鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2019/07/30(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part14
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1555858441/

580:避難民のマジレスさん[]:2019/07/30(火) 19:06:57 ID:LABA5HjA0 [72/72]
鬼和尚様

真言行についていくつか教えていただきたいことがあります。
小呪はとりあえず108回を目安に最初に唱えるなり、念じました。

結果は自然に頭の中で流れる感覚が分かり、中呪でも同様です。
一方、大呪や陀羅尼の長さになると覚えるのに時間がかかります。

昨日、小呪を大量に108回ずつやってしまって、今日は大呪を覚えていたら、
昨日の小呪も中呪も一つもできませんでした。

やはり実践するならば毎日できる分量で進めたほうが良いのでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。

581:避難民のマジレスさん[sage]:2019/07/30(火) 20:20:03 ID:Rr0/omk.0 [19/19]
いつも教えていただきありがとうございます。
数息観ですが、壁を背にして座ったとき、骨盤の裏と、肩甲骨あたりが壁につく座り方は
姿勢としてまっすぐと言えますでしょうか?
また、壁を背にした場合、壁にもたれてしまってはいけないでしょうか?

582:避難民のマジレスさん[]:2019/07/30(火) 21:55:33 ID:XLfKnmcw0 [40/40]
鬼和尚様

先日も私の質問に答えてくださり本当にありがとうございます。

583:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/07/30(火) 22:14:30 ID:1d4drIFg0 [142/142]
>>580 そうじゃ、日々出来るだけの行をすると善いのじゃ。
 大きいのは七回でも善いのじゃ。
 日々唱えながら自然に覚えていくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>580 真っ直ぐになっているじゃろう。
 壁にもたれてはいかんのじゃ。
 壁は背中を真っ直ぐにするためのものであるからのう。
 自分の力で背筋を立てて重量が丹田にかかるようにするのじゃ。
 そのようにバランスをとって座り続けるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>582 どういたしまして、またおいでなさい。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 75
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1562553866/

742:マジレスさん[sage]:2019/07/30(火) 02:20:55.35 ID:srPv/cM5 [1/2]
罰については自らの心次第ということですが、
それは普遍的な意識に属するものですか?
それとも個人の観念によりますか?

些細な問題ほど、悪かどうかはその人の観念によるところが大きいように思います。

罪(悪)かそうでないかは、悪意の有無によると以前教えて頂きましたが、
積極的な悪意ではなく欲や怠惰や自己防衛のために行う行為は悪でも善でもないのでしょうか。

自分の話でいうと、
私は人を傷付けることは悪と教わりその観念で生きてきましたが、
遅刻などルールを破ることには全く無頓着で少しも悪だと思っていません。

なので人を傷付ける人は悪だと思うし傷付けられたら腹が立ちます。傷つけてしまったら自分を責めます。
ところが「傷付くのは本人の捉え方次第だから本人が悪い」と思っている人もいます。(個人的にこの考えは羨ましくもありますが…)

743:マジレスさん[sage]:2019/07/30(火) 02:24:56.52 ID:srPv/cM5 [2/2]
元々悪いと思っていないことは人は改心することもなく「自分にデメリットがあれば表面上治したふりをする」だけだと思います。

話が逸れてしまいましたが、
悪かどうかが個人の観念によるものなら、
悪だと思う事が多い方が損だなと思いました。

754:太上天君[]:2019/07/30(火) 20:24:35.85 ID:W+QF/dpB
鬼和尚よ、ぬしゃあ中国人も朝鮮人も脚が長いのに、どうして同じアジア人の日本人だけ胴長短足なのかのう?
鬼和尚よ、やはり人間ではなく、サルなのかのう?
ふぉっふぉっふぉっふぉっ。

755:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2019/07/30(火) 22:21:14.36 ID:RBqBuOOl
>>742 心と言っても思考とか感情のように常に感じられる心ではないのじゃ。
 内在する智慧が自他を一つと見て報いるのじゃ。
 個人の観念ではないのじゃ。

 防衛のためならば悪ではないのじゃ。
 欲とか怠惰のために他人を毀損するならば悪となるのじゃ。
 欲や怠惰も悪意の一つと言えるからのう。
 悪い意なのじゃ。

>>743 個人の観念ではないのじゃ。
 自他を一つと見る智慧なのじゃ。
 そうであるから他人にしたことが自分に還るのじゃ。

>>754 おぬしの観念なのじゃ。
 日本人とか中国人とか韓国人とか仲人とかはいないのじゃ。 

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

108:避難民のマジレスさん[]:2019/07/30(火) 12:35:46 ID:og89HtMo0 [8/9]
ラマナ・マハルシとの対話80

1935年10月3日

非常に帰依心の深い純朴な心の弟子が、たった三歳の一人息子を失った。
翌日、彼は家族とともにアーシュラマムに到着した。
師は彼らに語った。

マハルシ
 悲しみに耐え、勇気を持って死別に直面するには、心の訓練が助けとなります。
 それでも我が子を失うことは、あらゆる嘆きの中でも最も辛いことだと言われています。
 自分を限定された姿形あるものと見なすかぎり、深い悲しみは避けられません。
 もしその姿形が超越されれば、本来の自己が永遠なるものであることがわかるでしょう。
 死も誕生も存在しないのです。
 生まれたものは身体にすぎません。
 身体は自我の産物です。
 しかし自我は身体なしには知覚されません。
 それはいつも身体と同一視されるのです。

 問題なのは想念です。
 分別ある人に、深い眠りの中で身体に気づいていたかどうかを考えさせなさい。
 なぜ彼は目覚めの状態のときに身体を感じるのでしょうか?
 たとえ眠りの中で身体が感じられなかったとしても、真我は存在していたのではないでしょうか?
 彼は深い眠りの中でどのような状態だったのでしょう?
 目覚めたときはどうでしょうか?
 その違いは何でしょうか?

 自我が立ち現れ、それが目覚めと呼ばれます。
 そして同時に想念が現れます。
 その想念が誰のものなのか、考えてみなさい。
 それはどこから現れたのでしょうか?
 それは意識である真我からに違いありません。
 それについて漠然と理解するだけでも、自我の消滅を助けるのです。
 そうすれば、無限の存在を実現することも可能になります。
 その境地の中に個人は存在せず、ただ永遠の存在だけがあります。
 それゆえ、そこには死についての想いも嘆きもないのです。

 自分は生まれたと考える人に、死の恐怖を避けることはできません。
 自分が生まれたのかどうか、真我に誕生というものがあるのかどうか考えてみなさい。
 そうすれば、真我が常に存在すること、身体は想念の中に還元されること、そして想念の出現がすべての不幸の根源なのだということを発見するでしょう。
 想念がどこから現れ出るのか見いだしなさい。
 そうすれば、あなたは永遠の存在である真我の内奥に確立され、誕生という概念や死の恐怖から自由になるでしょう。

109:避難民のマジレスさん[]:2019/07/30(火) 12:36:21 ID:og89HtMo0 [9/9]
ある弟子が「それはどうすればよいのでしょうか?」と尋ねた。

マハルシ
 想念とは無数の過去世において蓄積されたヴァーサナー(心の潜在的傾向、性癖)でしかありません。
 それを絶滅させることが目標です。
 ヴァーサナーから自由になった状態が原初の状態、純枠で永遠なる状態なのです。

質問者
 まだはっきりわかったとは言えません。

マハルシ
 誰もが永遠なる真我に気づいています。
 私たちは多くの人が死んでいくのを見ます。
 しかしそれでも自分自身は永遠に生きると信じています。
 なぜなら、それが真実だからです。
 意図せずに、本来の真理はそれ自体を主張するのです。
 意識である真我と生命意識のない身体を混同するため、人は惑わされてしまいます。
 この(自己同一化という)誤った観念が消滅しなければならないのです。

質問者
 どうすればそれは消滅するのでしょう?

マハルシ
 生まれたものは死ななければなりません。
 誤った観念は自我に付随したものです。
 それは立ち現れ、そして消え去ります。
 しかし真理は立ち現れることも消え去ることもありません。
 それは「永遠なるもの」としてとどまるのです。
 実現した師はこの真理を弟子に伝えます。
 弟子はそれを聞き、その言葉について熟考し、そして真我を実現するのです。
 それには二つの道があります。

 常に存在する真我を実現するのに努力は必要ありません。
 真我はすでに実現されているからです。
 取り除かれるべきものは幻影だけです。
 ある人は、「師の語る言葉が幻影を一瞬にして取り除く」と言います。
 他の人は、「実現するためには瞑想などが必要となる」と言います。
 どちらも真理です。
 ただ観点が異なるだけです。

質問者
 瞑想(ディヤーナ)は必要でしょうか?

マハルシ
 『ウパニシャド』は「この地球さえ永遠の瞑想の内に在る」と述べています。

質問者
 カルマ(行為)はそれをどのように助けるのでしょうか?
 取り除かれるべき重荷がすでにあるのに、さらにその上に加えるだけではありませんか?

マハルシ
 非利己的に為された行為は心を純粋にし、それを瞑想状態にとどめます。

質問者
 カルマ(行為)なしに途切れることなく瞑想し続けたとしたらどうなるでしょうか?

マハルシ
 試してみなさい。
 ヴァーサナーがあなたにそうするのを許さないでしょう。
 ディヤーナは、師の恩寵によって徐々にヴァーサナーが弱められながら、段階的に深まっていくものなのです。

110:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/07/30(火) 23:24:33 ID:1d4drIFg0 [40/40]
瞑想をしたことが無い者は今まで条件付けされた心があるからずうっと何もしないで瞑想することは出来ないのじゃ。
不安や恐れが心と体を動かすのじゃ。
日々実践して少しずつ長く瞑想することが出来るようになるのじゃ。
そのようにして観察に向いた静かな心を養うのじゃ。

鬼和尚の仏教購読会 別館
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/

720:避難民のマジレスさん[]:2019/07/30(火) 06:56:05 ID:LC3de7YgO [426/426]
>>718
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
~SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part5

信念と信頼

Q:あなたの愛と恩寵を快く受け入れたいのですが、信頼がないのです。
どうか助言してください。

私を信頼しないのなら、私の教えを受けることはできない。
100%私を信頼しなければならない。
その時のみ、教えがあなたのハートに届く。

信頼不足は神経症だ。
あなたがまだ子宮にいる頃、両親が不仲で喧嘩をしていたためにこの病気に罹
ったのだ。
小さなテニスボールのようにあなたは両側から打たれた。

ここではみんなあなたを愛している。
ここにやって来たことはとても幸運だ。
だからただ真理に降伏しなさい。
過去の習癖や両親や親戚は忘れてしまいなさい。

今あなたの親戚はここにいる。
ここでは兄弟、姉妹があなたを快く受け入れる。
これがあなたの家族だ。
あなたの両親や国のことは忘れなさい。
ここで生まれて、ここから始めなさい。

   ただ静かにしていなさい。
   そうすると、隠れているあなたの内なる光があなたに貴重な贈りものを
与える。
   過去に起こったことを心配する必要はない。
   いつもこの瞬間から始めることがあなたの責任に目覚めることだ。

世界が泣き叫び続けても、笑って微笑んでいきなさい。
真理を言葉なしに伝えなさい。
信頼について話してあげよう。

私はグルを探してインド中を旅した。
当時私は軍隊にいたので優越感があった。(くすくす笑い)
グルを見つけて彼が私に神を見せてくれるかどうか訊ねるつもりであった。

私が訪ねた全てのグルの弟子達は私を見て、彼らのグルといた50年間に伸び
た長い髭を示して、「我々は何十年と修業しているがいまだに神を見つけるこ
とはできない。靴をはいたままここに来て、神をすぐに見ることができると思
ったら大間違いだ。」と言って、私を追放した。

どうしたものか?
しかし、それを見つけるまで、食物も喉に通らないほど、真剣に何かを探し求
めているなら、欲しいものは手に入るものだ。

さてこの話はラマナ・マハルシの足元で終わりになる。
私は彼に訊ねた、

 「私に神を見せてくれますか?」

マハルシ言わく、

 「いいえ、神を見ることはできない。神は見ることができる感覚の対象では
ありません。」

私はこれに仰天して、彼は次に何を言うのか不思議に思った。
そして彼は言った、

 「あなたが神なのだから神を見ることはできない。どのようにしてあなたで
ある『それ』を探すことができるのですか?」

この瞬間、「私が神である」と完全に信頼した。
そしてこの信頼は決して揺るがなかったし、いまだにそのままだ。
あなたはあなたであるところのものを信頼しなさい。
そうすると疑うべき何があるというのか? もう一度言おう。

  私を信頼しなさい、私を完全に信頼しなさい。
  私が言っていることを信頼しないのならあなたは間違った場所にいると
いうことになる。

良いカルマと無暴力

   宇宙の法に従った生活とは
   良いカルマをもたらす正しい行動をするということだ。
   これは最初の段階では重要なことだ。
   そうするとあなたのマインドが悪いカルマの結果によって騒がされることはない。

   マインドが純粋になるかどうかはカルマによっている。
   純粋なマインドと「自由」は同じことだ。
   純粋なマインドはいつも瞑想的で
   無垢な人が最初に「それ」を手に入れる。
(´・(ェ)・`)つ

721:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/07/30(火) 23:22:18 ID:1d4drIFg0 [271/271]
完全な信頼が無ければグルの恩寵を受けることは出来ないのじゃ。
最後には自分も認識も失ってしまうのであるからその恐れを克服するのには信頼が要るのじゃ。
自らの観念の世界から抜けられない弟子を引き出すには、信頼の一打が要るのじゃ。
しかし、完全な信頼があるならばただ一言だけでも悟りに導くには十分なのじゃ。

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