鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2020/02/29(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part15
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1571060959/

829:普通の者[]:2020/02/28(金) 22:45:21 ID:LDw7RhVo0 [38/42]
>>828
和尚様
私が進んできたのは、ひとえに和尚様のご指導があったからです。見守り続けるこそ、最も大事なことである、目から鱗がとれました!!
どんな時でも、自分を忘れないことを徹底していくなかで、急速に、観念が落ちていくことを目の当たりにしています。
ありがとうございます。

830:避難民のマジレスさん[]:2020/02/29(土) 00:22:44 ID:aONCZG6o0 [5/5]
ブログの最新の投稿のコメント欄に質問させていただきました。
もしお暇でしたらお返事いただけると幸いです。

修行する中でしてはいけない、すべきでないことはあるのでしょうか?
他者を傷つけるべきでない等明確な部分はともかく、すごく微妙なところで
法を解釈し実践しようと試行錯誤する中で、やり方を間違うと自我を強化してしまうのではないか、
という恐れがあります。
この恐れに飲まれず、とりあえずやってみたほうが良いものでしょうか?

831:避難民のマジレスさん[]:2020/02/29(土) 01:05:09 ID:Ooyk7Y2g0 [1/2]
ブログで

おぬしは最高の存在なのだっ!。

とありますが、もしこの観念が自我であった場合はどうすればいいのですか?

837:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/02/29(土) 22:40:57 ID:1d4drIFg0 [221/222]
>>829 全ておぬしの実践の賜物なのじゃ。
 実践しなければ成果は無いからのう。
 実践が全てなのじゃ。
 更に実践あるのみなのじゃ。

>>830 一番してはいけないのは諦めることなのじゃ。
 諦めてしまえば全てお終いなのじゃ。

 観念遊戯に陥ることもいかんのじゃ。
 考察や比較ばかりして実際の心の働きを観ないことなのじゃ。
 それでは観察になって居ないのじゃ。
 そのようなことに気をつけるのじゃ。

 実践し続けていれば間違いにもわかるのじゃ。
 間違いであれば何の効果もなく、変容も起きないからのう。
 観察し続けていればさまざまな気付きがあり、変容していくものじゃ。
 恐れずに実践あるのみなのじゃ。

>>831 それを観察すれば善いのじゃ。
 最高の自分をも観察し続けるのじゃ。
 ただそれだけで変容も起こるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

832:普通の者[]:2020/02/29(土) 11:03:36 ID:LDw7RhVo0 [39/42]
和尚様
大きな気づきがありました。
我々が喜び、苦しみに喘いでいるのは、自らのマインドが創造し、破壊していているのですね!!
観念を落とす、悟りを得る、それも、マインドであり、全てを絶えず、見続けることによって、マインドが生じる余地がない、そのことが、結果として、観念が落ちていくことになる。今ここに居続けることになり、最終的には悟りに至ると理解しました(笑)

833:普通の者[]:2020/02/29(土) 13:16:50 ID:LDw7RhVo0 [40/42]
>>832
何故、マインドすなわち、考えること、感じることなどは真実ではないのか、それは、個人がいるというバイアスがかかっているからです。これこそが、囚われであり、束縛です。マインドはいつもあるわけではありません。浮かんでは消えていくもの、つまり、マインドに囚われている限り、生まれては死んでいくという輪廻から離れることはできないことがわかります。要するに、マインドから完全に離れさえすればよいということなのですね。マインドから離れるためには、マインドに力を与えてはいけないということになります。だから、見続けることは、マインドが発生することを食い止めるので、マインドの力を弱体化することになり、最期の最期には、マインドは死を迎えること、つまり、自我が消え去るというメカニズムなのですね。
見続けることが、いかに素晴らしい行であるか、今改めて気づきました、ありがとうございます。

834:避難民のマジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 20:05:24 ID:h5P9mv0k0 [30/30]
人の集まりで良い心の人と卑しい心の人が混ざっている場合、その集まりが最終的にどちらの力が優勢になるかどうかは
数で決まりますか?
良い心の数が多ければ、良い集まりになる。
その反対も然り。

それでは数が拮抗していたら、その集まりはどんな風になっていくんでしょうか?

同じ性質の者同士が惹かれ合うなら、良い人と悪い人が混在する集まりが存在するのはなぜですか?

人の集まりは、たとえ良い心の人が多くてもそれを維持するのは困難だということですか?
ブッダの教団のように。

835:普通の者[]:2020/02/29(土) 21:43:00 ID:LDw7RhVo0 [41/42]
和尚様
そろそろ、渾身を込めて、全身全霊で自我の息の根を止めてやろうと決意をし、自我と対峙しました。最初、胸の辺りにいたのを感じ、意志の力で蹴散らそうとしました。すると、背中の裏に回り込みました。それを追い詰めていると、頭から、背中を通って下の方へ続く通路あるのを発見しました。本当に渾身を込めて自我と格闘していると、ついに追い詰めたと、感じた瞬間、自我は燃え出したのです。ですが、まだ背中に熱いものがあります。これは、一体何物なのでしょうか?

838:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/02/29(土) 22:46:43 ID:1d4drIFg0 [222/222]
>>832>>833 そうじゃ、全てを見続けることで自我も消えていくのじゃ。
 それは観念に過ぎないものであるからのう。
 観念の自我が無ければ、智慧も起こるのじゃ。
 智慧とは自我の制限を受けない純粋な思考そのものなのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。

>>834 声の大きさで決まるというのじゃ。
 とどちらかが常に声高に主張すれば、その主義に傾くというのじゃ。

 意志は自由であるからなのじゃ。
 自由な意志で善人と悪人が居るから、どの集まりにも混合しているのじゃ。

 そのように言えるじゃろう。
 意志が自由であるからのう。

>>835 未だ観念なのじゃ。 
 対峙しようとしなくて善いのじゃ。
 ただありのままの働きを観察するのじゃ。
 何もしなくても知覚等の縁によって起こるだけのもの見続けるのじゃ。
 そうすれば完全に観察できて厭離も起こるのじゃ。
 実践あるのみなのじや。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】51
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1573282738/

766:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/02/29(土) 14:33:42.35 ID:0O9pg2AT
コロナ対策の学校休校は
残された時を親子で過ごせるよう
打つ手がなくなった安倍さん最後の配慮ですか?

767:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/02/29(土) 15:07:09.96 ID:iT0b2b1z
>>758
胸全体がべったり冷たく感じる時もあるので気かもしれません

冷気に変わっていたとしても問題ないのでしょうか?

768:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/02/29(土) 19:59:41.51 ID:XOPpPfrW
人間にはあえて無知無明の生き方を選ぶ権利はありますか?
仕事や金儲けや娯楽の方が楽しいしそれが正しい道だと信じて疑わないなら、その道を選択する自由はありますよね?

彼らは自分たちが何をしているのかわかっているのでしょうか?
無知というのは自分の行いの意味さえ本質的にわかってない状態だと言えますか?

死ぬほど遊んで満足したから死ぬ時も幸せ!という状態はありえないんですか?

769:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/29(土) 22:51:30.13 ID:iX4ILFqz
>>766 違うじゃろう。
 集団感染しないようにしているだけなのじゃ。
 恐れを乗り越えて進むのじゃ。

>>767 問題は無いのじゃ。
 気が頭から降りるときには冷気になっているのじゃ。
 気功法の小周天では陰の気になっているというのじゃ。
 囚われずに更に精進あるのみなのじゃ。

>>768 それもあるのじゃ。
 選択の自由なのじゃ。

 わかっていないのじゃ。
 そのような状態なのじゃ。

 ありえないのじゃ。
 死の恐れとか痛みとかがあるであろうからのう。
 過去の記憶は今ここでの苦には勝てないのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580459078/

673:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 14:15:31.10 ID:J3uGnrtg [1/4]
鬼和尚は月を指し示す指についてどう思いますか?

674:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 15:18:10.21 ID:J3uGnrtg [2/4]
鬼和尚はゴーンでゴタゴタしているので日産は終わりだと思いますか?

675:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 16:27:03.84 ID:Q/rG6Pba
鬼和尚、大山さんが以前にも増しておかしくなってますけど…

676:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 16:56:03.04 ID:J3uGnrtg [3/4]
鬼和尚は映画の二本立てwクォ見ましたか?

687:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/29(土) 22:55:38.28 ID:AqxHi8yG [1/4]
>>673 何も思わないのじゃ。
 おぬしは月を見て進むと善いのじゃ。

>>674 またまだ儲けるじゃろう。

>>675 前よりは増しじゃろう。
 デパスとか連書していた時には、ものほんの害既知が来たかとわしも驚いたものじゃ。
 お釈迦様がアートマンを説いたことすら知らない臨済宗カルトとしてはましなほうなのじゃ。

>>676 題名が読めないのじゃ。

677:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 18:02:55.80 ID:H2gDbIZC [1/7]
バーナテッドロバーツは悟っていますか?
本に書かれている体験は悟りの境地ですか?

678:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 18:04:49.75 ID:H2gDbIZC [2/7]
悟りの境地とは常に喜びに溢れているものなのですか?
日常生活を送っている時の意識はどのような感じなのでしょうか?
鬼和尚が仕事されている時の意識なども我々普通の意識とは違うものなのですか?

679:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 18:17:59.36 ID:H2gDbIZC [3/7]
悟りの智慧と知能は関係ないものですか?
例えば知能が低い人が悟っても智慧が現れ、普通の人々よりも賢くなるのでしょうか?

また、悟りを得た人がアルツハイマーなどにかかった場合はどうなりますか?

記憶や記憶を引き出す力は肉体が無くとも持っているものですか?
自己が薄くなると記憶が薄くなるということは有り得ますか?

688:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/29(土) 23:01:16.93 ID:AqxHi8yG [2/4]
>>677 悟っていないのじゃ。
 一時的に自己イメージが想起できなくなっただけなのじゃ。
 それによって知ることが出来たことも多いが、大抵は恐れてばかりなのじゃ。

>>678 そうじゃ、喜びと平安が在るのじゃ。
 それも苦が永遠に無いからなのじゃ。

 日常でもそのようにしていることができるのじゃ。
 悟っていない者と同じようにしようとすれば出来るのじゃ。

 わしは苦労して働く者の心を知るために、働くときは同じ境地にしているのじゃ。

>>679 そうじゃ、関係ないのじゃ。
 賢くなるのじゃ。

 何もしなくなるじゃろう。
 肉体が無くとも記憶は在るのじゃ。

 そのようなこともあるじゃろう。
 そうでないこともあるじゃろう。
 状況や実践によって違うのじゃ。

680:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 19:12:11.18 ID:H2gDbIZC [4/7]
グルジェフは催眠術も使えたようですが、催眠術を使っても人を悟りへは導けないのですか?
何故でしょうか?

隠れた人格を引き出したり、不思議な体験をさせたりとかは出来たようですが、
催眠術で強く、悟りへの意志を固めたり、動悸付けしたり、出来そうだと思うのですが…

681:太上天君[]:2020/02/29(土) 19:24:11.28 ID:MvEIhzUc
鬼和尚よ、ぬしゃあアートマンとフリーマンはどっちが上か?
つーかぬしゃあそもそもフリーマンを知っとるのか?

ハキハキ答えよ!!!

ふぉっふぉっふぉっふぉっ。

682:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 19:32:13.19 ID:H2gDbIZC [5/7]
鬼和尚は悟りの前後は仕事も辞め家族とも離れ1人で篭って瞑想生活をしていたのですか?

悟りの前後は仕事をしたり普通の生活は送れなくなりますか?

本当に悟りを求めるなら、数年間仕事をしなくても良い経済的基盤と家族の理解は必要になるのでしょうか?

689:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/29(土) 23:05:01.76 ID:AqxHi8yG [3/4]
>>680 そうじゃろう。
 忘我までは導けるかもしれんがのう。
 観念を完全に無くすには言葉も無くす必要があるからなのじゃ。
 言葉によって催眠術をかけ続けていても、言葉を超越することが出来ないのじゃ。

 動機をつけるとかはできるじゃろう。

>>681 おぬしが上なのじゃ。
 ひとをころしてなくひとなのじゃ。
 ぜんぜんフリーではないのじゃ。

>>682 していないのじゃ。
 送っていたのじゃ。
 習慣によって体が動くようにしていれば平気なのじゃ。

 そのようなことも必要とする者には必要じゃろう。

683:マジレスさん[sage]:2020/02/29(土) 19:59:01.77 ID:s9OvQPN/
今の日本人は批判や皮肉ばっかり上手くて、それがダメなんですよ。
世の中、クールにスマートに貶すことばっかり評価されてしまう。
これが社会を腐らせてるとは思いませんか?

690:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/29(土) 23:06:02.28 ID:AqxHi8yG [4/4]
>>683 批判ばかりしていたらいかんじゃろう。
 どんどんほめたら善いのじゃ。
 おぬしもどんどん褒めると善いのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

591:避難民のマジレスさん[]:2020/02/29(土) 00:56:46 ID:phf4brz.0 [7/10]
ラマナ・マハルシとの対話290

マールワール出身でボンベイから来た綿商人のサーガルムル氏は、『バガヴァッド・ギーター』を学んだようだった。
彼はマハルシに尋ねた。

質問者
 『バガヴァッド・ギーター』はマッタハ・パラタラン・ナーニャット、キンチト、「私と異なるものは何もない」と述べ、その後で、スートレー・マニガナー・イヴァ、「糸に連なる宝玉のように」と述べています。
 もしシュリー・クリシュナ以外に何も存在しないなら、どうして世界が「糸に連なる宝玉のようだ」と言われたのでしょうか?

マハルシ
 それは「スートラ(糸)とマニ(宝玉)は『私』から離れていない」という意味です。
 糸なしに数珠玉はありえず、「私」から離れては糸もありえません。
 その詩句(シュローカ)は表面的でしかない多様性ではなく、「一なるもの」を強調して示しているのです。

質問者
 「一なるもの」は神性(バガヴァーン)の中に融け入った後にのみ可能です。
 それは真実ですが、それまでは多様性があるはずです。
 それがサンサーラです。

マハルシ
 私たちは今どこにいるのでしょう?
 私たちは神性から離れているでしょうか?
 サンサーラも私たちもすべては神性の中にあるのです。

質問者
 しかしその体験はジニャーニ(真我を実現した人)のものです。
 ジニャーナ(真我の知識)が現れるまで区別は続きます。
 ですから、私にとってサンサーラは存在しているのです。

マハルシ
 サンスカーラ(性癖)がサンサーラなのです。

質問者
 そうです。
 「これらすべてはヴァースデーヴァ(至高の神)である」─この真理が忘れられたため、私たちは自分自身を神と自己同一化できないのです。

マハルシ
 忘れるということがどこにあると言うのですか?

質問者
 それは夢(スワプナ)のようなものです。

マハルシ
 誰の夢だと言うのですか?

質問者
 ジーヴァのです。

マハルシ
 ジーヴァとは誰でしょうか?

質問者
 パラマートマン(至高の真我)です。

マハルシ
 それならパラマートマンにそれを尋ねさせればよいのです。

質問者
 では、説明図を描いて私の疑問を明確にいたします。

マハルシ
 疑いを図解して明確にしたいと望んでいるのはいったい誰でしょうか?
 直接体験(プラティヤクシャ)は例や解説を必要としないのです。

質問者
 そこには直接体験があり、忘却もまたあるのです。

マハルシ
 何が忘れられ、誰によって忘れられたと言うのですか?

質問者
 聞いてください。
 人は夢を見、夢の世界は目覚めとともに消え去ります。

マハルシ
 同様に、現在の夢から目覚めなさい。

質問者
 プラクリティ(物質的原理。根本原質。マーヤー)があまりにも強力なのです。

マハルシ
 プルシャ(主。純粋精神)も見なさい。
 そうすれば、プラクリティに何ができると言うのでしょう?

質問者
 そこにはグランティ(結び目)があるのです。

マハルシ
 誰の結び目でしょう?
 プルシャのでしょうか、プラクリティのでしょうか?
 あるいは両方のでしょうか?

質問者
 ブラフマンが原因なのです。

マハルシ
 それならブラフマンが尋ねるべきです。
 あるいはブラフマンが尋ねられるべきです。
 誰にとっての夢、あるいは結び目だと言うのでしょう?
 あなたはいつも「私は尋ねます」と言いますが、その「私」とは誰なのですか?

592:避難民のマジレスさん[]:2020/02/29(土) 01:01:04 ID:phf4brz.0 [8/10]
質問者
 私には理解できません。

マハルシ
 「私」は永遠です。
 もしそれが何か特定のものなら消え去るはずです。
 しかしそれは完全なのです。
 それゆえ、それは対象としては見つからないのです。

質問者
 しかし私は不完全なのです。

マハルシ
 なぜ不完全性を持ち込むのですか?
 なぜあなたは完全ではないのですか?
 眠りの中で不完全性を感じましたか?
 なぜ今でさえそのようにとどまらないのですか?
 目覚めの状態に眠りをもたらしなさい(ジャーグラト・スシュプティ)。
 そうすればあなたの問題はなくなるでしょう。

  ヤー・ニシャー・サルヴァ・ブーターナーン・タスャーン・ジャーガルティ・サンヤミー、
  ヤスャーン・ジャーグラティ・ブーターニ・サー・ニシャー・パシャトー・ムネーヘ。

  無知な者にとっての夜は賢者にとっての昼である。

質問者
 それは賢者にとっての話です。

マハルシ
 賢者とは誰でしょうか?
 彼は人間ではないでしょうか?

質問者
 誰かが平手打ちしたなら、あなたはそれを感じませんか?
 そこには何の自他の区別もないのでしょうか?
 それがジニャーナなのですか?

マハルシ
 麻酔をかけられた人や泥酔している人は叩かれても感じないでしょう。
 彼は賢者(ジニャーニ)でしょうか?
 叡知(ジニャーナ)はその感覚と相反するのでしょうか?

質問者
 見る者、見られるもの、見ること。
 それらは叡知に固有のものではありません。

マハルシ
 眠り、トランス状態、放心状態の中に自他の区別はありません。
 それをジニャーナと呼ぶでしょうか?
 それらの状態の中で何が起こったのでしょうか?
 そのときに存在していたものが、今は存在していないということでしょうか?
 存在する「それ」は永遠に存在します。
 違いは心ゆえに起こるのです。
 心はあるときには存在し、別のときには存在しません。
 実在の中に変化はありません。
 実在は常に至福(アーナンダ)なのです。

質問者
 至福は修練の結果です。
 その修練とは何でしょうか?

マハルシ
 修練(サーダナ)とは、これらすべての疑いが誰にとって起こるのかを見いだす探究なのです。

質問者
 それは自我(アハンカーラ)にとってです。

マハルシ
 アハンカーラはどこから現れるのでしょう?

質問者
 道を示してください。
 私には指導が必要なのです。

マハルシ
 内側に向かいなさい。
 そして道を見いだしなさい。
 外側から見つけることはできませんし、外側で探すこともできないのです。

質問者
 私には自我を探し出すことができません。
 そこで立ち往生してしまうのです。

マハルシ
 どうして自我を探し出せると言うのでしょう?
 それはあなたから離れてはいないのです。
 見つけられないことなど放っておきなさい。
 あなたは今、どこにいるのですか?
 あなたは「私はいない」と言うでしょうか?

593:避難民のマジレスさん[]:2020/02/29(土) 01:04:44 ID:phf4brz.0 [9/10]
質問者
 私とは何でしょうか?
 どういうものなのでしょうか?

マハルシ
 それについて悩む必要はありません。
 あるがままにあらしめなさい。
 なぜ気にするのですか?
 眠りの中で、あなたは全体や部分について心配しましたか?
 同じ人が今ここに存在しているのです。
 あなたは眠りにおいても目覚めにおいても同じなのです。

質問者
 眠りと目覚めは異なった印象を与える異なった状態です。

マハルシ
 それが何だと言うのでしょう?
 真我はけっして変わらないのです。

質問者
 瞑想をしても心は落ち着きません。

マハルシ
 いつであれ、それがさ迷い出すたびに、何度も何度も内面に向かわせなさい。

質問者
 不幸が私を圧倒するとき、探究は不可能になります。

マハルシ
 なぜなら心が弱すぎるからです。
 それを強くしなさい。

質問者
 どのような方法ででしょうか?

マハルシ
 サットサンガ、イーシュヴァラ・アーラーダナ、プラーナーヤーマ(賢者との交際、神の礼拝、呼吸制御)です。

質問者
 何が起こるのでしょうか?

マハルシ
 不幸が取り除かれるのです。
 それが私たちの目標です。
 幸福を獲得するのではありません。
 あなたの本性そのものが幸福だからです。
 至福が新たに得られるわけではありません。
 為すべきことは不幸を取り除くことだけです。
 これらの方法がそれを可能にするのです。

質問者
 賢者との交際(サットサンガ)は心を強くするでしょう。
 修練(アビャーサ)も必要です。
 何の修練をすべきでしょうか?

マハルシ
 そうです。
 修練もまた必要です。
 修練とは生来の精神的傾向(サンスカーラ)を取り除くことです。
 修練は何か新しいものを得るためではなく、精神的傾向を殺すためのものなのです。

質問者
 修練が私にその力を与えるに違いありません。

マハルシ
 修練は力です。
 想念が一つの想いだけに集中されたとき、心は強くなると言われます。
 修練が揺るぎないものになったとき、それは自然(サハジャ)となるのです。

質問者
 その修練とは何でしょうか?

マハルシ
 真我探究です。
 それがすべてです。

  アートマンイェーヴァ・ヴァシャン・ナイェー……「心を真我にとどめなさい」

質問者
 その目標は何でしょうか?
 修練には目標が必要です。

マハルシ
 アートマンが目標です。
 それ以外に何があるでしょう?
 それ以外のすべての目標は、真我を目標とすること(アートマ・ラクシャ)が不可能な人のためにあるのです。
 それらは最終的には真我探究(アートマ・ヴィチャーラ)に導きます。

 一点に集中することがすべての修練の成果です。
 ある人は早く達成し、ある人は時間がかかるかもしれません。
 すべては修練しだいです。

594:避難民のマジレスさん[]:2020/02/29(土) 01:08:00 ID:phf4brz.0 [10/10]

質問者
 平和は何よりも賞賛されるものです。
 どうすれば平和を得ることができるでしょうか?

マハルシ
 それはあなたの本性なのです。
 真我が忘却に打ち負かされることはありません。
 現在、真我は真我ではないものと混同されているため、それがあなたに真我や平和を忘れることついて語らせるのです。
 この混乱をなくせば、忘却が頭をもたげることもなくなるでしょう。

質問者
 それはどのようにするのですか?

マハルシ
 真我を探究するのです。
 一点に精神を集中することは、精神活動の停止を意味します。
 忘却とは、自己についての忘却であるに違いありません。
 さて、何の自己でしょうか?
 真我のでしょうか?
 そこに二人の自己があるでしょうか?
 修練がサンスカーラを取り除くのです。

質問者
 しかしサンスカーラは、始まりも終わりもない無限で永遠のものです。

マハルシ
 そう考えること自体がサンスカーラなのです。
 その考えを棄て去りなさい。
 そうすればすべてのサンスカーラは一度に消え去るでしょう。
 それが静寂(ヴィシュラーンティ)、平和(シャーンティ)です。
 平和は常に存在しています。
 しかしあなたはそれを押さえつけ、その上にのし上がってかき乱しておいてから、「私は平和が欲しい」と言うのです。

質問者
 平和は漸進的に得られるものなのでしょうか?

マハルシ
 そうです。
 シャナイヒ・シャナイヒ・ウパラメート「心を徐々に静かにさせなさい」と『バガヴァッド・ギーター』は述べています。

しばらくして、訪問者はG氏が二十日ごろにここを訪れたかどうかと尋ねた。
彼自身マハルシについてG氏から話を聞いたのだった。
G氏はここを訪れた後、喜びに満ちていたとのことだった。

マハルシ
 どうして私にすべての訪問者の名前を知ることができると言うのでしょう?
 彼はここにいたかもしれません。
 誰もが喜びに満たされています。
 そこには名前もなく、形もありません。
 それでも、名前は日常生活(ヴィヤヴァハーラ)に必要とされるのです。

*マッタハ・パラタラン・ナーニャット・キンチト…:『バガヴァッド・ギーター』7-7

おお、ダナンジャヤ!
私を超越するものは何もない。
糸に連なる真珠のように、すべては私と繋がっているのだ。

*ヤー・ニシャー・サルヴァ・ブーターナーン…:『バガヴァッド・ギーター』2-69

すべての生けるものが眠る夜、自己を制する賢者は目覚めている。
すべての生けるものが目覚める昼、内面を観る賢者の夜となる。

*アートマンイェーヴァ・ヴァシャン・ナイェー…:『バガヴァッド・ギーター』6-26

いつであれ落ち着きのない心がさ迷い出したなら、そのときその場でそれを制御し、自己の支配下に導くべきである。

*シャナイヒ・シャナイヒ・ウパラメート…:『バガヴァッド・ギーター』6-25

固い決意で知性を集中させ、心を徐々に内に向け、真我の中に確立させるべきである。
他の何も考えてはならない。

595:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/03/01(日) 00:44:49 ID:1d4drIFg0 [255/255]
あらゆる経典の知識は人に実践させることを目的としているのじゃ。
実践とは自らの心を観ることなのじゃ。
自らの心を観ないならば経典は無意味なのじゃ。
それ故にマハリシは常に質問する者にそのように尋ねている者は何かと聞くのじゃ。
自らの心を観る実践によってのみ、人は喜びに没入することができるのじゃ。

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