一元先生の淘話 竹内師水 編

一元先生の淘話 附・天源十二宮詳解

竹内師水 編

 

天源12宮の詳解 竹内師水 述

滋(じ)(子年に母の胎内に宿りし人)(復)(殖)(節)(陥)

12宮の第1番目が滋宮である。この12宮の名称は、淘宮のほうでは、滋結演豊奮止合老緩堕煉実(じけつえんほうふんしごうろうかんだれんじつ)という符号を用いておるけれども、干支術、もしくは他の天源の書類等には、いろいろの文字を当てはめておるものもあるから、参考のため、各符号のもとに付記するようにいたします。まず淘宮の滋という符号で話しましょう。

この気を享けて生まれた者は、その心が非常に野卑であって、初伝に「吝嗇にして恥多し」と書いてある。節倹ということは、いかなる身分の人でも、なくてならぬことであるけれども、滋の癖は、節倹を通り越してしまって、吝嗇になるのである。吝嗇になってくると、一切わが身から出すことは好まない。貰う物ならば、夏も小袖、出すことは、舌を出すのも嫌であるという気象で、品物を1つ買うにもしつこく値段を値切る。何事をするにも、まず算盤を取って、損益を考えて掛かる。救恤とか、義捐とかいうようなことは、決して仲間入りをしない。着物も、立派な上品なものは好まない。細かい地味なもの或は無地のものなどを好む。三度の食事を二度にしても、貯蓄をするのが楽しみである。金銭のためには、外聞も恥も顧みない。他人が立派な衣服を着ておるのを見ると、ああいうことでは身代は持てぬ、不心得千万であると嘲って、自分の粗衣粗食を、身持ちがよいと、大いに誇っておる。たまたま着物を新調しても、着れば汚れたり、痛んだりするというて、手も通さず、土用干しのとき取り出し、眺めて楽しんでおる。それ故に婦人などで、滋の強い人が、せっかく大金を出して新調した衣服を数年しまい込んで置き、洗い張りをさせず、紺屋へやってみると、地が弱ってしまって、間に合わぬと断られた例がある。買い物をするときにも、値段をだんだんに低いほうへ付けてゆく。最初は30円ばかりの品を買うつもりで出かけてみて、もっと恰好なものはないか、今少し廉価の品はないかと、下へ下へと下がっていって、遂に20円のものを買うとか、15円のもので済ますとかする。そうして家へ帰って人に見てもらい、それは粗末でいけない、品物が悪いと言われると、気持ちを悪くして後悔をする。人に進物を贈るにも、人々身分相当というところがある。例えば親類に婚姻があったりとか、出産があったとかいうときに、5円のものをやるのが適当であると、最初自分の胸に浮かぶ。それが暫くすると、5円では過ぎる、3円位にしておこう、いや2円でもよかろうとなってくる。甚だしきに至ると、金を出すのは惜しい、人からもらったものがあるから、それで間に合わしておこうとなる。今一層甚だしくなると、「到来物を待つの気あり」といって、不日何某から、何かくれるはずだから、それを流用しようなどとなってくる。些細な品を買うにも、なかなか1軒や2軒では埒が明かぬ。7軒も8軒も冷やかして歩いて、値が合わぬといって、買わずに帰ることもある。私の知った某高等官が、6、7銭の楊枝を1本買うのに、10軒ばかり冷やかして、遂に値段が気に入らぬといって、止めて帰った人がある。滋の気は必ずしも貧乏人で金がないから、欲張

一元先生の淘話 : 附・天源十二宮詳解 - 国立国会図書館デジタルコレクション

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