【仏教】悟りを開いた人のスレ474【天空寺】

【仏教】悟りを開いた人のスレ474【天空寺】 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1578408833/

1:仏教棄民の大山 ◆JBP.OYid8g []:2020/01/07(火) 23:53:53.02 ID:dK6hjj6f
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もすること。(任意)

>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。

※前スレ
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1577534202/

34:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/09(木) 00:08:30.35 ID:M7EDYfQC [1/2]
ここは偽スレじゃな。

自作自演で暴言破戒を繰り返す荒し、麦、大山に注意。

というような親切なテンプレがあるのが本スレと言えよう。
わっはっはっは。

168:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/09(木) 22:18:39.39 ID:M7EDYfQC [2/2]
数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

198:ふさふさ[]:2020/01/10(金) 13:49:51.47 ID:WcF1SD+8 [2/2]
ヤンキー麦がとうとう組長に。。とは。
悲惨な町内会。 毎月、血の雨が避けられない。。。

210:麦 ◆MUGI/AIUgo []:2020/01/10(金) 18:24:11.21 ID:bIpDRQ9s [15/16]
>>198
∞ノノハ∞
川^〇^ハレてかさぁ前にもレスしたんだけどwww
何年か前なんだけどねお
朝出勤する時階段でどっかのおじいさんが転んでたんだお
以前にもバス降りて歩いていたら違うおじいさんだけど転んでたので走って行って声掛けて起こそうしたけど重たくて起こせなくてwww
自分で立ってもらったんだけどwww
階段のおじいさんの時も声掛けて無意識に起こそうとしたんだおwww
でやっぱり重たくて起こせなくて
階段に行くまでにたまたま町内会長にすれ違って挨拶してたの思い出してダッシュで走って行って町内会長呼んで階段のおじいさん起こそうとしたら
階段の下をバイクで男の子が通り掛かって
こっち見て手伝いに来てくれて♪
おじいさんサンダル履いていたのでサンダルは危ないから靴履いた方がイイよって言ったんだけどw
しばらくしてそのおじいさん見掛けたんだけどまぁ~たサンダル履いてたwww
でまたまたしばらくして町内会長にバッタリ会った時
あのおじいさん転んだ事忘れていてw
表彰状と金一封もらい損ねたよなんて言うからwww
爆笑しましたよwww
波平も足元気を付けておwww
リアル仏教だからねお♪www

220:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/10(金) 22:31:41.86 ID:jp3Oiqyc [1/3]
>>210 本当にこのように善事ができるならば、それだけで来世は極楽か、よい環境に生まれる筈なのじゃ。
 しかし、カルトにはまって嘘と知ったかぶりばかりしているから、地獄行きは決定しているのじゃ。
 このような者は宗教に出会わなければよかったとさえ言えるのじゃ。

 お釈迦様もこのように言っているのじゃ。

 正しい法もやり方を間違えれば地獄に引きずり落とす。
 とげの在る草を間違えて触れば手が傷付くように。

 正しい法も知ったかぶりの材料にしか出来ないならば、知る事無く、触らないほうが良かったのじゃ。
 哀れな者じゃ。

221:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/10(金) 22:39:43.04 ID:jp3Oiqyc [2/3]
数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

222:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/10(金) 22:40:30.77 ID:jp3Oiqyc [3/3]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

306:大山 ◆KAMUlGITOE []:2020/01/11(土) 19:45:56.91 ID:B0r2flqy [2/3]
インドの山奥で修行した大山だ!
何か質問あるかね?

321:仏教棄民の大山[]:2020/01/11(土) 21:55:15.78 ID:ToY1kh1q [12/25]
ちなみに鬼和尚は本物だ

323:仏教棄民の大山[]:2020/01/11(土) 21:56:36.76 ID:ToY1kh1q [13/25]
このスレはもともと鬼和尚のスレなんで
俺は控えますね
今までごめんなさい

328:仏教棄民の大山[]:2020/01/11(土) 22:05:44.73 ID:ToY1kh1q [17/25]
ぼく本当はみんなと仲良くしたかったんだ
えへへ

331:神も仏も名無しさん[sage]:2020/01/11(土) 22:37:06.59 ID:ChFY+z+t
仏教の聖典ってなんなの?

339:仏教棄民の大山[]:2020/01/11(土) 23:07:11.40 ID:ToY1kh1q [20/25]
鬼和尚ってさ
なんだかんだ言って愛から言葉発してるんだよ。
やるなー鬼和尚!

340:仏教棄民の大山[]:2020/01/11(土) 23:08:44.87 ID:ToY1kh1q [21/25]
俺もこれからは愛の為に生きるぜ!

352:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/12(日) 00:10:03.65 ID:gQvTCrjg [1/5]
>>306 そうじゃ、おぬしが本物のジャンキー大山じゃ。
 これからよろしくなのじゃ。

>>321 おぬしも本物の大山なのじゃ。
 なぜならば正気であるからなのじゃ。
 頭のおかしいのはにせものなのじゃ。
 狂っている者が本物ということはありえないからのう。

>>323 許すのじゃ。
 これからは実践に励むと善いのじゃ。

>>328 わかっているのじゃ。
 仲よくしたらよいのじゃ。
 さすがに本物は本心を素直に書くのう。
 にせものも本当は寂しいのじゃ。
 何でもお見通しなのじゃ。

>>331 法句経とかじゃな。

353:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/12(日) 00:12:37.07 ID:gQvTCrjg [2/5]
>>339 おぬしもさすが本物じゃ。

>>340 善いことじゃ。
 これで臨済宗の高感度も上がったのじゃ。
 にせものが何年掛けても出来なかったことじゃ。
 さすがに本物は偉いのじゃ。

354:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/12(日) 00:13:06.82 ID:gQvTCrjg [3/5]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

355:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/12(日) 00:13:43.77 ID:gQvTCrjg [4/5]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

572:仏教棄民の大山[sage]:2020/01/12(日) 23:25:32.13 ID:/Qz2Am6M
今日はちょうど英語の試験がありまして、一応一区切りがつきました。
明日から、軽く日雇いかなんかの求人を探しつつ、本職はITで食っていきたいと思い立ったので、その勉強をしまする。

今日は睡眠薬を飲んでしまいましたがアーサナでダーナラできるか試してみます。
明日は早く起きれるようにしたいです。それでは。

573:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/12(日) 23:43:47.77 ID:gQvTCrjg [5/5]
↑さすがに本物の大山はえらいのう。
ちゃんと将来のことも考えておる。

574:仏教棄民の大山[sage]:2020/01/13(月) 00:56:20.72 ID:o7+EL7EE [1/14]
鬼和尚よ、ありがとう。
君は本物の和尚だよ。今までの無礼を謝罪する。

643:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/13(月) 22:54:30.00 ID:/8BySM0k [1/3]
>>574 許すのじゃ。
 さすがに本物のジャンキーは真の仏教を知っているのう。
 懺悔の実践も大事なお釈迦様の教えなのじゃ。
 自分が間違ったことを知りながら嘘をつき続ける偽者は仏教を知らず、実践も出来ていない者なのじゃ。

644:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/13(月) 22:55:05.17 ID:/8BySM0k [2/3]
数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

645:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/13(月) 22:55:32.60 ID:/8BySM0k [3/3]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

701:神も仏も名無しさん[]:2020/01/14(火) 11:46:58.11 ID:Fl4Eqsv5
鬼和尚の言われるように、実戦あるのみだな。

821:神も仏も名無しさん[]:2020/01/14(火) 18:35:44.05 ID:qVX91Wff [7/10]
お釈迦様は難行苦行して、それでも悟れないから、菩提樹のもとで
瞑想してお悟りになられた。

難しい仏教理論を説かれたのではない。

お釈迦様も人間だから、我々も只管瞑想すれば、お釈迦様に一歩でも近づけるだろう。

鬼和尚の実践あるのみは、正解ですね。

852:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/14(火) 22:20:44.73 ID:mGKBK2oK [1/3]
>>701 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 実践するものだけが進んでいくのじゃ。

>>821 そうじゃ、実践がすべてなのじゃ。
 それがわかるおぬしもさすがなのじゃ。

853:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/14(火) 22:21:20.59 ID:mGKBK2oK [2/3]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

854:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/14(火) 22:21:49.11 ID:mGKBK2oK [3/3]
数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

858:栄進軍曹[]:2020/01/14(火) 22:37:32.71 ID:9oL7jm+n [2/2]
鬼和尚は、クローン人間です(´・ω・`)

973:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/15(水) 22:32:52.93 ID:p3HnPSt6 [1/3]
>>858 そうじゃ、わしもくろうしているからのう。
 くろうにん人間なのじゃ。

974:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/15(水) 22:33:14.90 ID:p3HnPSt6 [2/3]
 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
 潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。

975:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/01/15(水) 22:33:36.07 ID:p3HnPSt6 [3/3]
 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

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