【仏教】悟りを開いた人のスレ502【天空寺】

【仏教】悟りを開いた人のスレ502【天空寺】 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1589117859/

1:大山 ◆RiqqSAvWe2 [sage]:2020/05/10(日) 22:37:39.57 ID:5eqqUboD [1/2]
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もすること。(任意)

>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い

※前スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ501【天空寺】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1588342398/1

5:栄進軍曹[]:2020/05/11(月) 00:29:31.40 ID:1blr4o0o [1/5]
最近、神秘体験しとらんわ
>>1
乙種合格であります(´・ω・`)ゞ

7:ハジ[]:2020/05/11(月) 00:41:38.74 ID:3obPqG+7 [1/3]
>>1乙です

>>5
神秘体験てどんなんなん?

11:栄進軍曹[]:2020/05/11(月) 01:55:58.76 ID:1blr4o0o [2/5]
>>7
昔も言うたけど・・・もう一回おさらいと言うか、お手本として書くわ

ある日考え事してたら、突然頭がパカッとしたような感覚に襲われて、エクスタスィな快感の波がドーンと来たんや

その時は宗教とかこれっぽっちも興味は無かったんやけど

「神」としか表現できん

それが「自分」だと直感したんや

ちょー嬉しくて感動して涙が止まらずに泣きじゃくった

鼻血も大量に出たねん

興奮して夜寝れんかったし腹も減らんから飯も食わん

肉体的疲労で3日ぐらいして流石に寝ないとヤバいと思って布団に入るやん

頭はビンビンに冴えとるんやけど、その時、呼吸困難になってパニックになったんや

寝たら呼吸が止まって死んでしまう!という強迫観念に襲われたんや

お母ちゃんの所に行って「精神科を予約してくれ!」と頼んだんや

「うわ!自我が壊れた!」って感覚と「俺、発狂した!」という恐怖で

翌日、精神科で統合失調症と診断されて今日に至る

もう10年以上前の話や

大山閣下には笑われるけどな(´・ω・`)ああ、恥ずかし

22:ハジ[]:2020/05/11(月) 10:24:14.88 ID:3obPqG+7 [3/3]
>>11
めちゃんこヤバい体験やないか
そんな体験はハジは全くにしてないのじゃ
ハジも自分が広がったような気がしたり
ものと一つになってるような気がしたり
頭の後ろに鏡があるような気がしたり
天空の向こうと繋がってるような気がしたり
胸の奥に至福があるような気がしたり
真っ白なと仏の光が背後から現れた気がしたり
認識以前に触れた気がしたり
なんもしてないのに起こってますやんと思いこんだり
いろいろと
神秘的な体験はしておる
あー、音が、違って聞こえたりとかもあったかも

25:栄進軍曹[]:2020/05/11(月) 16:47:42.48 ID:1blr4o0o [3/5]
>>22
神秘的体験なら分かるねん

大山閣下の言う仏教的な体験って何や(´・ω・`)?

33:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/11(月) 22:39:24.21 ID:mxvdBCL6 [1/4]
>>7 無心とか無我とかを求めなくて善いのじゃ。
 ただひたすらに己を観るがよいのじゃ。
 己が観られたならばそれは向こうからやってくるものじゃ。
 己が観られない以前にそれを求めたり、考えたりするのはむしろ障碍になるのじゃ。
 ただひたすらに己を観るのみなのじゃ。

34:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/11(月) 22:41:03.92 ID:mxvdBCL6 [2/4]
観察する事は観察される対象と観察する者を生み出すのじゃ。
それ故に観察する者そのものを観察する事は難しいのじゃ。
観察することが分離を生み出すからのう。
しかし、観察を続けていけば、分離の無い無意識の観察も出来るのじゃ。
その観察に拠って今ここで観察する己も観られるのじゃ。
観察する者が今ここで観察する自らを観た時、観照は起こるのじゃ。

35:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/11(月) 22:41:31.15 ID:mxvdBCL6 [3/4]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

36:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/11(月) 22:42:10.47 ID:mxvdBCL6 [4/4]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ

40:神も仏も名無しさん[sage]:2020/05/12(火) 00:37:04.78 ID:vgc637gw [1/47]
>>33

自分で己は見えないという仏教の大前提は無視かよ?笑

47:ハジ[]:2020/05/12(火) 02:30:13.99 ID:0JmhoRtw [2/28]
>>33
己とは何じゃとわからんのに
どーやって己を見るんや?
ハジはそーゆーメソッドも邪魔になる
なんかせんならん
アレせなあかんコレせなあかん
コレが己かなあ、アレかな、それかな
こっちでは、あーゆーてるし、あっちではちがうゆーし
永遠にグルグルしとらんならんw

鬼和尚、の意見もあれば、ハジの意見もあり、もう、めんどくせー、笑

424:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/12(火) 22:25:33.49 ID:Lp0ssk2Z [1/3]
>>40 そんな仏教はないのじゃ。
 おぬしの脳内仏教じゃな。

>>47 己とは何かわからないから観て理解するのじゃ。
 観られれば直ぐにでも苦は消えるのじゃ。
 それが観念のまやかしであったと気付くからのう。

425:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/12(火) 22:27:00.08 ID:Lp0ssk2Z [2/3]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

426:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/12(火) 22:27:42.70 ID:Lp0ssk2Z [3/3]
数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ

89:栄進軍曹[]:2020/05/12(火) 04:42:18.03 ID:YlqU7FlX [12/45]
最後の手段や!

鬼和尚さま、質問です

すべてを作り出す「心」とは何でありますか?

心を知れば悟れるのですね

どうか、お答えください(´・ω・)

571:栄進軍曹[]:2020/05/13(水) 21:49:10.71 ID:ShKMR1KU [2/5]
>>424
鬼和尚さま!ついに悟りました!

悟りとは「無」です(´・ω・`)

574:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/13(水) 22:56:12.15 ID:e9UJPGFq [1/3]
>>89 心とは人が主体として認識するものじゃ。
 主体として認識するから客体である全てをも作り出すのじゃ。
 その心を知識として記憶しても悟れないのじゃ。
 今ここでその働きを全体として感知できれば悟れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

575:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/13(水) 23:00:17.74 ID:e9UJPGFq [2/3]
過去から自由になりたいという願望ですら、過去からの観念なのじゃ。
それだけでは到底自由にはなれないのじゃ。
自分がなにものであるかを見出さなければならんのじゃ。
自分を過去からの観念ではなく、今ここで観ることにより理解して気付くのじゃ。
それが全ての賢者達の教えなのじゃ。

576:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/13(水) 23:02:42.24 ID:e9UJPGFq [3/3]
>>571 その無と書いているのは何じゃ?
それを観るのじゃ。

577:栄進軍曹[]:2020/05/13(水) 23:04:28.95 ID:ShKMR1KU [4/5]
あ?訂正

自分とは「無」です

鬼和尚さま!

手遅れ(´・ω・`)?

578:栄進軍曹[]:2020/05/13(水) 23:17:05.08 ID:ShKMR1KU [5/5]
>>576
しかし、今書き込みしている自分は「有る」のであります!

何故なら縁起しているからであります

縁起を止めたら自分は「無」になったであります!

これは知識ではなく、体験であります

言い訳が苦しくてすいません(´・ω・`)

647:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/14(木) 22:29:27.12 ID:SvkotO+h [1/3]
自分を観る時に分別を働かせると過去の記憶から観ていることになるのじゃ。
過去の記憶からの価値観や条件付け等から見てしまうのじゃ。
それではやはり観念しか見えないのじゃ。
今ここに在るものとしてありのままに、己を起こす心の働きを感知するのじゃ。

648:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/14(木) 22:29:58.10 ID:SvkotO+h [2/3]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

649:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/14(木) 22:30:28.45 ID:SvkotO+h [3/3]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ

724:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/15(金) 23:01:42.43 ID:7sA3fdp0 [1/3]
静寂は深い瞑想の中で我を忘れた時にも訪れるじゃろう。
忘我の境地はサマーディと呼ばれるのじゃ。
まだ悟りではないが自らの心を観るためには最も優れた境地なのじゃ。
サマーディの静寂の中で分別も過去もなく自らを観ることができるのじゃ。

725:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/15(金) 23:02:25.80 ID:7sA3fdp0 [2/3]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

726:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/15(金) 23:02:49.61 ID:7sA3fdp0 [3/3]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ

746:神 ◆jV/GN5QPLM [sage]:2020/05/16(土) 18:31:48.87 ID:106MWJLr [1/3]
>>744
ところで、栄進ちゃんは、いつから一神教信者になったの?

749:栄進軍曹[]:2020/05/16(土) 19:06:42.35 ID:gtA1lQi2 [3/6]
>>746
確信したのは2日前

俺は全知全能の創造神の実在を信仰する悟りを開いた仏なのです!

・・・・鬼和尚さまに怒られるかなあ~???
>>724
鬼和尚さま、見ていますか?

ふざけてるんじゃなく、栄進はマジです

鬼和尚さまの見解をお聞かせください(´・ω・`)

765:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/16(土) 23:02:07.80 ID:CU/Zaoy/ [1/3]
>>749 妄想なのじゃ。
 悟れば言葉で語れるものなどなにもないと知れるのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

766:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/16(土) 23:02:40.18 ID:CU/Zaoy/ [2/3]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

767:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/16(土) 23:03:04.87 ID:CU/Zaoy/ [3/3]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ

792:栄進軍曹[sage]:2020/05/17(日) 22:03:01.37 ID:cCPG22DO [7/8]
>>765
鬼和尚さま、愚痴を続けていいですか?

悟りの談話室というスレッドでみんなと雑談に花を咲かせてるんですが

そこで私が、釈迦の悟りとは「無」である!と披露しても、みんなのリアクションが薄くて冷たいのですが?

「何言ってんの?コイツ」という反応です

誰も衝撃を受けません

完全にすべってます

何故ですか?

誰一人、ピンと来ないみたいです

私にはそれが理解出来ないのですが?

私が余りにも悟りキャラと遠いからですか?

孤独で死にたいです

鬼和尚さまの見解をお聞かせください(´・ω・`)

796:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/17(日) 22:40:31.15 ID:P9JXsd/1 [1/3]
>>792 無もまた観念であり、妄想であるからなのじゃ。
 そのように孤独である自分を観るのじゃ。
 自分がある時孤独があり、自分を忘れている時には孤独が無いことを観るのじゃ。
 そうすれば孤独もまたなくなるのじゃ。

797:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/17(日) 22:41:23.71 ID:P9JXsd/1 [2/3]
 数息観のコピペじゃよ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

798:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/17(日) 22:41:44.67 ID:P9JXsd/1 [3/3]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ

801:栄進軍曹[sage]:2020/05/17(日) 22:51:45.93 ID:cCPG22DO [8/8]
>>796
ラジャー(´・ω・`)ゞ

ヤレヤレ・・・鬼和尚には、やっぱり叶わねーわ(´・ω・`)

909:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/18(月) 23:04:21.15 ID:1dzEd/fo [1/2]
>>801 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

910:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/18(月) 23:04:51.36 ID:1dzEd/fo [2/2]
数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

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