あなたも甘いものがやめられる(3) 甲田光雄

あなたも甘いものがやめられる(3) 

甲田医院長 甲田光雄

7、毒をもって毒を制す

甘いものをやめようと何回とも知れぬ挑みにことごとく破れて、「わしは果たして甘いものをやめることができるであろうか」と絶望に似たものを感じながら、ホトホト困り果てた挙句に浮かんだ一案があった。

塩鮭の塩を抜くのに真水をもってしては塩抜きができず却って塩水で抜く。また、断食終了のあとで最初に与える食事は酸性食品である白米の重湯が順序である。すなわち、断食によって体液が酸性に傾いているから、こんなときにはアルカリ性食品で回復させるのは、あまりよくない。

やはり酸を戻すに酸をもってするではないか。だから甘いものをやめたければ、逆にとことんまで甘いものを食べれば遂にはもう甘いものに何の未練もなくなってしまうだろう。毒を制するにはやはり毒をもってすべきだ。それをただ一途に甘いものをやめようと焦るから、却っていつまでもその虜になってしまってどうにもならないんだ。饅頭屋の小僧を見るがよい。最初店に来た当座はあれこれと甘いものをつまみ食いするが、ある時期を過ぎると、もう見向きもしなくなるというではないか。1つ自分も甘いものに何の未練もなくなるまでとことん食べてやろうというのである。

誠に都合のよい一案である。そこでノートを取り出して今まで食べたい食べたいと思っていた甘いものの種類を全部書き並べてみたところが、あるわあるわ「こんなにもたくさん」とびっくりするほどである。「これらの1つ1つを未練がなくなるまで食べてゆくとすれば……待てよ、わしの命が果たして持つだろうか。これはとんでもない冒険ではないか」と思ったが、「ええい、乗りかかった舟だ。1つ試してやれ」と実に無鉄砲きわまりないことをやりだしたのである。

甘いものを未練がなくなるまで食べるといっても、全ての種類をみんな食べるのではなく、1種類ずつ徹底的に集中攻撃を加えて各個撃破してゆくのである。甘納豆なら甘納豆、羊羹なら羊羹を一度に嫌というまで食べてしまう。すると「何だこんなもの、大した魅力もないではないか。こんなものの虜になっているなんて馬鹿げたことだ。」という気持ちになってしまう。

しばらくして甘いものが欲しくなると、もう一度同じ種類のものを食べる。そのうちに、本当に未練がなくなってくるものだ。よし、それでは今度はチョコレートだ。という具合に次々と各個撃破してゆくのである。

しかし、こうして時々爆発的に甘いものを食べて、グローミューに手痛い打撃を受けるのであるから、こちらも西医学によって十分武装してかからないとひとたまりもなく参ってしまって命を失うことになってしまう。こんなことを言えば亡くなられた西先生が地下から「西医学をそんなところへ利用しようなんて、何と不埒な奴だろう」とさぞお怒りのことであろうが、こちらもやはり自己防衛上やむをえない。

六大法則はもとより、朝食廃止から裸療法、温冷浴、それに生水飲用は絶対に欠かせない。生野菜もおおよそ300匁ぐらい1日として食べない日はなかった。それでいて時々は「この甘いもの全部に未練がなくなるまで、わしの命が持つだろうか。えらいところへ足を突っ込んでしまったものだ」と泥沼の中でもがく姿にも似た絶望感に襲われたものである。

そんなときには、必ず甘いものによる被害が甚大で、西医学によって建設するグローミューが追い付けないといった具合である。

こうして大阪で甘党に知られたいろいろの甘いものは言うまでもなく、百貨店へでも行けばすぐに地下の食料品部へ降りて、珍しいものを探しては1つ1つ攻略してゆくのである。しかし、考えてみれば実に大変な犠牲を払っているのであり、まったく肉を切らして骨を切るの戦法と言うべきであろう。

ずっと後日になってから、もう甘いものにも大分と未練もなくなって関心が薄らいだ頃になると、50も過ぎていい年した人が未だに甘いものをさも後生大事にご馳走として食べているのを見ると「何だ、まだあんなものをご馳走と思っているのか。俺なんかもうすっかり食べ倦いてきたんだぞ。何の魅力もあるものか。」と言えるようになった。これは泥沼の中を通ってきた貫禄と言うべきか。

8、精神異常?

甘いものをやめるのに逆に甘いものをとことんまで食べて嫌いになってやろうという無茶苦茶な生活が続いたのであるから、いつまでも周囲の者に知られないでいれるはずがない。

まず家の母や兄、それに兄嫁などが相手にしてくれなくなってしまった。次いで村の人々もだんだんと私を奇異な眼で見るようになった。

大学まで行ってる人間がいつまでもうろうろして学校を休み、断食しているかと思えば、近所の菓子屋で甘いものを買って食べる。冬の寒い日に水を浴びているかと思うと、夏の暑いのに綿入れの着物を着て部屋の隅でうずくまっている姿を見ては、西医学なんて誰一人知らぬ村人たちが、「かわいそうに、あの子もとうとう気が変になってしまったんだろうか」とささやきあうのも無理はあるまい。

ある夏の暑い日盛りに、私の従兄弟がヌーッと家の中へ入ってきた。ちょうど私が裸療法をして綿入れの着物を着て部屋の隅にチョコンと座っていたのをジィッと見ていたが、私の兄に向って「おい、彼奴はこれと違うか」と手でもって左巻きの合図をしている。

「うん。どうもこうも、あいつにはもう困っているんだ。どうしたらよかろうか」というので、遂に私を精神病院へ無理やり連れて行くことになった。

しかし、精神に異常のない者は入れるわけにはいかないと、幸いにも戻ってきたのはよかったが、当時の私は甘いものでひどくグローミューが障害されておったために思考力も鈍り、記憶力もてんでお話にならぬほど落ちてしまっており、自信喪失というかひどい劣等感に陥ってしまっていた。

グローミューチューマ(腫瘍)を身体のあちこちに持っている者は厭世的になると西先生がおっしゃっておられたが、実際この当時の私は、ともすれば「ええい、いっそのこと死んでしまってやろうか。こんなつらい毎日毎日を過ごすんではいつになったら坦々たる道に出られるか、予想もつかぬ泥沼の生活だもの」と自殺を考えるのであった。

それほどに肝臓病の症状はつらいものであり、且つ精神的な頭打ちの状態がひどかったのである。しかし、自殺するとなれば「待てよ、今自分が死んだら皆どう言うだろう。ああ、あの人はかわいそうに神経衰弱で死んでしまったんだなと笑われるくらいが落ちだ。それでは死んでも死にきれない。何糞!!ここでどんなにつらくても絶対に死んではならぬ。必ずこのどん底から這い上がって10年後、20年後に「やっぱりあの人のやっていたことは正しかったんだな。我々に話すことといえば西医学のことばかり口に出しておったけれども、西医学というものは本当に素晴らしいものだな。」と皆に言わしめねばならないのだ。」と歯を食いしばって頑張ってきたのであった。

余談になるが一昨年の夏、私は郷里の河内市の福祉会館において、老人会の会長さんばかりおおよそ40人ばかり集まっておられるところで「いつまでも若く健康で暮らすには」という題で話をすることになった。それは、河内市の福祉事務所長であるY氏の母堂が、糖尿病でどこへ行っても治らなかったのを私のところでよくなられたものだから、そのY氏の骨折りで「1つ当市の老人会の人々にも西医学の話を聞かせてあげたい」という主旨からであった。

さて、「どんな偉い人が話をしてくれるのだろうか」と待っておられる老人たちの前に私が立ったものであるから、あちこちで「あれはほれ、あそこの息子さんじゃないか。一時気が変になっておった」というようなささやきが聞こえるほどざわめいたのを目ざとく察した私は、当時の苦心談をまずお話しして、その上で西医学の真理を詳細に説明することができた。

あのときの私の気持ちは終生忘れることができない感激であった。

9、友情を裏切る

学校を休んで肝臓病の療養生活をやってきたもののとんだつまづきにあい、もたもたしている間に早や2ヶ年を過ぎ去ってしまった。甘いものをどうしてもやめてやろうと毎日死闘を繰り返している私にはしかしながら、大学に復帰しなくてはならぬという焦りよりはとにかく、現在のこのもたつきをすっきりと解決してからでなければ勉強しようという意欲も起こらなかったので、「まあまあ、今しばらくこのどん底でおってもやむをえない。まさかのときには、もう一度大学を初めからやり直すまでだ」とのんきに考えておったものだ。

しかし、こんな了見ではとうてい家族の者と折り合いがうまくゆくはずがない。家の中では絶えずもめどおしで陰鬱な空気がただよっている。自分一人のために家族の皆にこのような不愉快な思いをさせるとは、その罪悪如何ばかり深いものがあろう。兄の気持ちも当然毎日くさくさしているに違いないから、わがままな私とちょっとしたことで喧嘩してしまった。

そんなところへちょうど友達がやってきた。この友人は中学校の同じクラスで2年間一緒に勉強し、陸士も一緒、そして医学部でも3ヶ年毎日席を並べて講義を聞いていた間柄で、血の多い青春の三星霜をほとんど毎日のように人生問題について談じ、思想や哲学の問題から恋愛問題に至るまで共に語り合ってきた仲である。

「よし、お前もこの機会に学校へ出よ。とにかく何でもよいから卒業だけしてしまえ。肝臓が悪いといったって死ぬ気でやれば通学できるよ。死ぬ気で……。」

「うん、死ぬ気でな。よし、俺も何遍死んでやろうかと思ったのかわからんのだからな。1つ通学してみよう。」

「では俺の家へ来て、そこから通え。」

こういうわけで翌日から早速この友人と一緒に通学することになった。

身体は倦く、足は棒のように重くて階段の昇り降りにはフーフー言いながら、そのうえ胆嚢の痛みをこらえての通学は実際無我夢中で、講義の内容もろくすっぽ頭に入らなかったけれども、とにかく頑張り通したのも1つは死を決していたからでもあった。

それなのに、ある日私は大学からの帰路、ふと甘いものが食べたくなって、ふらふらと店屋の中へ入ってしこたま買い込んでしまった。そして獲物を手に入れると、最早動物となってしまって前後の見境もなくすっかり食ってしまうのであった。

しかし、友人の家へ帰ってからの私の情けない気持ちったらなかった。いつもと変わらぬ友達の温かい言葉を聞くに堪えず、顔を正視することはできなかった。ああ

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