鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2020/05/12(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1584893493/

328:避難民のマジレスさん[sage]:2020/05/12(火) 06:49:35 ID:kPnXy8HM0 [3/4]
だとすると観念が無なのであって、観念を越えた何かは有るわけですね?

329:避難民のマジレスさん[sage]:2020/05/12(火) 06:50:32 ID:kPnXy8HM0 [4/4]
瞑想後に観察記録を書いたりすることは有用なのでしょうか?

330:避難民のマジレスさん[sage]:2020/05/12(火) 06:59:55 ID:Y5LPInQE0 [58/58]
>>325
カメムシが大量発生して室内にも侵入して来ます
昨日だけで三匹は殺しました
殺し方は水の入ったペットボトルの中にカメムシを入れて溺死させています
窓に奴らを発見したとき「この虫ども、今すぐ取り殺してやるぜ、うひひ」と言う心の声がしました

これは攻撃欲から行った事になるのでしょうか?

331:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/05/12(火) 22:00:59 ID:1d4drIFg0 [85/85]
>>328 そうじゃ、それだけが在ると言えるものじゃ。
 観念に拠って認識されたものはそのものではないのじゃ。
 記憶による名前とイメージだけなのじゃ。
 真に在るものは観念とは関係なく在るのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。

>>329 有用なのじゃ。
 自分が進歩したことがわかるのじゃ。
 気付いたことなどを書くと善いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>330 そうかもしれん。
 衛生観念から殺したならばそうではないのじゃ。
 自分の心をよく観察して確認すると善いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】  52 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1585172010/

375:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/05/12(火) 02:45:57.28 ID:4+E+z3Os
人の老病死を見ると、自分もそうなりたくないという思いから、優しさより嫌だなという気持ちのほうが大きい気がします
どう見れば老病死から逃れられるのですか?
老病死など経験したくないのは当たり前ですが

380:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/12(火) 22:08:32.23 ID:yzV7tiqv
>>375 修行して悟りを得れば老病死から逃れられるのじゃ。
 サマーディに達しただけでも肉体に縛られない意識を知れるじゃろう。
 集中して意識が肉体以外にあることを気付いても老病死の恐れは無くなるじゃろう。
 わしのブログを参考に実践あるのみなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】80 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1585267583/

517:マジレスさん[sage]:2020/05/11(月) 22:32:46.53 ID:Q2aY8KHw
【北海道】”夕食時”に惨事「いい匂いで…腹が減った」料理を作っていた母親腹殴り40歳無職の男逮捕 岩見沢市

というウンコ製造機がウンコ製造する材料が足りなくてバグを起こした痛ましい事件がまた起きました
ウンコ製造機は地獄行きですか?

519:太上天君[]:2020/05/12(火) 06:51:41.28 ID:5OAgtySM
鬼和尚よ、はいぎぃ~っぬしゃあ無ということがあるか?
無はなにもないから無なのじゃ。
無ということは無を肯定していることじゃ。
無はなにもないから無だから、無はありえないのじゃよ。
だから無なのじゃということはできないのじゃ。

ハキハキ答えよ!!!

はふんはふんおふんおふん。

520:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/12(火) 22:10:19.96 ID:F6pVaCrt
>>517 そのままでは地獄行きじゃろう。
 既に地獄にいるようであるがのう。

>>519 その言葉も無なのじゃ。
 そうであるから無と言えるのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

856:避難民のマジレスさん[]:2020/05/12(火) 00:29:50 ID:d76TxRxw0 [1/3]
変化の緊要

   夢 3

質問者 私は、夢をあなたが叙述しておられるとおりに眺めることがどうして可能なのか、理解できません。それは、意義を持たないのなら、なぜ存在するのでしょうか。

K 「私 ‘I’ 」は夢見る者です。夢見る者は、自らの考案または投影した夢の意義を分かりたいのです。それで、どちらも夢ですし、どちらも非真実です。この非真実は、自分自身を分離していると思う夢見る者に、観察者に、真実になったのです。夢の解釈の問題全体は、行為者と行為との間のこの分離、この分割から生じるのです。

質問者 私はますます混乱してきますので、私たちはそれを再び違ったように調べてみてもいいでしょうか。私は、夢は私の心の産物であり、それから分離していないことが分かります。しかし、夢は、探検されたことのない心の水準から来るように思われるのです。だから、夢は、何か心のなかの生きているもの・ことの暗示であるように、思われるのです。

K それは、隠れたものごとがあるあなた特定の心ではないのです。あなたの心は人間の心です。あなたの意識は人間の全体です。しかし、あなたはそれをあなたの心と特定化するとき、その活動を制限するし、この制限ゆえに夢が生ずるのです。目覚めた時間に、観察者は制限の表現ですが、彼なく観察しなさい。どんな分割も制限です。自分自身を「私 ‘me’ 」と「非私 ‘not me’ 」とに分割しておいて、「私 ‘me’ 」、観察者、夢見る者は、多くの問題を持つのです - それらのなかは、夢と夢の解釈です。どの場合にも、あなたは、制限された仕方でのみ夢の意義や価値が分かるでしょう。なぜなら、観察者はいつも制限されているからです。夢見る者は、自分の制限を永続化します。ゆえに、夢はいつも、全体の(表現)ではなく、不完全なもの・ことの表現です。

質問者 月の構成を理解するために、月から破片が持ち帰られるのです。同じように、私たちは、私たちの夢から破片を持ち帰り、それらの表現するもの・ことを検討することにより、人間の思考を理解しようとするのです。

K 心の表現は心の断片です。各断片が、それなりにそれ自体を表現し、他の諸断片と矛盾するのです。一つの夢はもう一つの夢と、一つの行為はもう一つの行為と、一つの願望はもう一つの願望と矛盾するかもしれません。心はこの混乱に生きるのです。心の一部分は、自分は、夢、行為、願望といったもう一つの部分を理解しなければならないと言うのです。それで、各部分が自分の観察者、自分の活動を持つのです。そのとき、超観察者がそれらすべてを調和に持っていこうとします。超観察者もまた心の断片です。夢を生み育てるのは、これら矛盾、これら分割です。
  それで、本当の疑問は、特定の夢の解釈や理解ではないのです。それは、これら多くの諸断片が全体に収まるという知覚です。そのとき、あなたはあなた自身を、全体の断片としてではなく、全体として見るのです。

質問者 あなたは、一日の間に、自分の家庭生活や実業生活や生の他のどんな個別の面だけでもなく、生の動き全体に気づくべきである、と言われているのでしょうか。

K 意識は人間の全体であり、特定の人に属していないのです。特定の一人の意識があるとき、断片化、矛盾、戦争という複雑な問題があるのです。目覚めた時間に(一人の)人間に生の全的動きの気づきがあるとき、いったい夢にどんな必要があるのでしょうか。この全的気づき、この注意は、断片化と分割を終わりにするのです。いかなる葛藤、抗争もないとき、心は夢の必要がないのです。

質問者 確かにこれで、扉が開かれるし、それをとおして多くのものごとが見るでしょう。
(´・(ェ)・`)つ

857:避難民のマジレスさん[]:2020/05/12(火) 00:41:36 ID:d76TxRxw0 [2/3]
くまめも3

夢見る者、夢、どちらも夢、どちらも非真実。この非真実は、自分自身を分離していると思う夢見る者、観察者に、真実になった。
夢の解釈の問題全体は、行為者と行為との間のこの分離、分割から生じる。
夢は、隠れたものごとがあるあなた特定の心ではない。あなたの心、意識は人間の全体のそれ。それを特定化するとき、その活動を制限するし、この制限ゆえに夢が生ずる。
目覚めた時間、観察者は制限の表現。彼なく観察しろ。どんな分割も制限。自分自身を「私 ‘me’ 」と「非私 ‘not me’ 」に分割しておいて、「私 ‘me’ 」、観察者、夢見る者は、多くの問題を持つ。夢見る者は、自分の制限を永続化する。ゆえに、夢はいつも、全体のではなく、不完全なもの。
心の表現は心の断片。各断片が、それなりにそれ自体を表現し、他の諸断片と矛盾する。
一つの夢、行為、願望はもう一つのと矛盾する。心はこの混乱に生きる。心の一部分、自分は、夢、行為、願望といったもう一つの部分を理解しなければならないと言う。それで、各部分が自分の観察者、活動を持つ。そのとき、超観察者がそれらすべてを調和に持っていこうとする。超観察者もまた心の断片。夢を生み育てるのは、この矛盾、分割。
夢は、多くの諸断片が全体に収まるという知覚。自身を、全体の断片としてではなく、全体として見る。
質問者 一日の間に、生の動き全体に気づくべきか。
K 意識は人間の全体であり、特定の人に属さない。特定の一人の意識があるとき、断片化、矛盾という複雑な問題がある。 
目覚めた時間に人間に生の全的動きの気づきがあるとき、この全的気づき、注意は、断片化と分割を終わりにする。いかなる葛藤、抗争もないとき、心は夢の必要がない。
(´・(ェ)・`)

858:避難民のマジレスさん[]:2020/05/12(火) 00:50:06 ID:d76TxRxw0 [3/3]
>>856

>意識は人間の全体であり、特定の人に属していない・・・この全的気づき、この注意は、断片化と分割を終わりにする。
うむ。それが、むずかしいのである。
結局、Kは、いつも、常に、注意してあれば、気づけると言うのでありましょう、
(´・(ェ)・`)っ

859:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/05/12(火) 22:14:09 ID:1d4drIFg0 [342/342]
↑それも難しい事じゃ。
悟りを得ていない者にはほとんど不可能なのじゃ。
結局悟った者が悟りを得る方法となってしまうのじゃ。

悟りを得ていない者はただひたすらに観察在るのみなのじゃ。
観察そのものになりきるまで実践すれば観察者無しに観察する事も出来るのじゃ。

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