西式強健術と触手療法 はしがき

はしがき

一たび手を按ずればたちまちにして躄(あしなえ)が立ち、盲(めしい)が光を見たというキリストの奇跡は遠き神秘として今に伝えられている。また隻手の声によって病を癒したという仏説は、我々には永劫に摩訶不思議のこととされていた。しかるに昭和の今日に至って、それが科学的に説明され、また何人もある程度までこれを体得しうるということが明らかになった。それは最近、東京市技師西勝造氏によって創案提唱されている西式強健術と触手療法とである。同氏の講演と実演会には、いつも聴衆が堂に溢れて立錐の地なく、入場を断られるものが非常に多いという盛況である。聴衆はその該博なる知識と、合理な科学的説明に陶酔し、また腕の動かぬ人が僅か数分間の触手療法によって、自由に腕を振り動かしうるに至るなど、その奇跡的情景を目撃して驚嘆しないものがない、今や西式強健術と触手療法とは、燎原(りょうげん)の火のごとく一般の健康法を風靡せんとしている。

今日各方面の名士のうちに該強健術の実行者すこぶる多い。貴族院議員日本石油社長橋本圭三郎、日石専務田中次郎、前勧銀総裁梶原仲治、法学博士青木徹二、秩父洋灰社長諸井恒平、第一銀行副頭取石井健吾、貴族院議員東郷安、帝麻専務阪本治郎、画家横山大観、文士中村武羅夫等々の諸氏で一々枚挙することができない。

創始者西勝造氏、神奈川の人、明治37年東京府下淀橋にある今の工学院の前身工手学校の土木科を卒え、三井鉱山会社に入り、44年三井の研究生として明治専門学校に派遣され、おること3年再び三井に帰り、長崎県松島炭坑の竪坑開削係長として勤務した。大正6年某実業家より奨学金1万5000円を得て渡米し、コロンビヤ大学に入って隧道工学を研究し、傍ら病弱の故をもって古今東西に亘るあらゆる健康法を研究し、8年帰朝するや、福岡炭坑第三抗長となり、10年9月転じて芝浦商事会社技師長兼支配人となった。翌年5月さらに東京市電気局に入り専ら高速度鉄道の計画に参加し現職に至っている。その間絶えず余暇をもって和漢洋の健康法を研究しその数実に362種の多きに上り、一々自らこれを実地体験し、各その精粋を採って打って一丸となし、氏独特の西式強健術および触手療法を創案したのである。

その方法は極めて簡単にして老若男女を問わず何人も修得用意、また時間的には毎日朝晩10分間ずつの実行で足りる。しかも、その説くところは、全て現代科学の基礎の上に立脚し、その効験極めて顕著がある。

30余年間、常に国民保健に貢献してきた我が「実業之日本」が、一度本強健術を掲載するや、満天下の読者諸君の間に一大センセーションが惹き起こされ、さらに単行本としての出版の声は各所に嵐のごとくあげられた。かかる白熱的要求に応えるため、西氏は「実業之日本」誌上に掲載せられたる原稿に訂正増補を加えて世に贈る心組みであるが、繁激なる職務と各地よりの宣伝講演に引き回され、遺憾ながら、未だ完成するに至らない。

そのため、熱烈なつ愛読者諸君よりの出版催促の追及日々に猛烈となり、本社もまたかかる愛読者の熱望を座視するに忍びず、ここに 「実業之日本」 誌上に掲載せられたる原稿を整理し、上梓することとなったのである。

編者しるす

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