鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2019/10/05(土)

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】76
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1562558548/

463:光和尚 (ワッチョイ 8967-o6K/ [126.163.91.28])[]:2019/10/05(土) 19:29:48.41 ID:bOUpDT5u0
鬼和尚よ、余は光和尚であるぞよ。
鬼和尚よ、余の光和尚という名が羨ましいか?
ぬしゃあ悟った者は必ず光るのじゃ。ぬしゃあどれくらい光っておるかの?まぶしくて目がつぶれるくらいの光を放っておるかの?
ぬしゃあ光で万人の目をつぶさなければ悟ったとは言えんのじゃぞw
鬼和尚よ、汝は鬼和尚という名と光和尚という名と、どちらが優れていると考えるかな?
鬼和尚よ?
げらっげらっげらっげらっ。

464:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM  (ワッチョイ 1367-jw9j [219.192.74.62])[sage]:2019/10/05(土) 22:07:08.88 ID:OrLOBURH0
>>463 頭が光っているのじゃな。
 ハゲじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】76
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1565257712/

748:マジレスさん[sage]:2019/10/05(土) 03:38:54.92 ID:hn3vEE68 [1/6]
鬼和尚さん

精神障害者100人に毎日数息観を5分間やらせて
365日後に不動心を得られる者はどれくらいの割合だと
思いますか?

749:マジレスさん[sage]:2019/10/05(土) 03:39:20.49 ID:hn3vEE68 [2/6]
↑皆、継続できたとします

750:マジレスさん[sage]:2019/10/05(土) 03:41:09.45 ID:hn3vEE68 [3/6]
不動心が得られなかったらおしまいだぁと言う不安の心が大きく苦しいです

751:マジレスさん[sage]:2019/10/05(土) 03:56:08.74 ID:hn3vEE68 [4/6]
鬼和尚さん

精神障害者100人に毎日数息観を5分間やらせて
365日後までに不動心を得られる者はどれくらいの割合だと
思いますか?

754:マジレスさん[sage]:2019/10/05(土) 18:12:43.41 ID:hn3vEE68 [5/6]
鬼和尚さん

数息観をしている最中、息が苦しいのですが
元々呼吸は常に苦しく、それが更に苦しくなっています

こう言う場合、どうすれば良いでしょうか?

755:マジレスさん[sage]:2019/10/05(土) 19:07:47.72 ID:hn3vEE68 [6/6]
鬼和尚さん

不動心を得たら何を聞いても見ても感動もしないし絶望もしないし不安にもならないのでしょうか?

756:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2019/10/05(土) 22:06:33.50 ID:OrLOBURH
>>748>>751 全員一年間続けられたならば百パーセントなのじゃ。
 日々続ければ必ず結果は出るものじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。

>>750 そのように思う心の働きを観るのじゃ。
 それも原因があるから思うのじゃ。
 正しい原因を知り、観察できれば消えるのじゃ。

>>754 それは姿勢が悪いのじゃろう。
 猫背になっているとか、下を向いていると苦しいのじゃ。
 背筋を伸ばして少し上向きになっていると善いのじゃ。
 日常でも胸を張って肩の力を抜いているとよいのじゃ。

>>755 心が動揺しないだけなのじゃ。
 感動はするじゃろう。
 原因があれば絶望や不安もあるじゃろう。
 それも原因から観察できれば滅することができるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

243:避難民のマジレスさん[]:2019/10/05(土) 01:13:40 ID:5cT9Awlw0 [7/8]
ラマナ・マハルシとの対話146

1936年1月26日

上流階級の教養あるインド人女性リーナ・シャラバーイの質問に、シュリー・バガヴァーンが答えた。

マハルシ
 平静な状態が至福の状態です。
 『ヴェーダ』の中の「私はこれだ、あるいはあれだ」という宣言も、心の平静を得るだけのためにあるのです。

質問者
 それでは、一つの目的を持って探究することは間違いなのですね?

マハルシ
 もし到達されるべき目的地があるとすれば、それは永遠のものではありえません。
 目的地は、すでにそこにあるものでなければなりません。
 私たちは自我によって目的地に到達しようとしています。
 しかし目的地は自我が現れる以前から存在しているのです。
 目的地は私たちの誕生、つまり自我の誕生以前から存在しています。
 私たちが存在するため、自我も存在するように見えるのです。

 もし私たちが自己を自我として見なせば、私たちは自我となり、もし自己を心として見なせば、私たちは心となります。
 もし自己を身体として見なせば、私たちは身体となるのです。
 さまざまな形で私たちを包みこむ心の鞘(コーシャ)をつくり出すのは想念です。
 水面に映る影は揺らいでいるように見えます。
 影の揺らぎを止めることができるでしょうか?
 もし揺らぎが止まれば、あなたは水に気づくことなく光だけを見るでしょう。
 同じように、自我とその活動に注意を払うことをやめ、ただその背後にある光だけを見なさい。
 自我とは「私」という想念です。
 真の「私」が真我なのです。

質問者
 それが真我実現への一歩です。

マハルシ
 実現はすでにそこに在ります。
 想念から自由になった状態だけが真の境地であって、実現といったような行為はないのです。
 真我を実現していない人がいるでしょうか?
 自分の存在を否定する人がいるでしょうか?

 実現を語ることで、そこには二人の自己があることを暗示しています。
 実現する自己と実現される自己です。
 まだ実現されていないものは、実現されなければなりません。
 ひとたび私たちが自分自身の存在を認めるなら、どうして真我を知らないということがあるでしょうか?

質問者
 それは想念、心のせいなのです。

マハルシ
 そのとおりです。
 私たちの幸福を妨げ、覆い隠すのは心なのです。
 どうやって私たちは自分が存在していることを知るのでしょうか?
 もし私たちを取り巻いている世界があるからだと言うなら、どうして世界のない深い眠りの中でも、あなたが存在していたことを知っているのでしょうか?

質問者
 どうすれば心を取り除くことができるでしょうか?

マハルシ
 心を殺したいと思っているのは、心そのものではないでしょうか?
 心がそれ自体を殺すことはできません。
 それゆえ、あなたの仕事は心の真の本性を見いだすことにあるのです。
 そうすれば、心が存在していないことを知るでしょう。

 真我が探究されたとき、心はどこにも見当たりません。
 真我の内にとどまれば、心の心配をする必要はなくなるのです。

質問者
 どうすれば恐れから自由になれるでしょうか?

マハルシ
 恐れとは何でしょうか?
 それはただの想念でしかありません。
 もし真我以外に存在するものがあるなら、恐れる理由もあるでしょう。
 誰が自分以外のもの(外側にあるもの)を見るのでしょうか?
 最初に自我が現れ、外側に物事を見ます。
 自我が立ち現れなければ、真我だけが存在し、自分以外のものは何もなくなるのです。

 自己の外側に何かがあるとしたら、それは内側に見る者がいることを暗示しています。
 その見る者を探し出せば、疑いや恐れは起こらなくなるでしょう。
 恐れだけではありません。
 自我を取り巻くすべての想念も、それとともに消え去るのです。

質問者
 この方法は一般に言われる「解脱のために探究者に必要とされる特質」(サーダナ・チャトゥシュタヤ)を培うよりも早い効果があると思います。

マハルシ
 そうです。
 自我という中心の周辺を、あらゆる悪い質が取り巻いています。
 自我が消え去ったとき、実現は自然に起こります。
 真我の中には良い質も悪い質もありません。
 真我はあらゆる質から自由だからです。
 質は心だけに属します。
 しかし「それ」は質を超えているのです。

 もし単一性があるなら、そこには二元性もあるということです。
 一という数が、その他の数を生じさせるからです。
 しかし真理には一も二もありません。
 「それ」はあるがままなのです。

244:避難民のマジレスさん[]:2019/10/05(土) 01:14:55 ID:5cT9Awlw0 [8/8]

質問者
 困難は無想の境地に在ることです。

マハルシ
 無想の境地のことは放っておきなさい。
 それはあなたが関わることではないのです。
 歩くとき、あなたは意図せずに歩を進めます。
 行為においても同じです。
 しかし無想の境地はあなたの行為の影響を受けないのです。

質問者
 行為における識別とはどのようなものでしょうか?

マハルシ
 識別は自動的で直観的なものになるでしょう。

質問者
 では直観だけが重要なのでしょうか?
 直観は発展します。

マハルシ
 偉大な真理を発見した人たちは、真我の深い静寂の中でそれを発見したのです。

 自我は大地に映る自分の影のようなものです。
 それを埋めようとするのは愚かなことです。
 真我はただ一つです。
 もし限定されていれば、それは自我であり、限定されていなければ、それは無限の実在なのです。

 水泡は一つひとつ異なり数知れません。
 しかし海はただ一つです。
 同様に、自我は数多くとも真我は一つ、ただ一つなのです。

 「あなたは自我ではない。実在を実現しなさい」と言われたにもかかわらず、なぜまだ自我と自分自身を同一視するのでしょうか?
 それはちょうど「薬を飲むときに猿のことを考えてはならない」という諺のようなもので、不可能なことです。
 普通の人々にも同じことが起こります。
 実在について教えられたのに、なぜ「私はシヴァである」(シヴォーハム)や「私はブラフマンである」(アハン・ブラフマースミ)に瞑想し続けるのでしょう?
 その真の意義を見極め、理解しなければなりません。
 単に言葉を繰り返したり、それについて考えたりするだけではだめなのです。

 実在とはただ自我を失うことです。
 自我のアイデンティティを探し出すことで、それを破壊しなさい。
 自我には実体がないため、それは自動的に消え去ります。
 そうすれば、真理はひとりでに輝き出すでしょう。
 これが直接的方法です。
 一方、他のすべての修練方法は自我を保持しなければできません。
 それらの道を選べば多くの疑いが起こり、究極の問いは最終的に直面されるまで残るでしょう。
 しかし真我探究では、最後の問いだけが唯一の問いです。
 そして最初からこの問いなのです。
 この探究にはいかなる修練(サーダナ)も必要ありません。

 実在として在りながら、私たちは実在を獲得しようと探究しています。
 これ以上の不思議はないでしょう。
 私たちは実在を隠している何かがそこに在り、実在が獲得される前にそれが破壊されなければならないと思っているのです。
 それはばかげています。
 あなた自身があなたの過去の努力を笑う日がやって来るでしょう。
 あなたが笑うだろうその日もまた、今、この瞬間なのです。

質問者
 それでは、それは見せかけの大芝居(ゲーム)なのですか?

マハルシ
 そうです。

 『ヨーガ・ヴァーシシュタ』にはこう述べられています。
 「実在は私たちから隠され、偽りが真実として顕わになっているのだ」と。
 私たちは実際、実在のみを体験しています。
 それにもかかわらず、私たちはそれを知らないのです。
 これほどの不思議があるでしょうか?

 「私は誰か?」という探究こそ、自我を断ち切る斧なのです。

*薬を飲むときに猿のことを考えてはならない…

「この薬を飲めばあなたの病気は治る。だが1つだけ条件がある。それは薬を飲むときに猿のことを考えてはならないということだ」と医者に言われ、猿のことを考えまいと努力したが、薬を見るなり猿のことを考えてしまい、結局薬を飲んでも効かなかったという昔話に由来する諺。

 いくら「私は自我ではない。私はブラフマンだ」という真理に瞑想しても、「私は自我だ」という思い込みを消し去ることはできない。
 自我を消し去ることができるのは真我探究しかない、とマハルシは説いている。

245:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/10/05(土) 22:42:21 ID:1d4drIFg0 [105/105]
アートマンについての知識があってもそれは観念に過ぎないのじゃ。
観念をいくら追いかけても悟りは得られないのじゃ。
自ら自分を観察してそれが実在ではないと気付けば厭離が起こるのじゃ。
そして無我になればアートマンも知れるのじゃ。
その他に道は無いのじゃ。

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