(土) 23:40:34.28 ID:fW/JbwWD [1/2]
>>730 そうじゃ、おぬしに向いているのかもしれん。
 更に学問あるのみなのじゃ。

733:名無しを整える。[]:2020/06/06(土) 21:13:38.46 ID:b4zdF95A
>>730
今夜の詩は、61歳のとき、養叟を訪ね大激論した時の、一休の主張の一つでありましょう。
65  百丈餓死1/3
為人苦行也天然 い人の  また天然
大用分明即現前 大ゆうふんみょうすなわち
一日不作必不食 いつにちなさざれば  くらはず
大人手段作家禪 だいじんの手段さっけの

くま訳(以下同)
百丈の不食(苦行)は、自然なことである。
大いなる法の摂理は明らかであり、それが現前されてるのである。
働かなければ死ぬという道理を、働かない日は食らわずとして、
卓越した導師が自ら行いで示しただけなのである。

*大用現前: 大いなる作用・はたらきが自由自在に現われること *百丈懐海: 749- 814年・唐代の禅僧。大智禅師。95歳まで長生きしたのである *作家(さっけ):卓越した力量のある禅僧

原始仏教には無い教えでありますが、文化的背景の違いに基づくものであり、重要な違いではないでありましょう。

66  2/3
古人受用幾嘗艱   の  幾ばくかかんをなむ
不是尋常談笑間 これ世の常談笑の間にあらず
飽食痛飲飯袋子          はんたいす
叉衣翫水又遊山 しゃえがんすい又ゆさん

昔の人は、仏の教えを実践するのに少しは苦労したのである。
これは、決して、世の常であるといって、笑っている場合ではないのである。
飽食痛飲、能無しの無駄飯食いは、
さえを着て海、山で遊んでばかりである。

*受用身:仏の三身の一。悟りによって得た法を自ら楽しみ、また、他の人々にその法を施し楽しませる仏身。前者を自受用身、後者を他受用身という。

三身      三徳 仏(如来) 説明                                                
自性身・法身  法身 毘盧遮那仏 宇宙の真理・真如そのもの、仏性。               
受用身・報身  般若 阿弥陀仏  仏性のもつ属性、はたらき。あるいは修行して成仏する姿。
変化身・応身  解脱 釈迦牟尼仏 この世において悟り、人々の前に現れる釈迦の姿。     

*飽食痛飲飯袋子 叉衣翫水又遊山:畳み掛ける罵倒は、一休の得意技であります。
*飯袋子(ほったいす):上記の通り、無駄飯食いのことでありますが、「ホッタイモイジルナ」と米国人に言うと、時間を教えてくれるらしいのである。(くま未確認)

67  3/3
工夫長養大慈心
臨済消來萬両金    消し来る  の
昔日艱難聞吐哺    かんなんとほを聞く
簔衣箬笠钁頭吟 さいじゃくりゅうかとうの吟

長いこと悟後の修行に励み偉大なる仏の大慈悲の心をそだてるのだ。
臨済が寺の財産を消し去りに来るぞ(臨済の偉大な教えが消えてしまうぞ。)
昔の艱難辛苦伝える詩を聞くではないか。
みのを着て笠をかぶり、農具をもって、修行をするという吟

まだこの頃は、穏健な正論をで臨んでいたので有りますね。
(´・(ェ)・`)つ

735:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA [sage]:2020/06/06(土) 23:46:49.08 ID:fW/JbwWD [2/2]
昔は修行しなかった日には飯もくわなかったというのじゃ。
厳しい修行だったのじゃ。
身の回りの雑用も修行だったのじゃ。
更に雨の日や風の日も乞食行を実践したのじゃ。
それこそ真の禅定というものだったのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

936:避難民のマジレスさん[]:2020/06/06(土) 00:00:30 ID:2WdNfqJs0 [1/3]
>>935
いつも、簡潔なまとめをありがとうであります。
精進するであります。
(´・(ェ)・`)つ

939:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/06/06(土) 23:25:37 ID:1d4drIFg0 [367/368]
>>936 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

937:避難民のマジレスさん[]:2020/06/06(土) 00:01:53 ID:2WdNfqJs0 [2/3]
変化の緊要

   冥想とエネルギー 2

質問者 はい、それは分かります。その微細な形態の認識は歪曲するのです。それは分かります。あなたは、これらすべての思考の干渉はエネルギーのむだであると言われます。あなたは、どんな形態の認識、非難、判断もなく観察しなさい、名づけず観察しなさい、と言われます。その名づけ、認識はエネルギーのむだであるからです。それは論理的に現実的に理解できます。そのとき次の点、すなわち、二元性を創り出す観察する者と観察される者・ことの間に存在する分割、分離、あるいはむしろあなたがしばしば表してこられたとおり空間があるのです。あなたは、それもまたエネルギーのむだであり、葛藤、抗争をもたらすと言われます。私はあなたの言われることすべてを論理的だと思うのですが、その空間を取り除くこと、観察する者と観察される者・こととの間に調和をもたらすことを、とてつもなくむずかしいと思うのです。これはどのようにしてなされるのでしょうか。

K 「どのように」はないのです。「どのように」は、機械的になる体系、方式、実践を意味します。もう一度私たちは、「どのように」という言葉の意義を離れなくてはなりません。

質問者 それは可能でしょうか。私は可能という言葉は、未来、努力、調和をもたらそうと奮闘することを含意するのを、知っています。しかし、一定の言葉は使わなければなりません。私たちがそれら言葉を乗り越えられるのを私は願うのです。それで、観察する者と観察されるもの・こととの間の統一をもたらすことは、可能でしょうか。

K 観察する者は観察されるもの・ことにいつも陰を落としています。それで、二つの間の統合をどのようにもたらすのかではなくて、観察者の構造と本性を理解しなければなりません。観察者の動きを理解しなければなりません。その理解のなかおそらく観察者は終わりになるでしょう。私たちは、観察者が何なのかを検討しなければなりません。それは、意識的、無意識的な記憶、人種的、民族的な遺産、知識と呼ばれる蓄積された経験、諸反応をともなう過去なのです。観察者は本当は、条件づけられた事物です。彼は、その人はある、私はあると主張する者なのです。彼自身を保護するなかで彼は抵抗し、支配し、快適と安楽、安全を求めます。そのとき観察者は内的、外的に、自分自身を、観察されるもの・こととは異なる何かとして、分け隔てます。これが二元性をもたらすし、この二元性から葛藤、抗争があるし、これ(葛藤、抗争)がエネルギーのむだなのです。観察者、その動き、その自己中心的活動、その主張、その先入観に気づくには、自分は異なっているという分離主義的感情を築くこれら無意識的な動きすべてに、気づかなければなりません。それは、どんな形態の評価づけもなく、好き嫌いなく観察されなければなりません。ただそれを日々の生のなか、その諸関係のなか観察してください。この観察が明らかであるとき、観察者からの自由がないでしょうか。

質問者 あなたは、観察者は本当は自我であるとおっしゃっています。あなたは、自我が存在するかぎり、彼は抵抗し、分割し、分離する、というのは、この分離、この分割のなか彼は生きていると感じるから、とおっしゃっているのです。それは彼に、抵抗し戦う活力を与えるし、彼はその戦いが慣習となってしまったのです。それが彼の生きる道なのです。あなたは、この自我、この「私 ‘I’ 」が、好き嫌いの感覚のなく、見解や判断のなく、ただ行為のなかこの「私 ‘I’ 」の観察のみがある観察をとおして解消しなければならない、と言われていないでしょうか。しかし、そういうことは本当に起きるのでしょうか。私は私自身をそんなに完全に、真実に、歪曲なく見られるでしょうか。あなたは、私がそんなに明らかに私自身を見つめるとき、「私 ‘I’ 」は全く動きを持たないと言われます。そしてあなたは、これが冥想の一部であると言われるのですか。

K もちろんです。これこそが冥想です。
(´・(ェ)・`)つ

938:避難民のマジレスさん[]:2020/06/06(土) 00:02:51 ID:2WdNfqJs0 [3/3]
くまめも2

質問者 あなたは、観察者は本当は自我であるという。あなたは、自我が存在するかぎり、彼は抵抗し、分割し、分離する、というのは、この分離、この分割のなか彼は生きていると感じるから、と言っている。
それは彼に、抵抗し戦う活力を与えるし、彼はその戦いが慣習となってしまった。
それが彼の生きる道。あなたは、この自我、この「私 ‘I’ 」が、好き嫌いの感覚のなく、見解や判断のなく、ただ行為のなかこの「私 ‘I’ 」の観察のみがある観察をとおして解消しなければならない、と言うのか。
そういうことは本当に起きるのか。
私は私自身をそんなに完全に、真実に、歪曲なく見られるか。 
私がそんなに明らかに私自身を見つめるとき、「私 ‘I’ 」は全く動きを持たないと言う。これが冥想の一部であると言うのか。

K もちろんです。これこそが冥想です。
(´・(ェ)・`)

940:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/06/06(土) 23:33:08 ID:1d4drIFg0 [368/368]
観察する時に観察する者と観察されるものをわけてはいかんというのじゃ。
観察する者こそを観察するべきなのじゃ。
観察する者がどのように観察しているのか理解するのじゃ。
観察する者を観察する事が瞑想だというのじゃ。

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