栄養の実際について 甲田光雄

栄養の実際について 

<「西医学」夏期大学研修会講演要旨>

甲田光雄(八尾健康会館長)

(1)食塩の重要さを認識すること

今年の夏、入院してこられた一婦人は胃潰瘍でなかなか治らず、長い間困っておられたのでありますが、実は古くから西式の生活を続けてきたというのです。

なるほど、聞いてみると朝食はちゃんと抜いておりますし、生野菜も食べております。生水や柿茶も欠かさず飲んでいるというのです。平床や硬枕もやっております。

そこで、今度は主食は白米かそれとも玄米かどうか、そして1日の食べる量はどれほどか、生水の飲み方やその量はどうかとか、また生野菜の食べ方やその量について尋ねてみました。それに、甘いものが好きかどうか、大食家であるとか、副食には大抵どんなものを食べてきたかとか、朝食を抜いてはいるが夜食や間食はしないかとか、栄養の面でいろいろと尋ねてみたのであります。

病気は四大原則のどれが欠けても起こってくるものです。栄養、皮膚、四肢、精神、この4つの中の1つも疎かにできません。

ところで、栄養の面では食べ物の質と同時に量の問題があります。質の方は、これはもう言うまでもありません。白米飯よりは5分搗きや玄米飯、あるいは麦飯のほうが、また白砂糖よりは黒砂糖のほうが、湯冷ましの水や煮た野菜よりは、生水や生野菜のほうがよいということ、それに海藻類や小魚類を食べれば健康になるということは皆さん先刻ご承知のはずです。

一方、食事の量のほうでも、この質に劣らず健康の上に大変な影響を及ぼすこと、これも皆さん頭の中では一応よく知っておられるでしょう。

「腹八分目に医者いらず」という格言は正に千古不変の真理でしょう。

したがって、食事療法を指導する側も心得たもので、患者さんから「先生、食事はどれくらい食べたらよろしいでしょうか」と尋ねられると、「腹八分目に食べておきなさい」と簡単に答えられます。

これは正に名答なのですが、その実なんとうまい逃げ口上でしょう。これは、いま忙しくて、その患者さんに細かく食事療法を指導してやる時間がないのか、それともこれを問われた者自身も、実際にどれぐらい食べさせたらよいのかを知らないか、どちらかです。この患者さんには、1食の飯の量はだいたい何g位、生野菜も何g位、と一応は指示してやれるような経験者なら、この人自身も真剣に食事療法に取っ組んでいる人です。

こう申しますと、皆さん方の中には「飯の量を毎日何gずつ計量して食べるということは、却って健康になれないものだ。人間の身体は機械ではあるまいし、そんなに食事に捉われてしまうのはいけないじゃないか」と反論なさる方がきっとおられると思います。

確かにその通りです。しかし、司教ともなれば一応この道を通ってちゃんと経験しておかなければなりません。型に入ってから今度は型を破ってゆくのです。

現在、本屋さんに行きますと食事療法の本がたくさん出ておりますが、その内容を見ますと食事の質の問題はとにかく、実際的な量の問題になりますと、大抵ぼやかしてしまったり、はっきり書いてあるのはカロリー計算でちゃんと標準カロリーに合うようにしております。これらの指導者たちが、自分自身真剣に食事療法と取っ組んでおられないということが、こちらにはすぐわかるのです。

ですから、このような書物を読んで、その通りに実行なさっても、それで健康になれるかどうか誠に疑問です。それは、結局著者たちの実学ではないからであります。

食事療法の実際というものは、簡単なように見えて、その実は誠に難しいものなんです。これを指導する人は、本当に自らを実験台にして、実際に工夫研究し、日々の食生活の中から真理を汲み取ってこなければなりません。でなければ、一人の患者さんの食生活を聞いても「ははあ、ここが間違っているな」と、ピンと察しがつかないのです。

さて、さっきの胃潰瘍の婦人なんですが、西式の生活をずっとやってきておりまして、ちょっと聞きただしたところでは何で胃潰瘍になったのかわからないのです。

大食家でもないし、夜食や間食もしない、甘いものもあまり食べない。生野菜も食べ、生水も飲み、朝食も抜いている。さればといって、四大原則のなかで精神的な悩みやストレスもない。胸椎の5番、6番、7番以下それほどの副脱臼もない。ではいったい何が原因だろうか?

ところが、食事療法に経験のある者はちゃんとわかるのであります。

その患者さんの生水の飲み方や、生野菜の食べ方、および食塩の摂る量を聞いているうちに、これは大変な誤りを犯しているなということがはっきりとわかるのであります。

本人はそれでも自分がやってきた西式は正しいものと思い込んでいるのです。これが厄介です。生水はたくさん飲めばよいというのでガブガブ飲む。食後でも大いによろしいというのでコップに2杯くらい飲んでいる。それに生野菜もできるだけたくさん食べようというのでバリバリ噛んで食べる。生野菜をバリバリ噛んで、その上から生水をガブガブ飲み、それで肝心の食塩はどうかというと努めて摂らぬようにしている。

なぜもっと食塩を食べなさらないかと問うと、「食塩が過剰になると腎臓を悪くいたしますし、また便秘しますから」ともっともらしい理屈をおっしゃるのです。

それでは便通のほうはどうですかと尋ねると、「どうも腹が張り具合ですっきりと便が出ませんし、また水落の辺りが重苦しく、も一つすっきりと空腹を感じないのです」といかにも身体のだるそうな感じの体貌で返答なさる。実際、自分でも「何でこんなにこの夏は身体がだるいのだろうか」と大変苦しい思いをしておられるに違いないでしょう。

こう申しますと、皆さん方のなかにも一人や二人、いやもっと多いかもしれませんが、同じような過ちを犯しておられる方がおありかと思いますが、いかがでしょうか。

本人はこれでよいと思っております。これで本当に健康になれると信じ込んで、人にもそのように伝えてこられたに違いないでしょう。しかし、このような生水の飲み方、生野菜の食べ方、食塩の摂り方では、豚のような健康な胃の持ち主ならいざしらず、常人以下の弱い胃腸の人なら必ずといってよいくらい胃を悪くしてしまうのです。

そこで、注意して見ておりますと、あるわあるわ西会の古い会員でも、このような誤りを犯して胃潰瘍にまでなってしまった人の多いこと!

先日も、大阪の茨木から古い西会の会員さんが来られて、「実は胃の調子が悪く空腹になったら痛むので医者に診てもらったら、胃潰瘍で相当大きな傷だから手術して切り取ってしまえといわれたんですがどうしましょうか、断食でもしましょうか」と尋ねられました。

よく事情を聞いてみますと、やはり同じような食事の誤りを犯しております。そこで、まず生水も柿茶も、食事中および食後3時間は飲まないように注意し、「午前中か空腹時にどんどん飲みなさい」とおすすめしますと、何だか変てこな西式だなというような顔をしておられます。

また、生野菜は必ず泥状にするか、いっそのことジュースにして水で薄めて飲むことにさせました。絶対に歯でバリバリ噛んで食べないように注意しておきました。次は食塩ですが、これはもう本人がびっくりするくらいたくさん摂らせます。夕食の粥のなかに約10gくらい入れて、辛いのを食べた後、寝るまでいっさい水も茶も飲ませないのです。

何でも胃が悪くなったら断食か純生食をして治すという考え方はいけません。今までの自分の生活のどこが誤っているかということを深く考察して正しい生活法を汲み取ってゆくことが大切なのです。これがなかったら、何遍断食をなさっても同じことです。

で、この患者さんも入院の婦人も、私の処方でみるみる元気になり、胃部の症状も消えてしまいました。

こんなことがどうしてわかったかと申しますと、私自身が人一倍弱い胃腸の持ち主であったからであります。強い胃腸でありましたら、おそらくこの誤りにも気がつかず、多くの人々に同じような誤った指導をしているかもわかりません。

今までに何と多くの人々にこの誤りを指摘してきたことでしょう。そして皆一様に喜んでくださいました。「30年間も西式をやりながら、いま初めて本当のことがわかりました。もっと早いことこれがわかっておればなあ━━。しかし、ぜひその他の会員さんにこの誤りを繰り返させないようにしなければなりませんね」これはあるベテラン中のベテランが心から述懐された言葉です。

胃を強くするために食塩の大切なことはちゃんと西先生が教えておられます。一方、生水を飲むことも力説しておられます。しかし、原因は1分1g主義、あるいは30分30g主義です。

ところで、また食塩の過剰は腎臓を悪くするから、2、3週間に1日は必ず塩抜き日をつくることと教えておられます。これは皆さんひっかかってしまいます。食塩を多く摂れば腎臓病になると恐ろしがって努めて摂らぬようにしておられる。それに加えて、生野菜はできるだけたくさん食べようというのでバリバリ食べ、生水もしこたま飲む。食事時に生水を飲むことも大いによろしいというわけであります。果物にはビタミンCがあるから、とこれまた毎食欠かさない。

果物や生野菜のようなカリウムの多い食物を食べますと、それにしたがって、ナトリウムがぜひ必要になってくるのです。腎臓からカリウムが排泄されるときは、必ずナトリウムとカリウムの比が2対3の割合で出てゆくからであります。

ですから生野菜や果物を多量に食べますと、否応なくナトリウムが尿へ出てゆきますから、ますます食塩の欠乏をきたします。

ところが大事なことは、皆さん方の中で本当に2、3週間に1日の食塩抜きをやっておられる人が案外少ないのです。この塩抜き日は非常に重要な意味を持っております。それは、私たちの身体の食塩の吸収をよくするような体質をつくってくれるからです。私たちが断食とか生食とかで食塩を摂らぬようにいたしますと、腎臓から今まで排泄していたナトリウムを逃さないような働きが強まってくるのです。今まで通りにどんどんナトリウムが腎臓から出ていったんでは、たちまち食塩欠乏に陥ってしまうから、生体の防衛反応です。

すなわち、減塩食にしますと、腎臓からレニンという物質が出て、それがアンギオテンシンとなり、これが脳下垂体に影響を及ぼし、ついで副腎からアルドステロンというホルモンが出てまいります。このアルドステロンは腎臓の尿細管のところで、尿の中に出てゆくナトリウムをもう一度再吸収して逃がさないようにするのです。ですから、1週間も断食いたしますと、このアルドステロンが増えて、ほとんど尿中へ食塩を逃がさないようにしますので、尿中のナトリウム量が非常に少なくなります。

そのため、断食が終わって、今度はちょっと塩辛いものを食べましても顔にむくみが出てしまうのです。それは食塩の吸収が非常によくなったからで、食塩の量が少なくても、ちゃんとやってゆけるような身体の仕組みに変わっているのです。このように、食塩の摂取量を減らしてもじゅうぶんやってゆけるような身体にするためには、ぜひ日頃から2、3週間に1日の無塩日をつくって、必ず実行しなければならないのです。禅僧が1日5g以下の食塩でじゅうぶん生活できるといっても、そう簡単にそんな身体にはなれません。そこは日頃からの訓練であります。

次は汗の問題であります。私たちが減塩または無塩食をやりますと、尿からナトリウムを逃さないような調節能力があることはわかりましたが、それでは汗の中の食塩はどうでしょうか。

汗の中に出てゆく食塩は100gの汗の中に平均して0.5と西先生は教えておりますが、これが減塩、あるいは無塩にしたときには、尿におけるがごとく食塩を逃がさないような調節能力があまりないのです。それで、食塩を摂らずに夏の発汗の激しいときにはたちまち食塩欠乏に陥ってしまうのです。

断食をやりましても、暑い夏季ですと盛んに汗をかきますが、尿のほうへは食塩を逃さぬようにできても、汗のほうに食塩が出ていきますから食塩欠乏に陥ります。それで、夏の断食にはいっそう注意が肝要というわけです。

ですから、夏の暑いときの食塩補給をじゅうぶん心がけておかぬと、先述の人たちのような胃潰瘍で苦しむという体たらくになって、西式をやっていて何じゃということになります。

理屈はとにかく、西医学は実学なのでありますから日頃まじめに実行して、そして自分の身体に問えばよろしいのです。さすれば真理をちゃんとそこから汲み取ることができるのです。いろいろとやってみても、いっこうに健康になれないのは、それはどこか宇宙の法則にはずれたことをやっているからでありまして、自然は調和ですから、正しい生活をやっておりましたら健康になってくるのが道理であります。

食塩が過剰になれば便秘をするということを知っている人が、どうもこのごろ便秘気味である、そこで1日塩抜き日をこさえて塩分を控えるということを実行してみる。ところが便通がつくどころかますます便秘気味で腹が張ったようになって調子がよくならない。腹の減り具合も悪い。そこで、今度は逆にうんと多い目に食塩を摂ってみる。すると便通もよくなり、腹の減り具合も大変よろしい。足も軽くなってきたというふうに症状が好転するのを経験すると、もうそれからはこのコツがわかって自分で舵取りがうまくできるようになってくるのであります。前の便秘気味は、食塩の過剰からではなしに欠乏からきているんだなという具合に、自分の身体で感じ取ってゆくのです。

世の中の人々は皆一人一人体質が違いますから、食塩の摂る量も皆一様にはまいりません。副腎の弱い人、精神的なストレスの多い人たちは、食塩の摂取量も多くしてやらねばなりません。何でもかでも馬鹿の一つ覚えのように「それ便秘だ、食塩を抜け」などと指導していたんでは、却って悪くしているかもわからないのだということを理解してほしいのであります。

食塩みたいな、栄養学全体からみればあまり重要でもなさそうなものでも、なかなか疎かにできないということをくどくどと述べましたが、この機会に皆さん方にまじめな実践生活の中から真理を感得していただきたいと念願しているわけであります。

親鸞上人でさえも歎異抄の中で、

「是非しらず邪正もわからぬこの身なり……」

といっておられますように、自分では正しいと思っていることでも、もっと高い神や仏の目からみれば、まだいろいろと間違ったことをやっているかもしれないという、非常に謙虚な気持ちで実学の中に真理を汲み取っていこうではありませんか。

(2)食事の量について

次は食事の量のことについて、実際に患者さんの例をひいて申しあげます。

この5月に入院してきた30歳の男子。2、3年前より蕁麻疹が出て困っておりました。初めの頃は注射や薬で一時的に治りましたが、それもだんだんと効かなくなり、最近では何をやっても痒みがとれなくなり、ついに断食に踏み切ったのであります。

さて、10日間の断食を行いますと、さしもの頑固な蕁麻疹もすっかり根治してしまいました。もっとも断食3、4日目頃に猛烈な痒みが出まして、本人は夜も全然眠れないとこぼしておりましたが……。しかし断食が終わり蕁麻疹は嘘のように起こらず、そのうえ今まで乗り物にすぐ酔う体質でありましたのに、どんなに長い旅をしましても全然何ともなくなってしまうという余慶があり、さらに、高校生時代に野球をやっていたとき、膝蓋骨骨折を起こしてから常に膝に痛みがありガクガクしていたのも完全に治ってしまうという一挙三徳の喜びに浸ることができたのです。

それからというもの、西医学の偉大さに全く感服いたしまして、家族全員で西式を熱心に実行するようになりました。

ところで、この人の体重は断食前が65kg、断食直後57.5kgです。断食後の回復食に入って徐々に体重が増え、2ヶ月後に61kgになりました。その食事内容は、もちろん朝飯抜きで、昼と夜玄米食で6勺ずつ1日1合2勺、副食には、肉類、卵、背の青い魚などは蕁麻疹の関係で一切食べさせず、ほとんど菜食で、小魚か白身の魚を少量食べる程度です。生野菜は1日200g前後です。この食事で1日中軽労働ですが動き回り、全然疲れが翌日に持ち越されるということもなく、睡眠時間も短くなったと喜んでおります。

皆さん方の日常の食事の量と比較してみてください。食事の量が多すぎますと、たとえどんなよい食べ物でも却って健康に害になります。たとえ六大法則を毎日熱心に実行し、温冷浴は朝晩2回もやり、電車の中にまで柿茶入れの褐色の水筒を持ち込んで、ゴム輪からチューチュー吸うておりましても、小食への踏み切りのつかない人は結局健康にはなれません。中には毎日毎日好きな甘いものがやめられずにこっそり食べて、毎晩風呂場で20分入浴法をやって昼間に食べた糖分の燃焼法をやっている人があります。風呂場からなかなか出てこない。「何をやっているんだい」。「20分入浴法をやっておりました」。毒消しもまあたまにはよろしいでしょうが、こう毎晩では時間の不経済でもったいない。それにビタミンCも余分に摂らねばなりません。

こういうことをやっている間はいつまでたっても本当の健康体にはなれませんね。

今一人、四国の香川県から来られた婦人ですが、娘の頃に関節リウマチをやり、高熱が続き両足がまったく動かなくなってしまい、数年がかりでやっと小康を得て足は動くようになりました。ところが、今度は心臓の発作が毎晩起こるようになり、それがだんだんひどくなり、この10年間ほどは毎日地獄の中にいるような苦しい思いをしてこられたのです。

薬や注射はもう飽きて、ここ数年来ぜんぜん使用せずもっぱら民間療法をしており、玄米食も食べ生野菜汁も毎日飲用しておりました。

さて、私のところへ入りまして、最初断食をやらせてみようかと思いましたが、断食の反応(瞑眩)がきつく出て、本人が辛抱できないから困ると思いまして、しばらく減食しながら様子をみることにしました。

飯は玄米飯で1回200gずつ2回、生野菜は1日150gくらいです。副食は昼は豆腐か大根おろしにちりめんじゃこ、夜は少し白身の魚くらいでした。

玄米飯200gですと茶碗に軽く1杯、約5勺の玄米です。この食事を食べながら西式の六大法則を初め温冷浴や裸療法その他の運動もいたします。1日約1合の玄米ですが、最初体重が43gありましたものがだんだん減って、約1ヶ月で38kgにまで減りました。

その間いろいろの瞑眩が出てまいりまして患者さんは苦しい思いをいたしましたが、それにも増して辛かったのは空腹感であったと申します。

「先生、もう少し飯の量を増やしていただけませんか。もう腹が減ってフラフラです」

「あなたは家にいるときは一体どれくらいの飯を食べていたんですか」

「朝昼晩と1日3回ですが、1回に玄米飯を2杯から多いときは3杯も食べておりました」

こんな具合ですから、1回に玄米飯を軽く1杯それも1日2回ですから、食事をしましても食べたような気がしないというのです。この人にとっては、この200gの食事は腹八分どころか腹五分ぐらいにしか思われないのももっともなことです。

ところが体重表を見ますと、38kgからはもう全然減らないのです。ですから「まあ、もうしばらく辛抱しなさい。断食をやっている人もあるんですから」と励ましてこの食事を続けてゆくうちに、次から次へと瞑眩が出て、それが1つ1つ消えてゆきました。と同時に、患者さんの顔は日頃に生き生きとしてまいりまして、2ヶ月を過ぎる頃には本当に足も軽く階段を二っ飛びで上がることができるようになって、こんな嬉しいことはないと喜んでくれるようになりました。

不思議なことに、その頃になりますと、最初あれほど空腹感に苦しんだのに、もうあまり空腹感を覚えぬようになり、1杯の玄米飯でもやや満足して箸を置けるようになったと言うようになりました。

どうです皆さん「腹八分にしておきなさい」という言葉が何とうまい逃げ口上であることがわかるでしょう。この患者さんに腹八分にしておきなさいと言いましても、はたしてどれだけ食べたらよいか、本当のところ何もわからなかったに違いありますまい。

食事療法の実際はこういうところが本当のポイントでありまして、ここのところをうまく指導してやらないと病気も治ってこないのであります。それには、自分をまずこのような境地を味わっておかないと、そこに自信が生まれてこないのです。うまく橋を渡らしてあげることができないで途中でふらついてしまいます。

この患者さん、75日目ごろから今度は逆に体重が少しずつ増え始めたのには驚いたらしいです。こんな少ない食事でよくやってゆけるどころか、また体重が増えてくると……。

そして、今までずっと痛かった左足首とアキレス腱が完全に痛みがなくなってしまったのです。

ですから、足首の故障を治すにしても、正しい食事の量を守らなければなりません。毎日朝晩ひっくりかえって、右は扇形運動、左は上下運動と熱心に足首を治しながら夜食に甘いものを食べていたんでは何年おやりになっても何にもならないということを申しあげたかったんです。と同時に、自分のいま食べている食事の質はともかく、量をもう一度見直していただきたいと思います。完全な健康体になってしまってからちょっと食事の量を増やせば、すぐ標準体重になってまいります。初めからたくさん食べて病気を治すという手はありません。

断食や純生野菜食をやって健康になってやろうと考えることも悪くはありませんが、日ごろ正しい生活を守っておれば断食や純生野菜食をする必要のない健康な身体になるのだと強調しておきたいのです。断食や純生野菜食をするためやってこられる人たちが随分とありますが、そのうち何人が本当に断食や純生食をする資格があるかと思いますと、本当に心細くなってしまうのです。

単に自分の病気を治し、健康になるために断食をなさるのは一時的な健康にすぎません。そんな健康はすぐに崩れてしまいます。それではこちらは単なる人間の修理屋でしかありません。「退院して、悪くなればどうぞまたいらっしゃい」ということになるのです。

それではなしに、断食を機会に自分の持てるもろもろの業を絶ち切らしてもらうという気構えで来てほしいものだと思います。それでこそこちらも張り合いがあるというものです。

(3)生野菜について

次は生野菜のことですが、私自身いま静かに過去を振り返ってみまして、自分も随分と変わったもんだなとつくづく思います。

最初昭和25年ごろでしたか、今まであまり食べなかった生野菜をつとめて食べるように努力し始めたものです。生野菜を食べだしたとなると、それはもう熱心なもので、雨の日も、風の日も、雪の日も、八百屋になかったら自分の家の畑へ行って野菜を引き抜いてきては自分で洗い、自分ですり鉢ですり潰して食べてきました。正月もなければ盆もない、まさに365日休みなく食べ続けたものです。

里から別れて八尾市に住んでからも相変わらずで、ミキサーが出回りだしたら早速それを買って今までのすり鉢ですり潰してきたあの労力から解放されました。あのときのホッとした気持ちは今でも忘れられません。

それから数年して、ある瀬戸物屋で買ってきた、どんぶりが、これまた大きな鉢で、普通の茶碗なら5、6杯は入ろうというものです。それに昼かと夜欠かさずづり潰したドロドロを入れて食べました。おおよそ5年ばかりも続いたでしょうか。

それで身体のほうはどうかと申しますと、あまりパッとしなかったのです。やはり生野菜でも食べ過ぎると却ってマイナスになります。今から考えれば馬鹿なことをしていたもんだと思います。過ぎたるは及ばざるが如しです。

この頃ある機会で桜沢式の食養法をやっている人に会いまして、その人の食生活を聞いてみたところが、ここ十数年生野菜なんてほとんど食べたことがないと言うのです。そして生水のごとき湯茶はつとめて飲まぬよう努力していると聞いてびっくりしてしまいました。

ところが本人は別に病気に別段かかりもせず健康だと言い張りますし、自分の健康に確信?をもって人にもすすめているのです。

同じ人間でありながらこんなにも極端な生活法の違いがあって、しかも尚且つ病気にもかからない人間の身体の不思議な適応能力に感嘆せざるをえないではありませんか。

このことがあってから、「1つ、いろいろと実験してみてやれ、少々生活様式が変わったとて、そう簡単に人間は参るもんではないわい」と今まであれほどたくさん食べてきた生野菜の量も徐々に減らし、そのときの腹の調子と相談してきました。

ある日は生野菜を食べずにぽいと抜かす日もあります。こうして本当に自分の身体にはどれくらいの生野菜を食べているときが一番調子がよいかということを、身をもって感得することができるのです。ただ書物で読んだから、人に聞いたからというので、生野菜は多く食べるほど健康になると早合点するものではありません。

その意味で私たちは日ごろあまりにも法に捉われておりはせぬかと反省することも必要でしょう。

現在の私は、だから生野菜でも、昔から比べたら本当に少なく、1日150g前後です。それもたまに生野菜のない日があっても少しもこだわりません。以前なら「何で生野菜をこさえておかんか」と夫婦喧嘩でもおっぱじめるところです。

それでも、たまによそ様の家で食事をいただくとき、私のことをよく知っておられる方は「先生は生野菜をたくさんお食べになりますからね」と言って大きな鉢に一杯持って来てくださいますので、心で恐縮しながら「おいしい生野菜ですね」と、さもおいしそうに?全部いただいてしまいます。すると、少し腹が張り具合になったりして、「ああ、以前はこんな調子だったなあ」と思い出すわけです。

まあこんな具合に、生野菜の量もそれぞれの体質に合わせて、それぞれ自分の身体に問いながら正しい分量を汲み取ってゆくことです。

こう言いましても、私とて機会があれば、また純生野菜食をしようという意欲はじゅうぶん持っております。

(4)生水の量について

生水をじゅうぶんに飲むということも健康上大切な要素であることは皆さんよくご存知ですが、先ほど申しあげましたように、桜沢式食養法では生水は陰性の食品、陰性の体質(例えば、胃下垂や低血圧の人)には極度に制限されます。

先日、桜沢式の有力な指導者に会ったとき、よもやまの話の中で次のような面白い話が出ました。

この7月7日の参議院選挙の選挙に際して、ある候補者が毎日演説にかけまわっているので、ついに声が嗄れてしまって出なくなったんです。すると、そばに付いていた桜沢式食養法の信奉者が「先生はとにかくあまり生水を飲み過ぎですよ。それでは声が出なくなるのは当然です」と言うので、翌日からは1日2合以上は絶対に生水を飲まさないようにしましたところ途端に声がまた出るようになった、と得々として私に話をなさいました。

イワシの頭も信心次第といいますが、もっとひどい迷信みたいなものでも結構効果はあるもんです。

そういうわけですから、生水を少しでも多く飲めばよかろうと無理して飲んでおられる人もまたその部類に属するのではないかと思われてくるのです。

こう申しましても、なにも私が今日西式反対論をぶちにきたのではありませんし、私自身生水のよいことはもうじゅうぶん体得しております。ただ会員さんの中に、もしこのような行き過ぎがあれば一刻も早く自然の姿にかえっていただくように注意申しあげたいのです。

生水の飲める量といいましても、その人により皆違いますし、また同一人でも体質の改造につれて飲めない人でも随分と多く飲めるようになります。

昭和25、6年ごろの私は、今まで生水は嫌いで食事時にも水も茶も飲まず「俺の身体は野戦向きだ」と自慢していたくらいでしたので、さて生水をつとめて飲もうと思っても、みずおちのところでチャプチャプ鳴って食事時がきても一向に腹が減らず、1日2ℓの生水を飲むのがやっとでした。

ところが、だんだん努力しているうちに、昭和35、6年には飲もうと思えば1日3ℓくらいなら楽に飲めるようになりましたが、4ℓになると、もう胃のところでチャプチャプ鳴ってしまうのです。

さて、昭和39年になりまして、まず2週間の断食をいたしまして、ついで2ヶ月後にまた断食をしましたところ、大量の宿便が出てきました。その断食が終わってからは、今までと身体の調子が違うのです。

朝起きて、コップに3、4杯の生水を飲みますと、たちまち胃から腸へ出てゆき、胃が上にギューッと収縮してくるのがよくわかり、たいへん気持ちがよい。それではもう一度飲んでやれ、とまたコップに3、4杯飲みましても、またまたすぐに胃が上にギューッと収縮して、以前のようにポチャポチャ鳴らない。よし、これは面白いというので、またコップに3、4杯飲むということをやっておりますと、午前中だけでも4ℓくらい飲めるではありませんか。

それに不思議なことに、今までなら生水を飲みますと、すぐ便所にという具合に割合小便が近いほうであったのに、今度は朝起きて一度に1ℓくらいの生水を飲んでも、そう早速と小便に通わなくなりました。

一時は腎臓でも悪くなったのではないかと心配しましたが、あとになってこれが正しい身体であることがわかり、それでは今まで生水、生水と飲んできたが、やっぱり空回りしておったんだなということになります。

やっと全身に水が回り出すと、皮膚にもつやが出てきまして本当にみずみずしくなってきます。フランスのサラベルナールではありませんが、美しくなるためには、やはり生水を飲んでみずみずしい肌にすることが肝要です。このことを日本の全女性に本当に知らせてあげたいと思います。

さて、こうやって体質が改造されてきますと、生水も飲もうと思えば1日6ℓくらいでも飲めますし、それで別に胃がチャプチャプ鳴って不快に思うこともありませんし。ですから10年前の身体に比べますと、たいへんな変わりようです。そして食事の量もだんだんと少なくて済むようになってくるのであります。

こんなわけですから、人に生水をすすめる場合にも、なんでも紋切り型にこれだけ飲みなさいとすすめるのはよくありません。あくまでもその人の体質に合わせて飲めるようにしてやらねばなりません。

また、1日6ℓでも平気で飲める人でも、生水は多く飲むほどよいのだと考えて毎日そんなにたくさん飲んでもなんにもなりませんし、かえってマイナスになるものです。

生水でも、ときには1日くらい極度に減らしてみるような練習をやってもよいのです。それはなぜかと申しますと、私たちの身体は、口から水が入ってこないと腎臓から水分を逃がさないような仕組みができます。これは、抗利尿ホルモンの分泌量が増えて、尿細管のところで水分が尿として出てゆくのをもう一度再吸収するのです。

ところが、絶えまなく余分の水分を摂っておりますとこのホルモンの出が悪くなり、たまに水分のぜんぜん摂れない場合には困るわけで、耐水力がなくなってしまい渇きに弱くなります。ですから、やはり幅のある健康体をつくっておく必要があります。

要するに、桜沢式食養法でも西式でも、両極端は共に自然の法則から離れた非法であります。

(5)甘いものについて

甘いものやアルコールは、西式を実行する者にとって一番の苦手だとこぼす人が多いのも、もっともなことです。それほど世の中には甘党や辛党が多いのです。中には甘辛両党の人もいます。私が大の甘党であったことは一昨年の夏、西医学誌上で「あなたも甘いものがやめられる」という題で発表しましてから皆さんによく知られるようになりまして「1つどうですか、おいしいですよ」と故意に饅頭を鼻先に持ってくる人があります。

しかし不思議なもので、もらった饅頭が幾日たってもそのままで、しまいに子供たちに食わしてしまうという具合に変わってしまうもんですね。そして、このごろ私が人様に話をするときにも甘いものの話があまり出てこないのです。やはり、人間は絶えず関心を持っていることを話題にしたがる傾向がありますね。自分がこうなりたいと強く意識して、毎日毎日そのことを考えているうちに夢にまで見るようになりますが、そのときには既に潜在意識にまで入り込んでおります。

ですから、いろいろな話の場でも、つい甘いものの話が出てしまうわけであります。こうして潜在意識にまで入り込みますと、潜在意識は大きな力を持っておりますから、自分の祈念通りのことを実現させてくれるわけであります。

聖書のマルコ伝第11章24節に、

「何事であれ、祈って求めればことごとく得ることができると信じなさい。そうすれば汝らは必ずそれを手に入れることができるであろう」と書かれています。

また、アメリカの随筆家レルフ・ウォルド・エマソンはこう言っております。

「人は、自分で一日中考えているそのものである」と。すなわち、潜在意識に刻印されたことは形をとって現れると言っているのです。

ですから、皆さん自分の持っているそれぞれの欠点を絶えずよいほうに向けるように考え続けてゆくことです。夜寝る前にも、例えば「俺は甘いものとか食事には無関心になって、空腹を楽しみながら勉強できるような人間になりたい。いや必ずなれるのだ」などと毎晩強く自分に言い聞かせるだけでもよいでしょう。

背腹運動のときに、ただ漫然と「良くなる、能くなる、善くなる」と思うよりは、もっと積極的に自分の希望する目的が達成された姿を思い浮かべながらやったらどうでしょうか。

このように絶えずよいことを考え続けてゆくべきで、甘いものを食べても7時間以内に生水を飲んでおればよいのだ、と自分に都合のよい理屈をつけて積極的な努力をしない人は、いつまでたっても向上しない人であります。

また、蜂蜜なら少々たくさん食べてもよいだろうとか、果物はビタミンCが多いから、大いに食べようじゃないかという考えもよいけません。西先生が黒ブドウは腎臓によいと言われたから、毎年秋になると毎日どっさり食べている人があります。私もその一人でした。

ところで、昨年私は10日間蜂蜜ばかりの断食をやりました。毎日蜂蜜だけを食べて他のものは一切食べない。するとどうでしょう。冬でもないのに耳に凍傷のようなものができてきました。そして、顔は糖分過剰特有の顔貌になってしまいました。

それから、また毎日黒ブドウを搾り、その汁だけで5、6日やりました。糖分過剰の症状が出てきます。これは、私の身体が皆さんより弱いからすぐわかるのでして、強い身体でしたらわからないでしょう。

ですから、蜂蜜でも果物でも食べ過ぎぬよう注意してください。

甘いものを食べてもアルコールを飲んでも、あとで生水を飲んでおけばその害を免れることができるというのは、健康法でも世の大衆に受けるためには一応このへんで妥協案を出さないといけないといことです。そうでないと皆がついてこない。幾らほかにいろいろと有益な宝があっても肝心の一番痛いところを突かれると寄りつかないものです。

創価学会ではそのへんはなかなかうまい。色心不二(心身一者)の大生命哲学を唱えながら、あくまで題目一辺倒でありまして、決して「甘いものを食べるな、アルコールを飲むな」とは言っておりません。ですから、聖教新聞にはビール会社の大きな広告や、何々のチョコレートなどの派手な宣伝が堂々と掲載されております。地下の日蓮上人様がどんな気持ちでご覧になっておられるか知りませんが、それでもって大衆はわっと飛びついてゆきます。酒屋のおやじさんも菓子屋の主人も、そんな矛盾にはさらさら気がつかずに同じく創価学会員におさまっています。

これが、もし「精神と肉体は1つであるから、いかに熱心に題目をあげようとも、甘いものやアルコールをやめなければ、絶対に成仏できない」と言おうものなら、なかなか皆ついてゆかない。人間というものは、あくまで楽をして幸福になりたいという欲の深いものでありますから……。

ですから、甘いものを食べてもアルコールを飲んでも、あとで生水を飲んでいればその害を除くことができると教えられてもやはり高い理想に燃えて乗り越えてゆかねばなりません。これが真に道を求める者の生活態度であります。

(6)1食主義について

次は1食主義のことについて申しあげます。

去年の夏に一人の一級司教の方が亡くなりました。その人は、約7年間1日1食主義を通してきました学校勤めの関係で、昼の弁当も持ってゆかず、夕方帰ってかた7時ごろ夕食を食べるという習慣になっていたらしいのです。

ところが、よく聞いてみますと、その夕食後がいけない。今まで昼のあいだ抑えていた食欲が堰を切ったように出てきて、どうしても抑えることができず、手当たり次第に甘いものを食べる。そして寝床にまで持ち込んで眠りに入る直前まで食べておられたために、だんだんと胃腸が弱ってしまって身体も疲れやすくなり、体重も次第に減ってきたのです。

ちょうど朝食を抜いた当座は、午前中腹の減ったのを我慢しているが、昼になると待ち構えたようにドッと口に放り込んで後でグッタリして動けなくなるといった状態をもっとひどくしたようなものであります。何のために朝食を抜いているのかわからない。いっそのこと朝食を食べたほうが遥かによいかもしれない、と私だって後悔したことが幾たびもあります。

ですから、健康にはなりたいけれども、あまり一足とびにできそうもないことに熱中することはどうも考えものです。自分の力を知って一応一歩後退すればよろしい。

ところが、この人はもし昼食を食べると夕食の味がガタンと落ちてしまう。朝昼の食事を抜いたときの夕食のうまさはまた格別で、それが忘れられませんから、また1食にしてしまう。そんなことを繰り返しているうちにだんだんと深みに落ち込んでしまったのであります。

しかも、この弱った胃腸を断食で治そうとなさった。これがまたいけない。長い間にだんだんと栄養失調になっているのですから、断食で治さずに合理的な食事をちゃんと食べてゆけばよかったのです。こうしてだんだん弱ってしまってついに不帰の客となってしまわれたのであります。

西会の会員さんの中にも、1食主義でしかもますます健康に暮らしておられる人々が少なからずあるだろうと思いますし、それらの人々に何も警告しようとは思いません。これらの人々は1食主義でも悠々とやってゆける胃腸や肝臓の持ち主でありましょう。

しかし、これから1つ1食主義でもやってさらに健康の増進をはかってやろうかと思っておられる人たちに、自分の力にあまる無理をしてかえって「角を矯めて牛を殺す」ようなことをしないようにと忠告申しあげたいのです。それよりも1食の食事を減らして充分空腹を楽しむようにしていればますます健康になること請け合いです。

米国(アメリカ)の病理学者ベルグ氏が、ネズミの実験で腹いっぱい食わせたオスは58%、メスは43%の割合でいろいろな癌が発生し、餌を7割に抑えて飼った一群はオスで36%、メスは14%という結果を報告しています。これは米国人(アメリカ人)にも大きなショックを与えたようです。我々もこの結果を深く考えてみる必要があります。

玄米だ、朝飯抜きだ、生水だとか、あるいは甘いものを食べるなとか、アルコールは悪いとかいうのも悪くはないが、要するに「小の一字」に尽きるのです。

そして、奥さんに栄養学の教育を徹底したら、あとは全て奥さんにまかせて食のことを忘れてしまうことです。これが「空」であり「完全な自由」であります。

私も今度はその意味で今後大いに小食の修練を積もうと思い立ち11日間の断食をしてきました。今日はまだ終わってから10日目です。

これからどれくらい小食になってゆけるか、初めから大きなことは言えませんが、1つ皆さんと一緒に精進してゆきたいと思っています。

長々と取り留めもないことを申しましたが、この中から皆さんが何か参考になるものがありましたら幸甚に思います。

西式健康法 創始者 西勝造 創刊 「西医学」 1968年10月号 第31巻第3号

西式健康法 創始者 西勝造 創刊 「西医学」 1968年9月号 第31巻第4号

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