あなたも甘いものがやめられる(2) 甲田光雄

あなたも甘いものがやめられる(2) 

甲田医院長 甲田光雄

この原稿は「西医学」誌の1964年6月号に掲載せられた「あなたも甘いものがやめられる」に引き続いて書いたものであるが、都合により延び延びになっていたものである。したがってできれば前の文をも参照して読んでいただきたいと思う。(甲田)

4、甘いもの中毒

砂糖食品の過食が我々の健康に大変害があるということを前項で述べてみたが、世間にはこの甘いものが悪いとは百も承知でありながらどうしてもやめられず、遂に中毒状態にまで陥ってしまって困っているという人が案外たくさんいるものである。甘いもの中毒とまではいかないが、悪いな悪いなと思いながらもついつい甘いものに手を出して肉体的にも精神的にも被害を被っている人に至っては大変な数に上るであろう。

今、私のところに入院している娘さんはもう4、5年も前から甘いもの中毒に陥り、どうしてもその悪癖が治らず困り果てた挙句死を決意して今度こそ絶対に立ち上がってみせんとの意気込みで療養しておられる。甘いもの中毒で散々苦労してきた私が、今は逆に指導する立場になっているのは実に妙な気持ちだが、それだけに患者の心理が手に取るようにわかるのである。

この娘さんは、小さいときから継母で育てられた結果、何か愛情の問題で欲求不満があったものだから、これを食欲で満たそうとして、いろいろの菓子類を食べ出したのがきっかけとなって「これは悪い習慣が身に付いてしまったな」と、気が付いたときにはもうどうしても甘いものがやめられない状態になってしまっていたのである。

これではいけないと1週間ほどは全然甘いものを食べずに頑張るのであるが、後が続かず、どうにも辛抱できなくなって、また甘いものに手を出してしまう。しかも食べ出すと爆発的に際限もなく食べてしまうので前よりも一層中毒症状が高じてくるのであった。

こんなことを何遍も繰り返している間に、健康状態もだんだん悪くなり、身体のあちこちで調子が狂ってくる。そうなると気力も共に衰えてくるので克己心も弱まり、本能に翻弄されるようになると自己嫌悪に陥り、毎日毎日が憂鬱で友人たちとも心の底から明るい気持ちで交わることができなくなってしまう。一人で部屋に閉じこもって考えることはしょっちゅう甘いもののことで、その考えのすぐ後でのこのこと家を出て行ってはお菓子類を買い漁り、誰にも見せずにこっそりと皆食べてしまうのである。

全部食べないで残しておこうものなら気分が一向落ち着かない。「ええい、ままよ」と残りの菓子を袋ごと食べ終わらなければ満足して寝に就かれないといった晩が続いたりする。

こんな状態が続いている間に、遂に神経衰弱とかノイローゼに陥って、大事な生涯を棒に振ってしまう人々も必ずやあることと思うが、このどん底から這い上がって立派に更生するのは誠に辛いことで、私自身もよくもまあまあ、あの泥沼の中から立ち上がってきたものだと今さら感慨無量になるのである。したがってこの娘さんも是非とも以前のような明朗で闊達な健康状態にしてあげねばならないと思うのである。と同時に、この人が本当に甘いもの中毒から抜け出るには、一通りや二通りの苦労ではない、大変な努力が必要なんだなと誠に気の毒になってくるのである。

このような甘いもの中毒に限らず、アルコールその他の種々な中毒に陥るような人は、やはり性格的にも偏りがひどく、体貌観測でもすれば必ずといってよいくらいに色々の故障を見い出すものである。たとえば左右の足の不揃いがひどく、足脚の骨にまで変形を生じてしまっているとか、脊柱の不正脱臼が多く、したがって内臓や自律神経の異常が見られるといった具合である。それ故にかような患者を単に意志の強弱だけを問題にするとか、また、環境を変えてみたらどうかというような解決策に加えて、人間改造法としての西医学の応用こそが抜本的な方法であることを痛感するのである。

これを具体的に言うならば、まず平床の上に寝て木枕を使用させる。そして金魚運動をやらせ、できれば顎下懸垂器にかからせて脊椎骨の副脱臼を治してゆく。

一方、合掌合蹠を実行させて左右の神経を揃え、背腹運動や温冷浴で体液および自律神経の中和を計り、何事でも中庸の行動ができるような人間に変えてゆくのである。

また、栄養としては生水や柿茶を1日に2、3リットルは飲んで、生野菜をできるだけたくさん食べ、スイマグの飲用と相まって宿便の排除を計ることである。

その上で暗示療法としてテープレコーダーなどを応用して、患者の潜在意識にまで食い込んでいる悪い観念を払い除けてやらねばならぬ。その他の方法として、今まで毎日甘いものを多量に食べてきた者のこととて体液が糖分漬けになっているから、これを塩漬けに変えてやらねばならぬ。ニコチン中毒でも、少しタバコをやめて体内のニコチンが減ってきたときに、何とも言えないくらいにタバコが欲しくなるのと同様に、今までずっと糖分漬けであった体液の糖分が塩漬けに変わるときには、何を質においても甘いものを買って食べたいという気持ちになるものである。ここの難所を上手に越えさせてやらねばならぬ。それには、20分入浴法や駈足法なども応用してよいであろう。

何?こんな紋切り型の方法でおいそれと容易く甘いものがやめられるかって?

その通り、言うは易くて実行は誠に至難である。そこで今度は私の辿ってきた道を、すなわち失敗の連続を披露致したいと思う。

5、中毒に陥るまで

前述の娘さんのように、精神的な欲求不満を食欲で満たそうとして、遂に甘いもの中毒にまで進展してしまう例もあるが、大抵の甘いもの中毒といえば、西医学とか人間医学のようなものを知って、自分も大いに健康になってやろうと、断食や純生野菜を実行した後の反動から中毒にまで落ち込んでしまうようだ。

私とてその例に洩れない。重症の肝臓病でどうにもならず、遂に現代医学を離れて断食に踏み切ったのが昭和25年8月だった。11日間の断食中に「西式断食療法」の本を読んでからは、生来の甘いもの好きの私もいよいよこの断食が終わって家へ帰ってからは厳格な食養生をおこない、甘いものを一切やめて1日も早く健康体にならねばならぬと心に誓ったのであった。

家に帰ってからは病気も重いことであるし、実にかっちりと食養生を続け、翌年3月、第2回の断食に入るまでは品行方正であったのだ。

さて、2回目の断食も終わり、病気もだんだんと快方に向かって、温冷浴もどうやら実行できるようになって、あちこちと家の外へ出る機会が多くなってから、菓子屋の陳列棚に並べてある色々の甘いものが急に眼につくようになってきた。無理もないことだ。底なしの甘党である私が、この1年半ほどは歯を食いしばって頑張ってきたのであるから、その間に積もり積もった精神的な抑圧がいつかは爆発するはずである。

最近友達からもらった蜂蜜を後生大事にチビリチビリ舐めていた間はまだよかった。神棚に供えてあった饅頭が不意に消えてしまったり、兄の子のビスケットを失敬したりするのにも愛嬌があった。それが家の外へ出て菓子類を買い漁って食べ出すようになるともういけない。堰を切ったように、日ごとに買い食いの悪癖が高じてくるのであった。

今日限りで明日からは絶対に甘いものを食べまいと心に誓い、日記にも書いておくのに翌日になると、まあもう1日だけ許してもらおうとばかり、のこのこと外へ買いに行く浅ましい姿は実に見られたものではない。紙袋で誰にもわからぬようにそっと持ち帰って、自分の部屋でボリボリ食べるときは楽しみなど少しもありはしない。強い罪悪感と自分の病気がひどく悪化してゆくであろうとの恐怖感におののきながら、本能に打ちひしがれた餓鬼道である。

そして食べ終わった後の絶望感とも虚無感とも似つかぬ、あの情けない気持ちはどうであろう。「いったいお前は何という馬鹿な野郎であろう。西医学を忠実に実行して1日も早く病気を治し、健康な身体で再び学業に勤しまねばならぬ身でありながら、甘いもの1つやめられんのか。こんな奴はもう死んでしまったほうがよいのだ。」と全く自嘲の限りを尽くすのである。

それでは、もう西式も実行しないかというとさにあらず、明日からはも一度やり直しだとばかり大いなる決意をもって六大法則をはじめ、朝食抜きもやり、生水や柿茶も飲んで、生野菜食の面倒も厭わずに実行するのである。日記だけでは駄目だから、今度は1つ天井裏に大きく「禁甘食」と書いて張り付け、寝る前も起床時にもよく噛みしめて、この難関を突破せねばならぬと張り切るのである。

しかし、ものの1週間も経たぬうちに、あれだけの決意もどこへやら再び元の悪癖が頭をもたげてくるのである。

厳寒の候に朝から張り切って裸療法をやり、午前中は冷たい水だけを飲んで空腹をこらえ、昼食には美味しくもない生野菜をゴロゴロと擂鉢で擂り潰して食べ、夕方には男を振るって温冷浴を済ませるまでには「俺は本当によくやるぞ、今に見ていろ、この西医学健康法にて見事健康体になって皆の者に、なるほど西式とはえらい偉力のあるもんだなと驚かせてやるぞ。」と意気正に天を衝くものがあるのに、夕食を終えて何とも言えぬほど無性に甘いものが欲しくなって、フラフラと夢遊病者のごとく出て行って甘いものを買ってしまうのである。

甘いものを買ってしまうと、もうガラリと性格が変わったように、本能の動物と化してしまって、袋が空になるまでは気も落ち着かず、全部食べ尽くしてしまうのである。

こうして希望の絶頂から悲嘆のどん底に落ち込むといった生活を続けているのであるから、肝臓病も一向によくなってこない。グローミューをつくっては壊し壊ししているのだから、健康になれないのは当然のことだ。尤も、このグローミューをつくってゆくときの瞑眩として現れるいろいろの症状や、逆にグローミューを溶かすときに現れる種々な症状を何遍も体験するのであるから、甘いものの毒さ加減が実によくわかるのである。

甘いものが生体に及ぼす影響をこれほど見事に証明できる実験は他にはあるまい。と同時にこれを裏返せば、西医学健康法を忠実に実行しさえすれば、必ずや健康体になれるとの確信をますます強くすることになった。

2個3個と続けて饅頭を食べてゆくと、まず鼻水が出て次いで咳が出る。これは皆その部位のグローミューが溶けている証拠である。それからなおも食べ続けると右膝のグローミューチューマ(腫瘍)を起こしているところが痛み、左足首に熱感と痛みが始まる。このときにはもう頭の前後にかけて、ザルでもかぶったような気持ちになってしまっているのである。そんな晩は必ずといってよいほど夜中にビッショリ汗をかく。翌朝起きてみると身体の調子は昨日とはガラリと変わってしまっている。肝臓部は痛み、倦怠感が強く何をしようとの意欲がなくなってしまうのである。

これみな自分が播いた種で誰に文句を言うこともできない。全く死にたいほど情けない気持ちをこらえて、やはり立ち上がらねばならぬ。ここでしばらく熱心に西式の生活をやると、今度はグローミューのできてくる過程が手に取るようにはっきりとわかるのである。足の故障と内臓との関係なども実に典型的に、本に書いてある通りに理解できるのであるから、この足の問題だけでも、西先生の天才的頭脳にホトホト感心してしまうのであった。

6、どん底

便所の中の蛆のごとく、少し這い上がっては落ち、また少し這い上がっては落ちるという療養生活が続いては、遂に自暴自棄に陥ってしまう。いつまでもこんな辛い思いをするよりは、いっそのこと死んでしまったほうがましだ。しかし死ぬのなら1つ大好物の「ぜんざい」を腹いっぱい食って死んでやろうとどこまでも食い気が付いて回るところは誠に情けないと言うよりはむしろ滑稽ではないか。

ところで、「ぜんざい」で腹いっぱいに膨れたってそう簡単に死ねるものではない。やっぱり思い直してもういっぺん今度こそ絶対に背水の陣を敷いてやるのだとばかり、何年何月何日より禁甘食と柱に大きく彫り付けておく。したがって幾度もこれを繰り返しているうちに、私の部屋の柱という柱がみな傷だらけになってしまったのだから、兄や母が怒り出すのも無理はない。「お前はいったい何という馬鹿なことをやっているのだ。甘いものを何もやめようなんて思わんでよろしい。ほどほどに食べていればよいのだ。どんなに頑張ったってできんことは初めからやめておけ。」と一喝を食らわされるのであった。

何と罵られても反発する資格のない無様な自分ではあるが、生来の負けん気がまたしてもむらむらと頭をもたげてくるのであった。

「なにくそ!俺は絶対にやってみせる。甘いものときっぱり縁を切ってやるのだ。今に見ておれ」と深く深く我が胸に言って聞かせるのであった。

よし、この上はも一度断食をやって心身を清め、第一歩から出直すことにしようというので、思い立ったら矢も楯もたまらず、早速断食に入る。しかし断食をやって飢餓に落とし入れると、前にも増して食べ物の虜になってしまうのに、失敗すればするほど「今一度断食をやって最後の最後の出直しだ」と繰り返していたのであるから、今から思えば実に危険なことをやっていたものだなあと身震いするのであった。

だいだい凡人が本能と真っ向から勝負すれば、負けるのが初めからわかっているのではないか。それをいつまでも性懲りもなくムキになって立ち向かって行ったのは誠に若気の至りであった。本能を上手に逸らす工夫をすればよかったのだが。

まあ、当時の私はまだまだ断食をする資格などはなかったと言える。

(つづく)

西式健康法 創始者 西勝造 創刊 「西医学」 1966年8月号 第29巻第2号

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