鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2020/06/03(水)

鬼和尚に聞いてみるスレ part16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1584893493/

496:避難民のマジレスさん[]:2020/06/02(火) 23:46:07 ID:iZFExW2s0 [19/19]
>>495
ありがとうございます。
お釈迦様の一番有名と言っていい言葉を疎かにしていました。
コツコツと瞑想を続けながら、独りで修行に専念できる環境を作れるよう努力していこうと思います。
といってもわからないことだらけなので、その都度、鬼和尚様に質問させて頂きます。今後ともよろしくお願いします。

497:避難民のマジレスさん[sage]:2020/06/03(水) 06:56:13 ID:czRftzgI0 [13/13]
雑念(絵か音)は浮かんだと同時に瞬時に認識され、しかもそれらの作用は無自覚に行われる。
無自覚な作用であるため、雑念が起きるのを制御できないし、雑念の観察は、既に浮かんだ雑念を意識的に認識しているにすぎない。
以上のように雑念を観察しました。さらに観察を続けます。

498:避難民のマジレスさん[sage]:2020/06/03(水) 15:25:22 ID:8qFvIk/s0 [4/4]
>>495
よく理解できました。すっきりです。

修行のほうは集中を中心にしていこうと思います。
有難うございます。
また分からないところがあった時はよろしくお願いします。

501:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/06/03(水) 22:44:55 ID:1d4drIFg0 [122/123]
>>496 そうじゃ、犀の角のように独り精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>497 善い観察なのじゃ。
 雑念は自分が起こしたものではなく、自分のものでもないものじゃ。
 更に実践あるのみなのじゃ。

>>498 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

499:崇蓮[sage]:2020/06/03(水) 18:27:01 ID:ck5w8PBg0 [1/2]
鬼和尚さま

数息観の時の姿勢について、教えてください。

リラックスして体の力を抜いていくと、
腰が引けてくる感じになるのと、肩が普段の位置に戻ってしまうのですが、
気づいたらその都度
腰を立て直し、胸を開き直した方がいいですか?

背骨については、
真っ直ぐ伸ばした背を骨が、リラックスによって自然と潰れた感じです。
ですが、体に緊張感はなく、座りはじめの肩のコリや背中のコリもなく、楽な姿勢です。
しかも、リラックスする前も、した後も、頭には快が生じているので、判断できません。
そのリラックスした時の感覚は「なで肩」で、息をした時の動きでユラユラし、まるで湖の上にいる「起き上がりこぼし」のようですが、実際はほとんど揺れてはいないです。
座る時は「胸を張り、肩や首の力を抜き、竹が伸びる様に下から上に、背骨が伸びていくように」を意識しています。
背筋を伸ばしつつ、体の力を抜くというのは、とても難しいですね。

更に極端に言うと、
背骨が曲がっていても
首を伸ばすと頭に快が生じるのですが、
わたしの感じているこの感覚は
本当に快なのでしょうか?
とても不安です。

また、正しい姿勢で座っていると体が温かくなってくると過去のスレにありましたが、
体は温かくなってきません。
早朝の数息観は一度も温かくなったことはありません。(朝ごはんは食べません)
食後は1時間以上開けてから座りますが、その時は温かくなるので、これは消化による体温上昇と考えているます。
この、早朝体が温かくならないことも、不安要因の一つです。

でも、自分なりに背筋を気をつけた上記の姿勢で、調子の良い時は集中する意識と雑念2つまで感じることが出来る様になりました。

ご指導お願いします。
長文、申し訳ありません。

500:避難民のマジレスさん[sage]:2020/06/03(水) 22:16:39 ID:Y5LPInQE0 [136/138]
>>493
ふーん、私がやった数息観の実践の報告は事実だと認めるんですね
頭がおかしい人間の妄想かもしれないのに

まぁ、それを否定されたら、どうしようかと、地獄行きを賭けて
言ったことが事実か否か、さあ、勝負しようじゃないかとやろうかと
考えてましたが、そう言う面倒な事態にならずに良かったです

明日も早起きしないといけないんで本日のレスはこれだけです

502:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/06/03(水) 22:51:04 ID:1d4drIFg0 [123/123]
>>499 そうじゃ、直したほうが善いのじゃ。
 そのまま力を抜けるように工夫してみるのじゃ。
 正しい姿勢のまま力が抜ければサマーディも近いのじゃ。

 気が首筋に溜っているとそのようなこともあるじゃろう。
 或いは背骨もそんなに曲がっていないのかもしれん。
 経験を重ねるうちにわかってくるのじゃ。
 鏡で見てみるとよいのじゃ。

 体が温かくなるのも体験の一つであるからそんなに気にしなくて善いのじゃ。
 朝は未だ体が休んでいるのじゃろう。
 囚われずに進むのじゃ。

>>500 実践在るのみなのじゃ。
 実践する者だけが進んでいくのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】  52 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1585172010/

525:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/06/03(水) 17:55:35.82 ID:QIeP/j0k
鬼和尚さん、生前に「俺は〇〇宗で葬儀してもらって仏壇に祀ってもらって
法事や墓参りをしてもらうんだ」と思い込んで死んだ人が、期待通りにしてもらえなかった場合、
執着して中有をさまよったり関係者に祟ったりするんでしょうか

527:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/06/03(水) 22:56:12.59 ID:nZ8EIB1V
>>525 そのようなことはないのじゃ。
 死人は眠りの意識に入っているからのう。
 寝ている者が祟ったりすることはないようにのう。
 死人が祟ることはないのじゃ。
 何か後ろめたいことがある者が祟られたとか思うのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】80 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1585267583/

763:マジレスさん[sage]:2020/06/02(火) 21:53:56.39 ID:D51l+xBw
鬼和尚さん
童貞質問小僧はなぜ童貞なのにこんなに性に執着があるのですか?事件を起こしそうで心配です

766:鬼お嬢[sage]:2020/06/03(水) 09:57:45.93 ID:ueZwOMbq [2/2]
鬼和尚は 陳鉾とか陳宝とかいう名前の中国人をどう思いますか?

767:マジレスさん[sage]:2020/06/03(水) 11:44:06.46 ID:USrv6jsB
鬼和尚
なんでここの住人みたいな何の取り柄もない、ネットで悪ふざけしてないと生きていけない
劣等個体が産まれてきちゃったんでしょうか

776:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/06/03(水) 22:53:55.23 ID:TZMBuyol
>>763 童貞だからじゃろう。
 おぬしがしりをかしてやるとよいのじゃ。

>>766 さすがじゃなとおもうのじゃ。
 おぬしも見習って運高とか名乗ると善いのじゃ。
 中二の人の人気者になるじゃろう。

>>767 寂しいのじゃろう。
 みんなさびしん坊なのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3 
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/

711:名無しを整える。[]:2020/06/03(水) 01:14:14.50 ID:58EQrDZD
>>708
うむ、落慶法要での捨て身の糾弾はつづくのである。
53(4/10)
妄参佛祖旧因縁 みだりに仏祖に参ず旧因縁
天道豈饒逢着膻   あにせんにぶちゃくすることをゆるさんや
食淡志潔吾自業 じき淡く志潔しわが
志姦食美汝家傳 志あしくじき美なる汝が家伝

くま訳(以下同)
無分別に昔の因縁があるからといって仏祖にお参りする
天の道理として、罪無くしてどうして生臭くなる(らい病にかかる)ことがありえようか。
粗食で志の高い私の業(だから私はらい病にかからない)
志いやしく、食通であるのは汝の家伝、(その罪業の報いなのだ)

うむ、これでは、不良小学生せある
54(5/10)
猢猻無尾出人前 こそん尾無くしてじんぜんに出ず
乃祖弄嘲天下徧 ない祖ちょうを弄して天下あまねし
拈棒下喝送一送  をねんじて を下してそう一そう
始看勾欄歌舞禪 始めてみるこうらん歌舞の禅

猿は、尾を無くして、人前に出てきやがる。
汝の祖父は、天下をあまねく愚弄して嘲った。(養隻さん藤原家のでなので、祖父が何かやったのか?)
棒を打ち下ろし喝を入れてやる。何度でも。
肘掛いすに坐った禅など初めてみるわい。

*胡孫(こそん):「さる(猿)」の異名*乃祖(ないそ):汝(なんじ)の祖父*勾欄(こうらん):椅子のひじかけ。

うむ。こうまで言うからには、よっぽど腹に据えかねることがあったのでありますかね
55(6/10)
大燈門下單干境    ぜんうの境
姦賊此時開法筵  此の時ほうえんを開く
厚面無慚唯畜類 こうめんむざんただちくるい
古今無若此邪師  かくのごとくなる邪師無し

大燈国師から受け継がれた偉大なる禅。、
それを今や邪悪な奴らが説法をしている
厚顔無恥な奴らは畜生に等しい
いまだかつて、こんな邪悪な師家は見たことがない

*單干(ぜんう):①匈奴モンゴル帝国の君主の号。広大な様 ②単独で、一人でやること

下世話で嫌味な一休さん
56(7/10)
風流入室苾蒭尼   しつにいるびくに
因憶慈明狹路時 よっておもふじみょうきょうろの時
腸断繊々呈露手 はらわたはたつせんせんていろの手
暗吟小艶一章詩 暗にしょうえん一章の詩を吟ず

風流に入室する比丘尼
当然、いい事してるのだろう。
秘め事がばれて、ひそひそと笑われてるのだ
かくれて小艶詩でも吟じるか。

*腸を断つ:① 悲しみに激しく心が痛む。断腸の思いをする。 ② おかしくて大笑いする。*繊繊:細くてしなやかなさま。また、弱々しいさま。かぼそいさま*入室苾蒭尼:竺英聖瑞(じくえいせいずい)が、養叟に院を寄進して住持を請うた。1464年
養叟さんは当時88歳、一休さん71歳、竺英聖瑞 さん42歳。元気なじいちゃんたちである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

713:名無しを整える。[]:2020/06/03(水) 13:55:43.92 ID:bImo5gZ/
訂正:昨日の最後の1行差し替え→①春浦さん当時55歳、一休さん71歳、竺英聖瑞 さん42歳。
②50~56までの文章の「養叟」全て→「春浦」

ここで槍玉にあがっている、凞長老とは、養叟宗頤(ようそう そうい )さんではなくて、春浦宗煕(しゅんぽそうき)のことでありました。養叟さんは、この頃既に亡くなってることに、年齢計算して気がついたであります。
春浦さんは、養叟さんの後を継いだ人であります。
いずれにしても、バトルというよりも、一休さんの独り相撲だたったようであります。
されど、一休さん、これから10年後に、大徳寺住持になるのであります。
すごい、執念でありました。

春浦宗煕(1409-1496):大徳寺40世住持。密参録(公案のアンチョコ)を作るなどしたことも、一休さんに批判されていたとのことである。
(´・(ェ)・`)つ

716:名無しを整える。[]:2020/06/03(水) 21:00:48.10 ID:UFwZARCj
>>711
辛辣な皮肉屋一休さんである
57(8/10)
頤凞禪話太新鮮  いきが  はなかだ新鮮
呈露開拳又出拳  ていろして拳を開き又拳を出す
龍寶山悪中知識    山中のあく知識
言詮古則盡虚傳  ごんせんの  ことごとく虚伝

くま訳(以下同)
春浦の禅の話はとても新鮮である。
身振り手振りの熱演である。
龍宝山大徳寺の悪知識である。
古則の解説はことごとく、嘘である。

* 悪知識:悪法・邪法を説いて悪に誘い込む人 *古則:すぐれた古徳が示した語句のこと。

もはや粘着荒らしくんである。
58(9/10) 
得果投機多教人 果を得機に投じて多く人に教ふ
青銅定價兩三緡   定価両三みん
休歌亡國伊州曲 歌うをやめよ亡国伊州の曲
榮衒乾坤天寶春 栄衒のけんこんてんぽうの 

評判を得ようと、事あるごとに、多くの人に教えを説こうとする。
定価は青銅両三束(高いか安いか?)
亡国の歌など歌うな。
名聞利養に邁進する輩が、わが世の春を謳歌している。

*伊州曲:翻訳サイトによりますと、唐代の詩人バイ・ジュイの「永遠の悲しみの歌」

自戒集はこんな話の詳細が語られてるらしい。
59(10/10)
引伴集徒幾癩児 伴を引き徒を集むいくらい児ぞ
面門眼上総無眉    げんじょうすべてまゆ無し
法中姦黨自了漢 ほっちゅの姦当自了の漢
傳授無師話有私 伝授師のうして話わたくし有り

供を引き連れ、徒党を組むらい児どもよ!
おまえら、眉毛がないのは天罰か!
僧侶の中でも邪悪な輩、独りよがりに了している(三世了達している)と思いこんでいる奴。
お前に法を伝授した師などはいないから、話すこに業の深さがあらわれているのだ。

*禅門では、公案等に付き詳しく過ぎる説明は、罰が当り眉も髭も抜け落ちるといわれているそうである。58,59は、養叟設立した、老若男女を問わず誰でも禅が修行できる陽春庵に、春浦もいたことがあるので、そのことに対する批判でありましょう。
*法中(ほっちゅう):僧侶の社会。*三世了達:一切を明らかに悟っていること。

(´・(ェ)・`)つ

717:名無しを整える。[]:2020/06/03(水) 21:35:10.58 ID:vclDCgPG
一休さんは、狂雲集で、徹翁義亨の法話に言及している。それは、
仏法を以って渡世のはかりごとと為す(仏法を名利追求の道具にする)者のことを、「日用不浄の者」というとして、餓鬼畜生、「受癩病苦」に落ちる・・・という法話である。
大燈国師を継いだ徹翁(1世)は、大徳寺の運営基盤を築いたと云われており、寺を再建しようとしていた春浦(40世)にとっては、お手本であったでありましょう。

一休は、春浦 糾弾に際して、その、徹翁の法話を引き合いに出しているのである。
一休自身の徹翁評価は高くなかったことが、狂雲集での言及においてうかがわれるのである(その点については、後述する予定)が、兎に角、春浦を追い落としたかったのでありましょう。
一休は、後に47世として、大徳寺を再建するが、そのときは、堺の豪商、尾和宗臨や、一休文化サロンの面々から莫大な援助を受けたのである。それは、お布施であるが、春浦は、「日用不浄の者」
であると言いたいので、ありましょう。(ちなみに、戦国武将の嚆矢といわれる 北条 早雲 は春浦から、禅を教わったそうである。時期的には一休さんは死んだ後らしい)

中国で廃れた禅宗が、本邦で残ったのは、徹翁や養叟や春浦の功績大なのかなとは思うのである。けど、一休さんが言うとおり、臨済や釈迦が残したかった『法』はそこにはもはや無いのかも知れぬ
と思うくまである。
一休さんの三転語の解説などはとても分かりやすいのである。ちゃんと分かってる人が解説すれば、600年後の愚かなくまが読んでもなんとなく理解できるのである。詳し過ぎる説明は、罰が当る(59)
などという迷信は、組織存続の為のでっちあげだと一休さんは見抜いていたあでありましょう。ただ、言葉(観念)に囚われずに、自分で見い出せと言いたかったのでありましょう

らい病をとりあげた一休さんの言動は、くまには大いにショックであったが、実際の一休さんは、当時の日本の最底辺の人たちと人生をともにしていたのである、綺麗ごとではなく、実際にそのように、
あたりまえに、生きていたのである。それと一つだったのである。愛していたのである。
一休は春浦のことを、 禅録を見ずして軍書を読む(後述予定である)と批判しつつ 、「黄衣癩肉臭汗衫」(52)とは、 春浦に対するエールではなかったかと、くまは愚考するのである。
やっぱり、一休さんは悟っていたのでありましょう。悟れば当然、こわいもの無しでありましょう。

あくまでも、一休研究員くま小僧の想像と観想である。
最後に、以上を四行にまとめてみる。 

大燈残さんと欲し、春浦がんばる(起)
大燈残さんと欲し、一休、春浦のあやまりを、糾す(承)
一休、自力で、自分を観て、悟らなければダメだよと、皆に教える(転)
うむ、一休さんみたいに悟りたいなと、くま欲す(結)
(´(ェ)`)つ

720:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/06/03(水) 23:03:01.37 ID:eFyCUHHL
本当に大悟してしまえば真実と共にあるから集団の虚偽が目に付くのじゃ。
腐敗していない組織というものは殆どありえないからのう。
三人寄れば派閥が出来るというのじゃ。
集団の虚偽を追求するのはクリシュナムルティと同じなのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

927:避難民のマジレスさん[]:2020/06/03(水) 06:39:47 ID:FyHVc0AM0 [1/2]
変化の緊要

   個人と共同体 1

質問者 私はこの疑問の訊ね方をよく知らないのですが、私は、個人と共同体、これら二つの対立的事物の間の関係は、長い危害の歴史であったという強い感じを持っています。世界の(歴史)、思考、文明の歴史は、つまるところ、これら二つの対立的事物の間の関係の歴史です。社会すべてにおいて個人は多かれ少なかれ抑圧されるのです。彼は、理論家たちが決定してきた様式に順応し、適合しなければなりません。個人はいつもこれら様式を破って抜けようとしているし、二つの間の継続的な戦いが結果です。諸宗教は、集団的魂から分離したものとして、個人の魂について話すのです。彼らは個を強調します。(近代)現代の社会は、こんなに機械的になり、標準化され、集団的に活動することになったのですが、この社会では、個人は自分が何なのかを探究し、自分自身を主張し、自分自身を同定しようとしています。格闘すべては、何にもつながりません。私の疑問はこうです - このすべてのどこが、間違っているのでしょうか。

K 本当に大事であるただ一つのことは、生きるなか善と愛と智恵の行為があることです。善は個人的でしょうか、集団的でしょうか。愛は人格的でしょうか、非人格的でしょうか。智恵はあなたのや私のや他の誰かのでしょうか。それがあなたのや私のであるのなら、そのときそれは智恵や愛や善ではありません。善が、自らの特定の趣向や判断に応じた個人や集団の事柄であるのなら、そのときそれはもはや善ではありません。善は個人の裏庭にも集団の広野にもありません。善は両方からの自由にのみ花開くのです。この善と愛と智恵があるとき、そのとき行為は個人や集団ということにおいてではありません。善を欠いて私たちは、世界を個人と集団とに分割するし、さらに集団を宗教、国家、民族、階級に応じて無数の諸集団に分割するのです。これら諸分割を創り出したので、私たちは、新しい集団を形成することによりそれらに橋を渡そうとするのですが、それら(形成される集団)も再び他の諸集団から分割されるのです。私たちは、どの偉大な宗教もすべて仮定では人の同胞愛をもたらすために存在しているが、現行の事実ではそれを防止することが、分かるのです。私たちはいつも、すでに腐敗しているものを改革しようとするのです。私たちは腐敗を抜本的に根絶するのではなく、ただ単にそれらを配置しなおすだけなのです。
(´・(ェ)・`)つ

928:避難民のマジレスさん[]:2020/06/03(水) 06:41:46 ID:FyHVc0AM0 [2/2]
くまめも1

本当に大事であるただ一つのことは、生きるなか善と愛と智恵の行為があること。
智恵はあなたのや私のや他の誰かのか。それがあなたのや私のであるのなら、そのときそれは智恵や愛や善ではない。
善が、特定の趣向や判断に応じた個人や集団の事柄であるのなら、そのときそれは善ではない。善は個人の裏庭にも集団の広野にもない。善は両方からの自由にのみ花開く。
この善と愛と智恵があるとき、そのとき行為は個人や集団ということにおいてではない。善を欠いて私たちは、世界を個人と集団とに分割するし、さらに集団を宗教、国家、民族、階級に応じて無数の諸集団に分割する。これら諸分割を創り出したので、私たちは、新しい集団を形成することによりそれらに橋を渡そうとするが、それら(形成される集団)も再び他の諸集団から分割される。
私たちは、どの偉大な宗教もすべて仮定では人の同胞愛をもたらすために存在しているが、現行の事実ではそれを防止することが、分かる。私たちはいつも、すでに腐敗しているものを改革しようとする。私たちは腐敗を抜本的に根絶するのではなく、ただ単にそれらを配置しなおすだけ。
(´・(ェ)・`)

929:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/06/03(水) 22:59:09 ID:1d4drIFg0 [364/364]
個人の集まりが集団と呼ばれるのじゃ。
個人が無ければ集団も無いのじゃ。
それは分けられない一つのものなのじゃ。
集団のためにすることは個人の欲望のためにすることであり、腐敗は免れないのじゃ。

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