あなたも甘いものがやめられる(1) 甲田光雄

あなたも甘いものがやめられる(1) 

甲田光雄(八尾市・甲田医院長)

世の中にアルコール中毒による悲劇はたびたび見聞するし、読者のみなさん方の周囲にも必ず一人や二人アル中で困っておられる方があるだろう。一昨日も夜中の3時ごろに電話で起こされ、苦しいからすぐ来てくれというので行ってみると、グデングデンに酔っぱらった60過ぎの禿げ頭が、酒臭い息を吐きながら「早く楽になるようによい注射をしてくれ」とせがむ。家族の者も暴れられるのが恐くて腫れものに触るようにしている。これでは正にアルコールも百毒の長と言わねばなるまい。

辛党とは反対に、甘いもの好きについては西医学の信奉者は別として、世間ではあまりその害についてはやかましく言わない。「うちの娘は大酒飲みには嫁にやらぬ」という人はあっても、「あんな底抜けの甘党には嫁はやれぬ」というのは聞いたことがない。

しかし砂糖の害に毒されて健康を蝕まれ、一生を台無しにしてしまう人々が、アルコールによって毒される人に勝るとも劣らぬくらい多い現実の姿を知れば、人類の健康福祉のために、砂糖の害から是非とも逃れる方法を考案するか、いっそのこと国家的に砂糖を追放してしまうくらいの政策をとってほしいと思うのである。

後者のほうは、とうてい実現される可能性はない。それどころか、テレビに、新聞や雑誌に、チョコレートやヨーカンやお菓子類の華やかな宣伝がなされたのでは、少々の健康教育ぐらいは吹っ飛んでしまうであろう。自由主義の名のもとに毒と薬がごっちゃに宣伝される我が国の現状で、何が正しいかを洞察する眼を持たぬ大方の人々は、つい本能の誘惑に負けてしまうだろう。

かかる心境を早くから察しられて西先生は、甘いものを食べた後で4時間から7時間以内に生水を飲んでおけば、砂糖の害から一応は逃れられるという、甘党にとって誠に都合のよい方法を教えてくださった。

しかしながら1個の饅頭に手を出したならば、もう1つ食べたいというのが甘党の本音であり、中には「1個や2個の饅頭なら、むしろ食べないほうがよい。せめて3個か4個ぐらい食べないと満足できない。」というような人もあり、これでは後で、少々の生水を飲んでも追っつかないであろう。

また昼間は品行方正でも、夜になって寝る間際に甘いものを食べたのでは、朝まで生水を飲むことができないので砂糖の害を逃れることはできない。ましてや戸棚に残してある饅頭が気になって、全部食べてしまうまでは寝付かれないという人にいたっては、もはや甘いもの中毒といってよいだろう。

そこでどうしたら甘いものがやめられるか、本当に自分のような者でも甘いものを断ち切ることができるだろうかと心に悩みながら、ついつい甘いものに手を出して後悔しておられる方々も相当おられるものと思うが、実は私も人一倍の甘党で、今迄この甘いものとの闘争に大変な苦労をしてきた。

最近になって、やっとこのくらいなら誰に見られたってまあまあ一人前になってきたように思うので、これまで重ねてきたいろいろな失敗談を披露して、読者のみなさん方が二度と私のような失敗を繰り返さないように望む次第である。

1、誤れる生活

私は大の甘党一家、いや甘党一族の中に生まれたのである。親戚の寄り集まりなどで、酒類は一向に減らないが、甘いものならいつも底をついてしまうのであった。正月に搗く餅をきな粉餅にしてお互いにやり取りするのにも、どこの家のが一番甘いかを競うという悪習があって誠に始末に負えぬ。

父はまた格別の甘党で、常に氷砂糖のようなものを頬張っていたのを知っている。それも舐めるのではなくてばりばりと入れ歯で(自分の歯はとっくに抜けてしまっている)噛み砕くのであったから、1斤ぐらいの氷砂糖ならすぐになくなってしまうのである。私が小さいころよく買いにやらされたのを今でも覚えている。

また幼いころ野良へ一緒に付いて行って遊んでいると、いつも通る焼餅屋のおじさんが例のごとく焼餅を畦道に置いて行ったのを父と二人で食べた懐かしい思い出がある。

家が農家なので、雨でも降るとつい暇に任せて「ぜんざい」のようなものをつくる習慣があったものだから、小学校の教室にいても、今日は雨だからと、思いは早や餅の浮かんだ「ぜんざい」の釜にあったものだ。そして夜中に小便を済ませた後で、冷え切った残りの釜底の「ぜんざい」を啜るあの味はまた格別であった。

こんな具合だから父はわずか59歳で脳溢血で急死してしまった。甘いものが大害であるとは露知らず、むしろ得意気になって食べてきた者の辿る当然の運命であろう。そしてこの私も身体のつくりは大きいわりに、中はガタガタで小さいときから大病ばかり繰り返してきたものである。

甘いもの好きに加えて更に悪いことは、生水や茶をあまり好まない習慣があって、私の家では食事時でも茶を沸かすということはなかった。甘いものを食べても生水や茶が好きで後からドンドン飲むような人ならまだよいが、私のような生水の飲めない体質の者は砂糖の害を直接被ってしまうのである。

現在毎日多数の患者に接していると、私同様生水も茶もあまり飲まない人が案外たくさんいるものだということがわかってきた。これらの人は一見して特有の体貌をしているからすぐわかるようになった。

先日もまた55歳で既にどうにもならぬ健忘症に陥って困っている患者さんがこられた。あちこちの病院でいろいろと検査したが、原因がどうもはっきりしないという。私はその人を一見して、「あなたは若いときから大食で、特に甘いものが大好きでしかも生水をあまり飲みませんね」と尋ねたところ付き添いの奥さんがびっくりしてしまわれた。「この人の甘いもの好きときたら本当に底なしです。そしてちっとも生水を飲みません」と答えられたが、大食で生水を飲まぬ習慣が続いて、頑固な宿便を溜め、その上甘いもので脳のグローミューが融けてしまった結果、まだ若いのに老人ぼけしてしまったのである。この人も正しい健康法を知らなかったばかりに自らの墓穴を掘るような生活をしてきたのである。

誤れる生活を続けておれば、多少の違いはあっても結局はみなこのような病禍に悩まされることになるのだ。正しい健康法を知るということだけでも、どれだけ我々の人生に光明を差しかけてくれることであろう。

素晴らしい革命医学である西医学健康法を知ることのできた今日の私は、その幸福を感謝するとともにこの先祖代々からの甘いもの好きを断ち切るという因縁を背負わされているものと感じ取っているのである。

2、胃腸病に悩む

小学校6年生のときに健康優良児?として表彰された私も、生来の大食癖と甘いもの好きに加えて、生水も茶もあまり飲まないという誤った生活が続いたために、中学に入ってからは胃腸の病気がまたしても起こってきた。下痢をするかと思うと次には便秘で苦しむといった具合で、気持ちのよい便が出たことがなかった。

中学3年の冬になると、手足がめっきり冷えるのを覚え霜焼ができだした。暖房のない教室での授業が苦痛になってきたのを覚えている。遂に3学期の終了を待たずに執拗な下痢のために休学して寝込んでしまった。

ところがせっかく学校を休んでの貴重な養生も、その方法が誤っていたために、病気が治るどころか却って悪化させる方向へ追いやっていたのだから残念至極である。そして、「自分はもう健康に自信がないから学校をやめて百姓をする」と遂に学業を断念して、2ヶ月間野良へ出ることになってしまったのである。

慢性胃腸病だから、ただ安静にして寝ているだけで食事療法が主になるのだが、医者は生水は絶対に飲むなというので、もともと好きでない生水だから極力飲まないようにし、下痢には食パンがよいというので戦時中でパンの少ない頃であったのに、無理をして買ってもらい毎日毎日根気よく続けたものだった。

しかもそのパンに白砂糖をたっぷり塗って食べるのであるから西医学をご存じのみなさん方には、180度も間違ったこの養生法をどう思われるであろうか。

粉食ばかりで水分を制限し、これで下痢を止めようとする食養生を、私の性格上几帳面に続けたものだ。なるほど2、3日下痢は止まる。ところが3日ほどすると腹が張り重苦しくなって、悪臭のガスが多量に発生し便意を催すので、排便すると最後にはやはり下痢便でがっかりしていたのを思い出す。

こんな養生法で私はますます宿便をたくさん溜めることになり、過長結腸がますます助長されて、その後何年もの長い間苦しむことになったのである。

陸士在校中も相変わらず胃腸病で悩み続けたものだが、それでいて同じ区隊の者に向かって「お前たちはお茶や生水がなかったらよう飯も食わんのか、俺はお茶も水もなしで結構食えるから野戦向きにできているんだぞ」と自慢していたものである。

休日に外出でもすると、何を措いてもまず甘いもの漁りをしたもので、あるとき戦友と2人で親戚に立ち寄ったところ、思いがけない「ぜんざい」のご馳走になり「いくらでもたくさんあるから腹いっぱい食べなさい」と言われたのを真に受けて、2人で何杯もおかわりするうちに、ついに釜の底をついてしまって大変恥ずかしい思いをしたことがある。そうしてそのあげく翌朝からは大下痢で、下着を汚すやら実に苦しい思いをしているのに、同じように食べた友達がケロッとしているのが羨ましいほど弱い胃腸だったのだ。

3、甘いものはそんなに毒か

こうして胃腸病に悩み続ける間に、さらに肝臓病も加わって、いよいよ現代医学でどうにもならなくなり、西医学健康法を知るようになってから、今までの甘いもの好きに終止符を打たんとの苦しい挑みの生活が続くことになるのであるが、その前に甘いものはそんなに毒なものであるかということを実例を挙げて述べてみたいと思う。

砂糖食、特に白砂糖の過食は、我々の身体からカルシュームを奪い、アチドージスを招来させ、ひいてはグローミューを溶かしてしまうことは、西医学の信奉者ならばみなご存じの通りである。そして体重1kgについてどれだけの量までなら差し支えないかとの許容量も、年齢に応じて既に西医学で明らかにせられている。しかし実際にどれだけ甘いものを食べたら自分の身体に障るか、との実感を経験しておられない人も相当あることと思う。

昨年の正月に、私は試みに饅頭を一度に5個食べてみたが、身体に別にこれといった障りもなく平気であったのに驚くとともに、自分がここまで健康になってきたことが本当に嬉しかった。

尤も、続けて食べれば必ず障害を受けて、いろいろの症状が現れ苦しむに違いない。それにしても過去の私の健康状態に比べて非常な変わりようである。「シメシメこの分ならばこれからもチョイチョイ甘いものを食べてやろう」なんて不心得な考えはさらさらないが、否否!!この健康への喜びをじっと噛みしめて、今後ますます精進しなければならぬとの決意を固めた次第だが……。

昭和30年の8月5日の夜だったと思うが、私が第1回の断食を生駒山の断食道場でやってからちょうど5年になるというので「5年前の今日は生まれて初めての断食を決行したのだが、このごろは少し健康を回復してきたから、1つ今晩は無礼を許してもらって、甘いものでも食べさせてくれよ」とわざわざ駅前まで自転車で行って最中と饅頭を買って帰り、5個あまり食べた。

ところが夜中に汗びっしょりかいて心臓部が重苦しく痛み、狭心症様の発作があって大変心配したものであった。そして翌朝起きてみると左足首が痛くて歩けぬ。最近左足首の痛みも大分と薄らいでおったのにいっぺんに逆戻りしてしまったのである。

これは少しできかかっていた私のグローミューが、多量の砂糖を食べたために甚大な打撃を被ったわけである。

この場合の病気の後戻りは、しかしながら決定的なものでなく、今までの何遍もの失敗した経験からせいぜい1週間ぐらいの厳正な食養生にて元通りになるものだと知っていたからあまり悲嘆はしなかったが、私のグローミューがまだまだ普通の人々に比べていかに貧弱であるかがよくわかるのである。

同じく饅頭5個食べても、約8年前にこれだけ反応に違いが出てきているのでもわかるように、甘いものがグローミューを溶かすといっても、それではどれだけ食べればその人の悪い症状が現れるかは、各個人のグローミューの強弱すなわち健康の度合いによってみな異なるのである。

したがって甲の人が2個の饅頭を食べただけで早や鼻水を垂らすといったような悪い症状を呈するかと思うと、乙の人は5個の饅頭を一度に食べてもそのとき直ちには何らの症状も現れてこないという差が生ずるわけである。

このように、単に甘いものはグローミューを溶かすから悪いと知っているだけでは観念的な知識にすぎないので、実際に実験してみると身に沁みて砂糖の害がよくわかる。尤も大方の人はこの失敗があまりにも多すぎて、肝腎のグローミューが一向にできてこないでいつまでもある段階の健康状態から上へあがれないのであろう。

さてしかし、昭和30年8月5日の失敗に際しては「砂糖が悪いとの先入観があるから誇大に症状が現れたのではないか」と疑う者もあるかも知れない。それで更に5年さかのぼって昭和25年5月26日(当時の私は砂糖がそんなに毒だとは身に沁みて感じてはおらなかったのであるが)6ヶ月来だんだんと悪化してきておった私の肝臓病が、この日大きな紅白饅頭を3個食べたのが契機となって、その晩に重傷の肝臓機能不全症の状態に突如陥り「もうこれで自分はとても回復することはできないのではないか」というどん底まで追いやられてしまったのである。

このように我々が重症になればなるほど、すなわちグローミューの障害され方がひどい人ほど、ちょっとした甘いものの不養生でも、すでに予備アルカリが少なくなっているために打撃を被るのである。したがって甘いものの毒を痛切に感じ取りたければ、グローミューのひどく障害されたどん底の重傷に陥ればよいということになります。

そしてまた一方では次のようなことが言える。すなわちここに饅頭を3個食べても、ことさらに何ともないという人(甲)と、饅頭2個食べても鼻水が出て足首が痛んだり膝頭が痛むような人(乙)とが、ともに健康への道を辿ったとしても、甲のほうがグローミューがしっかりしているから早く健康になると考えるのは当然として、乙のような病弱の状態から甲の段階にまで到達するのが大変な努力と期間が必要であるということである。

それは乙のような人は足の故障もひどいし脊柱の副脱臼も多くあろうし、また皮膚の働きも悪いというほかに、食養生が大変難しいのである。ちょっとした砂糖食品を食べるとか過食でもすると、すぐに建設中のグローミューを台無しにしてしまうから、よほど厳格を食養生を長期間やり通す強固な意志と確乎不抜の信念が必要となってくるのである。

甲の人にはこの乙の人の苦しみを理解することは出来がたいであろう。甲の人には何でもないようなちょっとした不養生でも、乙の人には決定的に打撃を被るのであるから、したがって乙のようなどん底から立ち上がってくる人は実際偉い人だと思う。

ここで我々はかようなどん底に陥る前に、回復への手を打たねばならないと痛切に感じるのである。

一昨年だったか、東京からわざわざ来られたN氏は糖尿病であるが、甘いものを少し余計に食べると急に夢遊病者のごとくなってしまって、それが4日も5日も続くので全然仕事にならず困り切っておられた。最初は糖尿病もわからなかったので、どの医者からもノイローゼ扱いにされ「そんな甘いものを少しくらい余計に食べたからといって、夢遊病者のような症状が現れるものですか」と問題にされない。

私は一見してN氏のグローミューが相当に障害されているのがわかった。それはちょうど10余年前の打ちひしがれた私の面影に似たものがあった。活力の全くなくなった満身創痍といった状態である。かように身体のあちこちにグローミューチューマを持っている人が、少量の砂糖食で夢遊病者のような症状が現れるということは十分に肯かれるのである。

ちょうど水の温度をだんだん上げてゆくと、100度になって突如沸騰するのと同じように、グローミューの障害がだんだん進んである程度にまで到ると、突如として症状が現出する。少しの甘いもので夢遊病者のような症状を呈する人は、すでにグローミューの障害が水の温度で言えば95度ぐらいにまで上がっているような状態であるのだ。

それ故このような人に対して「甘いものを食べても、その後で身体の弱い者なら4時間以内に、健康に自信のある者では7時間以内にそれ相当の生水を飲んでおけば事足りる」と指導する人があるとすれば誠に危険である。これでは西医学の真理をただ観念的に理解しているにすぎない。

グローミューに障害の多い病弱な人が、饅頭の3つも食べれば、その後で恐いもののように生水を飲んでも、2時間と経たぬ間に鼻水が流れ出て、膝頭や足首が痛み、頭に皿をかぶせたような気持ちになってしまう事実も、やはりこのような人も、水の温度で言うなら既に95、6度ぐらいにまで上がっている程度のグローミューの障害を受けているのだ。

甘いものを食べた後で生水をたくさん飲んでおけば害を受けないと遠慮せずに言える人は水の温度で言えば50度ぐらいのグローミューの障害された状態と思っていればよい。

砂糖食品ばかりではない。たとえ蜂蜜であっても、いや果物でも黒ブドーのような甘味の強いものを多量に食べると、やはり鼻水が流れ出し膝頭や足首が痛み出す経験を何遍も何遍もしてきたが、この事実をどのように解釈すべきであろうか。グローミューの障害がまだ相当にあり、宿便を多量に溜めているものに出現する症状であることは確かだとは思うが、それと西式を忠実に実行してグローミューを建設し、健康への道を辿る途中において、異常な敏感さで甘味品に反応する特異な症状であろうかと思う。実際に体験して初めて、甘いものの毒が身に沁みるのである。

西式健康法 創始者 西勝造 創刊 「西医学」1964年6月号 第26巻第12号

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