鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2019/07/07(日)

鬼和尚に聞いてみるスレ part14
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1555858441/

469:避難民のマジレスさん[]:2019/07/06(土) 23:31:32 ID:KMGs6sAk0
鬼和尚、度々ご返答ありがとうございます。

本来相互作用は人の心の中の働きを観るためのものなのじゃ。

つまりこれは、森羅万象すべてが縁起によるものであるという考えは後世の人達の考えであり、元々お釈迦様は心の中のことだけを言っていた、というよりも悟る方法として縁起をもって観察することを説かれたということでしょうか?

470:避難民のマジレスさん[]:2019/07/07(日) 18:53:32 ID:LABA5HjA0 [49/49]

468 鬼和尚様

467です。心に留めおくようにしておきます。
ご返事ありがとうございました。

471:避難民のマジレスさん[]:2019/07/07(日) 20:59:37 ID:8nEtIIBs0
毎日気功の站椿功をやっているのですが気功をやりこむと痩せますか?
いい痩せる運動を教えて下さい

473:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/07/07(日) 22:08:55 ID:1d4drIFg0 [114/114]

469 そうじゃ、それは法則ではなく方法なのじゃ。
 悟るための方法として縁起も説かれたのじゃ。
 実践すればその効果も分かるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

470 そうじゃ、留め置くと善いのじゃ。
 またおいでなさい。

471 何もしないよりは痩せるじゃろう。
 やせる気功法とかもあるのじゃ。
 youtubeで検索して探してみると善いのじゃ。
 寒天ゼリーとかを食べると善いのじゃ。
 こんにゃくゼリーも食べると善いのじゃ。
 いろいろ試して見るのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 50
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1561161133/

138:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/07/07(日) 20:52:03.52 ID:nI3RO/XL
人と人との縁は大切にしたほうがいいですか?
全ての出会いには感謝をすべきでしょうか?
だからこそ、人間関係や人と人との輪は尊いものだと言えるのでしょうか。

そういった人と人との縁を繋ぐ、という行為は善事ですか?

143:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2019/07/07(日) 22:11:18.88 ID:rJVuoC12

138 善い人との縁は大切にする善いのじゃ。
 全ての出会いには感謝しなくて善いのじゃ。
 悪い人との縁は大切にしなくて善いのじゃ。
 速やかに切って善いのじゃ。
 悪い人との人間関係や輪は尊くないのじゃ。
 
 悪い人と縁をつなぐこもあるから全て善事とは限らないのじゃ。
 善い人との運をつなぐ事は善事と言えるのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 74
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1559612483/

914:マジレスさん[sage]:2019/07/07(日) 11:07:27.07 ID:9vnViPSL
鬼和尚さん、観察しても観察しても同じような状態が繰り返されているように思います
段々飽きてきました
原因から観察出来て居ないから繰り返されてしまうのでしょうか?
進歩が無いので嫌になってきています
どうすれば良いでしょうか?

927:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2019/07/07(日) 22:21:30.23 ID:ILKwm7VO

914 同じような状態が繰り返されていると見えるのは観察していないからなのじゃ。
 観念を観ている状態なのじゃ。
 本当に観察できているならば同じ状態と言う事はありえないのじゃ。
 心は日々毎時に違うものじゃ。
 例えば庭や公園の木の葉も観念では同じに見えるが、本当に目で観てみれば毎日違うと分かるのじゃ。
 木の葉も今日は虫に食われているとか、先が茶色になっているとかいろいろ変化しているのじゃ。
 実際に観ることで変化もわかるのじゃ。

 心も日々刹那に変化しているものじゃ。
 それが同じならば逃避しているからかもしれん。
 自分が観ることを避けているもの、観ようとしていない心こそ観るべきなのじゃ。
 悲しすぎて見えないとか、苦痛が多すぎて避けてしまう思いを観るのじゃ。
 それが出来れば飽きることもないのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1560853465/l50

44:避難民のマジレスさん[]:2019/07/07(日) 14:17:17 ID:73lwfNNQ0 [6/8]
ラマナ・マハルシとの対話57

1935年6月23日

シュリー・バガヴァーンはこう語った。

「スシュムナー(脊柱の底辺から頭頂点を結ぶ霊的な経路)は聖典で通常用いられている言葉です。
 パラー、アートマン、 アムリタなどの言葉も用いられています。
 そのスシュムナーはパラーの中に融け去る(リーナ)とも聖典に述べられています。
 それゆえ、パラーはジニャーナの専門用語であり、スシュムナーはヨーガの専門用語だと言えるでしょう」

*パラー、アートマン、アムリタ:至高なるもの、真我、不死性。

45:避難民のマジレスさん[]:2019/07/07(日) 15:57:39 ID:73lwfNNQ0 [7/8]
1935年6月24日

『シュリー・ラマナ・ギーター』に関する疑問

第十四章十節には、
「さらなる進歩とともに、不可視の身体も得られるようになる。
 そのような人は純粋意識であり、シッダ(超自然能力者)としての栄光を得る」

第十八章最後の節には、
「シッダの栄光は想像を絶する。
 彼らはシヴァと等しい。
 そう、彼らは願い事をかなえるシヴァ神目身である」と述べられている。

その意味は、真我実現とともに真の絶えざる苦行が起こり、そのような苦行が成就すると、ある賢者(ジニャーニ)は身体を人に触れられることも見られることもできなくする能力を持つという。
彼らはシッダと呼ばれている。

「シッダの偉大さは想像も及びません。
 彼らはシヴァと等しく、願い事をかなえることもできるのです」と、後にバガヴァーンは言った。

『ウパニシャド』のマントラには、
「アートマニャン・ヒ・アルチャエート・ブーティカーマハ」
(解脱あるいは富を望む者は、真我を実現した賢者に仕えなければならない。「ムンダカ・ウパニシャド」第三巻一章十節)と述べられている。
ここにはシッダが願い事をかなえることについては述べられてはおらず、賢者は願い事をかなえることができると述べている。

別のマントラ
「スヴェー・マヒムニ・プラティシュティータハ」
(自己の光輝の内に確立される。『チャーンドーギャ・ウパニシャド』第七巻二四章一節)、
「アナンタン・ブラフマ」
(ブラフマンは無限である。『タイッティリーヤ・ウパニシャド」第二章一節)は、上記の『シュリー・ラマナ・ギーター』の二行連句(シュローカ)に反するように見える。

「サルヴァン・カルヴィダン・ブラフマ」
(これはすべてブラフマンである。『チャーンドーギャ・ウパニシャド』第三巻十四章一節)、
「ブラフマヴィッド・ブラフマイヴァ・バヴァティ」
(ブラフマンを知る者はブラフマンそのものになる。『ムンダカ・ウパニシャド』第二巻二章九節)というマントラは、賢者が全知(サルヴァジニャ)であることを示している。

それでは、賢者(ジニャーニ)と超自然能力者(シッダ)の違いとは何だろうか?
シッダは願い事をかなえるが、ジニャーニにはそれができないということだろうか?

これが疑問だった。
師は説明した。

マハルシ
 『シュリーラマナ・ギーター』の中の質問は、ある特定な精神から問われたものです。
 それゆえ、その答えもそれに応じています。
 人々はただ身体のことばかりに目を向けるため、超自然能力(シッディ)を望むのです。
 真我実現では身体能力が増すことさえありません。
 ならば、どうしてさらに身体を超えた能力をもたらせると言うのでしょう?
 超自然能力を望む人々は叡知(ジニャーナ)という考えに満足できないため、叡知に超自然能力を結びつけようとします。
 彼らは至高の幸福である叡知を無視して、超自然能力を熱望します。
 そのため王道を行く代わりに横道にそれ、道に迷うのです。
 彼らを正しい道に導き、王道のみを行くようにさせるために、超自然能力は叡知にともなうと伝えられたのです。

 実際のところ、叡知はすべてを包含します。
 しかも叡知は超自然能力について考えようとさえしません。
 何よりもまず人々に叡知を達成させ、その後で、もし彼らが超自然能力を望むなら、それを求めさせればよいのです。

 私は「超自然能力は身体に関わるものだ(シャリーラ・サンシュラヤハ・シッダヤハ)」と言いました。
 なぜなら、人々は身体に関心があるからです。
 真我を実現した人(ジニャーニ)と超自然能力者(シッダ)に違いはありません。
 願い事をかなえることには、真我実現の成就も含まれているからです。
 シッディは劣っているどころか最高位のものなのです。

 聖典はさまざまな条件を備えた人々に合うように意図されていますが、それらの精髄は同じものです。
 『ハーラーシャ・マヒマー』の中に八段階の超自然能力(シッディ)についての章があります。
 そこではシヴァ神がこう述べています。
 「シヴァの帰依者は超自然能力について考えるような無駄なことはしない。
  シヴァはけっして願い事をかなえたりしない」と。
 帰依者の願望は彼らのプラーラブダ(運命)によってのみ満たされるのです。
 イーシュヴァラ神であるシヴァ自身が、彼の帰依者についてそう言っているのですから、帰依者でない者についてさらに何が言えるでしょう?
 
 超自然能力を披露するには、それを評価する他者を必要とします。
 つまりそれを披露する人たちに叡知はないということです。
 それゆえ、超自然能力には何の価値もありません。
 ただ叡知だけが目標とされ、達成されなければならないのです。

46:避難民のマジレスさん[]:2019/07/07(日) 16:07:24 ID:73lwfNNQ0 [8/8]
『シュリー・ラマナ・ギーター』第十七章四節のサンスクリット語からタミル語への翻訳に誤りがあった。
シュリー・バガヴァーンは誤訳を指摘して訂正した。

ヴァイダルバが質問した。
 
「修練において、想念が交互に現れては消え去ることがわかりました。
 これは真我の知識(ジニャーナ)でしょうか?」

マハルシ
 ある人たちは真我の知識に異なった段階があると信じています。
 真我はあなたが知っていようがいまいが、常に実現されているのです。
 彼らは、真理を聞くこと(シュラヴァナ)は直接的知識であり、間接的知識ではないと議論します。
 真我の知識は不幸を消し去りますが、真理を聞くことだけではそれは起こりません。
 ですから、たとえ直接的であっても、その知識は不動のものではないということです。
 知識が確立されない原因は、心の潜在的傾向(ヴァーサナー)が現れることにあります。
 ヴァーサナーが取り除かれたとき、真我の知識(ジニャーナ)は揺るぎないものとなって実を結ぶのです。

 別の人たちは、真理を聞くこと(シュラヴァナ)は間接的知識だと言います。
 真理についての沈思黙考(マナナ)によって、真我の知識は断続的ながらも直接的なものになります。
 それを断続的にさせるのはヴァーサナーなのです。
 ヴァーサナーはマナナの修練の後も、さらに強烈な勢いで湧き上がってきます。
 そのため、それは抑制されなければなりません。
 
 「私は身体ではない」ことを油断なく覚えていることと、マナナにおいて得られた直接的体験を固守することによってヴァーサナーは抑制されます。
 そのような修練はニディディアーサナ(真理の一点に心を集中させること)と呼ばれ、それがヴァーサナーを消し去ります。
 そうして初めてサハジャの境地が開かれるのです。
 それが確実な真我の知識(ジニャーナ)です。

 マナナによる直接的体験では、不幸の破壊も束縛からの解放(モークシャ)も得られません。
 なぜなら、ヴァーサナーが周期的に現れ、真我の知識を制圧するからです。
 それゆえ、それはまだ弱いものですが、ニディディアーサナによってヴァーサナーが根絶されたとき、初めて真我の知識は確立されるのです。

『シュリー・ラマナ・ギーター』について再び

帰依者の一人、T・K・S・アイヤール氏がチャクラについて語った。

マハルシ
 アートマンこそが実現されるべきものです。
 真我実現はそれ以外のすべてをその領域に含んでいるからです。
 シャクティ、ガナパティ、シッディなどもすべてその中に含まれています。
 ですから、それらについて語る人たちは真我を実現していないのです。
 アートマンはハートの中にあり、ハートそのものです。
 (世界の)顕現は脳の中にあります。
 ハートから脳への経路はスシュムナー、あるいは他の名前の神経経路と考えられています。
 『ウパニシャド』は「パレー・リーナ」について述べています。
 それはスシュムナーのようなナディー(霊的な神経経路)は、すべてパラー(高次の)、つまりアートマ・ナディーに含まれているという意味です。

 ヨーギーは「脳にあるサハスラーラ・チャクラまで流れは昇りつめ、そこで終わる」と言いますが、その体験は完全なものではありません。
 それはハートまで降りて来なければならないからです。
 ハート(フリダヤ)はアルファでありオメガでもあるのです。

47:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/07/07(日) 22:26:44 ID:1d4drIFg0 [17/17]
神秘的な力や能力を求める者は観念の中に止まるものじゃ。
観念を超えた境地にはどのような力も能力も無いのじゃ。
それらは世間の競争に有利になるだけのものであるからのう。
それで世間により強く執着するならば悟りには障害でしかないのじゃ。
それらも死によって無くなるだけの力なのじゃ。
不死の境地には辿りつけないのじゃ。

鬼和尚の仏教購読会 別館
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/

662:避難民のマジレスさん[]:2019/07/06(土) 23:21:50 ID:LC3de7YgO [401/401]

660
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
~SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part1

  サットサンガとは、サット、真理との交流、
  唯一「それ」、愛そのものとの交流を保つことがサットサンガだ。
  真理といること、賢者といることがサットサンガだ。
  サットサンガには過去、未来は存在しない、
  「これ」とか「あれ」も存在しない、
  あなたの本質のみ、美の世界だけが存在する。
  サットサンガにやって来る人は幸福だ、
  神でさえサットサンガに出席する為に人間の姿をとってやって来る。

  グルの現存がサットサンガだ。
  サットサンガでのグルの役割は、
  役割はないということを示すことだ。
  あなたが「私は誰か」と問わないかぎり
  あなたは「部分」、破壊されるものになる。
  
  人間としてサットサンガに参加できるのは大変貴重でまれなことだ、
  「これは何ですか」、「あれは何ですか」と愚かな質問をすることによって
  サットサンガを無駄にしないことだ。
  ただ謙虚に「私は一体誰か?」と自問することだ。
  サットサンガでは注意散漫にならないこと、
  記憶や概念というロープで過去と結びついているのなら
  サットサンガの外にいる。
  時間は概念で、サットサンガは時間を超えている。
  ロープや概念のないところ、心が散漫にならないところ、
  説明の必要がないところにいなさい、
  これが真理だ。

  サットサンガというのは舌のない教師と頭のない生徒の集まりだ。
  頭を閉じてハートを開きなさい。
  真理は沈黙の中で明らかになる。
  ハートを開いて、唯一「それ」に注意を払いなさい。
 
  自由への強烈な欲望は開いたハートの中に湧き上がって来る。
  この欲望はサットグルが教えの種をまく土地の肥やしになる。
  サットサンガはこの開いたハートに降る雨滴だ。
  自由の近くにいる人達には指導が必要だ、
  暗闇にいる人や、光の中にいる人には必要ない。

  サットサンガだけがあなたを苦しみから連れ出すことができる。
  サットサンガがあなたは常に静寂であったと明らかにするからだ。
  サットサンガとは「私は何々です」というのではなく
  真我としてとどまることだ。
  どのようにあなたが束縛されているのかと訊ねるのがサットサンガだ。
  サットサンガは束縛と傲慢さの根っこを断ち切ってしまう、
  少数の人が直面できるマインドの死だ。
  平和は記憶やマインドの中に住んでいるのではない、
  「ここ」に、唯一「ここ」にある。
  平和があなたの本質だ、
  サットサンガがあなたにそれを思い出させる。
  怒り、悲しみ、混乱に燃えている時は
  サットサンガの川にまっすぐに走って行きなさい。

  三つの道がある:知識、神への愛、ヨガ。
  このサットサンガでは唯一、知識:「私は一体誰か」という知識について話す。
  ヨガはここでは話さない、神への愛は全くここでは話さない。
 
  サットサンガであなたの疑問を取り除かねばならない。
  疑いだけがあなたを自由から遠ざけているのだから。
  ハートに住む疑いの蛇は、サットサンガで殺される。

  サットサンガとは、信念、意図、考え、欲望、幻想を捨てることだ。
  これが自由に到る秘密だ。
  「創造」という概念がプルシャからやって来る。
  そして、「創造者」と他の全ての概念が共に創られた。
  これらの概念に対する執着のために概念が私たちの現実となる。
  唯一サットサンガでこれらを取り除くことができる。
  この苦しみを取り除く為には
  どんな犠牲を払ってもサットサンガに出席することだ。
 マインドを活用しないでいることがサットサンガにいることだ。

  サットサンガとは静かな、隠遁の場所という意味だ。
  これは内なるハートの中にある場所だ。
  みんな裸でサットサンガにやっておいで。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

663:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2019/07/07(日) 22:38:41 ID:1d4drIFg0 [248/248]
真のサットサンガとは心の中にあるものじゃ。
真摯に悟りを求める心があるならば、どこでもサットサンガになるのじゃ。
聖者と共にいても金のことばかり考えていてはサンガですらないのじゃ。
真摯に悟りを求める者だけがそこに行けるのじゃ。

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