専門家のための手相教典(1) 西勝造

専門家のための手相経典(1)
原著 サン・ジェルマン
訳者 西勝造

PREFACE-TO-BE-READ.

Among the tens of thousands of American readers who have given such a pleasant welcome to my syndicate articles and to my elementary work entitled “PRACTICAL PALMISTRY,” a large number have done me the honor of communicating with me with a view of increasing their knowledge of this most fascinating science. Many have even visited Chicago and requested me to give them personal and exhaustive instruction in Palmistry. I finally decided, a year ago, to comply with these solicitations, and have devoted a few hours, everyday, to the teaching of the science rendered famous in this XIX. Century by the splendidly successful efforts of Desbarrolles and d’Arpentigny. Class after class attended my studio and received favorably whatever conscientious instruction my twenty-nine years of chirosophic studies entitled me to give them. Typewritten copies of these lessons were distributed to the pupils, and gradually modified so as to suit almost any fair grade of intellect. They have now grown to the size of a two-volume manual, and having stood well the test of actual and widely approved teaching, they are presented to the public at large with large additions, modifications and improvements and with over 1,100 illustrations especially drawn for this work.



私が先に会員組織で公刊してきた論文や「実地観掌法と題する入門書」を熱心に支持された幾多の読者中、多数の人々はこの極めて魅力深い科学に関する知識を更に深めようとする趣旨から、私に種々の照会を寄せられた。また多数の人々は、私を訪問せられ、観掌術につき、親しく指導を求められた。そこで私は1年前こうした要望に応えると共に、毎日数時間を割いて20世紀の初葉デバロールおよびダルパンチニーの驚異的な成功によって一躍有名となったこの観掌法の教化に努める事に決意した。あらゆる階級の人々が、私の研究所を訪問し私の29年間に亘る観掌法の研究から良心的な啓示を受けていたのであった。私は、こうした啓示事項を印刷して門弟に配布したが、後にはこれを適宜修正して相当の学識ある人ならば、誰にも了解できるものとした。こうして積もり積もってきた印刷物は、2巻の手頃の書籍をなすだけの量に達し、しかも、その内容は実際に広く吟味を受けて妥当なことが確認されたので、これに幾多の増補や改訂を加え、特に1254以上の挿画をも付して、世に問うことしたのである。

As a patient and painstaking instructor ── and I may claim that much without fear of contradiction── I have aimed at the following results, which I failed to see realized in any book on Palmistry published to this day:

1.Clearness and absence of useless theorizing.

2.System and thoroughly logieal classification.

3.Completeness. In this respect I may be allowed to state that the present book contains between two and ten times more reliable ohservations than any work published in the English tongue.

堅忍な、且つ労苦を惜しまなかった教えとしての体験から、──私はさしたる異論を受けずにそう言えると信じているのであるが──私は、従来公刊されて来た観掌法の書物が閑却している次の3点を特に強調せざるを得なかった。

、明確にして無益な理論を避けること。

、系統づけて論理を一貫せる分類とすること。

、完全なものとすること。

この点に関しては、本書は従来英文で公刊された類書に比し、2倍ないし10倍も信頼し得られる観察を載せていると公言して憚らない。



例えば比較的最近公刊された観掌法の浩瀚な書物を2冊繙いてみた所、その一書は、生命線およびこれから派出する勢威線に関する事例を69例挙げているに過ぎず、他の一書は49例を示しているにとどまっていた。本書では、その事例を200以上も挙示してある。しかもこれらの事例は、第一義的重要性を持つ物ばかりであり、個々の事例に就き夫々逐一的に説明をも加えてある。

こうしたテクニカルな事柄を豊富に記載した外、私はデバロールおよびその他の人々の原本あるいは、私自身の体験から多数の実例を選出して本書に添加した。

斯かる極めて興味深い実例には、夫々挿画を付して理論的考察を補足してある。斯程に精密で而も変化の多い観掌法の研究が複雑多岐に亘っているのは当然の事であるが、これを門弟達に把握させるには、こうした例示方法を取るの外は無い事を知ったのである。

明確を期し無益の理論や詩文的記述を避ける事に関しては(詩文的記述が真摯な研究者にとって耐え難い事は言う迄も無い所であるが)私は、自己の所信もしくは他の独創的な人々の信念から産み出された若干の周知の理論に就いて述べるにとどめ、徒に多方面の論説に言及する事を厳密に避けた事を述べておきたい。

私は、敬愛する先哲デバロールの所説さえそのまま鵜呑みにせず、その占星術上の臆説や密教的な推断を排除したのである。

私が夙に体得した所見によれば、手の神秘を説くには、生理学のみで足りるのである。事実私はここでこう断言して憚らない。私の慎ましい判断を以てすれば、手の神秘などと言う物は何ら存在しないのである。観掌法の不文明な一派たる掌紋術(キロマンシー)も秘学の領域を脱却して、科学の一部門としての公明な地位を取りつつあり、従って最早科学の卑しむべき落とし子では無くなっているのである。

そこで、私は、序説としては、このデバロールが観掌術に与えた明快な生理学的解決を述べるにとどめた。私が読者に示す唯一の理論は、このデバロールの生理学的解釈と、本書の所々に示した若干の推論だけである事を予め指摘しておきたい。元来本書は正確に手を読み取る方法の具示を唯一の目的とする物であるが、その目的に悖る様な事を避けざるを得ないのである。

さて、私は、ここで襟を正して本論に還り、若干の必要と思われる解説を加えた上、「職業的目的の為の観掌法の研究」と題する本書の中で、私の述べようとする所を、私の門弟方(本書の読者は私の門弟となられるものと思うが)へ要約してみたいと思う。

第1に本書の題目に就いて苦慮されぬ事が望ましい。専門的と言う言葉を特に挿入したのは、諸子を辟易させる為ではなく、確たる目的があっての事であった。つまりそれは諸子が信頼し得べき精妙な観掌術家となられる為に不可欠な一切の知識が本書の中に用意されてあると言う意味なのである。本書によって十分研究を遂げられるならば、諸子は専門的に観掌法を行い、誠実に生活の糧を獲得する事も出来るであろう。境遇や仕事の関係から専門的に観掌法を行い得ぬ場合にも、観掌法に就いて完全な知識を把握されておれば、諸子自身のみならず諸子の知己に対し、日常極めて貴重な効益を与える事となるであろうと信ずる 。

次に、観掌法と言う物を全然知らない読者に対し、特に言っておきたい事がある。本書は甚だ精密な物ではあるが、観掌法の諸問題をその基本から説いてあるので、暇潰しに観掌法を齧った事のある人々には勿論のこと丘や線の名称さえ知らない全くの素人にも十分役立つであろう。事実私は、外見上極めて簡易に見える他の多くの観掌法手引書などよりも、本書の方が遥かに理解し易く且つ把握され易いと確信している。斯かる観掌法の如き物にあっては、分類は、途を照らす灯の様な物である。分類が完全で且つ論理一貫しておれば、分類の数の如何は、比較的問題では無い。

しかし初学者の方々への手引きとして、最後に本書の研究法を略述しておきたい。


本書の研究法

(1) ゆっくり読む事。恰も自分の家に火災が起こったかの様に、節や章を走り読みせず、最後の一行まで精読する事を忘れてはならぬ。

(2) デバロールの観掌法の生理学的解説や手の地図を精読しない内に、第1部の予備知識より先を読まない事。専門語は少数であるが、これを十分に脳裏に刻み込んだ後でなくては、その解釈を下してはならない。

(3) 本書を初めて読む時には、次の章および散在する節を後回しにする事。

手の基本

峰の紋理

本書に散在する事例

指および親指の線と紋理

観掌事典

これらの事項は、閑暇のある時に更に頭脳を精密にするため留保する様にしたい。
そうする方が得策であるし、実際に利益を受ける所以でもある。

(4) 落ちなく続けて読み、自分または他の人の好奇心を満足させるため先走らぬ様にする事と、或る1つの事項を半齧りにして他の事項へ移って行く事は、研究そのものを嫌にしないにしても確かに退屈させるに違いない。観掌法は1つの言語である。従ってこれは他の言語と同じく、先ずその構成要素たる文字、綴り、語、文章、節、頁、巻を順序正しく咀嚼して把握する外ない。
速成は、決して業を全うする所以では無く、錯誤などよりも却って、多くの観掌家になろうとする人々の大望を無残に挫くのである。

(5) 最後に本書を以て観掌法の手引書とされる時には、その内容を逐一的に把握する迄は、これを放棄しない決心を固めて頂きたい。本書を精読しておられる時には、他の観掌法の書冊を繙かず、他の観掌家の説を聴かぬ様にされたい。こうした雑音の混入を防ぐ事は、諸子が本書でなく、他の書冊や指導者を選ばれる時にも著しく肝要な事である。要塞が攻撃される時には指揮官は唯一人でなければならぬ。現代の正統観掌法の如き精妙な科学の領域に於いては、一時に一名以上の指導者は許されない。

右に述べた簡単な助言、警告および鼓舞に加えて、私は、諸子が職業的目的の為の観掌法の研究から、幾分でも、光明と精神的裨益とを得られる事を望んでやまないのである。私自身は本書の唯一の直接的鼓舞者でありまた傾聴に値すべき先哲ダルパンチニーおよびデバロールの名著を繙き多年に亘り毎日の精神的糧を得てきた事を告白せねばならぬ。


第1部 予備的知識

「動物界を大雑把に調べてみると、我々は次の様な重要な結論を得るであろう。我々は肢の構造からして、その動物の全勇有機組織を完全に洞察し得るのであって、獅子の様に他の動物を引き込ませ得る鋭い爪の付いた足を見れば博物学者は、直ちに、その歯も強く、顎も強力で肢の筋力の大きい事を指摘するであろうし、他面牝牛の裂蹄を見れば、その胃の複雑な構造やその顎の明確な特徴や、その菜食の特異性も、同等の正確さを以て予言する事が出来るであろう」



第1部 序論

デバロールの序説

その紹介

アドリアン・アドルフ・デバロールは1801年8月22日パリで生まれた。当時用いられていた革命暦によれば、「1つにして分離し得ない共和国第9年実月(第12月)の4日」に生まれた事になる。彼は、50年の半生を観掌法、彼の好んで用いた名称によれば掌紋学キロマンシーの研究に捧げ、1886年2月11日に、愛するパリで85歳の一生を終えた。彼は地獄街ダンフェル(現在のサン・ミッシェル通り)95番地にあったアパートで、毎日観掌を行っていた。従って彼にとっては、この掌紋学は、ただ単に理論の上からばかりでなく実際上からも好ましく且つ魅力の大きい職業であった訳だが、彼は更に進んで、これと同族で秘学に近い骨相学、人相学および筆跡墨色学を深く究め、易学の領域に於けるこの新分野に就き、精妙を極めた著作物を公表さえした。文化の黎明以来人間の脳を悩まさせていた斯かる神秘的な示顕を解く鍵はカバラの古い教えの内に見出されると、彼は常に確信していた。彼の説によると、全ての知恵、全ての知識、全ての指針はカバラの密教から、発出すると言う。つまり、神の世界、精神の世界と物質の世界と言う3つの世界が実在しており、地上の諸々の偉大な宗教は、これを霊魂、精神および肉体の3つの要素として普遍的に認めていると言う。

卓抜した論理学者であったデバロールは、こうして不断に3つの構成要素に分離される実体を辛抱強く、跡付けて行き、向上心、行為と具現化の、種々な内的および外的示現を通じてこれを捉えた。彼は、我々人間の内に於いて、3つの力が働いている事を認めたが、それら3つの力が諧調を保っているのは、稀である事を知った。最下位の物は形而下的な肉体、つまり本能であり、最上位の物は、肉体の神聖な延長である。この中間には、凡ゆる時代の科学者が常に探求してやまなかった連関物がある。それは、心臓、脳、つまり有形的生命と精神的生命とを結ぶ星体である。

この傑出せるフランスの掌紋学者は、こう言う様に前提の上に立って、驚嘆すべき伽藍を建立したのである。彼は、その建築石材を、長く見捨てられていた採石場から取って来た。古代の哲学者も又この採石場から素材を取り、精魂を尽くして人智の偉大な記念碑を建立したのであったが、近世に至ってから、この採石場も長く打ち捨てられてしまった。これを具体的に言うと、彼が素材として用いたのは、まずインドバラモン教の深奥を極めた教義、更に遡ってはエジプトの僧侶やチャルダンの占星者の幽玄な教祖があり、ピタゴラスの素晴らしい世界観や我々が今日問題とせる幾多の具象に対しアリストテレスの与えた卓越的な啓示がある。デバロールはまた中世の錬金術家や占星術の深遠な奥義を極めたアラビア、イタリア、オランダ、ドイツ、フランスおよびイギリスの賢者達の説を、その重厚な著書に就いて探究した。それは人間の生前、生涯および死後の運命に就き幾分でも多くの啓示を得んが為であった。近代に至っては、医学、自然科学および哲学の最も進歩せる学説を渉猟し、彼自身の立てた学説の直接的および間接的実証を採取した。デバロールは、一面に於いて、極めて傑出した学識を具えていたので、詭弁学者の詭計な説に迷わされて迷道に陥るような事は無かった。デバロールは、唯にこうした豊富な知識を吸収したばかりでなく、これを良く消化し、こうして豊富なる頭脳を働かして斯かる広汎な探究をなす人々や能力の無い人々を啓蒙したのであった。彼は、その卓抜した能力を尽くし、半世紀に亘る日々の貴重な体験を土台として、ついに一書を物した。この書物こそは、観掌法の分野に於ける典籍として永久に遺るべき物であり、近年観掌法の科学として普遍的に認められつつある所以は、デバロールのこの著書に根底を置くと言うも過言ではない。

元来観掌法と言う問題は、複雑多岐を極めているので、これに関して究極的な結論が与えられている訳ではない。思うに嬰児が、この世界に生まれて驚異な眼を見張る限りそうした結論の下される事は無いであろう。

新しい手と新しい発見、観掌学は全て、この2語に尽くされると言って良い。しかし手や掌の示す種々な形状や紋理の90パーセント又はそれ以上を解義すべき原理は、卓抜せる先哲によって樹立せられているので、我々は、これに即すれば、多くの問題を解く事が出来る筈である。デバロールの啓示する道を逸脱して、自らの独創力に恃むが如き児戯に類する態度を取るのは、恰も田舎の石工が、巨大な寺院を独力で建立し様とするのと同じ程の愚挙であり、また不遜でもある。斯程愚かしい業は無い。科学としての観掌法は、いま過渡期にあるので、斯かる愚挙は、無知な人々の激烈な反対を呼ぶよりも却って、観掌法その物の進歩を阻害する物である。仮に観掌法と言う物が世論聴聞会の法廷で自己を弁護する立場に置かれたとしたら、開口一番「ああ、神よ、私を味方から守り給え、敵は私が始末いたしますから」と叫ぶであろう。

今や観掌法に関する一般の好奇心が真摯な知識の渇求に転向しつつある今日、我々が望んでやまないことは、この先哲の諸々の啓示を収拾し、その絢爛たる粉飾と博学な記述とを剥ぎ取って真髄だけとし、これを適当に系統付け、誰でも容易くデバロールの観掌法に関する解義を容易く把握し効益の受けられる様にする事である。

反復観察しては実証し、確実である事の認められた新しい事項を、所々に付加するのは許される所であろう。然し乍らデバロールが、その著書、完全な啓示(遺憾ながら幾多のイギリスの剽窃者が生噛りして悪用している)に記述せる650の事例は、幾多の類似観察の基礎としている物であって、素人にも或は  専門の観掌家にも、完全な基礎知識として役立つ事を忘れてはならぬ。

我々に必要なのは、その分類と説明である。然しデバロール自身も、この点では余り成功しているとは言えない。彼自身から言えば、その分類も完全な物であり、論理も一貫しているい違いない。

恨むらくはその論理は、普通の人々には余りに高遠過ぎるのである。何か手引きとなる様な物が無ければ、他の幾多の人々と同じ様に、この迷路に迷い込んで路を失うであろう。

私は永年に亘る刻苦により、斯かる手引きの糸を、しっかりした物に縒り上げ、精密な注意を尽くして、差し伸ばし、観掌法を行う人々を迷路から引き出す方便とし、陽光と新鮮な空気つまり真理に向かって  開く門へと導いて行こうと試みたのである。

ここで少し私の立場を弁疏しておきたい。

アトリアン・デバロールは、決して、ここに示した様な序説を書いた訳では無かった。
彼は、私が最後の観掌法に関する著書を書き出す1年前に死亡した。

従ってデバロールは、本書の受くべき毀誉褒貶には何等の関わりもない訳であるが、私が本書で彼の名を付して引用せる文章は、悉く彼の確固たる信念から選り出でた物であり、且つ彼の原著から誠実に翻訳せる物である事を言っておきたい。次に示す序説は言わば彼の説の真髄を捉えて総合した物と言ってよかろう。彼は極めて文章を良くした人であったので、その所説を逐一的に渉猟してみる事も興味深いであろうが、一般研究者にとっては蘊奥に失して効益があろうとは思えぬので、ここでは割愛する事にした。例えば、デバロールの研究になる古代占星術であるカバラの秘学は、序説にもまた本文の中にも引用してない。

(つづく)

西式健康法創始者 西勝造創刊 「西医学」1963年2月 第25巻第8号

The Practice of Palmistry for Professional Purposes C. de Saint-Germain

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