鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2019/12/04(水)

鬼和尚に聞いてみるスレ part15
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1571060959/

264:避難民のマジレスさん[]:2019/12/04(水) 11:09:09 ID:K2sFOQFI0
結局ピアノの天才だと思っていれば、ピアノの天才であるということですか?
自分がピアノの天才だと思ってさえいれば、自分はピアノの天才であるという。
自分が信じていることがすべてってことなのですか??

分かりにくい質問ですいません。

265:避難民のマジレスさん[]:2019/12/04(水) 18:53:52 ID:LABA5HjA0 [47/48]
鬼和尚様

無我に至った後に観察を続けた上で更に無為に座る必要がある、
という理解をしてるのですが、合っていますでしょうか?

座るのは以前のどなたかへのご回答の対象の無いサマーディで、
観察もしたほうが良いとすれば、不浄観や十八界のような細かい観察が必要でしょうか?

どうぞよろしくお願いいたします。

266:避難民のマジレスさん[]:2019/12/04(水) 19:00:16 ID:LABA5HjA0 [48/48]
265です。もう一つ追加でお願いいたします。

なかなかアートマンの実現に至らないのは意志がまだ弱いか、
もしくは集中力ももっと付けたほうが良いと考えたほうが良いですか?

もしそうなら対象の無いサマーディにすぐに入れるように熟練することを目標にしたり、
何かほかに意志や集中力を養う方法を取り入れたほうが良いのでしょうか?

重ねてですが、よろしくお願いいたします。

270:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/12/04(水) 23:01:19 ID:1d4drIFg0 [72/73]
>>264 そのようなものじゃ。
 誰でも自分が信じていることがその者の世界なのじゃ。
 他に世界は無いのじゃ。
 気付くことによって壊すことも出来るがのう。

>>265 それでよいのじゃ。
 そこまで行った者にはそのような観察はいらないのじゃ。
 もはや無我を観ているものがあるだけであるからのう。
 それは記憶に依存した認識なのじゃ。
 唯識では阿頼耶識と呼ばれるものなのじゃ。
 更なる観察でそれさえも厭離できたならば、大悟徹底なのじゃ。
 無我だけでは小悟なのじゃ。
 大悟徹底するまで精進あるのみなのじゃ。

>>266 それを試してみるのもよいじゃろう。
 努力は無駄にならないのじゃ。
 しかし、人が進歩していくのは自分が観られた時だけなのじゃ。
 集中力がなくとも自分の本心が観られれば、進歩していくのじゃ。
 集中力が身について自分の本心が観られたならば、それもよいのじゃ。
 それも無駄ではなかったのじゃ。
 ただひたすらに精進あるのみなのじゃ。

267:避難民のマジレスさん[sage]:2019/12/04(水) 19:08:30 ID:dd5kOiho0
鬼和尚様
https://ameblo.jp/center-axis/entry-12552489227.html
この記事のおかしい部分を具体的に指摘し、訂正していただけますでしょうか?

以下のようにも書かれていました!鬼和尚さんって有名人だったのですね。

また2010年頃、2ちゃんねるの各板で暴れた鬼和尚なる人物は、
「わしには自我意識がない」「社会生活を送るために、仮の自我を作ったのじゃ」
と発言していた。

このような認識を持つ者は、箸にも棒にも引っ掛からないほど自己観察が未熟という事だ。

268:避難民のマジレスさん[sage]:2019/12/04(水) 19:32:45 ID:ey6wAwVw0 [9/9]
いつも教えていただきありがとうございます。
仏教勉強会のブログの集中法という記事とサマーディへの道という記事を拝見しておりました。
集中力にはダーラナ<ディヤーナ<サマーディという段階があるとのことです。
また、集中法の中で、集中と集中するものを見ている無念無想の意識に気づくことが、
観察の早道であるとのことです。
どの段階の集中力が無念無想の意識に気づけるレベルでしょうか?
特に無念無想の意識に気づきやすい方法というものはありますでしょうか?

269:257[sage]:2019/12/04(水) 20:25:46 ID:sso6ptMY0
>>263
鬼和尚さん、ありがとうございます。
苦が生じる時に自我が起きると思って観察してみました。

観察していたら、自己イメージがもう少し掴めてきました。
私のとらえることができたと思った自分は、「生きていけないかもしれない自分」というようなものでした。
苦になるような刺激があると、過去の記憶によってこのイメージが現れる感じがします。
3歳頃に、世界というものがあって自分もあると気づいた時の記憶によって作られているのかもしれません。
その時、周りに誰も居なくて、時間が過ぎていくこの世界で、自分が生きていけるか不安だと思った記憶があるからです。

この場合は、その過去の記憶がなければ、「生きていけないかもしれない自分」というイメージもないと観察したら良いでしょうか?
別の記憶だったらどうなるかを想像してみるのも効果がありますか?

271:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/12/04(水) 23:13:10 ID:1d4drIFg0 [73/73]
>>267 殆どすべてじゃな。
 そもそも真理を知ることが出来ないとか書いていることが間違いじゃ。
 そのすべての文も真理ではなくただの虚偽ということになるのじゃ。
 わしは覚えていないがわしに論破された者の独りじゃろう。
 妄想なのじゃ。

>>268 ディヤーナでも気付けるじゃろう。
 心臓に集中するのがよいのじゃ。
 脳の働きが止まっても身体の意識があると気付くのじゃ。
 思考が無くとも身体の意識があると気付くのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>269 そのように観察してみるのじゃ。
 何が起きても恐れずに実践していけば効果があるじゃろう。

 それも実践してみるとよいのじゃ。
 恐れを無くすことになるかもしれんからのう。
 ただひたすらに実践あるのみなのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 51 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1573282738/

190:おさかなくわえた名無しさん[]:2019/12/03(火) 08:59:41.72 ID:/C1dCNvz [1/2]
悟りをひらいたと嘯く事こそ、御仏に対する最大の悪口であり、増上慢に他ならない。
他人からの悪口の中には謂れのない事もあるが、このスレの馬鹿鬼への批判は真っ当。
何故なら、悟りをひらいたって騙つてるから。
聞く耳を持たないそれこそ、まさに増上慢の証。

191:おさかなくわえた名無しさん[]:2019/12/03(火) 09:28:39.88 ID:/C1dCNvz [2/2]
>>189
>心を研ぎ澄ませ綺麗にすれば他人からの悪口は無機質な、物理的な音の、あるいは二進法からくる、単なる武器に過ぎないと思いました

音声は特定周波数の組み合わせに過ぎない。
文字はキャラクターの組み合わせに過ぎない。

心は鏡の如しでそうしたものに心を惑わされない

とか云うのは、仏教を齧りたての初心者に有りがちな妄想w

198:おさかなくわえた名無しさん[]:2019/12/03(火) 19:01:55.97 ID:a0MqCvDS [1/2]
鬼和尚は毎日いつも道り回答していますが
頭が回らないときや体調不良の時はどうしてるんですか?

200:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/12/03(火) 22:22:46.83 ID:K3Bvqs8g [1/3]
>>199
しつこい馬鹿だなぁw
経典に
 >常に気をつけて、世界を空であると観ぜよ

つてあるだろ?
また今回も瞬殺だなw

203:おさかなくわえた名無しさん[]:2019/12/03(火) 23:38:23.36 ID:a0MqCvDS [2/2]
鬼和尚>>198もお願いします

204:野良[sage]:2019/12/04(水) 00:22:37.85 ID:KS6QDAgg [1/2]
>>191
私はそういう事をいってるんじゃないですよ

あなたのおっしゃることはごくごく、当たり前の事実に過ぎない

言葉っていうのは道具であり、使う人の持ち物だと言いたいのです

205:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/12/04(水) 00:25:24.31 ID:HpvYoXMF [1/3]
>>204
その様に言ってるけど?
www

> >>189
> >無機質な、物理的な音の、あるいは二進法からくる、単なる武器に過ぎないと思いました

206:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/12/04(水) 00:31:07.97 ID:HpvYoXMF [2/3]
悟りをひらいたと嘯く事こそ、御仏に対する最大の悪口であり、増上慢に他ならない。
他人からの悪口の中には謂れのない事もあるが、このスレの馬鹿鬼への批判は真っ当。
何故なら、悟りをひらいたって騙ってるから。
聞く耳を持たないそれこそ、まさに増上慢の証。

207:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/12/04(水) 00:51:07.87 ID:HpvYoXMF [3/3]
悟りをひらいたと宣言するのはなんでだろうね?

そもそもそんな必要ある?

208:野良[sage]:2019/12/04(水) 01:07:56.77 ID:KS6QDAgg [2/2]
>>205

そうだよ
そうとも捉えられるってこと。それがすべてじゃない。
だから、あなたが使った言葉が、あなたが意図するように
他人に伝わらないし、きっと100%伝わってはいない
だから、言葉は自分自身の持ち物なのだから、
良い言葉を使おうって私は一番言いたかったのよ
そういうこと。

お邪魔しました

鬼和尚さんどうもありがとうございました!

211:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/12/04(水) 16:46:42.93 ID:DqPvkP/6
ネット記事で、奥さんが自分の夫の大事にしている趣味のものだったり、何年も大事に集めていたレシピ集だったりを破棄してしまい、夫ががっくり落ち込んだり、うつ状態のようになってしまった、という内容を何度か読んだことがあります。
例外なく奥さんが批判されていますし、当然、相手の意志を無視して大事なものを勝手に処分するという行為は悪だと思います。
しかし、悟りを得たい人にとっては、自分と同一視している重要なものを破壊されることは、悟りを得る貴重なチャンスだと思いますが、いかがでしょうか?

213:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/12/04(水) 19:54:53.62 ID:0V8taAxY
よい人脈の作り方についてアドバイス頂けますか?
よい人脈の条件とはなんでしょう。

214:おさかなくわえた名無しさん[]:2019/12/04(水) 21:36:47.47 ID:1r+UXg/2
鬼和尚さんはテレビを見ますか?
見ないんだったらニュースはどこで手に入れますか。

215:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2019/12/04(水) 23:37:28.66 ID:DwwmHV0r
>>200 腹斬

>>203 そのような時にも智慧は自動的に働いて正確に答えてくれるのじゃ。
 わしの体調には左右されないのじゃ。
 全てがわしの智慧なのじゃ。

>>208 どういたしまして、またおいでなさい。

>>211 そのようなことも言えるじゃろう。
 本人の意志次第であるがのう。
 それで世を捨てるならば進歩にもなるのじゃ。

>>213 善い人脈とは善い友を作ることなのじゃ。
 それには自分が善いものにならなければいかんのじゃ。
 良い者の周りに良い者が集まってくるのじゃ。
 慈悲の行いを実践して善いものになると善いのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】76
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1562558548/

825:マジレスさん (ワッチョイ 5f67-YC6P [126.163.64.146])[]:2019/12/04(水) 20:38:47.93 ID:AsW5b20J0
鬼和尚よ、存在するのは意識だけかね?
すると眠って夢を見てない時には意識はないから、世界もないわけだ。
すると眠っている間に土砂崩れに遭って死ぬ者はいないことになるが、どうかね?
世界がないのだから、土砂崩れなど起きようがないだろう?

ハキハキ答えよ!!!

ふぉっふぉっふぉっふぉっ。

826:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM  (ワッチョイ 7f67-o7DB [219.192.74.62])[sage]:2019/12/04(水) 23:43:26.49 ID:wlFjLIVt0
>>825 夢も観ていない眠りの中でも意識は在るのじゃ。
 おぬしには気付けないだけなのじゃ。
 意識は常に有り続けるのじゃ。
 死んでもあり続けるのじゃ。
 それだけが在るものなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】77
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1571473656/l50

815:マジレスさん[sage]:2019/12/03(火) 22:30:12.59 ID:ce8ddU+A [2/3]
>>812

しつこい馬鹿だなぁw
経典に
 >常に気をつけて、世界を空であると観ぜよ

つてあるだろ?
また今回も瞬殺だなw

817:質問小僧[sage]:2019/12/03(火) 22:47:37.52 ID:h1smr/mB [3/3]
鬼和尚様
殺生は食べる為であれば、致し方なく許される行為だと仰られましたが、毒虫や害虫等も救われる者がいるのであれば、積極的に駆除してもいいのでしょうか?

820:質問小僧[sage]:2019/12/04(水) 17:35:59.47 ID:yhbWtglx
鬼和尚様2
アフガニスタンに貢献した医師も悟りの修行を行っていなければ、仏陀になることは出来ませんか?

821:武蔵 ◆Ss4Z2p/EDw [sage]:2019/12/04(水) 18:59:17.35 ID:N0XcSnMB [2/2]
鬼和尚
今日も大した努力しませんでした
今日はちょっと機嫌が悪かったです
母は朝から静岡県の修善寺いきました
こんなストレスのたまる家でたまに日帰り旅行にいくのが母の楽しみです
本当なら俺が家から自立するのが最高の親孝行なのですが
もっともっと頑張らないとだめみたいです
鬼和尚のように自立した大人の男性になりたいです

825:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2019/12/04(水) 23:42:05.42 ID:wlFjLIVt
>>815 腹斬

>>817 善いのじゃ。
 それも慈悲の行いと言えるのじゃ。
 虫も苦しい生であるからのう。

>>820 仏陀にはなれないのじや。
 善い事を多くしたから天に生まれるのじゃ。
 善い事をしていれば善い所に行くのじゃ。

>>821 自分に出来ることをすれば善いのじゃ。
 母親はおぬしが一緒に住んでくれるのが嬉しいのかもしれん。
 それを観察すると善いのじゃ。
 自分の本心を観察していれば自立も出来るじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

381:避難民のマジレスさん[]:2019/12/04(水) 00:50:38 ID:ESRLx5g.0
ラマナ・マハルシとの対話204

1936年6月18日

「真我の光輝」についてマハルシが語った。

マハルシ
 「私」という観念は自我を意味し、「私」の光輝は真我実現を意味しています。
 それは知性の鞘(ヴィジニャーナマヤ・コーシャ)の中で「私ー私」として常に輝いています。
 それは純粋な知識です。
 相対的知識は単なる概念でしかありません。
 至福の鞘(アーナンダマヤ・コーシャ)の中の至福でさえ、一つの観念でしかないのです。
 それが観念であるかぎり、どれほど精妙なものでも体験を得るまでは「私は幸せに眠った」と言うことはできません。
 人は知性を通して至福の鞘について語ります。
 眠りにおける至福も、人にとっては一つの観念にすぎません。
 知性も同様です。
 至福の体験という観念は、眠りの中では非常に精妙なものであるため、その(相対的な)知識を同時に持っていなければ体験は不可能なのです。

 真我に固有の本性は至福です。
 至高の至福の実現においてさえ、ある種の知識の存在が認められるはずです。
 その知識は最も精妙なものより精妙だと言えるでしょう。

 ヴィジニャーナ(明晰な知識)という言葉は、真我実現の知識と物事の知識の両方を意味しています。
 真我は叡知です。
 その叡知は二つの方法で機能します。
 自我と結びついたとき、それはヴィジニャーナ(客観的知識)と呼ばれますが、自我を取り除き、普遍の真我が実現されたときの知識も、やはりヴィジニャーナ(絶対的知識)と呼ばれます。

 このヴィジニャーナという言葉は知的概念を起こさせます。
 それゆえ、「真我実現した人は心を用いて知る。しかし彼の心は純粋である」と言われ、
 また「揺れ動く心は不純で、静かな心は純粋である」とも言われるのです。
 純粋な心そのものがブラフマンです。
 それゆえ、ブラフマンとは賢者の心に他ならないのです。

 『ムンダカ・ウパニシャド』は「ブラフマンを知る者はブラフマンの真我となる」と述べています。
 これは不条理ではないでしょうか?
 彼を知り、彼になる?
 それは単なる言葉にすぎません。
 賢者はブラフマンなのです。
 ただそれだけです。

 思考機能は賢者の体験を伝達するために必要です。
 彼は無限の広がりに黙想し続けていると言われ、創造主やシュカなどの賢者は、そのような黙想から一瞬も逸脱したことがないと言われています。

 ニミシャールダン・ナ・ティシュタンティ・ヴリッティ・ブラフマイーン・ヴィナー、
 ヤター・ティシュタンティ・ブラフマディヤーハ・サナカーディヤーハ・シュカーダヤーハ。

 創造神ブラフマーやサナカ、シュカなどの聖者は、
 一瞬でさえブラフマンの黙想から逸脱することはない。

 『テージョー・ビンドゥー・ウパニシャド』第1章47節

 そのような「黙想」もまた単なる言葉でしかありません。
 それが(黙想する者と黙想される対象に)分割されないかぎり、どうやって黙想すると言うのでしょう?
 分割されなければ、どうして黙想が可能でしょうか?
 「無限なるもの」がいったいどんな機能を持てると言うのでしょう?
 海の中に流れ込んだ川を「海のような川」と呼ぶでしょうか?
 だとすれば、完全な「無限なるもの」として在りながら、なぜ完全となった境地への黙想について語る必要があるのでしょうか?

 その言葉はそれが語られた精神において理解されなければなりません。
 それは無限なるものの中に融け入ることを意味しているのです。

 真我の光輝、あるいは真我実現もそれと似たようなものです。
 真我は常に輝いています。
 それなら、この「私」の光輝は何を意味するのでしょうか?
 その表現は心の機能を認めることを暗示しています。

 神と賢者は「無限なるもの」を絶えず、永遠に体験しています。
 彼らのヴィジョンが妨げられることは一瞬さえありません。
 神や賢者の心が機能するということは第三者による推測ですが、事実はそうではありません。
 そのような憶測は、仮説から論理的に結論を導き出そうとする個我の感覚に基いたものなのです。

 個人性が存在しなければ、知的機能は働きません。
 個人性と心の機能は共存しています。
 一方は他方なしには存在しえないからです。

 真我の光輝は知性の鞘の中でのみ体験できます。
 それゆえ、ヴィジニャーナが物事の知識であろうと真我の知識であろうと、それは純粋知識である真我に依存するのです。

*『ムンダカ・ウパニシャド』は… :『ムンダカ・ウパニシャド』2-2-9

ブラフマンを知る者はブラフマンの真我となる。
至高のブラフマンを知る者はブラフマンとなる。
彼の家系に生まれた人でブラフマンを知らない人はいない。
彼は不幸を克服し、過ちを乗り越える。
そしてハートの結び目を断ち切り自由となる。
彼は不死に達したのだ。

382:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/12/04(水) 23:32:31 ID:1d4drIFg0 [164/164]
ブラフマンを知ることでブラフマンとなる純粋な知識とは気付くことなのじゃ。
自我に囚われている時でさえ自他の全てが常にブラフマンであったということに気付くのじゃ。
そこには知識があるが、それは観念として表される必要も無いものじゃ。
観念としての知識は他人に説くために必要になるだけなのじゃ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました