断食について(5) 西勝造

断食について(5) 

西勝造

仏国百科事典はショーセエ(Dr. Chosset)及びブラウン・セカール(Dr. Brow-Sequerd)両博士の言葉として、次のごとき言葉を引用して載せている。

”動物の場合と同じく人間の場合においては、餓死の直接原因は、動物の体温の低下にある。死は寒冷によって加速せられ、外気中の湿気と温気によって延長せられる”云々。

またパシューチン(Dr. Pashutin)博士は50日間の断食を通じて体温が正常であったという1つの実例を挙げている。

”しかしながら、我々が動物についての実験を通して知っているところによれば、体温が著しく低下するのは、体内の予備物質がことごとく消費されたときのみである”云々。

またショーセエ博士(Dr. Chosset)の言葉として

”若干の動物(鳥および全ての哺乳動物)に一切の食物を与えず、これに伴うて起こる現象を精密に観察してみたのであった。この実験は、飢餓という問題に対し啓示的な照光を投ずるであろう。全ての動物にあっては、体温は生命の最期の日の来るまではほとんど正常に維持せられ、最後の日に至ると急速に低下し始めたのであった。動物はそれまでは、落ち着きを失っていらいらしていたが、あたかも麻痺してしまったがごとく静止した。動物は片側へ倒れたきりで起立することができず、呼吸も漸次遅くなり、瞳孔が拡大して、知覚を喪失し漸次に深い眠りに陥るように死んでしまうものとまた痙攣を起こして死んでゆくのもあった。こうした現象の現出してきたときに、外部から温かみを加えてやると、動物は蘇生したのであった。つまり筋力も復帰し、動物は室内を動いたりあるいは跳び回ったりした。これに食物をやると、ガツガツしながら、それを摂取した。その後再び放置すると、動物は速やかに死ぬるのであった。しかるに摂取した食物の消化されるまで、外部から温かみを加えてゆくと、動物はさらに回復するのであった。(消化器官が弱っているので、消化の完了までには長時間を要したことが多かった)これによってみると、死の直接原因は、飢餓というよりもむしろ寒冷であるということが明瞭になったのである”云々。

長期の断食の実例も、多くの記録が残されてある。マックファーデン(Macfadden)は90日間の断食について記述しているし、コーク(Cork)の飢餓罷業は96日間続けられたし、幾千人かの人々も40日間およびそれ以上の断食をおこなっている。50日、60日、70日及びそれ以上の期間にわたって断食をおこなった人々も多い。マックスイニー(Mc Sweeney)は、断食を始めてから78日目に死亡した。それは医師が気付けのつもりで、拒んでいた本人の意志に逆らって注射をしたからであった。上記の飢餓罷業の続行されていた当時、他方においてリンドラー博士(Dr. Lindlahr)が70日間の断食を公開において実行した。このときデュウエー博士(Dr. Dewey)も3ヶ月間の断食の実例を公表している。

これらの断食実行者の場合においては、ビタミン欠乏性疾患の起こるのは、身体内に不自然な食物の充満しているときに限られているようである。さもないときには、身体内に存在するおびただしい予備物質の貯えはよく平衡を保っているようである。周知のごとく、血液はアルカリ性(アチドージス)に抵抗するほとんど無制限な力を備えている。つまりそれは血液が、酸性となる前に死滅するからである。

餓死が到来するのは、身体が骨ばかりの状態になったときに限られており、しかも餓死は何よりもまず寒冷の結果として起こることが多いのである。このことは、疾患の場合の断食の結果として餓死するもののないことを意味している。断食中に死が起こるとしても、それは他の原因による結果にほかならない。なぜなれば、断食中においては、断食者の体温の低下さえも起こらないからである。この断食なるものでは決して死というものがあるものではなく、もし断食中に死んだとすればそれは決して断食が原因ではなく他の原因で必ず死んだものである。[(註)大東亜戦争時代でなければ英米独仏の実例報告の原文を掲載してこの意味のことを発表したいのであるが、欧文は特に目立つのことであり敵性降伏をしなければならぬときであるので、遺憾ながら略すこととする]。

パシューチン(Pashutin)は、一人の少女が硫酸を飲んで消化器官を破壊した実例について記している。氏は言う、

”4ヶ月間、若干の流動食栄養を与えたが、どうも吸収されたとは信ぜられなかった。なぜなれば、これらの流動食栄養は、あまりにも迅速に排泄せられ、尿中には何らの塩化物も認められなかったからである”云々。

この病例においても、体温の低下し始めたのは、死ぬ8日前からであったと付加してある。

断食中の仕事

一般原則としては、長期断食中には仕事をおこなうことは、厳重に禁じてやるべきである。しかし実際に仕事をおこなっていた例もある。2週間ないし3週間のものは相当に多い実例がある。海軍軍人の高官の方で2週間と3日間(17日間)の断食を仕事を休みなく完遂された例もあり、実業家ではかなり多くの実例がある。本年5月(昭和18年 私が満州国に招聘されて行っていたとき高官の方が3人長期の断食をされつつ勤務のほうを1日も欠動されずに完遂されたのを実際に知っているが、4週間以上ではいかなる場合でも休養しながら実行されたが安全である。敵米国の例であるが、富裕な米穀仲買人ミルトン・ラスバーンという者が28日間の断食をおこないつつ、ある医師の監視のもとに全期間中仕事を続けて、朝は普通よりも早く起き、早く出勤し、平常よりも却って能うる限り激しい仕事をやっていたとのことが、当時のニューヨーク・プレス紙は伝えていた。

他の断食者もこれと同じことをやった例も報ぜられている。若干のものは、さらに激しい仕事をさえおこなっている。これは1925年ニュージャーシーのジャーシー市の織匠師は、40日間の断食をおこない、その全期間中にも、織匠師としての仕事を止めなかった。またニューヨーク市のジョージ・ハスラー・ジョンストンという男は、1926年1月18日から30日間の断食をおこない、その期間中にも通常のごとく活動を続けた。彼は別に断食を必要とするという身体ではなかったが、自家広告のしたさから、ある医師の厳重なる監視を受けながら、断食をおこなったのであった。彼は並外れた能力のある運動家であって、断食の始めと終わりのときにも同じように優れた肉体状態を保持していたと報告されている。

ジョンストンは、この断食期間中において、毎朝5時に起床して、放送局へ行き、3回の体操を放送した。1回の体操時間は、いずれも15分間を要するものであった。彼はそこから25町ばかり歩いて、マックファーデン出版社に行き、編集の仕事に従った。彼は毎日午前11時30分になると、ニューヨーク市にある体育相談所へ行き、そこへ午後2時まで止まり、人々に面会したり、質問に答えたり、断食、食事および運動法について、意見を与えたりした。彼はそこから更に出版社へ帰り、午後3時にはマックファーデン社の使用人からなる2組のものに美容体操を教えた。その後で更に編集の仕事を始め、午後5時まで机を離れなかった。断食期間中においては夕方になると概ね72ブロック(20ブロックで1哩)離れた自宅まで歩いて帰り、夜分にはマヂソン広場公園で、拳闘や相撲を見物したとある。そして彼は断食を始めてから1週間を経た後、下町へ行って、体操の訓練をやることや走行をやることを初めてやめたのであった。

この断食は、ちょうど30日間、つまり2月16日火曜日の夕方をもって終わった。それから3ヶ月半後に当たる6月2日、ジョンストンは、シカゴを出発し、ニューヨークまで、何らの食物も摂らずに歩いてみようと試みたとある。そのときに友人知人が、かかる人気取りの企ての愚かしさを説いて、彼を諫めやめさせようと努力したが、彼は敢然として、これを決行し、6月21日ペンシルヴァニアのベッドフォードに達したのである。その行路を終えた彼は、20日間に577哩8236里28町を歩いたわけであった。

彼は、この歩行中、山を越え、あるいは谷を渡り、風雨に曝され、折から夏季の暑さにも耐え、道路には群れ集る人々は新聞や放送で知って雲霞のごとく押し寄せる。それらの人々を警官の力で追い払い、自動車、汽車、電車までも止める騒ぎを演じつつ行かねばならなかった。のみならず、その道程の途中において、彼は握手をしたり会談、面会、応接に多忙を極めたなお写真を撮らせたり、健康法について簡単な談話をしたりしたので、勢力をほとんど費してしまった。これがため、旅程が捗らず、数日間は、午後遅くまで、時には夜になるまで歩かねばならない始末であった。監視人は新聞、雑誌社の記者が身辺を離れず一挙一動を写真に収め、寝る時間、休む時間、談す時間、生水を飲む時間、排便は両便ともに定量し、1日朝、昼、夕、午後10時の4回の体重の測定をおこない、20日間の旅程を行ったのである。当初友人知己が出発する前に、勢力を十分に貯えるようにと彼に警告し、また20日間の食物なしの歩行もよいが、それ以上には亘らないようにとも言われた。もしも彼が歩くことに専念し、他のことをあまりやらないようにしたならば、恐らくはモット遠距離まで行けたであろうと報告されている。しかし彼は友人知己の勧告を入れて20日間で歩行を中止したのであった。なぜこんな敵米国のことを長々と貴重の紙面を費して書いたかといえば、しかく米国人というものはお調子者で、危険であろうが、銃後のほうでヤンヤヤンヤと言えばどんな芸当でもやらかすオッチョコチョイ振りを戦場でもやりかねないから、油断も隙もあったものでないからである。

インドのガンジーは、何人も追随を許さないほど多くの断食をおこなった人であり、今もなお、すぐに断食をやるのである。ガンジーは断食中には特に勢力を貯えることを心がけて、なるべく勢力を費すことをしない工夫をしている。しかし彼とて初めから巧妙な断食をやれるようになったのではなく、最初は失敗を再三繰り返したものであった。彼も初めの内は注意を怠ったためほとんど廃疾者となり、手痛い打撃を被ったこともあったので、かくして彼は初めて断食中にも勢力の貯蓄ということを知得したのである。それはガンジーが、南アフリカで、2回目の長い断食をおこなっていたときと同じ位の仕事をやれるものと考えたのである。断食をやめてから2日目に、彼は早くも骨の折れる歩行を始めた。これによって、彼は脚に激痛を感じたのであった。しかし彼は、その翌日も、その後の数日間も、これを中止しなかった。そこで疼痛は増すばかりであった。この場合、西式の心得ある者ならば毛管運動とか足の療法として上下運動とか扇形運動とかあるいは添え木とか副木、足枠などで治してしまうのであるが、かかる方法を知らないガンジーにはできるはずもなく、彼はそれがために、健康を非常に損なわれた。彼が完全に回復するまでには、数年を要した。これについてガンジーはこう言っている。

”この甚だ高価な体験を通して、私は次のことを実得するに至った。つまり断食中においてのみならず、断食中止後も断食期間に相応した日数の間は完全に身体を休息させる必要がある。もしもこの簡単な法則を守るならば、断食には何ら恐るべき有害さはないはずである。身体が正しく実行される断食によって裨益されることを私は確信している。なぜなれば、身体は断食中において、不純物の多数を駆逐するからである”云々。

かかる警告は長い断食に対して与えられたものであって、これを短い断食に応用すべきではない。私もまた、3日間とか4日間何らの食物を摂らず、ただ、生水ばかりで激しい肉体労働と長くて厳しい精神労働とをおこなったことが幾度かある。私の取り扱った多数の患者は、9日間も、そうした労働をおこなってきた。しかし私は、かかる激しい仕事は、10日以上おこなうべきではないと思う。仕事をやらなくても済む場合には、断食中の期間は全て休息に費うのが最善の策である。

他の条件のために余儀なくせられるか、または急性疾患の場合でもない限り、断食中にも、毎日軽い運動を何かやってよかろう。多くの人々は、丸一日を活動によって費すようであるが、これは却って疾患からの回復を遅延させるのである。勢力を保存することこそは、指導原理でなければならぬ。

(未完)

西勝造 「健康科学」 第7巻第9号 昭和18年12月15日発行

*1哩(マイル)=1609.344m

*1里≈ 3927.3m

*1町≈ 109.09m

マイル - Wikipedia

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