【仏教】悟りを開いた人のスレ488【天空寺】

【仏教】悟りを開いた人のスレ488【天空寺】 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1584005491/

1:神も仏も名無しさん[]:2020/03/12(木) 18:31:31.49 ID:kEZTGuU8 [1/2]
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もすること。(任意)

>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。

※前スレ
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1583742577/

11:栄進軍曹[]:2020/03/12(木) 18:55:49.16 ID:FvPa87dm [2/19]
鬼和尚さま、お助けください➖➖➖

「わかりません」→「縁起であり偶然」
   ↑                                   ↓
「自己とは何か?」←「今を生きる」

栄進は、悟りの無限ループに迷い込んでしまいました

これから先、どーすればいいのですか?

正直、困っています(´;ω;`)

66:神も仏も名無しさん[]:2020/03/12(木) 22:16:12.89 ID:1wOLApCI [1/3]
おしえてください
どのような状態になれば瞑想状態になったと言えるのですか?

69:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/12(木) 22:20:54.39 ID:Fg3HvhPC [1/5]
>>11 そのような無意味な言葉や観念は捨てるのじゃ。
 これからは一日に一つ、自分の心身を観察してその働きや性質を見るとよいのじゃ。
 体は怖いことがあると心臓が震えるとかの性質で善いのじゃ。
 一つ一つ見ていればいずれは大きな成果が出るのじゃ。
 それが真のお釈迦様の教えと言えるものじゃ。
 数息観もやったらよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

70:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/12(木) 22:21:17.25 ID:Fg3HvhPC [2/5]
>>1 ご苦労さんなのじゃ。

71:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/12(木) 22:23:14.18 ID:Fg3HvhPC [3/5]
>>66 クリシュナムルティの定義ではサマーディに達した時なのじゃ。
 己を忘れて今ここにある状態なのじゃ。
 数息観を実践していればそのような状態にたどり着くじゃろう。
 下を読んで実践あるのみなのじゃ。

72:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/12(木) 22:23:32.44 ID:Fg3HvhPC [4/5]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

73:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/12(木) 22:24:00.54 ID:Fg3HvhPC [5/5]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

74:栄進軍曹[]:2020/03/12(木) 22:26:06.21 ID:FvPa87dm [18/19]
>>69
ありがとうございます!

ぜんぶ捨てて、一から出直します

失礼しました(´・ω・`)

79:神も仏も名無しさん[]:2020/03/12(木) 22:34:19.25 ID:1wOLApCI [2/3]
>>71
ありがとうございます

346:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/13(金) 22:22:19.71 ID:0+yx0qvd [1/3]
>>74 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>79 どういたしまして、またおいでなさい。

347:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/13(金) 22:23:43.44 ID:0+yx0qvd [2/3]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

348:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/13(金) 22:24:05.48 ID:0+yx0qvd [3/3]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

697:栄進軍曹[]:2020/03/14(土) 22:43:45.71 ID:YDi0N7ZI [43/49]
このスレは軍曹が監視してます

(´・ω・`)ジー

698:栄進軍曹[]:2020/03/14(土) 22:46:58.61 ID:YDi0N7ZI [44/49]
悟りなんか糞どうでもええ

まず、お前らを悟らす!

矛盾はしてない

何故なら人助けに過ぎんから

わかるか?ハジ

(´・ω・`)y━・~~

699:栄進軍曹[]:2020/03/14(土) 22:49:44.25 ID:YDi0N7ZI [45/49]
>>696
ハジを悟らさんと、ワシが悟れんのや!!!!

わかるか?

この意味が?(´;ω;`)泣

700:栄進軍曹[]:2020/03/14(土) 22:53:13.72 ID:YDi0N7ZI [46/49]
もうええわ❗

寝る

ドアホ❗❗(´・ω・`)チャオ

701:ハジ[]:2020/03/14(土) 22:54:44.35 ID:TSjmKT9R [20/25]
>>698
>>699
法を説くのが最強にして最大の功徳じゃ
ハジもそれは聞いたことがある

しかし、ハジが悟らんと栄進軍曹が悟らんとゆーのは

意味不w

704:栄進軍曹[]:2020/03/14(土) 22:58:40.96 ID:YDi0N7ZI [47/49]
>>701
ワシも意味不や

もはや悟りに意味すら無いんや

因果関係が破綻した境地なんや

だから、はよ、ハジ、悟れや

ワシが成仏できんのや

もう理屈じゃないねん

泣き落としや(´;ω;`)エーン

705:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/14(土) 22:58:54.48 ID:2xnXWoON [1/4]
↑生きているだけでぼろ儲けなのじゃ。

706:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/14(土) 22:59:11.18 ID:2xnXWoON [2/4]
自分が変化して自分では無い者になる事が変容ではないのじゃ。
むしろ自分自身を理解することが変容をもたらすのじゃ。
自分を通してのみ人は悟りにいたることが出来るのじゃ。
悟りは自分と違うものになることではなく、本来の意識に還ることであるからなのじゃ。

707:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/14(土) 22:59:39.15 ID:2xnXWoON [3/4]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

708:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/14(土) 22:59:58.69 ID:2xnXWoON [4/4]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

711:栄進軍曹[]:2020/03/14(土) 23:07:55.47 ID:YDi0N7ZI [48/49]
>>705
は❗

それが、まさか、SATORI❗

さすが師匠

合掌して礼拝します(´・ω・`)ナムナム、ちーんこ

726:麦 ◆MUGI/AIUgo []:2020/03/14(土) 23:46:11.36 ID:weix85Vv [11/11]
>>705
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ和尚さんじゃない鬼和尚さんは死んでるって言ってたねおwww
成仏してねお♪www

972:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/15(日) 22:30:23.20 ID:nTJh5UfY [1/5]
>>711 さんまの悟りなのじゃ。
 おぬしは自らの悟りを求めるのじゃ。
 自分の性質を見るのじゃ。

973:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/15(日) 22:31:21.84 ID:nTJh5UfY [2/5]
>>726 死んで生きているのじゃ。
 死んで生きてまたまたぼろ儲けなのじゃ。

974:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/15(日) 22:31:47.71 ID:nTJh5UfY [3/5]
心に恐怖がある者は世界にも恐怖を見るじゃろう。
世界が平穏であっても恐怖しか見えないのじゃ。
心の反映が世界なのじゃ。
自ら作り出した世界以外には、悟っていない者の世界は無いのじゃ。
故に自分がそのまま世界なのじゃ。

975:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/15(日) 22:32:42.04 ID:nTJh5UfY [4/5]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

976:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/15(日) 22:33:08.91 ID:nTJh5UfY [5/5]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

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