盲腸炎手術後の不注意 西勝造

盲腸炎手術後の不注意 

西勝造

私の郷里の大家の若い奥様が、腹痛を訴えたので同じ村の医師の来診を乞うた。医師は直ちに手術をするがよいとのことで、横浜の大病院に入って首尾よく虫様突起は切除され、予後の経過もすこぶるよく、後は抜糸を待つばかりで指折り数えて退院の日を待ち遠しと4日ばかり過ぎた。そこへ実妹やら、女学校時代のお友達が3、4名見舞いにやってきた。熱もなし、気分もよいので、ついつい見舞品に持ってきた、ミカンとかリンゴ、さてはブドウ酒までも飲んで、大騒ぎに話したり、はしゃいだりした。半日ばかり、お互いに喜び合った上、帰った後で、発熱した。病院ではびっくりして、それから、どうしたか。翌日ついに3人の子供を残して逝ってしまったのである。私は郷里には1年に1回墓参のため盆に帰るだけで、その若い奥様がどんな体格やら、体質やら、容姿やら知らない。ただ、今度、生家の甥が出征するので1月30日に帰郷したら、極めて近いその家の親戚の者から4、5日前の出来事として聞かされたのである。

元来盲腸炎つまり虫垂炎というものは、便秘から来るもので、日頃、便通のよいものに盲腸炎にかかるものは少ない。ことに西式の六大法則第三金魚式脊柱整斉法を朝夕実行している人には、以前盲腸炎で苦しんだ者でも再発もなく、新たに罹患する心配はない。虫垂炎にかかったら手術しましょうでなく、虫垂炎にかからないことを指導するのが医師本来の役目であるはずである。ましては病院で未だ抜糸の済んでいない患者の見舞客が何を持ってくるか、食べ物をもしや持参しないだろうか、室内で大騒ぎに若い女の子たちがはしゃぐのを止めもせず、長時間、話しをさせるということも間違いの原因でもある。しかし病院側ばかり責めるわけにはいかない。近頃のように人手の足りない際であるから、付き添いとか看護婦も居合わせなかったに違いない。病院側の医師にしても他に急病人があったり、それぞれの事情もあろうし、医師側ばかりを責めるのは無理であろう。要は日常の心得である。私も女学校で講演を依頼される場合もあるが、六大法則だけは力を入れるし、第一に盲腸炎にかかるなど、その予防法を納得させるべきである。どんな程度の手術にしても、開腹をするからには、最初に下剤を与えて腸の内容を排泄し、そして断食させるか、粥食にしておいて、手術を済ませ、手術後も絶食が一番よいわけだから、恐らくはそうしていたものに違いない。だから順調に熱も下がり、経過が良好であった。そこへ実の妹が来る、女学校時代の友達が4人も来る。本人としては少しでも元気を装うて、大手術をしたことは忘れてしまったという気持ちになる。ましてや嬉しいやら、具合がよいのでついつい勧められるがままに不用意にも釣り込まれて、ミカンを食べてみた。美味しいのでまた食べた。何ともない。痛まない。リンゴを食べた。一方話しには花が咲いてくる。そこは若い者ばかりで注意するものがいない。ついつい見舞いのブドウ酒まで飲んでしまった。話しはそれからそれへとはしゃいでくる。夕方になった。みんな一斉に帰った。ひとりになった。気の抜けたように、がっかりした。夕闇の寂しさ。ひとり滅入るばかり。疲れが一度に出てきた。発熱するのが当たり前である。腸が蠕動し始めるとまず創口の癒着しかけたのが離れる。殺菌のために熱が上昇するのは生理作用である。多くの場合、現行医師は下熱剤を投与する。腸閉塞を起こして死の転帰をとるか、腸が破れて腹膜炎を起こしてしまう。今の医術では手が付けられないという。この場合、皇洋医学ではどうするかといえば、まず第一に脚湯法の用意をする。患部に適当(例えばクリマグにオレーフまたは代用品を混ぜ合わせたものを貼付する)の処置をしておいて、腹部に味噌湿布を施すと、その内に脚湯法を施すのである。その前後に金魚運動を軽くするという方法を採ると全ては解決する。もちろん、今の若妻の場合は知らない。食べた量も種類も、ブドウ酒にしても盃に半分やら5杯やら知らずして、ただ、皇洋医学でおこなうならば絶対に快復するというのではない。現行医学をもって策の施しようがなしと見極めがついたならば、前段述べたような方法を施すにおいては万が一、千分の一、百分の一、十人中の一、五人中の一人か、三人中の一人が助かる場合があるというのである。多くの場合、そうした場合、強心剤とかブドウ糖のごときものが注射されていないものに限ることを断っておく。それは、これまでの私の経験。10有7年間、私が皇洋医学を世に発表以来、多くの相談を受けた体験からの実際問題であるからで、私は常に断食中とか断食直後とか、断食が済んで食事を始めて2、3日してから栄養剤といって注射したり、心臓を強めるのだといってカンファを注射して死んでしまった例をあまりにも多く知っているからである。しかし、今の話題の若妻が注射されたかどうかは私は知らない。

盲腸炎に罹らないのが一番策の得たものである。常に快便が毎日あるような生活をすることである。それには脚を使用すること、股展法なども、その1つである。入浴することがあったなら、最初に必ず水浴のこと、次に温浴、それから水に浴し、湯に浴し、最後に水浴であがるといった入浴療法。毎日便通があるようになるまで裸療法を実行することである。さもなければ掛布団の中でも差し支えないから、腹部を露出して寝る習慣をつけること。初めは少し出し、だんだん大きくして、1、2週間後には全部露出するようにするのである。食物で目的を達するにはできるだけ繊維のある野菜を生で食べるのであるが、吸収と経済からいえば初めは不味いが当鉢のようなもので磨り潰して、1日に少なくとも副食物として7、80匁、種類は3種類以上でしたら何でも、できるだけ根部と茎葉とを混合したものがよく、これも毎日順調に快便があるまで食べるのである。できるだけ薄着の練習をすること。いくら薄着の練習をするといったとて、裸体で寒中雪の中に6時間だ7時間だ、いや10時間でも裸体で立っていられると自慢していて、ポックリ脳溢血で死んでしまった人がある。私は決して裸体で寒中であろうが雪中でなくても歩行したり、走ったりすることとが悪いとは言わない、常に四六時中に体液が平衡を保つように心がけ、食物からするか、環境からするか、精神の修養からするか、運動、安静のいずれからでも差し支えない、常に酸塩基平衡が保たれるようにするならば、たとい一日中裸体でおろうが、10時間裸体で雪中を走ったり、水泳をしたりしようと更に差し支えないのだが、これまでで寒中一日中裸体でおられると誇っておる人々はこの酸塩基平衡の点を知らない者が多いのである。それも若い間ならできるけれども、50歳前後、中には60歳前後でも練習をすれば2ヶ年や3ヶ年は続けられるが、4ヶ年も続けると神経痛、ロイマチス、脳溢血、中風といずれかの疾患に冒される者が多いのである。短時間の禊ぎ位ならば酸塩基平衡を得るには簡単であるが、長時間になると遂には平衡を破るから注意が肝要である。

要するに盲腸炎に罹るということは温浴の中毒と言うほうが適切かも知れない。温浴といえば入浴の湯のみに入ることであるが、入浴のときに湯のみに入るということは一種の温中毒である。厚着をすることも温中毒である。寝るときに厚着をして休むことも温中毒である。便秘症の者が盲腸炎に罹るのである。温中毒とは酸素欠乏とも言える、温中毒になる前に既に一酸化炭素の中毒が始まるのである。温中毒は一面、一酸化炭素中毒なのである。それはまた慢性便秘の原因の源なのでもある。私はいずれの疾病も黴菌よりも最初は一酸化炭素と宿便が基であると言っている、そして第二次的に黴菌とかヴィールスとなるものである。吉益東洞先生『医事古言』の書中に漢文体なれども拙訳すれば、ある問いに答えて「それは医は疾病を治することをつかさどる、疾病にして治せずんば、いずくんぞよく医たらん。すでに四時みな癘疾あり、これ四時の気令によりて内に毒動くなり、しかも漢以降、邪は外より入ると為さばすなわち天令に私あらんか。しからずんばすなわち等しく気中にありて、なんぞ病むと病まざるものとあらんや。古人万病一毒となす、すなわち外より入らざるや明らかなり。その病むと病まざるとは、毒の有無にあり、ああ、天令、私なからんや。これ医道の古今を異にするゆえんなり。学者、これをつまびらかにせよ」云々と述べていられるが、私もそうだと信じている。その人その人が勝手に体内に毒素を発生するから疾病に罹るので、全て外部から黴菌が入るものなら一家の中に家族6人もおって、一番常に健康を誇っていた者が、チフスに罹ったり、赤痢に罹ったり、盲腸炎になったりする。弱い者が罹らないで壮健の者が却って罹るのである。そこで私は疑うことになった、注意してみることになった。平然として観察することにした。遂に疾病とは病毒の飽和点に達して起こるものであって、爆発したことが症状であって、却ってこれが本体に復さんとする状態であり、これを誤って遂に一大事突発せりと思い違い平常と異なった状態なるが故に重大なる疾病に罹ったものと考え、これを防止し、抑圧し、狂うものを押し付け、痛がるものを麻痺剤をもって消去し、熱あるものを解熱剤にて下げ、嘔吐を止めたり、下痢を止めたり、全て応急と称して、自然の現象を人力をもって反抗してしまうのが通例であるが、しかして真実の重病人としてしまうのである。中には死の転帰をとるさえあるのである。この症状を称して吉益東洞先生は瞑眩として喜び、これを攻撃として相攻め、相撃つと称したものである。私は東洞時代を去ること200余年、何も東洞先生が2000年前の古医法を唱道したからとて、それをまねる必要もなく、東洞時代を200年も去った今日には200年間という貴い時間がある、後人の経験せる記録もあり、賛否両論を読むことを得た私としては、現行医術をもってしては如何ともなしがたいものを、東洞先生の説を参酌して、ここに新しい医学の生まれるのが当然であって、相攻め相撃つの攻撃法に加味するに今日の相温め相補うの温補法も合わせ応用し、これに精神療法と神経系統の賦活法をも利用したる上に食餌法として新栄養学の提唱はいよいよ陣容の備えるものであって、我が西式医学の活用によって健康体を克ち得ない者がありとすれば、それは口先ばかりで実行しなかったか、あるいは他の私の唱えざる何物かが利用された場合であって、決して皇洋医学なるものは治すことはあっても殺す場合は絶対ないのである。 (完)

* 当鉢(あたりばち)・ 擂鉢(すりばち)をいう。商家などで、「すりばち」の「すり」をきらっていう語。

当鉢(あたりばち)とは - コトバンク
精選版 日本国語大辞典 - 当鉢の用語解説 - 〘名〙 擂鉢(すりばち)をいう。商家などで、「すりばち」の「すり」をきらっていう語。〔東京風俗志(1899‐1902)〕

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