アルカリー体質改造記
(付─意外な強精薬)
溝部国光
小生は長年の間、西式生活のお陰で、自分が病気になるなどということは考えてもみなかった位だ。ところが近頃、ときどき肩や首筋が凝って痛くなる。頭脳活動も些か鈍くなったようだし、不眠に悩む夜もある。
これは変だ。僕が病気になるはずはない。一体全体原因は何だろう?いろいろ考えてみたが原因がさっぱり掴めない。家内が、
「脳出血が流行してますよ。一度でも測定してもらったらどう?」
「バカを言うな。僕はそんなものになるもんか。血圧なんか高いはずがない。」
とはいうものの、一抹の不安は消すことができない。万一ということもある。
だがしかし、小生はどうしても医者に診てもらう気にはなれない。世間には、病気になって医者にサジを投げられる人もいるが、小生は反対に、10数年前医者に向かってサジを投げた男だ。今さら何の面目あって医者に頭を下げようぞ。
こうなると小生の行くところはただ1つ、会館だ。井上氏に相談してみよう。という次第で久しぶりに会館を訪れ、彼に面会を乞うた。
井上氏の眼光
久しぶりに会った井上氏は、小生の顔を見て、いきなり、
「あんたは、ひどくアルカリー体質になっていますね」と。小生がまだ何も聞かないのに、そういいながら、こちらを睨みつけた。小生は、度肝を抜かれた形だ。
「どうしてそんなことがわかりますか。」
「だって、あんたの目は両方に開いている。」
「そんなはずはありませんよ。僕は自分で鏡を見ることもありますがね。」
「自分で自分の目を見たのではわかりっこありませんよ。近距離で鏡を見れば、目は中央に寄る。」
「なるほどそうですね。」
それではというので、血圧を測ってもらったところ、上の血圧が非常に低い。小生も、低血圧とは気がつかなかったのである。
それにしても、井上氏の眼光にはほんとに恐れ入った。
原因の反省
小生がこうなるには、もちろん当然すぎる位の原因があったわけである。
第一は、小生の生まれながらの体質によるものであるが、この体質に対する小生の生活状況が不適当なのである。
純菜食主義を実行していること。小生は宗教的の理由で肉食をおこなわない。だから、アルカリー体質に傾くのは当然である。
酒は飲まないから、高血圧にはならない。
酒の代わりにコーヒーをたくさん飲むから、ますますアルカリーになる。
始終山に登るから、これまたアルカリー体質への原因になる。
とにかく、条件がたくさん揃っているのもかかわらず、他人に注意されるまで反省しないのが凡人の浅ましさである。
処方箋
井上氏がまた小生を睨みつけて、
「あんたは柿茶を飲まないでしょう。」
「ハイ、恐れ入りました。これから毎日柿茶ばかりにします。コーヒーは止めます。」
「酒も少量ずつ、薬の程度に飲みなさい。」
「ハイ。それもお安いことです。」
「肉食も多少はおやりなさい。」
「それはどうも困るのですが、しかし健康のためには止むを得ません。」
「お湯ばかりに入ってはいけません。必ず温冷浴か、むしろ水浴で。」
「ハイハイ、何もかも命令に服従いたします。」
小生はバカ正直な人間だから、さっそく家に帰って、まず柿茶をガブガブ。
結果とテスト
柿茶、魚、それに寝酒少量でぐっすり眠り、翌朝目が覚めて驚いた。まるで生きかえったようだ。実に気分が良い。女房の顔までも何だか若々しく見えるようだ。ありがたいことだ。井上氏に感謝々々。
それ以後、肩や首の凝りはまったく忘れてしまった。処方箋に忠実な生活が3週間ほど続いたとき小生は、ふと、自分の体力テストを思い立った。そうだ、山に行こう。
実は今までにたびたび山に登ったが、高い山々の急坂を登る際、些か脚力の不足が感じられていた。年令のせいか?しかし、どうも膝の部分が若干ゆるむような気がするので、これは高山におけるアルカリー性のためかもしれない、と気づいてはいたのである。
そこで今度は、食糧品の中に若干の肉食と飴玉、それにウィスキー少量を加えて出掛けることにした。8月26、7日の2日間、谷川岳を縦走し、予想通りの快調で、体力に自信を得たことを喜んでいる次第である。
(付)意外な強精薬
健康を回復したことは何よりもめでたい。健康こそは一家幸福の基である。無条件に喜ぶべきだ。
ところが、ここに1つ困った問題が発生した。小生宅で家庭争議(?)が起こったのである。いったい何が起こったのか……。
実は小生こと、長年にわたって精進料理で暮らしてきたので、欲情の発生は決して過多にはならず、女房も過多ではないから、ちょうどバランスがとれていたのである。ところが、小生健康増進と共に、急に欲情も増加してきたので、女房殿が面食らって、不平を言いだした。
「私は従前通りで充分です。それ以上のお相手は御免こうむります。いくら世の中が倍増ムードとはいえ、欲情の倍増は却って迷惑」と。
「それでは僕はどうすればいいんだ。情熱の捌け口がなければ頭にのぼせるよ」と。まさかそれほどでもないが、とにかく困ったことに相成った。
こうなったのも、もとをただせば井上氏の処方箋のせいだ。彼の責任問題だ。これは1つ彼に談判せねばなるまい。というわけで昨日再び会館を訪れ、
「井上さん、あなたの処方箋のお陰で、実は困ったことになった。これは一体どうしてくれるんです……」と。
小生は内心、情熱の相手を一人世話してもらうつもりでいたのだが、彼は平然と答えて言う。
「溝部さん、あんたは案外間抜けだね。奥さんにも大いに柿茶を飲ませたらいいでしょう。そうしたら、両方とも強くなってバランスがとれるじゃないか。」
これで問題はあっさりと解決。そこで今度は強精薬の話に移った。
「今回僕が体験によって感じたことで、まだはっきり断定はできないが、柿茶には強精効果が多分にあるようだ。常識としては、肉食に強精効果があると思われているが、柿茶を併用すると効果が確実だと感じられる。」
「そうなんですよ。どんな栄養をとっても、柿茶、すなわちビタミンCがないと本当の活力にはならない。その言葉からいって、柿茶は真に有効な強精薬といって差し支えないのです。しかし、私が柿茶の強精効果をあまりに宣伝すると、変に思われるので遠慮していますが、これは絶対に間違いではありません。」
井上氏の説明によって確信を深めた次第だが、柿茶が強精薬とは、小生としては意外な発見(?)であった。
『西医学』 第27巻第3号 昭和39年9月15日発行
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