鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2020/03/05(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part15
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1571060959/

874:避難民のマジレスさん[]:2020/03/04(水) 23:23:18 ID:XLfKnmcw0 [28/30]
鬼和尚様

今日も私の質問に答えてくださり本当にありがとうございます。観察も無意識を見ることだったのですね。

877:普通の者[]:2020/03/05(木) 15:28:25 ID:LDw7RhVo0 [51/57]
和尚様
いつもご指導ありがとうございます。
見られるものから離れて見ることができるようになったと思います。
日常生活や瞑想のとき、違和感を感じたとき、それをさらに見ることでそれらは、雲散霧消していきます。あとに残るのは、だれがそれを見ているのか?、それを見る者を見ることです。私は、見られるものが、なくなったとき、全ては、空だと観じることを続けていけば、ゴールにたどり着くと感じましたが、間違っているでしょうか?

878:普通の者[]:2020/03/05(木) 15:32:31 ID:LDw7RhVo0 [52/57]
>>877
世界は全て観念にすぎないという感覚が強まっています、これは、修行の成果がでているのでしょうか?

879:普通の者[]:2020/03/05(木) 15:43:28 ID:LDw7RhVo0 [53/57]
和尚様
つまらないことをお聞きして申し訳ありませんが、チョコレートなどを食べたくなって買うことは、修行の妨げになるのでしょうか?

885:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/03/05(木) 22:44:19 ID:1d4drIFg0 [231/233]
>>874 そうじゃ、集中し、観察を日々続けていれば無意識も見られるのじゃ。
 無意識の心の働きが観られれば、変容も起こるのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。

>>877 正しいのじゃ。
 何かを認識すれば、そこに見るものがまだ起こるのじゃ。
 空と見れば観る者も観られる者もなくなるのじゃ。
 それまで実践あるのみなのじゃ。

>>878 出ているのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>879 ならないのじゃ。
 それをただ観ればよいのじゃ。
 ただひたすらに心の働きを観ることだけが大事なのじゃ。
 それを忘れなければ善いのじゃ。

880:普通の者[]:2020/03/05(木) 16:59:45 ID:LDw7RhVo0 [54/57]
和尚様
無認識となった場合、具体的にはどのような感覚になるのでしょうか、それは一時的でしょうか、仕事はできるのでしょうか?

881:普通の者[]:2020/03/05(木) 19:48:08 ID:LDw7RhVo0 [55/57]
和尚様
瞑想していました。なにか違和感を感じたので、それを見て消し去りました。さらに、空を全身全霊で念じました。その時です、頭と胸がぐじゃぐじゃとなり、変容し始めたのです。もはや、なすがまま、それを見守るしかありませんでした。気がつくと、何と、「私」がいなくなっているではありませんか!!
しかも、まだ変容は続いています。

882:普通の者[]:2020/03/05(木) 20:35:19 ID:LDw7RhVo0 [56/57]
>>881
胸のところでなにやら、ウニュ、ウニュと動いているものがあります、これは、一体なんでしょうか?

886:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/03/05(木) 22:48:53 ID:1d4drIFg0 [232/233]
>>880 無為になるのじゃ。
 全てが意味をなくして自他も無い境地に入るのじゃ。
 肉体の習慣によって出来る仕事は出来るのじゃ。
 掃除とか反覆作業なのじゃ。
 考える仕事は難しいのじゃ。
 そもそも無意味と認識するからのう。

>>881 それでよいのじゃ。
 無為にして座り続けるのじゃ。

>>882 それが認識じゃろう。
 私が無くとも働き続けるのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

883:旅の客人[]:2020/03/05(木) 20:54:57 ID:4bhg5EX20 [1/2]
鬼和尚様

質問をさせて頂きます。

目覚めの世界も、眠りの夢の世界と同様に
自分の中で起こっているのでしょうか?
自分の中で創り出されているのでしょうか?

どうぞ宜しくお願いします。

884:避難民のマジレスさん[]:2020/03/05(木) 22:29:52 ID:8BGPpdDg0 [1/3]
怠惰でやる気なく悲観的だと観察しています
自己イメージを改善することは観察を否定することですか

887:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/03/05(木) 22:53:35 ID:1d4drIFg0 [233/233]
>>883 そうじゃ、目覚めていても自分が創った夢幻の中にいるのじゃ。
 さまざまな認識した観念から、それらの関係性や価値観による世界を、今自ら創り出しているのじゃ。
 寝ている時にはそれらの世界は無いのじゃ。
 起きた時に思い出して刹那に創られるのじゃ。
 観察して確かめるのじゃ。

>>884 否定しないのじゃ。
 観察によって自己イメージもよくなるからなのじゃ。
 否定的なイメージも観察すれば消えるからのう。
 更なる自己イメージの改善に観察は必須なのじゃ。
 実践在るのみなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580459078/

753:太上天君[]:2020/03/05(木) 18:29:49.16 ID:wlkJr3D7
鬼和尚よ、ぬしゃあ0×六×u=0とは何じゃ?
Uは和集合を表す記号じゃから、乗算はできんぞ!!

ハキハキ答えよ!!!

ふぉっふぉっふぉっふぉっ。

755:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/03/05(木) 22:54:48.62 ID:0EszNgJq
>>753 0をかければみんな0なのじゃ。
 どんな数字でも0になるのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

607:避難民のマジレスさん[]:2020/03/04(水) 21:39:06 ID:3Bw07Ll60 [1/2]
>>604
毎晩、読むのを楽しみにしてたので、中止はたいへん残念でありますが、執着心はすてねばなりますまい。
10ヶ月にわたり、ありがとうございました。
気が向いたら、再開していただけると嬉しいです。
マハリシの言葉は皆の宝でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

608:避難民のマジレスさん[]:2020/03/04(水) 22:27:37 ID:3Bw07Ll60 [2/2]
テスト
変化の緊要

  気づき 1

質問者 私は、あなたの言われる気づきはどういう意味なのかを知りたいように思うのです。なぜなら、気づきがあなたの本当に教えていることであると、あなたはしばしば言われてきたからです。私は、あなたの講話を聞き、あなたの書物を読むことによりそれを理解しようとしてきましたが、しかし、私はあまり遠くに至らないように思われます。私は、それが実践ではないことを知っていますし、なぜあなたがあれほど強調して、どのような実践、訓練、体系、修練、課業をも否認されるのかを理解します。私はそれの重要性が分かります。というのは、そうでなければ、それは機械的になるし、そのはてに心は鈍く愚かになっているからです。できるなら、私はあなたとともに、気づくとはどういう意味なのかというこの疑問をその最後まで探検したいように思うのです。あなたは、この言葉に何か特別な深い意味を与えておられるように思われますが、それでも、私たちはすべてのときに起きていることに気づいているように、私には思われます。私は怒っているとき、それを知っています。私は悲しいとき、それを知っています。私は幸せなとき、それを知っています。

K 私たちは本当に怒り、悲しみ、幸せに気づいているのかどうかと思うのです。それとも、私たちはこれらのものごとが全く過ぎたときにだけ、それらに気づくのでしょうか。まるで私たちはそれについて何も知らないように出発し、取っかかりから始めましょう。教義的なのも微細なのもどんな主張をもしないようにしましょう。この疑問を深く探検しましょう - もしも本当に深々と入ったなら、心がたぶんけっして触れたことのないとてつもない状態、表面的な気づきには触れられない次元を、開示するであろうこの疑問を。表面から始めて、働き、通じましょう。
  私たちは目で見ます。私たちは、身のまわりのものごとを感覚で知覚します - 花の色。花の上のハチドリ。カリフォルニアの日の光。さまざまな性質と微細さの千もの音、響き。その樹の深さと高さ、陰と樹自体。私たちは同じように、自らの体を感じます - それは、これらさまざまな表面的、感覚的知覚の器です。もしもこれら知覚が表面的水準にとどまったなら、全く混乱はないでしょう。あの花、あのパンジー、あのバラはあるし、それはあれにとってあるすべてです。好みはなく、比較はなく、好き嫌いはなく、どんな心理的関与もなく私たちの前のものだけです。このすべての表面的な感覚的な知覚または気づきは、全く明らかでしょうか。それは、現代技術の道具すべてを用いて、星へ、海の深みへ、科学的観察の最前線へ拡大されるかもしれません。

(´・(ェ)・`)つ

609:避難民のマジレスさん[]:2020/03/05(木) 07:04:43 ID:rPwgLfGQ0
パパジ講読会が中断したままでありますが、マハリシ再開までの間はクリシュナムルティ講読会を開催します。
(´・(ェ)・`)つ

610:避難民のマジレスさん[]:2020/03/05(木) 17:25:12 ID:G5BV6qjk0 [1/2]
いきなりたいへん興味深いテーマからであります。
「気づき」
『まるで私たちはそれについて何も知らないように出発し、取っかかりから始めましょう。教義的なのも微細なのもどんな主張をもしないようにしましょう。この疑問を深く探検しましょう - もしも本当に深々と入ったなら、心がたぶんけっして触れたことのないとてつもない状態、表面的な気づきには触れられない次元を、開示するであろうこの疑問を。表面から始めて、働き、通じましょう。』
(´・(ェ)・`)つ

611:避難民のマジレスさん[]:2020/03/05(木) 17:42:38 ID:G5BV6qjk0 [2/2]
>>608
変化の緊要

気づき

質問者 はい、それは理解できると思います。

K では、あなたは、バラと宇宙全体とそこの人々、あなたが結婚しているならあなたの妻、星、海、山々、微生物、原子、中性子、この部屋、扉があることを、見ます。ここで、次の一歩です。あなたがこれらのものごとについて考えること、それらについて感じることは、それらへのあなたの心理的応答です。そして、これを私たちは思考や情動と呼ぶのです。それで、表面的気づきは単純素朴な事態です。扉はそこにあるのです。しかし、扉の叙述は扉ではありませんし、あなたが情動的に叙述に関与するとき、あなたは扉が見えません。この叙述は、言葉や科学的論文や強い情動的応答であるかもしれません。これらのどれ一つとして、扉自体ではないのです。最初からこれを理解するのはとても重要です。もし私たちがこれを理解しないなら、私たちはますます混乱するでしょう。叙述はけっして叙述されるものではありません。私たちはいまでさえ、何かを叙述しているし、しなくてはならないけれども、私たちが叙述しているものは、それについての私たちの叙述ではないのです。だから、私たちの話をとおして、これを心に留めてください。けっして言葉を、それが叙述するものと混同しないでください。言葉はけっして本物ではありません。そして、私たちは、気づきの次の段階に来るとき、そこでは私的になるし、私たちは言葉をとおして情動的になるので、やすやすと乗せられてしまうのです。
  それで、樹、鳥、扉の表面的気づきがあるし、それへの応答があるのです - それが思考、感受、情動です。ここで、私たちはこの応答に気づくとき、それを気づきの第二の深さと呼んでいいかもしれません。バラの気づき、バラへの応答の気づきがあるのです。しばしば私たちは、バラへのこの応答に気づきません。真実にはそれは、バラを見、応答を見る同じ気づきです。それは一つの動きですし、外と内の気づきについて語ることは間違っています。どんな心理的関与もなく樹の視覚的気づきがあるとき、関係に分別はないのです。しかし、樹への心理的応答があるとき、この応答は、条件づけられる応答です。それは、過去の記憶、過去の経験の応答です。そしてこの応答は、関係における分別です。この応答が、関係における「私 me 」と「非私 non-me 」と呼ばれるべきものの誕生です。このようにして、あなたはあなた自身を世界との関係におくわけです。このようにして、あなたは個人と共同体を造り出すわけです。世界は在るままに(見られるの)ではなく、記憶の「私」とのさまざまな関係において、見られるのです。この分別が生ですし、私たちが自らの心理的存在と呼ぶあらゆるものごとの繁茂です。そして、これから、矛盾と分別のすべてが生じます。あなたがこれを知覚することは明確でしょうか。樹の気づきがあるとき、評価はありません。しかし、樹への応答があるとき、樹が好き嫌いでもって判断されるときに、この気づきに、「私」と「非私」として、分別が起きるのです - 観察されるものとは異なっている「私」です。この「私」は、関係における、過去の記憶、過去の諸経験の応答です。ここで、どんな判断もなく樹の気づき、観察はありうるでしょうか。そして、どんな判断もなく応答、反応の観察がありうるでしょうか。このように私たちは、樹を見つけるなかと私たち自身を見つめるなかの両方で、分別の原理、「私」と「非私」の原理を根絶するのです。
(´・(ェ)・`)つ

612:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/03/05(木) 22:56:42 ID:1d4drIFg0 [261/261]
ご苦労さんなのじゃ。

気付きこそ悟りの要諦なのじゃ。
自我に気付くことで無我になり、認識に気付くことで大悟徹底するのじゃ。
気付くことで厭離が起こるからなのじゃ。
厭離とは自己同一化の破壊なのじゃ。
観察も気付くために行うのじゃ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました