症状即療法論 西勝造

症状即療法論

西勝造

症状とは外部的もしくは内部的諸原因(自然的および社会的)に反応する生体の生活過程の一部であること、しかもこの反応様式は、何千万年ないし何億年の生物史の間に、淘汰に淘汰を重ねて、結局、その間の地球の自然的条件(並びに人間の場合には社会的条件も加えて)に反応しつつ、精選せられ、継承せられて、現在に残存せるものであることを、20年来強調しておいた。尤も私は西式健康法を世に問うて以来、ほとんど如何なる講演、講義、講習、座談会、如何なる著書の中にも、この問題に触れ、この観点の重要性を高唱せぬことはなかったのである。

現代の医家の中にも、この考え方を唱えている者も、決して無いわけではない。しかし、その唱え方は単に症状の一部に止り、しかも、これに対する処置に至っては、甚だ徹底を欠くの憾が少なくない。また、民間療法家の中にも、かかる考え方を看板とする者が、一にして止らぬが、多くは、これを何らかの宗教と結びつけ、あるいは自分らの無策を蔽わんがための常套手段として悪用しているに過ぎない。

「症状即療法」とする考え方と、「症状即疾病」とする考え方とは、そもそも医学史の開巻第一頁より、連綿として現在に至るまで、理論と臨床との両方面を通じて最も中核を成す二大対立であった。

「症状即療法」というような考え方は、はたして何時の代、如何なる人が主張し始めたものか明らかでないが、少なくとも斯様な考え方の起源は、遠く古代、たとえば西洋ではギリシャの生んだ医聖ヒポクラテス(Hippocrates,460~377 B.C)において、その端緒を見ることができるし、また東洋においては、支那、日本にも古く強調されたものであるが、我が徳川時代において吉益東洞によりて特に強調されたのである。

ヒポクラテスによれば、健康とは「体液の完全なる調和の状態」であり、疾病とは「その均衡の破れたる時」、したがって症状とは、「復旧力すなわち自然治癒力の作用しつつある過程」であるという。そこで自己の経験が足らず、有効な処置法のわからないときは、むしろ干渉せずに自然の成り行きに任す方法をとり、「まず害することなかれ」(Primo non nocere)と唱え、また「自然が治癒し医師が処置す」、「医とは自然の治療機転を模倣する術なり」とも言っておる。またその学派も(自然は疾病の治癒者なり)(Natura est curator morhorum.)「医は自然の奴僕なり」(Medicus ministor naturae.)として「自然良能」(Vis medicatorix naturae.)を尊重し、支那においては張仲景は「傷寒論」の中で「凡ての病は、若くは発汗し、(発汗に若くはなく、)若くは吐し、(吐すに若くはなく)、若くは下し、(下すに若くはなく)、若くは津液を亡ふとも、陰陽、自ら和する者は、必ず自ら愈ゆ」(凡病若發汗若吐若下若亡津液陰陽自和者必自愈)。我が国の吉益東洞も「古書医言」の中に「瞑眩は人々皆な異る、千変万怪、名状すべからざるなり、故に薬肯綮に中るも、毒解せざれば則ち薬終に瞑眩せざるなり、毒解すれば則ち薬忽ち瞑眩するなり、或は瞑眩数十日、絶食羸痩、将に死せんとして毒尽き頓に快きあり、或は瞑眩しばしば死し、しばしば蘇りて毒尽き漸く治する者あり、是れ皆な躯に自から之を為さざる者、奚んぞ能く知るを得ん、故に曰く、此の語読み易く行ひ難しと、医術の習熟は茲に在り、医術の習熟は此に在り」(原漢文略す)。

又曰く、「毒を以て毒を解す、故に瞑眩す、瞑眩せざれば、その疾瘳ゆるにあらず」(原漢文)。

又曰く、「疾病なるものは攻(症状を活すこと)を主どるなり、故に古語に病を攻むるに毒薬(良薬のこと)を以てす、精を養ふに穀肉草菜を以てす、穀肉草菜と雖ども、用ひて薬と為さば則ち攻(整う。治す。善くすの意あり)の意あり、故に薬は皆な毒なり、譬へば甘麦大棗湯の如し、三味を食料と為さば則ち毒なし、薬に用ふれば方に肯綮に中れば則ち大いに瞑眩し、或は吐瀉し、或は発汗して、其の毒解し、疾、乃ち癒ゆ、是れ他なし毒、毒に毒するなり」(原漢文)。

又曰く、「如し薬、瞑眩せざれば、その疾、癒へずと、此れ疾医(昔は真の医師を疾医と言う)にあらざれば則ち解すること能はざるなり、薬は皆な毒なるを知るも亦た然り」(原漢文)。

又曰く、「薬の瞑眩知るべきなり、毒動かば則ち瞑眩し、疾すなはち癒ゆ、動かざれば則ち瞑眩せず瞑眩せざれば則ち疾乃ち癒へず」(原漢文)。

又曰く、「漢の疾医絶ゆ、故に疾を治するの道を知らざるなり、夫れ眇者は、瞳子あれば則ち明かなり、蹇も骨肉あれば則ち起つ、醴泉も亦、瞑眩して吐瀉すれば、則ち、その毒去り、眇蹇みな治す、固より不知の病にあらざるなり」(原漢文)。

吉益東洞の「医事問答」の中に問ふて曰く、「瞑眩は「春秋繁露」に曰く、瞑々とは視てつまびらかにせざるのかたちと、釈名にいはく、眩とは縣なり、目視動乱して、縣るがごとく、物遥々然として、さだまらず、是に由りてこれをみるに、毒にあたりて、目眩するのいいなるか」答へて曰く「ああ、吾子は、字をまなぶ、医を字と、唯だ訓話のみ、医は是れ事なり、訓話は見てこれをしり、事はおこなひて、これをしる、いまの学者は、往々字訓に眩して、その実をうしなふなり、易に言はずや、曰く、書は言をつくさず、言は意をつくさず、孔子の曰く、黙して、これを識る、瞑眩もまたしかり、それ、薬が、病にあたらば、すなはち瞑眩す、その疾の動きは、千変万化、瞑眩もまた千差万別、あるひは吐し、あるひは潟し(下し)あるひは目疼し、あるいは卒倒し、麻痺するものあり、疼痛、痿弱、狗攣、名状すべからず、ただ瞑眩はげしければ、すなはち治すみやかなり、ゆるやかなれば、すなはち治おそし、かならず瞑眩せざるはなし、瞑眩すれば、すなはち、その病、すなはち瘳ゆ、瞑眩の状は千差万別、あに得て訓話をつくすところならんや、二三子、これをおもひて、つとめよや」。問ふて曰く、「薬、瞑眩す、駿剤にあらざれば、すなはち瞑眩せず」。答へて曰く、「何の謂ひぞや、薬、毒ありといふことなかれ、攻具れば、すなはち毒なり、疾にあたれば、すなはちみな瞑眩す、疾にあたらざれば、すなはちみな瞑眩せず、疾にあたらざればすなはち本草大毒の薬なりといへども瞑眩せず、何ぞ有毒無毒のことあらんや」(原漢文)。

吉益東洞著「医事或問」の中にも「瞑眩して病治す」とある。即ち「症状は療法なり」である。又曰く「薬、病に的中する時は、大いに瞑眩するなり。その瞑眩に恐れては病治せぬものなり」とあり。又曰く「瞑眩すれば甚だくるしむことなれども、そのあとの快きことを知りたる人は幾度も用ひ、病毒尽きるまで服用するゆゑ終に全快し、瞑眩せざれば病の治せぬといふことを能く知るなり」。又曰く「薬功のある時は必ず瞑眩し」とあり瞑眩と言うことは必ずしも飲むとか塗布するものとは限らない。善い話を聴いて薬になったとか、湯に入って薬になったとか、寝て休んで薬になったとか、叱られて薬になったとか、運動して、海水浴して、登山して大いに薬になったと言うであろう。亦曰く、「それ死する病人はいかやうの毒薬を用ひても病毒動かざるゆゑ瞑眩せず、瞑眩すれば病毒減ずるゆゑ、たとひ命数尽きて死するとも病苦をまぬがれやすらかに死するものなり」ともある。又下巻には「病根動くゆゑ必ず薬、病毒にあたりて瞑眩す。其の瞑眩を恐れて害することとおもふは大なる誤なり。前にもいふごとく、薬は体を傷るものにあらず。唯、病毒にあたるものなり。其の証拠は瞑眩すれば病毒減じ、そのあと格別健やかになるものなり、是を以て害することなきことをしるべし」云々。更に尾台逸士超著「医余」書中より「瞑眩」に関するものを抜粋すれば「書に曰く、もし薬、瞑眩せざれば、その疾瘳へず、と説命にあり、説命は本と偽書に属す、しかも楚語、一たび之を引き、孟子再び之を引き、王符三たび之を引く、則ち古の尚書の文たることあきらかなり。按ずるに「申鑒」にいはく、あるひと志を厲ますを問ふ、いはく、昔殷の高宗能くその徳を葺す、薬瞑眩して以て疾を瘳す、薬瞑眩して以て疾を瘳すれば、即ち志を厲まして以て徳を修む。葺は説文にいはく、修め補ふなり」(原漢文)。

又曰く、「周礼にいはく、医師は医の政令をつかさどる、毒薬をあつめて、以て医事に供す」と天官家宰下にある。「鄭玄のいはく、瞑眩は薬の辛苦なるもの、薬の物たる、恒に毒多し。孟子のいはく、もし薬、瞑眩せざれば、その疾瘳へず」又曰く、薬の病を逐ふや眠眩せざるはなし。これ其の薬たる所以なり。後人、眠眩をおそるること、疾病よりも甚し、篤(*一文字?癈?)大患に至りても、尚ほ且つ平淡㳄雑の剤を以て之を治せんと欲し、終に生くべきものをして、斃せしむ、深く思はざるべけんや(原漢文)。

史記にいはく、「毒薬は口に苦きも病に利あり、忠言は耳にさからふも行ひに利あり」とは范雎伝にある。これに尾台氏は説明して「前漢書淮南王伝、張良伝、並に同じ、家語の六本篇、韓非子の外儲説伝、説苑の敬慎篇ともに良薬に作る。良とは薬の能を以ていひ、毒とは薬の性を以ていふ、薬即ち能、能は即ち毒、毒薬を以て病毒を攻む。眠眩して疾愈ゆるゆゑんなり。三代の医法、然りとなす、秦漢以降、道家の長生延年の説、疾医に混じ、始めて不老久視の方、虚を補ひ、気を益すの薬あり、千歳の下、往いて返らず、卓絶の士といへども、なほその窩窟を脱することあたはず、歎かざるべけん」(原漢文)。

史記の扁鵲のところを読んでも症状が療法なることがわかるであろう。

文政丁亥春正月の発刊、江戸の医、向田應齊の著「疾医談」なる書中、症状である瞑眩が全ての疾病を癒やすものなることを7、8箇所に述べている。たとえば次の如きものがある。「瞑眩素より好ざる所なりかくの如くならざれば疾瘳ざる故に止事を得ざる所なり。さればなるべきだけ瞑眩劇しからざるやうにして疾を除くを上工といふべし其術唯方症相対分量過不及なく其所を得るにありされば医の工拙により死生存亡にも拘るなり恐るべし慎むべし」云々。

又曰く「薬瞑眩せずして疾治することなし、此故に薬を服せしより続て患の除く事なし服毒病毒にあたり病毒動き或汗或吐或下すされば一旦病苦を益に似たり此故に病家に心得なく一旦の瞑眩に恐れ病毒去て治するをまたず半途に休薬すれば其病毒動乱して害をなす事多し、たとへば火を消すに水足ずして其火返つて盛んなるが如し」云々。

又曰く。「名聞の医瞑眩を懼る若瞑眩中に死したる時、病家にて医者のころしたりと云ふて怨みん事を恐るなり此故に重病に臨んで病毒を察せず死期を考へ言を功にして、補益剤を与え、或は薬剤の及ぶ所にあらず術尽きたりなど云ふ時は病家にては人力を尽さずして死したりとはさらに知らず却つて其言の当るを信ず、されば治すべき病も治さずして病毒のために死する事あり」云々とある。私も現代の名ある医師の見捨てたるものを治したる多くの実例がある。中にも2日も3日もまったく死者同様、ほとんど呼吸といい脈拍といい無きが如き状態のものを西医学の最善を尽くして復活せしめたもの少なからず、次回より実例、文献交互に述べて症状の療法なることをいよいよ明らかにしよう。

(未完)

『西会会報』第8巻第11号 昭和21年3月15日発行

尾台逸士超著「医余」 1~3巻https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00301/index.html

コメント

タイトルとURLをコピーしました