【仏教】悟りを開いた人のスレ478【天空寺】

【仏教】悟りを開いた人のスレ478【天空寺】 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1580522131/

1:日本鬼子 ◆rlzTxpgv.dqM [sage] :2020/02/01(土) 10:55:31.26 ID:42220wct [1/3]
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もすること。(任意)

>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。

※前スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ477【天空寺】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1580351605/

199:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/01(土) 23:51:28.45 ID:SgqHsZPT [1/4]




                       無

200:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/01(土) 23:51:51.94 ID:SgqHsZPT [2/4]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

201:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/01(土) 23:52:15.08 ID:SgqHsZPT [3/4]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

204:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/01(土) 23:57:29.10 ID:SgqHsZPT [4/4]
悟った者には常に静寂が在るじゃろう。
守るべき自我が無いために、余計な思考や情報を求めることがないからなのじゃ。
それは十分に開かれた心を持つ者に伝わるものじゃ。
その静寂はただ言葉が無いだけではなく観念も無いのじゃ。
観念のもたらす苦もない故に、至福に満たされているのじゃ。

356:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/02(日) 22:49:03.27 ID:lymGyrzF [1/5]
 今までさまざま法を示してきたが、それによって必ず悟りを得られるとは限らないのじゃ。
 どんなに法を実践しても悟りを得られない者も居る。
 そのような者は悟りを得るという意志がないからなのじゃ。

 例えばこの道を真っ直ぐ行けば目的地に着けると教えられても、目的地に行く意志が無い者はどこか別の所をさまよい、目的地には着かないのじゃ。
 それと同じように悟りを得る方法を教えられても、悟りを得る意志が無い者は、実践も迷いのうちに入って悟ることも無いのじゃ。 
 人の意志はこの世で最も強いものである故に、法もそれを曲げられないのじゃ。

 この世の執着を全て捨てて悟りを求める意志がある者に、悟りは訪れるのじゃ。
 それほどの意志がない限り悟りは訪れないのじゃ。
 金は大事だから悟っても金儲けはしようとか、今の地位や権力は維持したまま悟ろうと思っても無理なのじゃ。
 そのような都合の善い悟りはどこにもないのじゃ。

357:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/02(日) 22:49:21.71 ID:lymGyrzF [2/5]
 本来一切衆生は老病死の限界がある故に、全てを捨てて悟りを求めるのも正しい考えなのじゃ。
 金や地位や名声をどんなに求めても、やがては老病死によって消えてしまうのじゃ。
 自分の意志で捨てなくても、消えてしまうのが必然なのじゃ。

 やがては誰もが必然的に捨てなければならないものを、自分の意志で捨てるだけなのじゃ。
 そうすれば全てを手に入れ、永遠への道が開かれるのじゃ。

 死を恐れる余り、死を考えることを拒否した者はいつか自分が死なないようにさえ思うようになるものじゃ。
 それはもはや現実を見ていないことになるのじゃ。
 幻想の中で生きている狂人と同じなのじゃ。
 自分が死なない前提で金や権力や名声を求めていれば、老病死の苦が迫ってきた時に絶望するのじゃ。

 更には社会への貢献とか人類のためとかの目的さえ、幻想に他ならないのじゃ。
 それらも滅び去る性質からは免れないからなのじゃ。
 社会や人類や生物とかの集合より、個人の中にこそ永遠への道が在るのじゃ。

 初めから人や社会には老病死の限界があり、それを超える道があると正しく考えれば、悟りを得る意志も芽生えるのじゃ。
 人が自らの意志で老病死の苦を超えようとした時にこそ、法は役に立つのじゃ。
 悟りへの意志によって実践された法は、速やかに人を悟りに導くのじゃ。
 幻想に陥る事無く、老病死という現実について正しく考え、悟りへの意志を持つことが真の正見なのじゃ。

358:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/02(日) 22:49:52.90 ID:lymGyrzF [3/5]
 強い意志があれば法など無くとも悟りに行くことも出来るのじゃ。
 法は意志を超える事は出来ないが、意志は法をも超えることができるのじゃ。
 マハリシのように法など知らなくても、強い意志によって悟りを得た者も居るのじゃ。

 法は意志を超えないという事は、法を選択する時にも心がけるべきなのじゃ。
 自分の意志に沿わない方法を、師匠に勧められたからとかの理由で続けるべきではないのじゃ。
 そのような実践は全てを捨てるという選択もできないじゃろう。

 自らの全てを捨てる意志を持つこともできる、真に自らに合った法を選ぶべきなのじゃ。
 意志とは選択の際に最も力を発揮する故に、意志による法の選択に注意を払うべきなのじゃ。
 自らの全てを捨てるに足りる信頼できる法を選ぶべきなのじゃ。

 自らの意志で選んだ法により、全てを捨てて実践し続ければ悟りは速やかに訪れるじゃろう。
 その時、法よりも悟りを求める強い意志が悟りへと導いたことを知るじゃろう。
 その意志をも捨て去った時、真の大悟徹底の境地が現われるじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじや。

359:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/02(日) 22:50:54.09 ID:lymGyrzF [4/5]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

360:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/02(日) 22:51:22.19 ID:lymGyrzF [5/5]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

524:栄進軍曹[]:2020/02/03(月) 14:28:51.25 ID:scOVoLLc [24/26]
「鬼和尚さま、ほなら云いといたるがの、あんたははじめから、わしらが担いどる神輿やないの!スレがここまでなるのに、誰が血い流しとるんや!神輿が勝手に歩ける云うんなら、歩いてみいや!のう!」

「わしらの云うとおりにしたってくりゃ、わしらも黙って担ぐが、のう鬼和尚さま、喧嘩は智慧がなんぼあっても勝てんのよ!」

東映 仁義なき戦い“”神輿が勝手に歩けるんなら歩いてみいや!“” Japanese mafia movie

582:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/03(月) 23:03:41.67 ID:GYWdQC9U [1/4]
>>524 かなり精神が直ったのう。
 昔は医者にかかっていたというのうにのう。
 他人のしたこととしなかったことを見ずに、自分のしたこととしなかったことだけをみるとよいのじゃ。

583:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/03(月) 23:03:58.08 ID:GYWdQC9U [2/4]
自他の区別があれば世界もあると認識するのじゃ。
自他を共に含容する場がなければならんからのう。
そのようにして万物があるという観念も起こるのじゃ。
自他の観念が無ければすべては一つなのじゃ。

584:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/03(月) 23:04:42.35 ID:GYWdQC9U [3/4]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

585:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/03(月) 23:05:03.70 ID:GYWdQC9U [4/4]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

589:神も仏も名無しさん[sage]:2020/02/04(火) 00:37:04.43 ID:hsQm3F+j [1/5]
基本の座り方も説かないで何が数息観なんだか 笑

資格を持った指導者なら基本姿勢から丁寧に教える筈だけど 素人は意味が分からず説明が適当だから怖い

あさイチ瞑想の初歩「数息観」のやり方。1日15分でリラックスできる。
2月21日のNHKあさイチ、JAPA-NAVI和歌山、高野山の特集で放送された「瞑想の初歩「数息観」のやり方」…

やり方
1、足を組んで座る。
この時両方の膝とお尻がしっかりと床につくようにして座ります。
3点で座るので、身体が安定する座り方です。
2、左右前後に体を揺らし、最も安定する場所「体の軸」となる場所を探します。
3、軸になる部分が見つかったら上から一本糸を垂らしたら頭の頂点から入って背骨を通ってお尻に抜けていくようなイメージで座ります。
4、手を足の上で両手で輪を作る。
親指を合わせて輪を作ります。
5、目を半眼にする。
半眼のポイントは、目を閉じないようにして鼻の先を見るようにします。
6、一呼吸を1として、1~10まで数えながら深呼吸をする。
この時10まで数えたら1に戻るようにします。
11以上数えてしまうと「もっとがんばろう!」という気持ちが芽生える可能性があります。
これも一種の雑念なので10までいったら1に戻るようにするのがポイントです。
7、15分行います。
自分1人で行う場合はアラームなどをかけて行ってください。
是非試してみてくださいね。

629:栄進軍曹[sage]:2020/02/04(火) 08:58:18.13 ID:h9SlRkAg [1/8]
>>582
神輿、もとい、鬼和尚さま、お返事ありがとうございます

今も精神科にかかっております

調子良く見えますか

あざーす(´・ω・`)

654:神も仏も名無しさん[]:2020/02/04(火) 17:26:33.51 ID:Xy1iRq/L [7/7]
百杖大師曰く、
我当時被馬祖一喝直得三日耳聾。

如何なるかこれ三日耳聾。

655:仏教坐睡民の大山 ◆JBP.OYid8g []:2020/02/04(火) 17:36:38.08 ID:bye54/nR [6/7]
いや、もういいでしょw
珍重・万歳。

661:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/04(火) 23:23:15.21 ID:Qs2qadMq [1/6]
>>589 そのような教え方は有害無益なのじゃ。
 そもそも脚に障碍があって座れない人も居るからのう。
 わしはブログで座り方も教えているのじゃ。
 おぬしが知りたいというならば、ここにはるとしようかのう。

 資格を持った指導者というのはどこにいるのじゃ?
 おぬしが貼ったサイトにもそのような者は存在しないのじゃ。
 嘘は書かないほうが善いのじゃ。

662:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/04(火) 23:29:39.62 ID:Qs2qadMq [2/6]
>>629 今のおぬしがそまような状態ならば、頭の弱い者をおだてて操るようなことをしなくてよいのじゃ。
 愚者は自分を客観的に観られないから、すこしおだてれば直ぐに騙されてしまうから面白いかもしれんがのう。
 愚か者をからかって遊ぶ暇など無い筈なのじゃ。

 常に自分を知るように実践するのじゃ。
 自分を知ったところでどうにもならないと思うかもしれんが、それを成し遂げれば世間でも自分を活かす道が見つかるのじゃ。
 今は信じられなくとも自分を知る努力を続けると善いのじゃ。

663:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/04(火) 23:37:39.40 ID:Qs2qadMq [3/6]
投稿日:2007-10-15 Mon
 腰を据えて背筋を伸ばし、上中下の三つの丹田が垂直になっていたら、人は自然に無念無想になれるものじゃ。
 道元禅師も禅とは只管打座、ただ真っ直ぐに座ることが肝心と言うておる。

 足の組み方は、日本人には完全な結跏趺坐は、向かないものが多い。
 片足を片腿に乗せる半跏座や、あぐらなどでも背骨が真っ直ぐになれば良いのじゃ。

 そして、尻を据えて腰は伸ばす。胸を開き、肩の力を抜く。首で頭のバランスを取るようにするのじゃ。
 全体が整ったら、頭のてっぺんから糸が出て吊られているようにイメージして伸び上がり、力を抜いてもとの姿勢に戻るのじゃ。

 下半身の中心の下丹田、上半身の中心のみぞおちにある中丹田、頭の中心にある上丹田が完全に真っ直ぐになっておれば、快が生じ自然に三昧の境地に入るじゃろう。
 自分で座りながら体を少しずつ動かしてみて、頭の中心に快が生じたら、それがおぬしの正しい姿勢なのじゃ。
 そのコツを掴めれば、正しい姿勢が出来て、修行は速やかに進むじゃろう。  

664:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/04(火) 23:42:15.76 ID:Qs2qadMq [4/6]
 脚に障碍がある者や膝を曲げているのが辛いと言うものは、椅子に座ってやってもよいのじゃ。
 姿勢を真っ直ぐにしていれば座り方には拘らなくて善いのじゃ。
 日々続けられなくては何の意味も無いからのう。

 本当に正しい座り方とは、自分に合った座り方なのじゃ。
 毎日楽に座れる座方が自分にあった正しい方法なのじゃ。
 伝統であるからといって、窮屈な方法で実践する必要は無いのじゃ。

 更に病で座ることも出来ないという者は、寝てやってもよいのじゃ。
 それでも集中力は身につくじゃろう。
 仰向けでも横向きでも善いのじゃ。

 大事なのは毎日続けることなのじゃ。

665:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/04(火) 23:42:50.44 ID:Qs2qadMq [5/6]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

666:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/04(火) 23:44:29.22 ID:Qs2qadMq [6/6]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

672:神も仏も名無しさん[sage]:2020/02/05(水) 00:32:02.10 ID:bISjbMiE [1/10]
>>663

人に言われてから後出しじゃんけんかよ?

とことん性根が腐ってるな?

お前がどうこう言わなくても機根が有れば 皆なるようになるから 余計な事言ってないで 一生黙行しとけ タコ

811:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/05(水) 22:40:41.37 ID:Y/51uhhf [1/5]
>>672 それも善いことじゃ。
 人のためになることであるからのう。

 資格者はどこにいったのじゃ?
 嘘しかかけないならばそもそも仏教徒ではないのじゃ。

812:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/05(水) 22:42:32.67 ID:Y/51uhhf [2/5]
 腰を据えて背筋を伸ばし、上中下の三つの丹田が垂直になっていたら、人は自然に無念無想になれるものじゃ。
 道元禅師も禅とは只管打座、ただ真っ直ぐに座ることが肝心と言うておる。

 足の組み方は、日本人には完全な結跏趺坐は、向かないものが多い。
 片足を片腿に乗せる半跏座や、あぐらなどでも背骨が真っ直ぐになれば良いのじゃ。

 そして、尻を据えて腰は伸ばす。胸を開き、肩の力を抜く。首で頭のバランスを取るようにするのじゃ。
 全体が整ったら、頭のてっぺんから糸が出て吊られているようにイメージして伸び上がり、力を抜いてもとの姿勢に戻るのじゃ。

 下半身の中心の下丹田、上半身の中心のみぞおちにある中丹田、頭の中心にある上丹田が完全に真っ直ぐになっておれば、快が生じ自然に三昧の境地に入るじゃろう。
 自分で座りながら体を少しずつ動かしてみて、頭の中心に快が生じたら、それがおぬしの正しい姿勢なのじゃ。
 そのコツを掴めれば、正しい姿勢が出来て、修行は速やかに進むじゃろう。  

813:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/05(水) 22:42:50.34 ID:Y/51uhhf [3/5]
 脚に障碍がある者や膝を曲げているのが辛いと言うものは、椅子に座ってやってもよいのじゃ。
 姿勢を真っ直ぐにしていれば座り方には拘らなくて善いのじゃ。
 日々続けられなくては何の意味も無いからのう。

 本当に正しい座り方とは、自分に合った座り方なのじゃ。
 毎日楽に座れる座方が自分にあった正しい方法なのじゃ。
 伝統であるからといって、窮屈な方法で実践する必要は無いのじゃ。

 更に病で座ることも出来ないという者は、寝てやってもよいのじゃ。
 それでも集中力は身につくじゃろう。
 仰向けでも横向きでも善いのじゃ。

 大事なのは毎日続けることなのじゃ。

814:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/05(水) 22:43:41.31 ID:Y/51uhhf [4/5]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

815:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/05(水) 22:44:09.89 ID:Y/51uhhf [5/5]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

823:神も仏も名無しさん[sage]:2020/02/06(木) 01:49:40.77 ID:WxD9sE2s [1/13]
>>811

一体何の話だ?

資格者ならネットじゃなくて正規寺院で確認しろよって話だろ?

なら嘘混じりの法螺話しか書けないお前が一番価値無いだろうに?( ̄ー ̄)

827:神も仏も名無しさん[]:2020/02/06(木) 02:43:11.37 ID:icHXosJh
般若心経を暗記して唱え続けてたら凄い氣がきて浄化される感じですが、これは何のエネルギーですか?
悟った方、良かったら教えて下さい

989:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 22:59:35.16 ID:KbNTEMRM [1/10]
>>823 やはり嘘じゃな。
 有資格者などいないのじゃ。
 国家試験がある訳でもないからのう。
 嘘を書くおぬしは仏教徒ではないのじゃ。
 キリスト教徒でさえないのじゃ。
 荒らしのチンピラの自作自演じゃな。
 自分を相手に珍重とか書いて恥ずかしくないのかのう。
 以後はスルーなのじゃ。

990:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 23:02:14.76 ID:KbNTEMRM [2/10]
>>827 それは信仰のエネルギーなのじゃ。
 信じることでエネルギーもわいてくるのじゃ。
 病人がただ単に薬が効くと信じて服用するだけでも七割は治るのじゃ。
 信仰は奇跡を産むのじゃ。
 マネーが儲かるとかイケメン美人と結婚したいと願えば、奇跡も起こるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

991:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 23:03:25.22 ID:KbNTEMRM [3/10]
 腰を据えて背筋を伸ばし、上中下の三つの丹田が垂直になっていたら、人は自然に無念無想になれるものじゃ。
 道元禅師も禅とは只管打座、ただ真っ直ぐに座ることが肝心と言うておる。

 足の組み方は、日本人には完全な結跏趺坐は、向かないものが多い。
 片足を片腿に乗せる半跏座や、あぐらなどでも背骨が真っ直ぐになれば良いのじゃ。

 そして、尻を据えて腰は伸ばす。胸を開き、肩の力を抜く。首で頭のバランスを取るようにするのじゃ。
 全体が整ったら、頭のてっぺんから糸が出て吊られているようにイメージして伸び上がり、力を抜いてもとの姿勢に戻るのじゃ。

 下半身の中心の下丹田、上半身の中心のみぞおちにある中丹田、頭の中心にある上丹田が完全に真っ直ぐになっておれば、快が生じ自然に三昧の境地に入るじゃろう。
 自分で座りながら体を少しずつ動かしてみて、頭の中心に快が生じたら、それがおぬしの正しい姿勢なのじゃ。
 そのコツを掴めれば、正しい姿勢が出来て、修行は速やかに進むじゃろう。  

992:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 23:03:46.68 ID:KbNTEMRM [4/10]
脚に障碍がある者や膝を曲げているのが辛いと言うものは、椅子に座ってやってもよいのじゃ。
 姿勢を真っ直ぐにしていれば座り方には拘らなくて善いのじゃ。
 日々続けられなくては何の意味も無いからのう。

 本当に正しい座り方とは、自分に合った座り方なのじゃ。
 毎日楽に座れる座方が自分にあった正しい方法なのじゃ。
 伝統であるからといって、窮屈な方法で実践する必要は無いのじゃ。

 更に病で座ることも出来ないという者は、寝てやってもよいのじゃ。
 それでも集中力は身につくじゃろう。
 仰向けでも横向きでも善いのじゃ。

 大事なのは毎日続けることなのじゃ。

993:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 23:04:09.10 ID:KbNTEMRM [5/10]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

994:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 23:05:28.57 ID:KbNTEMRM [6/10]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

995:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 23:08:36.74 ID:KbNTEMRM [7/10]
自然こそ偉大な芸術家なのじゃ。
人間が作ることも出来ない芸術品を次々に作り出すのじゃ。
それも創造神の仕業ならば人の及ぶところではないのじゃ。
自然を見れば小さな自分もなくてよいと気付くのじゃ。

996:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 23:11:49.97 ID:KbNTEMRM [8/10]
ウィルスが猛威をふるっているが、過剰に囚われてはいかんのじゃ。
病よりも病を心配し過ぎることのほうが害があるのじゃ。
予防は実践するべきであるがのう。
適切な予防をしたら囚われずに進むのじゃ。

998:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 23:15:26.19 ID:KbNTEMRM [9/10]
もうすこし貼っていくかのう。

999:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/02/06(木) 23:18:01.04 ID:KbNTEMRM [10/10]
数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

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