古書医言 古書医言序 吉益東洞 著 西勝造 訳注

古書医言序

吉益順 著  西勝造 訳

天に日月星辰あり、地に山川澤陵(たくりょう)あり、日月星辰なる者は天の文(あや)なり。山川澤陵なる者は地の象(かたち)なり、而して其の文と象とは、俯仰瞻望瞬目(ふぎょうせんぼうしゅんもく)の間、亦た能く観察すべし。人は其の日月星辰を見て唯だ之を大(だい)と謂い、其の山川澤陵を見て唯だ之を廣(ひろし)と謂う。而も其の廣と大とは、一朝一夕尺寸の陰、豈に得て窮極(きゅうきょく)すべけんや。夫れ古書の尊むべきは其の信々(しんしん)に在り、古医の貴ぶべきは其の治々(ちち)に在り、而して苟くも書の明ならざる、病の治せざるは悪(いづく)んぞ其の之を尊貴することあらんや。我が先祖考東洞翁は、二千歳の下に生れて、二千歳の上を学ぶ。道、古(いにしへ)ならざれば則ち従はず、方、古ならざれば則ち取らず、鑽研多年、用ゐて以て之を今に施す。始めて萬病一毒、疾として治せざるはなきを晤(あきら)かにす、乃ちこれを古に考えて謬(あやま)ることなく、これを今に徴して疑わず、是(ここ)に於て規矩準縄(きくじゅんじょう)を立て、紀綱(きこう)法則を挙ぐ。古の疾医の道、遂に復た今の世に明なり。翁嘗て其の疾医の道熄(や)み陰陽医(おんやうい)の言行はるるを嗟(なげ)き、これを秦漢以上、医事を言う者に稽(かんが)へて、之を評論辨闢(べんへき)し、題して古書医言と曰ふ。或は人の視る者、唯だ東洞の一家言と謂ひて深く研窮せざらんことを恐る。而して其の之を祟尚(しゅうしょう)する者猶ほ寡し。然れども吾が東洞なる者は原(も)と疾医の本要を盡(つく)す。是を以て其の取る所僅かに十に一、而して居(す)つる所は殆ど十に九。況んや百家亦た皆な医に非ず。幸に古医の真言を存するは之に千百の十一に於けるのみ、孰(た)れか能く其の珠玉と魚眼とを分たんや。故に苟くも聡明叡智の人、其の本要に達せんことを冀(こひねが)はざる者は則ち興(とも)に疾医の大道を言ふべからざるなり。嗚呼、吾が、東洞既に没し、先考南涯夙(つと)に其の業を受け、己に傷寒論精義の著あり、特(た)だ此の書、未だ世に公にせず、亦た未だ上梓せざるを以て癸酉(きいう)の春、梨棗(りそう)日に謀るも、幾くもなくして亦た不幸にして背(そむ)かる。不肖順入りて業を続ぐを辱(かたじけな)くす。但(た)だ日夕講究し、父祖の事を幹(な)す。幸に、父祖の霊を以て業を護ることを速に竣(を)ふ、尋(つ)いで又(ま)た将(まさ)に傷寒論精義に就かんすと(*就かんとす?)。庶くは忝(はずか)しめざる得ん。順又た竊(ひそ)かに謂へらく、此の書一たび出づれば、人の吾が、東洞を知ると不(しから)ざるとは、其の此を信ずると不(しから)ざるとに在り、且つ人、我の顧を言ふを視て、復た以て如何と為すやを知らず。文化十年冬十一月

平安 吉益順謹みて撰す

瞻望 ・・・[名](スル)遠く見渡すこと。
https://kotobank.jp/word/%E7%9E%BB%E6%9C%9B-551247

規矩準縄・・・《「孟子」離婁上から。「準」は平をはかるみずもり、「縄」は直をはかるすみなわ》物事・行動の規準になるもの。法則。規則。手本。
https://kotobank.jp/word/%E8%A6%8F%E7%9F%A9%E6%BA%96%E7%B8%84-472979

紀綱・・・《「紀」は細い綱、「綱」は太い綱》国家を治める上で根本となる制度や規則。綱紀。
https://kotobank.jp/word/%E7%B4%80%E7%B6%B1-473194

癸酉・・・癸酉(みずのととり、きゆう)は、干支の一つ。干支の組み合わせの10番目で、前は壬申、次は甲戌である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の酉は陰の金で、相生(金生水)である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%B8%E9%85%89

コメント

タイトルとURLをコピーしました