救護日誌 山崎佳三郎

救護日誌 

──第29回全国高校卓球選手権大会における──

岡山健康学院長 

山崎佳三郎

昭和35年8月5日~9日まで第29回全国高等学校卓球選手権大会が新装なれる岡山県体育館で開催された。南は沖縄から北は北海道までの各都道府県代表の選手および引率の諸先生、合計2000有余名の内科的、外科的、一切異常処理を西医学でおこない、全責任を私が負うということに決まったのは、次の理由があったからです。

1、同大会総務委員長、関西高等学校(岡山)教諭宝田文司先生は、長年の西医学の熱心なる実行者であり、西医学普及に挺身される方であった。

1、岡山県ならびに岡山市、その他の主催という公共団体を西医学で一切やるということでの競技会の健康処理は、全国で初めてと思うから、この際、西医学普及を是非おこないたいとの宝田先生と私の意見が一致した。

1、多数の病人を一時に迎えて私の力がどれだけ発揮できるか試してみたい気持ちがした。

1、一昨年徳島県でおこなわれた全国選手権大会のシングルスで全国優勝した関西高校の松原君は、当学院で指導したもので、その前年、関西予選のときに松原君は足首を捻挫したとき、1試合ごとに当学院に通って遂に優勝した。これから見て全国選手が西医学生活をしたならば、全体の水準があがるものと思った。事実、水泳選手が西医学の操作でタイムが短くなったことがある。

1、各都道府県代表選手の健康度はいかほどであるか知りたい。

1、同じ病気に罹った人々に何か関連があるかどうか?

以上の点から、当時、入寮者約30名で毎日体貌観測と操作をおこない、就寝は毎日午前3時から4時という激務を押し切ってお引き受けすることにしました。

次に5日から9日まで5日間の情況をお伝えます。

8月5日

全国全選手の入場式で首に各種の色の異なったレイを首にかけた選手たちが式典係の音楽に合わせて美々しく入場した。その荘厳さに一段高い各委員長の揃った大会本部で、うっとり見惚れた私の耳へ突如「救護委員はいないか。病人だぞ、倒れたぞ」と叫びつつ、1人の委員が慌ただしく走ってきた。(後で聞けばこの人は医師とのことです)早速導かれて廊下に駆け付けると、1人の選手がぐったりと青い顔で倒れている。肩に縋らして救護室に入ると、また1人、次に2人と相次ぎ、踵を接して3分と経たないうちに救護室は、13人枕を並べて寝ている有様は、白虎隊が飯盛山での討死を思わす感がする。

早速、体貌観測によってみると、8名は熱射病で、3名は脳貧血、2名は月経痛とわかりました。

何しろこれだけの大会となれば、少なくとも医師1人、看護婦2名以上必要というのに大胆にも私1人だけである故、病人を連れてきた先生、友達に応援を頼み、ある人にはD4を、次の人はC2を、隣の人は両脚を高くと、それぞれ私の指図でおこない、また、2人の女子選手の月経痛は、踝の少し上を親指で押さえ、とーんと引っ張る筋肉伝導をおこなった。

中央の長身の男子選手が「よかです」と言って飛び起きたが、私には意味が通じなかったので、「君は今、何と言った」と聞けば、「よかよかよかです」と言ったので、「なーんだ、君は熊本県の選手か?」と言えば、「はあ、熊本県の○○○高校です。お蔭ですっかりよくなりました。」とのこと。この熊本の快男子を最初に、全員13名が治るまでの総時間が約10分間、中でも月経痛は2人合わせて1分間で痛みは止まった。これを見た各委員は、「薬を使わずに何と速く治る治療法があるものだ」と驚きの目を見張った。次に私は、各人にコップ水1杯を与えた。

薬を与えず、水を与えた私を選手たちは変わった医師(選手は私を医師と見た)と思って首を傾げつつ出て行くのは、滑稽であった。

その夜、開会祝賀会で総務委員長の宝田先生の喜びは一入で、私に握手を求めた委員は10余名に達した。

8月6日

大会第2日目、私は入寮者の体貌観測、外来者の相談に忙しいため、S助手1名のみを大会会場に送っていたところ、午後2時頃会場より、また総務委員長か相次いで電話で3回、「大病人が出たから助手では駄目だ。山崎先生がすぐ来てくれ」とのこと、慌てて自動車に飛び乗り駆け付ければ、会場入口に総務委員長を初め、各委員長が待ち構え、総務委員長以外の各委員長は「西医学では駄目だ。救護係はやはり医大か、日赤に変えるように」と大騒動の最中。病人は四面嘔吐し、腹痛のために七転八倒しているとのことである。

救護室に行くと、S助手が一生懸命、金魚運動をしているが、なかなか金魚運動ができない。空気浴が一番よいが、この場所で空気浴もできず大当惑の体である。

体貌観測の結果、肝臓の弱い選手で、便秘したところを大変疲労したためである。七転八倒している選手の脚を押さえ、筋肉伝道によりまず激しい痛みを止め、腰椎1、2、3、胸椎11を叩打すること約5分、次いで金魚運動を施すと、「便所へ行きたい」と言うので、2人で支えて連れて行く。20分位は用便に費やしたであろう。この選手が礼を言いつつの言葉に、「あんなにたくさん便が出たのは生まれて初めてです」と。

後で2分位金魚運動をし、水を飲ませると、気持ちよくなり、30分間位寝たので、大騒動も一応幕が下りたが、幕の下りないのは私の胸中なのだ。

大会本部の各委員長に「いったい西医学のどこが悪くて、日赤や医大に変えられますか?」と質問したところ、「いや、山崎先生さえ、ここへおられるならば、それで結構です」と。西医学の本領発揮を目前に見た各委員長は、一口の不平もない様子です。

8月7日

第3日目は折悪しく、当学院の月例研究会なので、F助手を会場に送り、私は救護委員のマークを胸に付け、スワと言えば、いつでも飛び出せる格好で、会員の皆様に講義をしたが、腹痛の人が2名出たのみで大したことはなく、助手が治してくれたが、夜6時頃○○旅館より『選手が発熱した。すぐ来てくれ』との電話なので、駆け付けると、病人は39度の発熱、傍で引率した先生、旅館の主人、友達が日本脳炎ではないかと心配顔で取り巻いた中に、病人は「うんうん」と唸っている。

体貌観測の結果、「日本脳炎ではないから安心してください。後で助手を差し向ける」と言って帰宅すると、△△旅館、○○荘からと引き続き、発熱の知らせ、一応、体貌観測をしたが、手が回らないため、全部当学院に収容し、下熱に要した時間約2時間、いずれも礼を言って帰って行った。

8月8日

第4日目、腹痛3名、足首捻挫2名、ラケットが飛んで来て眉間を破った者1名、下痢2名で、K助手と共に解決したが、夜の発熱者2名は学院に収容2時間で下熱した。

8月9日

大会最終日の朝、大会本部より「××旅館で女子選手が発熱し、医師を迎えて診察を受けたが、病名不明とのこと、直ちに××旅館へ急行せよ」との連絡電話があり、駆け付けてみると、この選手は本日試合予定であるが、朝から39度8分の高熱で、医者も首をかしげて帰ったので、今電報を打って父を呼んだとのこと、体貌観測の結果、「この暑さの中を連日の猛練習で疲労しているところを脂っこい食物を食べ、その上、非常に水分不足で、グアニジン中毒を起こしているので、日本脳炎ではない」と言ったので、取り巻きの人々もホットした体である。直ちにF助手を呼び手当法を指示して、H助手と共に大会会場に行き、下痢、腹痛、各2名ずつを処置し、帰りに××旅館に行くと、熱は37度に降り、翌朝は父親と共に学院に来て処置し、元気になったので、止めるのも聞かず帰宅し、ここに多難多忙の第29回全国卓球大会は文字通り終幕したのでした。

この大任を無事に終えることのできたのは、宝田先生のご助力と助手の協力に引き続き、入寮者全員「西医学のため、我々よりはまず大会選手の病人を」とのお言葉で、私自身この5日間の睡眠時間平均2時間という各種の事柄で、各高校の先生方が西医学を知り、信頼していただいた大きな収穫を得た喜びを編集部のご要請により誌上を通じてご報告申し上げました。

終りに臨み、各校競技指導の諸先生、選手の方々へ申し上げておきたい事柄は、競技の十分なる実力発揮は、西医学生活によって得られ、せっかく連日猛練習をしても、試合のときに発病等のために試合放棄ということのないよう西医学生活のご研究をお願いし、1964年の東京オリンピックにおける日本の各種運動競技の水準を一段と高くしていただくよう付言致す次第です。

西式健康法 創始者 西勝造 創刊 「西医学」 1960年12月号 第23巻第6号

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