西哲学講座 使命に乗れ(一) 西勝造

西哲学講座 

使命に乗れ(一) 

西勝造

(1)先人の恩沢と我等の責務

私はここに「使命に乗れ」という題でもって、所見を申し上げます。

人は生涯生まれて死ぬまで、世に貢献するという心をお捨てにならないほうがよろしい。人は生まれる前から周囲の人から受ける高恩のあることは無論で、父母の恩は海より深いとか、山より高いとか普通言われておるが、私どもがこうして一日を安らかに全うすることができるのは、人様のお陰である。ただ食物の問題だけを考えても、また先人が今までいろんなものを食べてみて、これは毒だ、これは毒ではないと分けていただいたために、私どもはそれによって安心して、健康に過ごしていくことができるのであります。それでもまだずいぶん不満足ではありますけれども、まあまあ先人の経験によって色々食品の種類も豊富になり、調理法も整ってきて大変進歩しております。ただ医学においてはずいぶん方向が間違って教えられておって、未だに人は病の器などと言われ、種々様々の病気に悩まされておる。古来これを治療しようと沢山の医者や病院ができておるが、このために少しも病気が減ったようには見えません。ここに私が西医学を提唱する理由があります。といって今までの病院が、西医学が生まれたからまったく要らなくなったとは申さない。いわゆる現代医学者を西医学によって再教育をしたならばここに初めて真の医者ができあがり、その信頼はますます増えるばかりですから、その増えた信頼によって、国民の健康を指導し、疾病を治療し、食物などにしても色々不足するものがあるから、それらを完全なものに指導していけばよい。また交通事故とか天災等があって怪我人が出た場合、それを収容することも必要なのですから、何も現在の病院をまったく不要なものとして頭から潰すというのではないのであります。

ある人が西医学を批評して、西式はカイロプラスチックからできておると簡単に片づけられたけれども、決してそんなものではない。それは今から22年前、私が健康法を発表した当時、世に健康法と称せられるものは362種類あったが、そのうち特にアメリカにおいて隆盛の絶頂にあったカイロプラスチック、オステオパシー、スポンディロテラピーという当時の人々が珍しがるものを私が日本に初めて紹介したまでのことであって、何も西式がカイロプラスチックから生まれたわけではない。そしてその後もこの362種類の健康法について順々に申し上げておるのであって、今までのところ約半分くらい申し上げたかと思います。

(2)人の使命

およそ世の中に1つの品物が現れるには、必ずやその用途が決まっておるのであります。それと同様に人間が生まれるのには、必ずやその人の使命が決まっておるのであります。人は使命に乗ったときは、自然の軌道に乗ったのであるから、これほど力強いものはない。あたかも植物が茎や葉を自由に空中に拡張することができるように、思うがままに茂り、かつ思うがままに伸びていくという使命を持っておる。ところが人間には皆な自惚れがあって、自分にはそういうことは適さないにも拘らず色々なことを計画して、そうしても纏まらないという人がある。そういう人は早くそれを悟って捨ててしまわないと無駄になってしまう。

それならば私が戦争中から西会を財団法人にしようと出願しておるのに今なお許可にならない。だからそんな出願はやめたらよかろうと言われるかも知れない。ところが財団法人は、願い出て3ヶ月のうちに却下がなければ、許可になったのと同じことだそうであります。MD公爵(今公爵はないのですが、その当時)の女学校は20万円の基金で財団法人を出願していたが、これは未だに許可になっていない。けれども爾来5、6年学校のほうはどんどんやっておる。許可するとかしないとかいうのは人間の心であって、それには色々理由もありましょう。私どもの許可というのは厚生省の所管ですが、健康を指導するものに対して許可しないというのは実にべらぼうなことなのですが、そこはやはり人間のやることであるから仕方がない。いや、むしろ許可しないのが当然であろう。私どもの事業は実に大きな事業で、現代の医学を転覆させて西医学を立てようというのですから、そう軽々しく許可してくれないのはわかり切っております。そこで許可されればよいし、許可されなくてもよいのです。憲法は、日本国民に健康をその権利として保証しておる以上は、国民を健康にする運動をやって悪いということはないはずだ。私どものやっておることは健康を目標とする生活改善であって、病人を治そうなどとは考えない。西医学の原理から申しますと、症状即療法であるから、療法を治療するなどは意味をなさない。現代医学の建前から言えば、症状即疾病であるからこれを治療するということは、症状の阻止すなわち対症療法ということになる。これは取りも直さず自然良能の妨害であるから、人間はいつまで経っても救われることはないであろう。こんな不合理なことをやる医師を法律で以て保護し、医師は又その生活擁護のために医師会をつくって、而して国民を圧迫しておる。つまり医師会は医閥の牙城であった。ポツダム宣言受諾以来、国内からかくの如きあらゆる封建的特権団体の解体がおこなわれておる。連合軍公衆衛生福祉部は遂にこの医師会解散の命令を下したのである。私のほうとしては、医師会が解体されてもされなくても差し支えはない。健康法としては、既に20余年の実地体験を積んでおって、これを実行される人々は病気に罹らないのですから、現代医学が何をやろうと関係はない。しかし健康法などやっておると色々面倒なことも沢山あります。全て偉大なるものが世に出るには、そう易々とは行かないものです。しかし世の中は調法なもので、私のほうを散々悪く言った方の奥さんもその病気には勝てず、私のほうに相談に見えました。私は私の持論で病気を治そうとは考えません。こうこうおやりになればその病気をせずに済み、病気であっても治っていくと申しました。表向きは私に反対でも、ご自分の都合では相談に来られる。人間というものはおかしなものですね。

(3)一者即無観

それはとにかくとして、さて人が通例自分が一生やる仕事を決めるには、自分の好むところ、長ずるところによって、決するのが本当でありましょう。ところが多くの人は長所などは考えないで、行き当たりばったりでやってしまうので、その長所を発揮することができないことがありますから気を付けねばなりません。しかし私が今ここで言わんと欲することは、仕事なら仕事をなさる場合、その仕事の方向をお決めになったならば、それを忘れてしまって、それに従事するということであります。ここに西哲学がある。つまりそれが一者なのであります。

一者というのは英語ではThe one(ジ ワン)ドイツ語ではDas Eine(ダス アイン)フランス語ではL’un(ラン)ギリシャ語ではto hen(ト ヘン)であります。一者になれば、あなた方の頭の先から手の先まで零になり、将来も昨日も今日も忘れてしまっておる。即ち空になっておる。これが一者なのであります。それさえおできになれば、何も私がここで哲学講座をする必要もなければ、健康法もいらない。ご自分の体の頭の先から手の先まで零になり、空になり、大和になり、一者になるということは、かねがね申す通り、プラスとマイナスを加えたもの、つまり零でありますが、しかしそれは無いのではない。存在はしておる。存在ということは一でありますから、1=0ということであります。仏教においては、信心銘でこのことを言っておる。またプロチノスの哲学がこれであります。

しかし一者になるといっても、さっき申し上げたように(西医学第10巻第8第9合併号所蔵)体の中に鉱物質が不足したのではできない。僅か1%しかないP(燐分)が欠乏しても、もう深刻にものを考えることができないということは、前回に申し上げた「燐なくしては思考なし」という例によっておわかりだろうと思います。完全無欠な人間を分析すると、先般申しましたような(前掲10巻第8、9合併号所蔵)割合で人体ができておる。しかしまだ終わりのほうはわかっていない。これは私自身実験してみたのですが、コバルトが入っておるフッ素が入っておる。このフッ素が欠乏すると、体中一面だるくなる。またバリウムもケイ素も含まれている。ケイ素は孟宗竹に入っておる。孟宗竹の外皮に白い粉が吹いて、つるつるするものがありますが、あれがケイ素です。竹の子を食べると眼の性がよくなるということは、このケイ素があるからです。またケイ素はある種の海草にも入っておる。ヒ素、これはあまりたくさん入ると毒ですが、どうもケイ素とヒ素とフッ素とは、我々の頭が冴えたり、ぼんやりしたりするのに非常な関係があるようであります。

そこで仕事を決めたならば、その仕事に一生懸命なさって、自分を忘れてしまわなければならない。牛肉屋さんにしても、名人になると、脇目をしてもさっさと肉を骨から外しておる。鰻屋さんにしてもさっさと割いておる。あれくらいなものは自分でもできそうだと思ってやってみると、どうしても、鰻が掴めない。彼らは全然意思を使わないで仕事をしておる。あれが本当の仕事であります。ところがあなた方は、仕事をしておると考える。だから疲れてしまう。私は読書しますが、さおれは皆様に説明しようという頭で読んでおるのであって、決して覚えようとは思っていない。けれどもあなた方にお伝えしておるうちに覚えてしまうのです。一々自分のために読んでいたのでは疲れてしまう。よく私に対して、よくあれだけの本を読む時間がありますねと言われますが、その気になれば時間というものは至る所にある。ですからどうぞ仕事をするときには、使命に乗ってやっていただきたい。

(4)保健治療の秘訣

色々の動作、運動をして最大の効果を上げる秘訣、それは身体と精神とが同一になるということです。つまり肉体と精神とが一になることです。たとえば痛みを感ずるのは左右の神経に差があるからである。病気を治すには、この差のある神経を合わせればよい。だから神経痛とかリウマチとか、腰が痛いとかいう場合には、これは左右の神経に差ができておるのだから、それを合わせれば治るのです。足を合わせるということは、肉体的に左右両神経を一致することである。だから足の終端のところへあなた方は意思を持っていく。そのときこそ心身一如になったときであり、そのときこそ痛みはぴたりと止まってしまうときであります。

ところが一方では痛みのあるということは、実はありがたい話なのです。痛みはちょうど体の差のあること、即ち全身の一者の破れたことを、半鐘で知らせておるようなものであります。我々はこの警報を素直に受け入れてそれに対し適当に処置して元の一者を取り返さねばなりません。もちろん我々の仕事で最大の効果は、身体と精神とが同一になって仕事をしたときに限る。これに反して身体と精神とが別々なことをして、たとえば嫌々やったり、他のことを考えてやったのでは成功しない。夏暑いときに、お歩きになると、足がだるい。試みに郵便屋さんに聞いてごらんなさい。「随分くたびれるでしょう」「いやどうも大変ですよ、くたびれて、第一足袋が切れて仕様がない」「そうでしょう、お気の毒ですね」そう言いますが、やはり嫌々やっておるらしいですね。こんな奥のほうに引っ込んでおる家なんか仕様がない、こんなことを思っておったのでは、仕事と肉体とが別々に働いておるから、いかにもくたびれたという格好になるのであります。

(5)食事について

私は今度生まれ故郷に2日泊まって帰ってきましたが、私の食べる量が少ないといって不思議がっておる。私は朝飯は食わない。そして昼飯を食いそこなえば、夕飯は普段の半分くらいしか食わない。だから疲れないのであって、昼飯を食わなかったら夕飯はいつもの倍食え、こう考えるから体を壊してしまうのであります。朝起きたときには、アルカリが過剰になっておる。朝起きたときの小便には、アルカリが増しておる。前の晩寝るときに4.3であった尿のアルカリ度PHが朝起きたときにはそれが4.6になり、4.8にもなっておる。それは夜寝たという証拠なのであります。寝て安静にしたということによって、予備アルカリを放出したわけです。予備アルカリが出来たときには、それを消耗しなければならない。それには何も食べないで働くことである。そしてそれが10時半頃まで働けば、大体において予備アルカリは消えてしまう。だから止むを得なければ10時半以後であれば食事をなさってもよろしいと言うのです。けれどもやはり昼飯は12時に食べたほうがよいでしょう。何だかそれより前に食べるとガツガツしておるようでどうもよろしくない。「朝飯を食わないのだから当然だよ」そんなことを考えておったのでは栄養にならない。できるだけ昼飯は遅くしたほうがよい。私はここに出掛けるときには、時間の都合で11時半頃に食べますが、今日は2時に出掛ければよいというときには、1時直前に食べるようにしております。とにかく「朝飯は食わないのだから昼飯は10時半頃に食べるのだ」そういう卑しい根性では健康になれない。そこが非常に大事な問題であります。

(6)無より有を生ずる

たとえば鉄棒に飛びついて、足の先を高く跳ね上げようと思えば、頭のほうを下げなければならない。鉄棒に飛びつくのに、足を曲げないで飛びつけるものではない。やはりある一定のところまでいったん屈んでから飛びつかなければならない。ところが頭のほうを下げると、足が上がるということは、実はおかしなことなんですが、頭の中に足はない。下げることの中に上がるということはない。それなのに足の上がるということは、まったく足もない、上がるということもないのに足が上がる。すなわち無から有を生じたのであります。そこでいかなる理由で足が上がるにしても、足の上がるということは、足の上がることだけであって、その理由の中には決して含まれておらない。そのように全てのことは、その無いことから生まれる。故に一つのことを知るには、ただそのことだけではいけない。そのことでないことも知らねばならない。つまり両端を握らなければならない。その両端を握るというところで、初めて真理を握ることができる。それを別々に握ったのでは、両端を握ったのではない。両端が一体になったものを握らなければならない。しからば一つのことと、そのことでないことと一緒になったものとはいかなるものであるかというと、無論そのことではないはずであります。またそのことではないことでもないのであります。

というと何を言っておるかわからなくなるのですが、それは理屈を言うと何が何だかわからなくなってしまうわけです。しかし全体的に私の言わんと欲する目的は一者なのです。

(7)仕事の秘訣

私はたとえばこの本なら本を今日3頁訳そうと思ったならば、まず第一に棒読みをしてから翻訳にとりかかる。そうなればもう一心に書くばかり、他に何も考えない。まったく紙とペンと私の心が一致してしまって、蚊が食いついておろうがそんなことは一つも考えないでやってしまう。途中でまだ残っておるな、今は何時だ、そんなことを思ってやるとへとへとになるのであって、初めに方針を決めたならば、それが終わるまで一気にやってしまう。私がここへ参りますにも、家を出るときに、お茶の水で降りてあそこと目的が決まれば、もうその間の途中は考えない。その途中はいったい飛行機に乗って来たのか何かわからない。無論電車で運ばれて来たのであるが、目的がここに来ることにあるのですから、他のことは何も考える必要がない。いくら急ぐからといって、電車に乗って、その中を歩いたところで仕方がない。ところが多くの人はそれをやっておる。電車に乗ってなお且つどうもこの電車は遅いといって、電車の中を歩いておる人がある。それはおそらくお疲れになるだけではないでしょうか。そうお考えくださいませんか。

8)疲れも悪阻も違和を去ればよい

疲れた場合、それをとるのは何でもないことです。手と足を合わせて、両方の神経を揃えれば、疲労はたちまちとれてしまいます。悪阻でもって困っておる人は、四つん這いになって這いなさい。すぐ治ります。こう申し上げると、何だ人を馬鹿にするな。うちの娘は猫や犬ではあるまいし、四つん這いになって這ったりすることができるか、と思われる人があるかも知れません。そこで余計なことではあるけれども、そういうことをするのも決して恥ずかしいことではないということを思っていただくために、あのエジソンでさえも、支那古代の華陀という人の言った五禽の戯をおこなった。虎とか鹿とか、熊とか、猿とか、鳥の真似をしてあの高齢まで生きられた。こう一言申し上げておくのであります。エジソンでさえも熊や虎の真似をしたのですから、あなたの娘さんがおやりになって悪いということはないでしょう。まず手袋をはめ、なるべく膝を曲げないようにして四つん這いになり、右の手を出したら左の足を出し、左の手を出したら右の足を出すというようにして、部屋の中を8の字に20分間這いまわればいい。そうすると、どんなひどい悪阻の人でも完全に治ってしまいます。

(9)出血するときはビタミンC、心配するときは燐分の補給が必要

今日もちょうど谷さんがいられたときにある方が見えまして、ご自分のお嬢さんがお嫁入をして妊娠して臨月である。ところが大変出血したとおっしゃるのであります。妊娠して、臨月でもって多量の出血をしたというのは、大方暑さのために汗をおかきになったに違いない。汗の中にはビタミンCがある。そしてビタミンCが逃げると第一に歯がぐらついてくる。その父さんも娘が歯の根から血を出しておったと言われた。─(西医学第6号体験23参照)─だから歯というものは健康の標準になっておる。歯を磨いて血が出るようであったら、それは明らかにビタミンCの欠乏である。それが臨月であれば、下から出血することがあるのであります。多くの場合、そういうときは医者に駆けつけて切開するとか何とか、とんだことになるのですが、西医学であれば、合掌合蹠をし、金魚運動をやり、柿の葉の煎汁を40乃至50(CC)もお飲みになればよろしい。柿茶をつくってお置きになるのであったら、葉っぱを粉にし、それを土瓶に入れ、お湯をさして飲まれたらよろしい。(乾燥柿の葉は製品として会員にお分けしておる)朝入れて晩までお飲みになってお差し支えありません。そうすれば出血も止まれば、無事にお生みになることもできます。

ところがそういう場合、何が一番必要かというと、血が出るということで非常に不安を感ずることである。心配をすると燐が逃げる。そこで燐を補給しなければならないのであります。燐は小麦の胚芽に多いのですからフスマをパンに入れて食べるとよろしいのです。(未完)

『西医学』第10巻第10号 昭和23年2月15日発行

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