鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2019/08/15(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part14
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1555858441/

661:避難民のマジレスさん[sage]:2019/08/15(木) 00:01:00 ID:ZtULlipA0
>>659
ありがとうございました

662:658[sage]:2019/08/15(木) 00:01:58 ID:VrNkRq020 [4/4]
>>660
お答えありがとうございます
なるほど悟後の修行とはそういう意味なんですね
悟った方でもそれぞれ表現の仕方や導き方など違いますしね

ところで以前、井上義衍老師がクリシュナムルティの少し下というようなことを鬼和尚さまがおっしゃっていたのも
そういう他人を導く技術性みたいな意味で少し下とおっしゃっていたのでしょうか?

悟り(悟った内容)の点においては大悟したらみな同じということでいいのですよね?
それとも釈迦やクリシュナムルティや井上義衍老師や二サルガダッタマハラジや一休等々に悟った内容に関して何か少しでも違いがあるのでしょうか?

663:避難民のマジレスさん[]:2019/08/15(木) 00:24:40 ID:XLfKnmcw0 [52/52]
鬼和尚様

井上義衍さんの言葉に

義衍老師:今話しているように、正師というのは本当に自分の真相に徹しきって、死んで生まれ変わってきた人です。

 それはどういうことかといいますと、今までこれ(身)を自我心であると思うとったんです。

ところが一遍本当に自我心が死んでしまってみるというと、法として存在しているのです。だから法に近づこうと思うとったものが、百八十度ひっくり返って、そうじゃないのです。近づく要はないのです。

全部法で出来ておったことを自覚したんです。

そういうような人が正師といわれる人です。それだから只管ということも出てくるのです。

 それから、非思量、不思量底を思量するような方法を本当に知っている、それを使い得る人、そういう人たちがやはり正師といわれる所以です。それじゃから眼(まなこ)の開いた人、仏知見が開いた人です。仏と変わらない知見の開けた人です。

 仏知見を開くというと、仏いうものだから何か特殊なもののように思うんですわ。そうじゃないんです。「本来の面目」というと、「ああそうか」というて、誰もが承知するんです。面白いですね。

 「本来の面目を知るんじゃ」というたら、「ああそれはそうじゃろう」という。ところが、「仏知見を開くんじゃ」というと、「ナニッ、釈尊と同じようなことをやれるなんて、とんでもない」というて怒る人がいる。そういうふうに、言葉の文(あや)によって間違わにゃならんほど、もう根底がわからんのです。

言葉を弄(もてあそ)んでいる人はそうなんです。

 そういうようなのとは本当に違う。正師というのは間違いなくキチッとしているのです。

問66 なぜ正師を求める必要があるのですか。

義衍老師:正師というのは、本当に自己の真相に徹しきった人で、そういうことがはっきりしている人でなかったら、最終的にどこへ連れて行ったら良いのか、結論としてどうあったら良いのかということが絶対にわからんのですわ。

そうでしょう、教えられて、それらしいことをやっても、それらしく立派にできるようになったとしても、やれるのはやれるんじゃが、これで本当に良いのかとなる。

 昔の人にもありますように、提唱させても、それを取り扱わせても、自由に取り扱うのだけれども、どうもどこか満足の行かん、どうして満足が行かんのかという人がいます。

そういうような人が出てきたら、皆をどこへ連れて行って、どうしたら決着がつくのかということがわからんでしょう。それじゃ救いにはならんのでしょう、本当はね。そういうところに、どうしても正師を求めなければならん理由があるのです。

 それがないと、途中で妥協するんです。そうでしょう、このように十人が十人寄ってそのことを互いにこうやって、ある程度まで来ても、もう不自由なく、人が見ても自分が見ても法のごとくやれて、そして淡々としておるようだが、ただどこか疑いの拭いきれないものが兎の毛ほどでもあると、それだけ違ってくる。

 そういったところで、「ナニどうせ人間だもの、こんなものじゃないか」というて妥協する。もうそうなったら、今度は次の人をこしらえる時分に、「人間の修行いうものは、悟ったというても、大体ここら以外には手が付けられんのが本当じゃないかなぁ」というて、不安の内に終わる道なんです。決定的に、「こうじゃっ」と言い切れないのです。そういう哀れさがあるから、それをしっかり救わにゃならんということですね。

 じゃけれども、ここで問題はね、皆そういう人になれば良いんじゃけれども、皆そうなって欲しいけれども、そうばかりは行かんところがある。そうでしょう、いろんな条件によりますからね。やれば出来るということは決っておっても、その中で全部の人が全部、短時間にスカッと皆行くということは決っていないのです。

 それだから、きちんとした人が居って、それの言うことが中心になって、それに準じて行っておると、途中におる人も、「やはりまだ私もそこまで行かんのじゃ」ということがわかるから、そして最後は行くべきもの、こうあるべきものということがわかるから、そういう標準はどうしても仏法の中になければいかんのです。

とあるのですが鬼和尚様は自分のことを正師だと思いますか?

664:避難民のマジレスさん[]:2019/08/15(木) 18:26:49 ID:LABA5HjA0 [87/87]
鬼和尚様

瞑想も何事も日々続けることが大切だとは思うのですが、改めてお聞きします。
やはり週に1回長時間といった形よりも、毎日5分でもやるのが良いでしょうか?

この方法の違いで結果にも大きく変化があったりするのでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。

667:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/08/15(木) 22:03:53 ID:1d4drIFg0 [166/167]
>>661 どういたしまして、またおいでなさい。

>>662 そうじゃ、衆生を導く力量なのじゃ。
 クリシュナムルティも難解であるが、井上義衍に至っては何を言っているのかすらわからないじゃろう。
 それでは人は迷うばかりなのじゃ。

 大悟は同じなのじゃ。
 違いは無いのじゃ。

>>663 わしはもう居ないから正師もないのじゃ。
 それもまた観念であるからのう。
 真の正しい師匠は自分自身なのじゃ。
 百万人の如来が教えても自ら実践しない者は救えないからのう。
 一人の師匠がいなくても真摯に悟りを求めるならば自らを師匠として悟れるのじゃ。

>>664 そうじゃ、毎日五分でもやるのがよいのじゃ。
 結果も大きく違うじゃろう。
 日々実践することで進歩していくのじゃ。
 間が空くと退行しては進むというようになるから一向に進まないことになるのじゃ。
 日々精進あるのみなのじゃ。

665:避難民のマジレスさん[sage]:2019/08/15(木) 20:19:36 ID:0j2CJZgo0 [1/3]
意識の拡大とか 気付きの拡大とかどのような修行するのですか?
この修行の過程で「意識の深い処にいる鬼和尚」に会えますか?

666:避難民のマジレスさん[sage]:2019/08/15(木) 20:31:49 ID:0j2CJZgo0 [2/3]
遠く離れた愛する人に夢の中に毎晩会いにいったら、
霊界だか幽界みたいな処へ二回位行けてしまいました。
そこは夢の中とは違って現実感のあるクッキリとした世界だか領域でした。
意識の深い処とはそこなのでしょうか?

668:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/08/15(木) 22:06:24 ID:1d4drIFg0 [167/167]
>>665 数息観などで集中していれば自然になるじゃろう。
 五分でも毎日実践するとよいのじゃ。
 逢えるじゃろう。
 常にあっているのじゃ。
 気付かないだけなのじゃ。

>>666 更に深いところがあるじゃろう。
 何も言葉で語ることのできない世界なのじゃ。
 そこまで来るとよいのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】50
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1561161133/

434:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/08/15(木) 08:37:46.40 ID:A7iPT3BU
最近全く集中できません。
飯の食いすぎでしょうか?
近所にWi-Fi電波が増えたせいでしょうか?
肩こりや悪霊のせいでしょうか?

436:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2019/08/15(木) 22:09:57.38 ID:cRl7qSDZ
>>434 慣れてきて気が抜けているのかもしれん。
 初心の頃を思い出して強く集中するとよいのじゃ。
 迷ったら初心に帰ると善いのじゃ。

 或いは暑いからかもしれん。
 涼しくして実践するとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】76
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1562558548/

99:太上天君 (ワッチョイ cf67-QMAU [126.163.71.197])[]:2019/08/15(木) 20:28:02.73 ID:ajQXST0V0
鬼和尚よ、ぬしゃあ朕はいま年収3億5000万で、7億の自宅と2億の別荘を持っておるが、
互いのちんこを紐でくくりつけて、それを両側からどちらかのちんこが千切れるまで引っ張り合う競技は面白いと思うが、
その競技はオリンピックの種目に採用されるかね?
鬼和尚よ、すごく面白いと思うのじゃが、どうかね?

ふぉっふぉっふぉっふぉっ。

100:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM  (ワッチョイ 0267-vqjO [219.192.74.62])[sage]:2019/08/15(木) 22:10:41.88 ID:zSZcpZgf0
>>99 そのようなことはすでに少林寺でやっているのじゃ。
 弟子入りするとよいのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】76
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1565257712/

84:マジレスさん[sage]:2019/08/13(火) 22:56:00.20 ID:+ufbsWdJ [2/2]
オニオ省もテクスチャオフ、グラビティオフ、コリジョンオフしてこのせかいのしんじつをみていますか?

86:マジレスさん[sage]:2019/08/14(水) 19:16:30.71 ID:qu65rPam [1/4]
悟っていない人の中で、
鬼和尚が評価していて、
凡夫が参考に出来る考え方や生き方の人はいますか?

87:マジレスさん[sage]:2019/08/14(水) 19:47:39.35 ID:qu65rPam [2/4]
ありがとうございました。
ひとつ観察出来たことがありました。

自分には「自分」と言うほどのものも無くて、つまらないプライドの反応ばかりで出来ていたことがわかりました。

何者かになりたい、ならなければ、
とずっと思ってたのも本心でもなく
自分を何か凄い存在にしたいのはただの反発心だとか寂しさとかでしかないとわかり
どうでもいい事だと思いました。
すると気が楽になり
行動出来る事の選択肢が増えました。
少しは観察出来たのだと思います、
ありがとうございます。

90:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2019/08/14(水) 21:48:10.34 ID:xEqWNfy2 [1/2]
>>84 おふの味噌汁で飯を食べているのじゃ。

>>86 勝海舟はなかなかの知恵者じゃ。
 参考になるのじゃ。
 人の動かし方を知っている実学の者なのじゃ。
 参考にすると善いのじゃ。

 ソクラテスも偉いのじゃ。
 議論も強く真の哲学者なのじゃ。
 ほとんどは弟子のプラトンの創作であるかもしれんがのう。 

>>87 よい気付きなのじゃ。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

88:マジレスさん[sage]:2019/08/14(水) 20:47:38.66 ID:qu65rPam [3/4]
「暇だから悩む」という言葉を知ってなるほどと思ったのですが、
まだ起こってもいない不安によく悩むような人は、
暇だから悩んで逃避しているのでしょうか?

89:マジレスさん[sage]:2019/08/14(水) 20:51:10.51 ID:qu65rPam [4/4]
暇なら悟りへの修行をすればいいのに、それを先延ばしにしてしまうのは、まだまだ俗世に欲があるからでしょうか?

91:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2019/08/14(水) 21:50:24.55 ID:xEqWNfy2 [2/2]
>>88 確かに忙しくしていると悩む暇は無いのじゃ。
 作業療法にもあるのじゃ。
 そのようなこともあるといえるじゃろう。
 暇なときは瞑想をするとよいのじゃ。

>>89 そうかもしれん。
 何か他に死から逃れる道があるかもしれんとか思っているのかもしれん。
 いろいろ試してみると善いのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

138:避難民のマジレスさん[]:2019/08/15(木) 00:32:46 ID:okdDpu6.0 [9/10]
ラマナ・マハルシとの対話95

1935年11月13日

チャドウィック少佐
 神秘家のエドワード・カーペンター氏は著書の中で、「ある機会に真我を実現したが、その体験はしばらくしか続かず徐々に消えていった」と書いています。
 一方、『シュリー・ラマナ・ギーター』には、「グランティ(結び目=束縛)はひとたび断ち切られれば永遠にもどらない」と述べられています。
 この神秘家の場合、真我実現の後でさえ束縛は消えずに残ったようです。
 そのょうなことがありうるのでしょうか?

バガヴァーンは『カイヴァリャ・ナヴァニータム』から以下の物語を読み上げた。

すべてに輝きわたる、統一された、完全な「存在(サット)ー知識(チット)ー至福(アーナンダ)」の境地を実現した弟子が、師に自己を明け渡した後で「どうすれば師の御恩に報いることができるでしょうか?」と謙虚に尋ねた。

師は言った。
「あなたが不変なる完全な至福にとどまるなら、それが私への報いとなる。
 その境地から滑り落ちてはならない」

弟子
 至高の至福を一度体験しながら、どうしてそこから落ちることができると言うのでしょう?


 おお、もちろんそれは起こる。
 はるか昔からあなたに付着し続けてきた心の潜在的傾向(ヴァーサナー)が、あなたをその境地から引きずり降ろし、そして無知が取り付くのだ。

弟子
 完全な至福に確実にとどまることを何が妨げるのでしょうか?


 障害は、

 1 自己の純粋な存在を忘れるという無知。

 2 その体験が真実だったのかどうかと疑い始めること。

 3 「私は身体だ」、「世界は実在だ」という誤った概念。

 などにある。
 それらは真理を聞き、それについて熱考し、集中することで克服されるのだ。

マハルシ
 体験には一時的なものと永久的なものがあると言われています。
 最初の体験は一時的なものですが、それは集中を通して永久的なものとなります。
 前者においては、束縛が完全に破壊されてはいなかったのです。
 それは微妙な形で残り、やがて再主張するようになります。
 しかし後者の場合、体験が束縛の根と枝を破壊しつくしたため、再び現れることはありません。
 『シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター』に見られるヨーガブラシュタ(ヨーガから堕ちた者)という表現は前者のレベルについて述べたものです。

質問者
 真理を聞くこと(シュラヴァナ)は限られた数人だけのものなのでしょうか?

マハルシ
 それには二種類あります。
 通常は、真理を明言し、それについて解き明かす師の言葉を聞くことです。
 しかしながら、自身に問いを発し、探究し、そして完全なる「私ー私」として自身の内にその答えを見いだすことこそ正しい方法です。

 この体験を熟考することが第二段階(マナナ)、その一点に集中し続けることが第三段階(ニディディアーサナ)です。

質問者
 一時的な体験はサマーディと呼べるでしょうか?

マハルシ
 いいえ。
 サマーディは第三段階のものです。

質問者
 それでは真理を聞くことさえ非常にわずかな人に限られているように見えます。

マハルシ
 探究者は二つのクラスに分かれます。
 クリトーパーサカ(熟達した探究者)とアクリトーパーサカ(熟達していない探究者)です。
 前者は揺るぎない帰依によって精神的傾向を克服した人で、彼の心はすでに清らかであるためにある種の体験をしていますが、それを理解してはいません。
 ある適格な師の教えを受けるやいなや、永久的な体験を得るのです。

 他のクラスの探究者がこの目標に達するためには多大な努力が必要とされます。
 真理を聞くこと、熟考、集中はどのように彼を助けるのでしょうか?

 それらは瞑想(ウパーサナ)を含み、最終的に真我実現をもたらします。

 第四段階は解脱という最終目標です。
 それにさえ、程度によってある区別が存在します。

 1 ブラフマヴィド(ブラフマンを知る者)

 2 ブラフマヴィッド─ヴァラ

 3 ブラフマヴィッド─ヴァリャ

 4 ブラフマヴィッド─ヴァリシュタ

しかし実際のところ、この人たちはみな、生きている間も解脱しているのです。

*ヨーガブラシュタ…『バガヴァッド・ギーター』6-41,42

ヨーガの道から脱落した人は、功徳の業果を受ける天上界に生まれ、無限のときをそこで過ごした後、この世で信心深く裕福な家に生を受ける。(41節)

あるいは彼は叡知あるヨーギーの家族に生まれる。
しかしながら、このような誕生はこの世でも実に稀なことである。(42節)

139:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/08/15(木) 22:55:32 ID:1d4drIFg0 [54/54]
サマーディを体験したり、無我になっただけでは真の悟りではないのじゃ。
一時的に真実を垣間見たに過ぎないのじゃ。
それでも多くの利益があるがのう。
直ぐに戻ってしまうのじゃ。
もはやなにものも認識しない境地に至って永遠に悟りから後退しないようになるのじゃ。
それが大悟徹底なのじゃ。

鬼和尚の仏教購読会 別館
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/

755:避難民のマジレスさん[]:2019/08/15(木) 00:14:17 ID:LC3de7YgO [444/445]
>>753
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
~SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:「私」とマインドの源泉を見つけるようにといいますが、どれ位、探求を
続けるべきでしょうか?

 探求は続けるべきだ。
歩いている時も寝ている時も、目覚めている時も夢を見ている時もそれがあな
たの一部となるまで続けるべきだ。
この探求の源泉に入っていくにつれて、海に近づいていくのだ。
この探求を続けなさい。

 そうすると努力なしで眠っている時でさえそれが続いているということに気
がつくだろう。
ほとんどの人が探求は、瞑想するために座った時から始めて、立ちあがった時
終わるものだと誤解している。これはそうではない。

 むしろ、あなたが完全に恋に落ちて、いつもその人の事を考え続けているよ
うに、探求し続けるべきだ。
探求は、何をしていようとも一日中、頭痛や、歯痛が続くように続けられねば
ならない。

 この痛みは、会社にいようが人と話をしていようが努力なしで続いていく。
このように、寝ても起きても、考えている時でも探求を続けなさい。

Q:覚醒が起こるためにはマインドが完全に破壊されなければならないのですか。

 マインドが破壊されない限り悟りは不可能だ。
最もあなたに親密なものを諦めることによってマインドを静めなさい。
それらのものはマインドを騒がせる原因になるからだ。

 もし、平和が次第に消えていくならマインドを掴んでいる何かがあるに違い
ない。
それを見極めることによってマインドを静めなさい。本当か偽ものか? 永遠
か一時的か? 本当に時間をかける価値があるかどうか? 

 たとえあなたに最愛の人がいるとしても、真実は唯一あなたの真我ゆえにそ
の人を愛しているのだ。
グルと一緒にいることによって、真我を常に瞑想することによって、マイン
ドを静めなさい。
歓喜も又マインドを破壊することができる。
しかし、一度マインドを埋葬したら、二度と掘り返さないことだ。

 対象に対する執着を取り除かねばならない。
マインドの静寂は真我への執着を除いて全ての執着を棄てることからやって来る。
一時的な対象に執着すると問題がやって来る。
だから、これらの一時的な対象や世界に対しては、眠っていて、真我に対して
、目覚めていなさい。

 探求をしないと、サンサーラにいることになる。
対象に目覚めていて、真我に眠っている。
探求とは真我に目覚めることであり、感覚に眠っていることだ。
探求は自由に導く。
思考は太陽を隠す一時的な雲のようなものだ。
「私」という思考でさえ雲だ。

 マインドそのものである雲に気をつけなさい。
このマインドはこれやあれがほしいという欲望だ。
思考は、「私」という思考でさえも、ただ雲が漂っているようなものだと知っ
たなら、それに影響されることはない。

 マインドの静寂があるところに、マインドはない。
その時あなたは本当に目覚めている。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

756:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/08/15(木) 22:13:03 ID:1d4drIFg0 [287/287]
マインドとは思考や感情を作り出す観念の働きなのじゃ。
それがあるかぎり悟りは訪れないのじゃ。
それが自分だと思うから捨てることも難しいのじゃ。
自分だと思っていたものが観念でしかないと気づくことが観照なのじゃ。
そして無我になるのじゃ。

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