鬼和尚に聞いてみるスレ part15
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1571060959/
793:普通の者[]:2020/02/25(火) 12:46:06 ID:NIVY1U2.0 [1/3]
和尚様
嫌な波動を感じる者、不安を感じる者、美味しいと感じる者は、自分じゃない、心だと思いますが、実際、府に落ちるまで、観察するのですね。
794:避難民のマジレスさん[]:2020/02/25(火) 16:26:32 ID:9Dc32g..0
鬼和尚様
高藤聡一郎さんの本に書いてあったのですが、かなりうろ覚えなのですが、仙道か気をマスターすると株価が未来でどう動くのかわかったり世界の動向がわかったりするそうですが鬼和尚様もそうなりましたか?
795:普通の者[]:2020/02/25(火) 17:21:59 ID:NIVY1U2.0 [2/3]
和尚様
恐れ、嫌悪などを感じる者のメカニズムについて、わかってきました。
恐怖などを感じるとき、胸の中央が反応します。それをもっと奥まで見つめると、それらは消え去ります。
恐らく、胸の中央で反応するものが、それを感じると判断するのだと思います。これこそが、心だと言われているものです。消え去るものは、実在ではないと言われる所以なのですね。
これから、さらに調査したいと思います。
ありがとうございます。
796:普通の者[]:2020/02/25(火) 18:01:20 ID:NIVY1U2.0 [3/3]
和尚様
感じている者を調査していますと、胸の辺りが気で膨張して苦しいのですが、何故こんな現象が起こるのでしょうか?
また、調査していると、さらに、さらに、奥へ進んでいき、サマーディが途方もなく、耀きます、なせなのでしょうか?
800:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/02/25(火) 22:15:33 ID:1d4drIFg0 [212/213]
>>790 そうじゃ、気付くまで観察するのじゃ。
気付くことで厭離も起こるのじゃ。
知識だけでは厭離は起こらないのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>794 智慧によってある程度はわかるのじゃ。
気ではわからないのじゃ。
人は記憶に依存しているから同じ動きを繰り返すのじゃ。
歴史の上で同じ現象があった時期を知れば、今も同じことが起こるとわかるのじゃ。
>>795 そうじゃ、善い気付きなのじゃ。
何度もそのように観察すれば全て消えて行くのじゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。
>>796 集中している所に気も集まるからなのじゃ。
時々発散すると善いのじゃ。
自我が薄れてきているのじゃ。
忘我状態が昂進しているのじゃ。
恐れずに精進あるのみなのじゃ。
797:避難民のマジレスさん[sage]:2020/02/25(火) 18:40:33 ID:czRftzgI0 [35/35]
<781
親兄弟への情について、和尚さんは、修行開始時はあったが悟る直前にはなくなっていたのか、修行開始時と悟る直前はあったが、悟ったらなくなったのかどちらですか?
798:普通の者[]:2020/02/25(火) 20:08:27 ID:LDw7RhVo0 [29/30]
和尚様
今私の中でなにかが起こっています。
見ることによって、起こる現象を調査していましたら、ウォン、ウォンと音が鳴り響びいています。それによって額と胸が大きく反応し、私という感覚が薄れていきます、この現象とはなにでしょうか?
799:普通の者[]:2020/02/25(火) 21:28:23 ID:LDw7RhVo0 [30/30]
和尚様
マハラジによりますと、どうやら、これは、実在の爆発というものだそうです。
アートマンの実現かもしれません。
なにかが、私を吸いとっていきます。
それは、まさしく爆発なのです!
801:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/02/25(火) 22:18:21 ID:1d4drIFg0 [213/213]
>>797 悟ればもはや一つなのじゃ。
悟ったことで親兄弟という分別もなくなるから、一つであり親愛ではなく慈悲になるのじゃ。
他人と同じく平等な慈悲なのじゃ。
そこに自他の区別も無いのじゃ。
>>798>>799 自我が消えようとしているのじゃ。
それはただの観念の謬見が消えるだけなのじゃ。
直ぐに真実が現われるのじゃ。
恐れずに更に進むのじゃ。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】51
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1573282738/
728:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/02/25(火) 08:06:13.01 ID:u9w/WhHf
>>723
最近したらばへのアクセス不良が続いています。
マハルシの対話の投稿ができないかもしれませんm(__)m
730:偽和尚 ◆qH7QdQmFhM []:2020/02/25(火) 14:38:51.46 ID:rJPIXwjJ
>>723
したらばはこの頃調子悪いようで、繋がったり繋がらなかったりです。
こちらは板を借りてるだけなのでどうすることもできません。
すいませんが書けない場合はしばらくしてから再度試してみてください。
731:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/02/25(火) 15:27:56.17 ID:66P4gaYs
鬼和尚は前生は「天に居た」と言っていましたね。
天に居る前は何をしてたのですか?
732:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/02/25(火) 21:00:15.88 ID:uLyOzVDD
マジレス希望です。
趣味が定まりません。
やり始めはネットを駆使して詳しく調べます。
そして困った事に初心者の内からそこそこ良い道具を揃えたがります。
初めの内は熱中するのですが、やがて他に目が移ったり、壁にぶつかってマンネリしたり、とにかく長く続きません。
もうこんなのは嫌です。
取り敢えず、新しい趣味が見つかったとしても高価な道具に手を出さない様にしたいです。
どうすれば浮気をせずに1つの趣味を極められるのでしょうか?
一生ものの趣味はどうやって見つけられますか?
734:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/25(火) 22:26:44.82 ID:mS4hb3Xe
>>728 ご苦労さんなのじゃ。
直ったのじゃ。
>>730 ご苦労さんなのじゃ。
今日は書けたのじゃ。
>>731 修行僧だったのじゃ。
ひたすら修行していたのじゃ。
善事も積んでいたのじゃ。
そのお陰で天に生まれることもできたのじゃ。
おぬしも善事を積むとよいのじゃ。
>>732 それは趣味を求めているのではなく、心の中の孤独や不安から逃避しているからじゃろう。
どの趣味もある程度していると、慣れてきて孤独や恐れが戻ってきて続かなくなるのじゃ。
瞑想を趣味にすると善いのじゃ。
数息観などを実践し、そのような心の働きを観察するのじゃ。
孤独や不安からの逃避や、孤独や不安の原因が観察できれば、そのような働きも止められるのじゃ。
わしのブログを参考にすると善いのじゃ。
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580459078/
557:マジレスさん[sage]:2020/02/24(月) 23:49:17.24 ID:M5dzmyOR [3/3]
>>556
鬼和尚さん
ウンコを漏らすのは犯罪なんですか?漏らしたことはないんですか?交番の前で漏らせる位ならトイレ行きますよ!冗談じゃないよ!こっちは真面目なんだよ!
561:マジレスさん[sage]:2020/02/25(火) 02:29:38.86 ID:yf4TWloG [1/4]
ありがとうございます。
出来るだけ観察していきます。
観念に囚われる事は無意味だと思えば、前より切り替えしやすくなりました。今日はいつもより、観念に気づくのが早く頻度も多かったです。
そこで気付きましたが、視覚などの刺激をきっかけに観念が起こると、瞬時にそれに同化するような反応がおきています。
次々に起こる観念に瞬時に飛びついて同化しているような感じです。
気付いて、「今こう思った」などと観察地点に立つと距離が出来ます。
座っていないですが心の中で数を数えて呼吸に意識を向けることも効果的です。
観念に同化せず、常に観察地点に立つことが出来たら不動心を得られるのでしょうか?
数息観の最中も雑念が湧いてそれに飛びついてまたすぐ気付いて戻して…とは出来るので暫く数は数えられるようにはなりました。
ただ、そのせいか、数息観をしながらも雑念側に意識を寄せて同時進行のようにしてしまうときがあります。
数息観をやる際は数を数える事と呼吸に一瞬のがさず全集中出来る位にすべきでしょうか?
そして動きながら観察していて思いましたが、動きの意識は感じ取れないです。歩いたり作業している時、観念の観察は出来ても、手先を動かしている意識を感じ取る事は出来ず、体とはすごいものだと改めて思いました。
564:マジレスさん[sage]:2020/02/25(火) 02:35:20.88 ID:yf4TWloG [2/4]
普段の自我の意識は体に依存していますが、
死を超えた意識は、眠りなど体の機能に影響されないものでしょうか?
眠っていても麻酔をかけられてもアルツハイマーなど記憶障害が起きても全く変わらないのですよね。
ただその意識は自我のあるものが思うような「私」ではなく、記憶なども無いものなのでしょうか?
眠っていても意識を感じられるようになると以前教えて頂いたこともありますが、その意識とは、「私であること」を自覚できるような意識ではないのでしょうか?
それとも自覚したり記憶を思い出したりも出来るのですか?
566:マジレスさん[sage]:2020/02/25(火) 07:43:03.30 ID:jC6l1mOm [2/3]
鬼和尚は世界で評価されていますか?
576:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/25(火) 22:39:31.40 ID:x0CWRTI+ [1/2]
>>557 まじめな者は黙ってトイレにいくじゃろう。
>>561 そうじゃ、観察者に成り切れば不動心も得られるのじゃ。
雑念に惑わされないからのう。
雑念と同時進行してよいのじゃ。
それは意識できる範囲が広くなって、集中と雑念が同時に認識できている証なのじゃ。
わしのブログにも書いて在るのじゃ。
どんどん実践するとよいのじゃ。
>>564 そうじゃ、影響されないのじゃ。
それはもやは肉体の意識を超えているからのう。
個我は無いのじゃ。
記憶は思い出そうとすれば思い出せるのじゃ。
無意味な観念とわかっているがのう。
個我を無理に作ることも出来るのじゃ。
無意味であるがのう。
>>566 おぬしの世界で評価されているのじゃ。
おぬしの世界のわしじゃ。
570:マジレスさん[sage]:2020/02/25(火) 14:39:52.88 ID:yf4TWloG [3/4]
観念に瞬時に同化してしまう事も一種の逃避の反応で癖になってしまった事なのでしょうか?
生活しながら気付きましたが目の前の世界を認識するよりも観念の世界の方が大きく、影響も受けています。
手を洗いながらも様々な観念を次々に同化して熱中して行為も疎かになるので最近は物忘れも多いです。
手を洗う時に手の感覚に集中してみると変な感じになります。
でもあまり興味深いものでもないのでまたすぐ観念に入り込んでしまいます。
なぜこんなに、観念ばかりが、現実より大きくなるのですか?
観念に囚われず目の前のものを認識して過ごす生き方は子供の頃の世界ですか?
子供の頃は手を洗う感覚すら興味深く新鮮だったと思います。
でも子供は悟ってはいないのですよね?
(赤ん坊は悟っていると聞いた事がある気がしますがそれないですよね?)
571:マジレスさん[sage]:2020/02/25(火) 14:40:17.30 ID:yf4TWloG [4/4]
観察の対象は、観念や感覚自体ではなく、それを感じる自分自身なのですか?
573:太上天君[]:2020/02/25(火) 19:26:28.05 ID:yRcApH35
鬼和尚よ、ぬしゃあ武漢に行けば武にたけた羅漢になれるか?
武漢は健康にいいか?
ハキハキ答えよ!!!
ふぉっふぉっふぉっふぉっ。
577:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/25(火) 22:52:45.78 ID:x0CWRTI+ [2/2]
>>570 そうじゃ、それは習慣によって癖になっているから、瞬時に起こるのじゃ。
慣れた動作が瞬時に出来るようになるのと同じなのじゃ。
認識が記憶に依存しているから、人は観念を現実よりも優先するのじゃ。
観念が世界になってしまうのじゃ。
子供はそのような世界にいると言えるのじゃ。
悟っていないのじゃ。
観念が生まれているのじゃ。
そして観念に囚われるようになるのじゃ。
>>571 そうじゃ、自分自身なのじゃ。
自己の心身を観ることが観察なのじゃ。
それによって自分を知り、悟りも得られるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>573 行けばわかるのじゃ。
迷わず行くのじゃ。
苦しむ人を助けるとよいのじゃ。
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50
582:避難民のマジレスさん[]:2020/02/25(火) 12:50:14 ID:phf4brz.0 [2/3]
ラマナ・マハルシとの対話286
質問者
なぜ私たちは好きなだけ眠りの状態(スシュプティ)の中にとどまっていられないのでしょうか?
どうして目覚めの状態のように自分の意思でその中にいられないのでしょうか?
マハルシ
眠りの状態はこの目覚め状態の中でも続いています。
私たちは常に眠りの状態の中にいるのです。
今この目覚めの状態にいるときに意識的にその中に入り、それを悟ることが私たちのすべきことです。
実際には、その中に入って行くことも、それから出ることもありません。
それに気づくようになること、それがサマーディです。
無知な人は長い間眠りの状態の中にとどまることができません。
彼は生来の性癖によって強制的にそこから追い出されてしまうのです。
彼の自我はまだ死んではいないため、再び立ち現れます。
しかし賢明な人は、自我が源にある間にそれを破壊しようと試みるのです。
自我は生来の性癖、つまりプラーラブダ(運命)に駆り立てられて、何度も何度も立ち現れてきます。
すなわち、ジニャーニにもアジニャーニにも自我は生じるということです。
二人の違いは、自我が立ち現れるとき、アジニャーニはまったくその源に無知であり、夢見と目覚めの状態における眠り(スシュプティ)に気づいていません。
一方、ジニャーニは自我が立ち現れても、常に自我をラクシャ(標的)である源にとどめながら、超越体験を楽しんでいるのです。
この自我は危険ではありません。
それはロープの燃え殻のようなもので、それでは何もできないからです。
絶えず源に的をとどめることで、自我は海の中の塩人形のようにその源に溶け去るのです。
質問者
シュリー・ラーマクリシュナはニルヴィカルパ・サマーディは二十一日以上続かないと言いました。
もし続けばその人は死ぬだろうと言うのです。
そうなのでしょうか?
マハルシ
プラーラブダが尽き果てたとき、自我は跡形もなく完全に消え去ります。
これが究極の解脱です。
プラーラブダが完全に尽き果てないかぎり、ジーヴァン・ムクタ(生存中に解脱した人)にさえ自我はその純粋な形で立ち現れるでしょう。
最長期間が二十一日だという声明については疑いが残ります。
三十日や四十日断食すれば、人は生き残れないと言われています。
しかしそれより長く、百日間断食した人もいるのです。
つまりそれは、彼らのプラーラブダがまだ残っていたということです。
583:避難民のマジレスさん[]:2020/02/25(火) 12:51:35 ID:phf4brz.0 [3/3]
質問者
どうすれば真我を実現することができるのでしょうか?
マハルシ
絶対的な真我が存在します。
そして炎から火花が飛び散るように、真我から閃光が発せられます。
この閃光が自我と呼ばれるものです。
無知な人の場合、自我は立ち現れると同時に、それ自体を一つの対象物と同一化します。
それは対象物との関わりに依存せずには存続することができません。
この関わりが無知(アジニャーナ)であり、その破壊が私たちの努力の目標なのです。
もし対象物との同一化の傾向がなくなれば、自我は純粋なままとどまり、源へと融け去るでしょう。
身体との誤った自己同一化がデーハートマ・ブッディ(「私は身体だ」という観念)です。
良い結果が現れる前に、まずこの観念が去らなければなりません。
質問者
どうすればそれを消し去ることができるでしょうか?
マハルシ
私たちは眠りの状態(スシュプティ)において身体や心と関係をもたずに存在しています。
しかし目覚めと夢見の状態の中では身体や心と関係しています。
もし私たちが身体とともにあるなら、どうして眠りの状態の中では身体なしに存在していたのでしょうか?
私たちは自分の外側にあるものから自分自身を分離することはできますが、自分と一つであるものから分離することはできません。
それゆえ、自我と身体は一つではないのです。
これが目覚めの状態において理解されなければなりません。
アヴァスター・トラヤ(目覚め、夢見、深い眠りの三つの状態)はただこの見解を得るためにのみ学ばれるべきものなのです。
純枠な自我は、二つの状態あるいは二つの想念の合間に体験されます。
自我はまず次の一点をつかんでおいてから前の一点を離れる尺取り虫のようなものです。
その真の本性は、対象物あるいは想念との接触が断ち切られたときに明らかになります。
アヴァスター・トラヤ(意識の三つの状態)を学ぶことによって得た確信をもとに、この二つの合間を認識しなさい。
質問者
私たちはどのように眠りにつき、どのように目覚めるのでしょうか?
マハルシ
日幕れ時になると雌鳥は鳴き声をあげ、ひよこ達は母鳥の羽の下に隠れます。
すると雌鳥はひよこ達を守りながら巣に帰り着きます。
夜が明けるとともに、ひよこ達は雌鳥と一緒になって外へ出て行きます。
ここで言う母鳥は、すべての想念を集めてから眠りにつく自我に相当します。
日光は日の出とともに現れ、日没とともに消え去ります。
同様に、自我が姿を現すとき、それはあらゆるものをともなって現れ、自我が沈みゆくとき、すべてがそれとともに消え去るのです。
質問者
眠りの状態はどのようなものなのでしょうか?
マハルシ
曇り空の夜に目に見えるのは暗闇だけで、目を見開いても対象物を個別に見極めることは不可能です。
同様に眠りの状態では、見る者はただ無知だけに気づいているのです。
シュリー・バガヴァーンは、ある質問好きな人にこう語った。
「それ自体が偽りである世界の中で、真実や偽りについて語ることに何の意味があると言うのでしょう?」
584:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/02/25(火) 22:21:00 ID:1d4drIFg0 [251/251]
無明の中に居ながら知識だけで真実を知っても無意味なのじゃ。
それは役に立たない知識が増えたというだけなのじゃ。
自ら悟りを得て全てを証さなければ、苦は続くの゛ゃ。
知識は実践のために役に立つだけのものなのじゃ。
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