断食について(3) 西勝造

断食について(3) 

西勝造

分泌と排泄

断食を始めてから1日または2日後に、胃の分泌はまったく停止するのを常とする。胃酸過多症の場合においては、2日または3日の断食をおこなえば、おおむね、この症状は軽癒するのが通例である。腸液も著しい程度において、分泌を停止する。

身体が何かの事由で悪液状態に陥っておるときには断食の最初の数日中または断食進行中のある時期において、著しく増加してくる胆汁はしばしば胃の中へ流れ入って、吐き気や嘔吐を起こすのである。かかる場合には胆汁は常に悪臭を有し、且つ著色されている。この分泌が過ぎると、患者の容体は著しくよくなったようにみえる。胆汁の分泌量も著しく減少するのである。

唾液の分泌も著しく減少し、軽いアルカリ性の溶液から変わって中性またはやや酸性の溶液となる。ある場合においては、唾液は甚だしき悪臭と不快な味とを備え、嘔吐を誘発することさえある。もしも、これ以上、断食を続けてゆくと、正常な飢餓感の再来に伴うて唾液もアルカリ性となる。

断食中ある患者は、ねばこくて、粘り強く、透明で、白くゼラチン様で、粘液のような痰、昔の医者は粘痰といったものを多量に吐出する。後になると、これは灰色、黄味がかった色、または緑がかった色の濃いようなものになる。すべての疾患が宿便から起こり、宿便が直接原因となって脳出血となりなかんずく、四肢に関する脳神経関連の部分が多いため、多くの人には四肢厥冷症に冒されているので、それが再び疾病の原因となって血管とか心臓、腎臓に障害を起こすようになり、血液循環の上に、尿排泄の上に、種々の故障を生じてくることになり、遂には胃が疾患に冒され、食道が炎症に冒され、長年にわたって乱用されている場合においては、こうした痰は、黴菌を獲えた白血球の残骸が胃粘液によって形成され、そして各所の皺壁間に付着堆積せるものが吐出され、且つ吐瀉されるのである。これを断食によらず無害の吐剤で粘痰を吐き出す方法を研究したのであるが、昔より爪帝散(かていさん)といって爪帝と小豆の粉末を混合したものを服用することによって粘痰を吐することができるが、その際、一方の手で腹部を押さえ、一方の手で頸椎第1番を叩打することによって機械的に吐瀉し得るのである。万病に付き物とされている粘痰が断食をすることによって嘔吐排泄し得るということは、自然はあらゆる系統を清掃する方法として下痢を起こして肛門を利用し、発汗によって皮膚を利用し、嘔吐によって口腔を利用するなど実に讃嘆せざるを得ない。殊に粘液性結腸炎の場合においては長くて粘りよく、まるで回虫の塊り繋がるような粘液が吐き出され看護の者や患者自身を驚かせることがある。尤もこれはしばらくすると停止し、疾患もとみに解消する。断食をおこなうと腔竇の酸分泌物、白帯下(こしけ)等も間もなく消失し、分泌物も正常となる。尿は一時、濃く濁り、あるいは著しく色がついて強い悪臭を放ち、その比重も高くなるが、その後、排泄の完全になるにつれて浄化されてくる。汗は臭くて汎発するのを例とする。息も甚だしき悪臭を放つので、一時患者と同居することができない場合がある。

舌および呼吸

断食中の舌および呼吸は興味深き研究の対象物である。舌はほとんど全ての場合において、厚く被膜がつく。この被膜は断食中のほとんど全期間を通じて残存し、漸次に側端と尖先のところから解消されてゆき、飢餓感が再来すると舌はまったく綺麗になるのである。

息もまた、甚だしく臭くなり、断食中のほとんど全期間を通じて臭いままであるが、浄化作業の進行に伴うて、臭さが減少し、飢餓感の再来に伴うて、臭みも気味よく清爽となる。

身体の悪液状態が甚だしくなれば、その息もそれだけ余計に臭くなり、舌に被膜が厚くつくこととなるのである。

体力の増進と喪失

断食の経験を持たない人たちには、まことに奇異に感じられるかも知れないが、体力は、断食中においても、しばしば恐らく常にと言ってもよい位に増進するのである。この点に関しては現行医学派の人々の語っているところをしばらく聞くこととしたい。ベネヂクト教授はレヴァンチン博士の自らおこなった断食中において、体力にどういう効果が与えられたかを詳しく報告している。次いで他の人々のおこなった同じような試験に言及して次のごとく言うている。

”ルシアニ(Luciani)はスクチ(Succi)に対し、圧力計を用いて体力検査をおこなってみたところ、右および左手のほうは、一般に考えられているようなものとは異なった結果を示した。つまり断食の21日目に、スクチの手は、断食を始めたときよりも却って把握力の強くなっていたことが、圧力計によって明らかとなった。しかしながら、断食の20日目または30日目になると、体力は減少し遂には断食開始当時よりも低小となった。ルシアニはかかる実験の結果に論及したる後、スクチ自身は断食を続けるにつれて体力の増進してくることを確信していたと言うている。断食が疲労の発生に与うる影響如何という問題に関しルシアニの述べているところによると、スクチが29日目に具示した疲労曲線は、正常状態にある個人に対して得られるものに類似していたという”云々。

マックファーデン(Macfadden)カーリントン(Carrington)及びその他の人々もまた、断食中において精神力および身体力の増進することを具証すべき幾多の実例を記録している。およそ断食の体験のある人々ならば、誰しも、これと同様なことを実感しているに違いない。

運動という章のところで摘示しておいたごとく、体力とは、筋(機械)と神経力(発動エネルギー)との結合物にほかならない。血液の純、不純が筋および神経に著しい影響を及ぼすことをも付言しておかなければならない。断食は、血液を浄化するばかりでなく神経エネルギーを保存させるのである。したがって断食中においては、即時に効用しうべきエネルギーが保有せられておるし、神経および筋肉の状態も、著しく改善せられているので、意志の命ずるままに容易に働くことができるのである。この点よりすれば過剰な栄養で、甚だしく中毒し、過大な荷重を負わされている人々は、断食を通して最も顕著に体力を増進せしめうるわけである。尤もかかる体力の増進も、不定期に続くものではない。それは筋肉が漸次に消耗してくるからである。筋肉が一定の最小限度以下に消耗したときには神経エネルギーが減少していなくとも体力は減少をきたすであろう。

我々は実際の体力と、感じの上の体力とを区別してみなくてはならない。毎日食事のたびごとに滋養の豊富な、調味の行き届いた食物を摂り、紅茶やコーヒーを飲み、食事の合間で喫煙してきた人々は、こうしたものを断たれると、憂鬱となり、中には気でも違ったのではないかと思うように泣いたり、弱々しく悲感めいたことを口走ったり、倦怠を覚え、ふぬけたように感ずるであろう。のみならず、じっと座っておられぬ位に体力の衰えを感ずるかも知れない。かかる虚弱感は、慣用していた刺激物を撤去されたことから起こるものである。しかしこうした断食が続けられてゆくと、漸次に体力が増してきたように感じだしてくる。それは実際に増進してきたのであるから自然と快活にもなるであろう。かかる人々は、断食を始めてから3日または4日以内において、気絶を起こすのが通例であるが、同情したり、なぐさめ言葉は禁物で、むしろ、しっかりするんだと激励したほうがよい。

断食を始めてから体力の弱くなったように感ずる人々は、2、3分時間の運動をおこなえば、体力が著しく増大してくる感じが、はっきりとわかってくるであろう。虚弱感は、要するに筋肉からエネルギーの撤去されたるために起こるのであって、そのときに運動をすれば、筋肉へ神経エネルギーを補給確定させるのである。

脈拍

脈拍は断食中に著しく変動するものである。時によると1分間につき120又はそれ以上となることもあるし、あるいは30とか40に低下することもある。マックファーデンが、取り扱った患者の脈拍は、1分時間に20に低下し、しかも甚だ弱々しく、ほとんど感知されないほどであったといって、珍しい例として報告してあったが、私の経験では止まってしまったのがある。時間は16分間であったが、それでも平気で、激励して遂に快復した例があるが、まずこんな例は別として普通7日や8日の断食で脈拍が40以下になるなどはあり得ないから安心しておるがいい。断食の当初においては脈拍が高くなる人もあり、1日または2日も経過すると低下するのを通例とする。慢性疾患におかされ、断食中臥床を命ぜられる人々にあっては、脈拍は通例一時昇高してから後に50台または40台に低下し、1日または2日間は、そのままであり、次いで再び60台に高まるのである。2、3日後に落ち着き、重湯の摂食と活動を開始するまでは、そのままでいることもあろう。脈拍は、断食中においても、他の生活状態にあるときと同じく種々な変化を具示し、心臓疾患または神経障害のある場合には、右に示した数値よりも、さらに甚だしく変化することも多い。このことは今さら言うまでもなく当然のことであろう。断食中に刺激物を用うると、これは摂食期中の場合よりも心臓に対し、強い効果を与うるであろう。

断食中においては、未経験者を甚だしく驚かせるような心臓症状の起こることがある。カーリントン博士は、これに論及して次のごとく述べている。

”……しかしながら、ここに1つ述べておきたいと思うことがある。かかる極端な(脈拍の)変化は、そのときに何か根深い生理学的変化━━つまり分利の起こっていることを具示するものである。これで弱かった心臓が断食によって事実上強くなり、且つ治療されるという事実は、断食中に看取されるこうした異常な症状が、裨益的な修理過程を具示するものであり、心臓神経の完全な制御力喪失による有害なまたは危険な減少あるいは加速を具示するものではないことを決定的に立証するのである”云々。(Dr. Carrington ; – Vitality, Fasting and Nutrition, 1932, P.464)

断食中において、異常に高い脈拍や異常に低い脈拍の看取されるのは例外であって、通則ではなく、断食それ自身から危険の起こることを示すものではない。かかる脈拍の変化は、断食それ自体に関する限りにおいては、何らの危急の警報でもない。

体温

断食は、体温に関しては、甚だ逆説的な現象を起こすのである。熱病患者の場合においては、断食を続けるにつれて、熱は正常体温に低下するのが常である。他面慢性疾患の場合において、体温が常則的に正常以下であるときには、断食をおこなうと、体温は徐々に確実な昇高を示し、断食を中止するときまでには、正常に達するのである。例えば、患者の体温が、断食開始のときにおいて摂氏36度2分ないし3分であるとすると、これは漸次に高まってゆき、遂には36度8分か9分に達することがある。これは断食を40日またはそれ以上続けても変わりはなかった。私は患者の体温が、かかる断食によって漸高を具示するということを実際に看取して、各病症につき、次々へと治って行くことから、断食によって体温が昇れば昇ることが自然の療法であることを会得した。中には体温が下って行くものもある。いずれにしても疾患の1つ1つが治されて行くことから、断食によって体温が昇ろうと降りようと、それは症状即療法の1つの現象であって少しも気に病む必要もなく、却って体温を測っては一喜一憂することが疾病が根治しないということをはっきりと悟らしめるのである。このことはカーリントン博士も述べている。

ラバグリアチ博士も、これと同じことを看取し、彼はその著『空気、食物および運動』書中261ページにおいて次のごとく述べている。

”私はある人が、絶え間なき嘔吐のために痩削し、弱り切っていたのを診て、35日間の断食をおこなわしめ、その体温を華氏96度から98度4分に高まるのを看取した。そして28日目には、体温は、昇高して正常となり、そのまま持続した”云々。(Dr. Rabagliati : – Air, Food and Exercise, 1936, P.261)

低い体温は、過食の結果であることが多く、また常習的に過食に陥っていると手の指の三日月が消えてしまうもので、下痢をしたと同じ現象である。よく自分は体温が低いから夏でも楽だと言っている人があるが、実を言えば過食による活力低下の結果である。ラバグリアチ博士も著書の中で”過食のために死にかけていた患者”の症例中で述べている。この患者は、7年来、”滋養に富んだ食物”を摂りながら疾患に悩まされ続けてきたのであったが、断食中において体重13ポンドを失い、却って健康を回復したのであった。カーリントン博士の看取せるところによれば、長期の断食をおこなった数名の患者にあっては断食を中止した直後に、体温が1度または2度(華氏)低下したという。

断食中においては、正常の体温が維持せられることや、あるいは体温が高くなることも事実であるけれども、通常の人が快く感ずるような和やかな温度のところへ入って悪寒を感ずる場合がある。これは皮膚循環の減少によるのである。

多くの病人、ことに栄養過多症の人々は断食を始めると、いわゆる”飢餓感”を起こすのである。これは1日ないし数日間続く体温の軽微な昇高にほかならない。”かかる発熱は、その他の疾患の場合と同じく、治療性分利であり従って有利な示徴と見なされなければならぬ”とカーリントン博士も述べているが、私も常に症状は療法と言うごとく、断食中の上昇、下降ともに喜ぶべしと言うている。

ラバグリアチ博士も、またこれを治療性分利と見なし”もしも我々が発熱を起こさずして断食をやれぬとすれば、それは我々が予前に不適当な栄養を摂ったからである”云々と付言している。

断食中の体重の喪失

断食をおこなう人は、通例1日に120匁の体重を失うと言われている。しかしながら、体重の喪失は、幾多の状況に左右せられて、著しき変化を示し、肥えた人は、痩せた人よりも迅速に体重を失うのが常であるが、また痩せても楽である。肉体的活動を余計におこなう人は、体重を失うとともそれだけ迅速である。断食を長く続ければ体重の喪失も、それほど迅速ではなくなる。最初の2日または3日間においては、1日につき700匁または840匁の喪失を来したという記録も少なくない。しかしかかる喪失は肉の喪失ではなく、この外観的体重の喪失した大部分は、栄養管から数ポンドの過剰食物と糞便の排失せられたるためであって、これを補充すべき食物の摂取されないために起こるのである。また水分も脂肪も喪失するから特に目立つのであるが、実は浮腫が取り去られるのであるから却って喜ぶべき現象なのである。私の懇意の人で私を全面的に信じていられた今年55歳の人であるが、10年前であったが30日間の断食をされて今では完全な体格となられ活動されているが、それまでは糖尿病に悩まされ、その上、最大血圧90、最小血圧55という低血圧でちょっとでも過食をすると胃の具合の悪いの、吐き気があるの、気分が悪いのと苦情ばかり言っておったのであったが、断食を始める前の体重が16貫800匁であったが、断食を始めた日から100匁、130匁、132匁、110匁、115匁といった具合で100匁前後の減り方をして、最後の5日間の体重喪失は、1日につき35匁ないし30匁であった。彼は断食中、毎日午前9時から午後7時まで適度の活動を続けていたのであった。また他の会員で熱心な信者は同じ30日間の断食において、1日につき60匁ないし200匁という体重喪失であった。30日目の最終の日は67匁であったが、20日目と21日目の両日は16匁と19匁で大した喪失はなかった。これはその日の天候と水を豊富に摂った場合と運動の模様で、50匁や60匁はいずれにもなるということである。中には水を多く摂って逆に体重が増加していった者もある。だから断食をやって体重が減った増したということは大した問題にしないほうがよい。

遠足に行って食物は今日の状態でなくても3日目に帰宅して体重が2貫目も減ったと訴える人もある。

人間は、その生命が危殆に瀕するまでに、正常体重の4割を失うであろうと言われているが、私はこれまでの経験中に測定できたのは、わずかに9人であった。尤もこの内の4人は危殆を脱して重湯を摂り、3日目と5日と6日目に測定したので、脈も呼吸も止まったと言った。そのときに測ったのでないから正確とは言いがたいかも知れないが、大した違いはないと思う。これらの経験より推測して、4割以上ほとんど半分以下すなわち5割以下に喪失しいわゆる骨と皮ばかりになったにもかかわらず何らの危険にもさらされずまた害をも受けなかった実際を知っている。

このことはデュウエー博士(Dr. Deway)の主張しているごとく、

”骨と皮ばかりの状態になる前に、死の起こるときには、かかる死の原因は、常に老齢または何か他の疾患あるいは傷害であって、飢餓で死ぬということは絶対にない”云々と述べている。

ハッザード博士(Dr. Hazzard)やカーリントン氏(Carrington)も後に述ぶるがごとく、同じ見解を持している。のみならずかかる見解の妥当性を裏書きすべき事実もあるのである。

断食後の体重増加

断食後には体重は通例極めて迅速に増加するものであるから、食物を余程加減しないと浮腫を来すものである。私の目から見た断食後の人々は大多数の者が浮腫であって体重増加したと言って喜んでいる人々が、せっかく断食をやって各器官を健康体に回復したにもかかわらず、断食後の摂生ができなかったばかりに浮腫を引き起こすに至っては、一層のこと初めから断食をしないほうがよい。この点は私の断食療法書中の断食終了後の50訓を示して戒としたのである。

現代医学思想では体重の多いのも栄養の優良のごとく考えているが、気の付かない浮腫まで体重の内に入れては物を見誤ってしまうのである。いずれにしても断食後は通例体重の増加してゆくのが事実であるが余りに急激に増加しない工夫をすることが必要である。痩せている人でも、断食をおこなってはならぬという理由はない。のみならず、あらゆる理由から見て、却って断食をおこなわねばならぬことが多い。

我々生物の最高峰に位する人間は智恵がありすぎて却って病気になったり、病気が長引いたり、とどのつまりは食物が食べられなくなる。そうするとまた何とか食べさせようと周囲の者が大騒ぎをする。本人も食べなかったら大変だ、今にも死ぬのではなかろうかと懊悩、煩悶して睡眠がとれないので汗をびっしょりかく。それで塩分は皮膚から汗と一緒に喪失する。それがために本当の衰弱に陥ってしまうのである。その究極人事不省となって仮死状態となるのであるが、人間の浅はかさは、この仮死状態に入ったことが生きる力の蓄積であるとは知る由もなく終焉来れりとばかり思いこみ、中には気の早い者は南無阿弥陀仏々々々々々の声高々に念仏を言ったり、すでに医師のほうでも数日前より見放してしまったにかかわらず、その見放した医師をして最後の努力をさせるというのが一般通有性である。医師を呼んではならぬというのではないから誤解してはいけない。

最近は頓に増してきたから言うのであるが、医師のほうでも正直のところ病気に効くという薬はほとんどない。もしあったとすれば、それは必ず副作用があるものだと公然と言われるようになった。そして結局はあたら前途に幾多のなすべき仕事を残して死んでいく学者あり、実業家あり、賢母良妻がある。将来いかなる大発見、大発明をなし得らるるであろうかも知れぬ青年が、最後には食うことができなくて死んでいく。そこに大誤謬がある。食うことができなくなる。食べたく、また食べさせたいが、結局は食う能わずして死んでいく。食うことができないで死んでいくならば、食うことができたら死なずに済むに違いないとこう思うのが本当らしい。とこう間違ってしまう。このところが大切の岐路であり、人間なるが故である。

元来、病気とは何であるか、何故疾病にかかるのであろうかを、今一度遡って考え直してみよう。何かを食べ、それが生憎中毒したとすれば、我々生体は直ちに、これを排泄すべく、反射的に吐くなり、下すなり、その毒物を排泄するために嘔吐下痢をするのであって、人間の浅慮なる程、物を誤ってしまうものはない。それを見てこれは大変、大病に取りつかれた、ソレ医師よ薬よと立ち騒ぐが、平常、健全な身体であればある程、反射作用は激しく来るものである。嘔吐を左程に考えないということは、人口の多い都市に限ってよくある。日曜日祭日など、街頭にあるいは駅の昇降場、階段などに時局をわきまえない馬鹿者が食らい酔いの揚句、嘔吐している模様をしばしば目撃するために、嘔吐を左程驚かないものである。しかし下痢ばかりを異様に考えるのが常である。何となれば、通俗医学とか家庭医学や新聞雑誌の衛生欄にもある通り、疫痢、赤痢、コレラその他の種々の疾病が下痢によって想像せられるからである。下痢すると何故に寒気が起こるかといえば、血液中にグアニジン(Guanidin)が増すからである。水分欠乏はアンモニアの生成ができないから、したがって尿素とか尿酸が生成せられない。尿素や尿酸ができないとすると、一酸化炭素が単独に血色素(Haemoglobin)と結び付いたり、1個のアンモニアと結び付いて青酸をつくったり、塩素と結び付いてホスゲンを生成したりする。下痢によってグアニジンの増生せられることは幾多の文献もあれば実験することもできる。結論から言えば下痢した場合には断食に限るが、同時に生水を飲めるだけ飲むとよいのである。飲めなければ腰から下を十分に温めれば、飲めるものである。この場合の飲み過ぎということは絶対にならないものである。物を食べないで生水さえ飲めば治ってしまうものを、水を飲ませずに、2日も3日も下痢をしていれば尿素や尿酸がつくれないから、グアニジンは増す一方となる。そこでたちまちアミンアミノ基中毒を起こして人事不省に陥ることになる。さらにその上、下痢を止める手段をとることを例としているから助からない。これも下痢によって生命を失うだろうという誤った考えを持っているからである。しかるに実は下痢によって毒物を排泄するのであって、下痢こそ助けの神の顕現である。

昨年静岡県下でアサリ中毒事件があった。百数十名の死者を出し、本年もまたまた貝中毒を新聞で見たが医学者の報告を読んでみると結局はアミン中毒であったとある。しかし、そのアミンが何処から来るか、その系統は不明だ、目下調査中であるというのであったが、何処より来たものではなく、自分の身体内でつくったものである。

我々の体内にはシュウ酸が自ら生成されるものである。食物中にシュウ酸の含んでいるものもあるが、これらのシュウ酸はシュウ酸石灰として尿中に排泄せられるものもある。また炭酸ガスと水と一酸化炭素に分解する場合もある。

一酸化炭素が仮にできたとしても、これを尿酸や尿素に結合して尿中へ排泄しさえすれば差支えないのであるが、下痢などをした場合、特に尿素や尿酸が減少することから考えると、水を補給し、裸療法をすることが必要になってくる。

かように一酸化炭素が体内に生成されるときは種々の症状が現れるがそれを裸療法によって炭酸ガスにするか、尿素や尿酸に結び付けて、尿中に排泄するのであって、自然は実によくできたものであるが、浅慮な人間はこの大自然の作用を無視して却って病気に苦しめられているのである。

たとえ一酸化炭素が発生するともアンモニアによって尿素にしてしまえば安全である。尿酸の次の構造式を一瞥してみれば明確であろう。

右によってもわかるように、元来疾病なるものは、間違った行為によって、違和を来したのであるから、それを本復させるために種々の異状が現れるのである。したがってその異状こそは実は自然療能の働きであって、痩せもするし、食べられなくもなるし、失神もするのが当然であるからそれに先んじておこなうのが断食である。何はともあれまず第一に断食をすることが絶対に必要なことであると同時に生水をできるだけ飲むことが治る条件の1つである。

そもそも疾病が重くなるのは、最初の出発を誤るからである。そしてその誤りから遂には失神とか人事不省とかになるのであるが、それは実は大自然が与える絶対断食である。それも実はそうまでならなくとも済むものを、自己の不明からそこに陥ってゆくのである。だから痩せたものは断食は不可とか、肥えたものはよいなどどいう理由は立たれないのである。

断食中の注意事項

特に断食をした後に急速に肥えようなどと考えてはならぬ。よく断食後に強いて迅速に体重を増大させようとして、牛乳を無理算段したり、重湯を中止して、初めから粥を摂ったり、硬い飯を食ったりしてはならぬ。そんなことをするとせっかくの断食から得た効益の若干またはその全てを無効にしてしまう傾向がある。

食欲

断食の第1日においては、通例の食欲には、何らめぼしい変化の起こらぬのを例とする。第2日には、却って食欲が激しくなってくるであろう。第3日目位になると食欲は著しく低減したり、あるいは全然消失してしまうのである。それよりも却って逆に、吐気が起こる場合がある。これは宿便が崩壊して腸が塞がるからであって、そのときは手足を冷えないように温めれば、生水を飲めるようになる。生水さえ飲んでおれば食欲はあろうが無かろうが心配する必要は更にない。本当のことを言えば食物を食うことは、習慣というものにかなり囚われているのであって、1回でも食べないと直ちに衰弱でもするように考えるのが常である。しかし1回や2回、時には2日でも3日でも断食をしても水さえ飲んでいれば一向に差支えない。否かえってそのほうが健康になれるのである。

断食を始めて4、5日目になると却って食物のことを思い出すのも嫌な気持ちになることもある。夜は夢を見ることもあり、いらいらして気でも違うのではないかと思うこともある。しかし、それが過ぎると食物のことはすっかり忘れたようになり、知らない間に4、5日は過ぎてしまうのであるが、10日とか11日目位になるとまたまた食欲が旺盛となり、食べたい食べたい、食わせろ、と叫び果ては死んでもいいから、食べさせてくれと言いだすが、そのときに俄かに食べてはいけない。多くは過食に陥って、浮腫を起こしてしまい、取り返しがつかなくなるのが普通である。これを我慢して通り越すと2週間が無事通過できる。

次は3週間、いわゆる三七日と称する長期の断食にも成功するのであるが、長期の断食をやったから必ず根治するのも、また根治しないのも、全ては断食後の養生一つに依て定まるのであって、いずれにしても過食をしないことが第一に肝要である。

(未完)

西勝造 「健康科学」 第7巻第2号 昭和18年5月15日発行


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