この度の出来事について 西勝造

この度の出来事について 

西勝造

この度の西先生の事件については大々的に新聞に掲載されましたが、著しく事実と相違せる点があります。本篇は6月15日夜東京市政会館内東洋軒に開かれた東京治療師会の「西先生から事件の真相を訊くの会」において、先生が70余名の治療師諸君集合の席上にて発表された要領筆記であって、「医療界」7月号に掲載されたものを、同社の承諾を得て転載したものであります。(記者誌)

以下は西勝造氏の事件の真相を語ったものである。

西氏『自分の不徳から、今回のごとき事件を起こしたことを甚だ遺憾に存じます。これから事件の真相につき発表して差支えなのない点だけ、できるだけ詳細にお話致したいと思います。将来警視庁の取り調べ聴取書を小川君あたりが見られる機会があり今夕ここで話すところと順序が一致するかどうか、とにかく自分は一致するようにと心がけて何らの疚しさもなくお話ししたいと思います。

まず順序としまして、今度の事件の発端となりました○○庁〇場課長鈴〇〇〇氏夫人の病気と私が治療に当たりました関係から申し上げますと、鈴〇〇〇夫人なる者の父親は、前東京市の立石電気局長の親友であります柴〇氏でありまして、昨年4月頃と思います立石局長から局長室へ呼ばれました。その席上、柴〇〇〇氏を紹介せられました。柴〇氏が言われるには、娘の病気を診てもらいたいと治療の相談を受けたのでありますが、その以前から、大塚栄吉氏、元の女中などより依頼されましたが私は引き受けませんでした。しかし実父の柴〇さんが再三申されますので、その病状を聞きますと、腎臓結核で既に7ヶ年も臥床されており、結婚の翌年から病んでおられるという話で、医者も見放しておる。現在は神戸に主人が勤務しておるので娘も一緒に神戸におるとのことでありました。

その後私は、神戸へ講演に行きましたとき見舞いまして、断食療法ならば九死に一生を得られると思いますが、事重大ですからよく研究もし確信を持つことを願いますと申しまして、断食療法および健康法を致すことになり加療することになったのであります。約3ヶ月位で非常によくなり、ご主人が兵庫県から○○庁へ転勤になったとき、やはり同行して上京され、それから引き続き断食療法を7日間のものを2回も実行され、その後は非常に快復して三越あたりへ買物に出かけるようになられ、西会にも両三度参られました。ところが、去る5月下旬私には通知なしでご自分で勝手に、しかも規定の60日を過ぎた80日余も過ぎてから第5回目の断食をされて容態が悪くなったので、ちょうど生憎と、悪くなって私のところへ電話をかけて来られたときは、私が関西へ旅行中で、26、27、28の3日間留守だったのです。私の留守宅では私の知己親戚中に鈴木の姓を名乗るものが他に4軒あり、どの鈴〇からの電話であったか、ついうっかりと詳しいことも聞かずに、過ごしておったので、それを鈴〇夫人のほうでは私に日取りの相談もされず、規定を破られて自分で勝手に断食を始めたので先生は怒っておられるであろうという風に解釈されたのでありました。取り調べのときの係官、または〇内の人々が私を非難する言葉には「人に断食をさせておいて留守を使うとはひどい奴だ」というわけでありました。しかし私の手帳には関西旅行で留守であった事実が証明しましたので、その非難は解消されました。

とにかく私の帰京後、また宅のほうへ電話がかかってきたそうですが未だ私は鈴〇夫人が断食をされているとは思っていなかったのですが、ちょうど30日の夜には講演中に電話があったそうですが、痛む場所へ温冷湿布をされたらよいでしょうと返事をさせ、その電話に出た雲岡なるものを鈴〇さんのところへやりました。翌31日の午前11時半に、苦しんでおられるから来てくれと言われたときも、いま手放せないから行けない故、事務員をもってちょうどお宅の同区内に西の学説に共鳴し同一の療法手当をさるる高田隣徳という医学士の医者がおるから、その方に頼んで見てもらってくれとお断りして私は行きませんでした。

これも後で非難される材料になったようでありましたが、私としては沢山の人に迷惑をかけることが忍びないから止むを得ませんでした。どんな偉い方の自動車の迎えでも前々から約束のないものはお断りする場合もあるのですからこれは致し方ありません。

31日の午後には高田先生も行き、私も夕方行きました。1日にも行きました。2日には西会の事務所へ○○庁のある方が自動車で迎えに来られました。その自動車内でその方とも種々話したことです。断食中は一体に気も弱くなり、周囲の者が大切で生きると思えば生き、死ぬと思うと死ぬ、実に紙一重が生死の境ですと話したことです。

その日が危篤のときで遂に間に合わなかったのでありますが、そのとき実父の柴〇さんが、こんなとき、注射はどんなものかと問われましたが、私の参りましたときは既に顔面蒼白で夫人の周囲には多くの人々が泣いておられる光景を見て私は『もう間に合わない』と申しました。もちろん高田医師は側におられ、それより以前だめだと言っておられたそうです。これが後で、医者の注射を阻止したと言われれば今のことを言われる点ではなかろうかと考えました。しかしこれは、もうそのときの情勢を知っておられる方が判断しましたなら、決して阻止するとかどうとかいう風に聞かれない性質の言葉でありました。そしてまた、帰りにも役所のほうに自動車で送られて帰りました。車中で、現代医学ではとうに捨てられたものが、あなたの方法で今日まで持ちこたえてきたのは、あんたのお蔭だと私共は思う、とにかく手の尽くせるだけを尽くしたのだから心残りはないでしょう。誠に残念なことだが致し方ありません、と同氏も車内で申しておられました。5日の午前10時に○○庁の医務課に来てくれと呼ばれて、行きましたところ鈴木氏の件をまず取り調べられたのです。5日の午前10時から夜の10時まで〇〇〇〇係長さんと三上警部さんとに依ていわゆる質問条項に依て医〇〇の応接室で聴取書がつくられたわけであります。

翌日の6日午前10時にも、また来てもらいたいと言われて行きました。この日は、主に蜂〇〇侯爵家のことについて侯爵の死因、加療中の顛末等を訊かれましたから、話して差支えない点だけを申し上げました。

これは同侯爵家の家庭内のことでもありますから余り穿ったことは申されません。発表して差支えのない点のみ申し上げますからご諒承願います。

私は逝かれた蜂○○候とは5年前に知り合いになりました。侯爵は医者から血圧亢進症だと言われていたが、医者の手当では治らないので、私に時々相談されました。そして私は侯爵と話をするときは、家令か、老女が一人側にいてもらって対談するように注意しておりました。そして昨年の12月22日に是非会いたい、この頃頭痛がするし、不眠で、時々左乳下付近がチクチクと痛むから、どうしたらよいかとのことでした。それは医者に診てお貰いなさいと申しましたが、私はハハァ狭心症と血圧亢進症だなと腹の中で思いました。応急策として3つの条件を提出しました。それは、

1つは室内のスチームを消すか、2つは、裸体療法をやるか、3つには2日間の断食をするか。

この3つの中、1つをなさい、実行しなさいと申し上げました。ところが、侯爵はどれ1つも実行できない、多忙で時間がないからできません。スチームは今入れたばかりで消されないと申し、断食は、26日は議会の開院式であるから、それが済んでからでもしよう。と言うてどれも実行されず、ご自分の身体の大切なことを考えられたら、その位の時間は何とか都合つけられたらば如何ですと気色ばんで申しましたが遂にやらなかったのであります。

私は、しかし、侯爵が私の注意のどれもやらないとすれば、きっと大事なことになるに違いないと考え、自分の家人には、侯爵家からきっと呼びにくるから、そのとき、すぐわかるようにと、私の外出先は常に家人のわかるようにしてあった。

そして、私はその5、6日後のある日、いつも行く理髪屋へ行かずに、電話のある理髪屋へ行き、帰ってきて入浴しようと浴槽に片足入れたばかりのところへ侯爵家から電話があった。取るものも取り敢えず駆けつけて行った。

このとき、すでに4人の医者が来ておられた。藤〇博士、高〇博士、宮〇博士、古〇主治医の4人である。古〇主治医と高〇博士とは公爵を診られたそうですが、侯爵は私の来るまでは他の医者には診せないでくれと言って診せられなかったそうです。

しかし私の来るのを待っていて、あと5分待って来なかったら、医者が手当しようと言っていた。その5分の中あと1分というとき私が駆けつけたわけであります。

ちょうど入浴から出られてすぐ急性喘息の発作を起こされたのだそうであります。廊下の側に倒れておられた。

吐く息だけで、ゼイゼイ肩で息をしておられたのですが、何様重態の症状でありました。

私は早速、ローブリー式を致しました。そして湯と、水とで1分間交互に心臓部に湿布し、椎骨の復整を施した。10余分間後には大体納まり、呼吸も楽になり、侯爵は有難う有難うと連呼しておられた。そして医者を呼びましょうと言ったが、侯爵はもう少し経ってから呼んでくれと言われたので、4、50分経ってから呼んだ。

そして4人が一時に入ってきた。まず宮〇博士が診察した。実によく快復したと言われた。(○○庁の聴取書にも明記された)それから順々に医者が診て、医者たちは後また今晩中に4、5回発作が起こるだろうと枕頭で言明した。

私は病人の枕元でそうしてことは言わないほがよいがなあと思った。とにかく、それで落ち着かれたので医師に任して私は帰ろうとしたところが家人は帰らないでくれと言う。それから医師の方々は応接間に引きあげていたが、私に来てくれと言うて呼ばれたので行った。医師の方々はどうした手当を施したかと聞かれるから、こうこうしたと自分のやったことを詳しく話した。

ああいう場合には血液のバランスを大急ぎでしてやればよいのですから裸体療法をおこないました。もちろん乳から上です。学説は、仏国のローブリー博士の『我々は2つの心臓を持つ』 ”Nous avous deux coeurs” を応用しましたのです、と申しました。

それから廊下から、自分の首に掴まってもらい身体を水平のままで宙を浮かせて3、4回休み休み寝室にお入れした。

そして絶対安静をされるよう固く約束しました。5人以上の面会と1人3分間以上の会話をされぬよう、家令や〇老女にも言いまして私も隣室で寝むことに致しました。

夜が明けましたから、侯爵に申しました。私の学説に理解ある、確か春頃ご紹介したことのある高田医師に血圧を計ってもらったらいかがですと申しますと、お願いしましょうとのことで27日に高田先生に来てもらって血圧を計ってもらいました。そのときは私は宅に帰りました。何でも、そのときの血圧は最高が218で最低が160でした。電話で高田先生は侯爵には言わなかったと言われていました。私は決して安心のできない状態ですから、老女に私の申し上げた件、面会者5人以上を禁ずること、1人3分間以上の面談は禁物であることを電話で伝え、27日の夕方また参りましたが10時帰りました。明日より当分高田先生に来ていただいて血圧を計ってもらい、且つ食欲がないならば一両日は絶食されたほうが血圧が整調になるからと相談したところ、食べたくないとのことで高田先生とも相談して2日間絶食したところすこぶる上機嫌になられました。28日の早朝でした、電話で昨夜どうしても寝られなかったとのことでしたから、私は何か約束を破ったのでしょうと申しますと、実は先生のお帰りになった後で已むに已まれぬお方様と家庭の事情で1時間40分密談がありましたので、お体に障りがなければと心配しておるのですよとの返事には私も呆れてしまったのです。私は知らないから他の先生にお願いしますと申したのです。今後は必ず注意を致しますとのことでしたが引き続いて重大事件が突発し、29日も30日の朝もいろいろとゴタゴタがあったのですが私はこのところは略しまして皆様に申し上げることを憚ります。しかしこれだけのことは申し上げます。侯爵は不幸の方です。お妹子の〇子さまは咽喉病のために一昨年松〇家をご離縁になり、私の方法を一生懸命になすって半年位で健康体となられ、その当時は実践女学校の習字の先生になられておられ、お姉さんの〇子さんは松〇家に嫁して6、7人の母上となられましたが、どういう理由か28日かに婚家を出られ、ご子息さんはロンドンで飛行機から落ちられたという報せで心痛しておられました。重ね重ねのご心痛があったあわけです。遂に30日の午後5時に脳溢血を起こされた通知に接したときは「電話口で私は先日の医者を呼んでくれ」と返事するが早いか自動車で駆け付けました。そのときは高田先生が枕頭におられました。私は万事休すと心に思いました、助けられるものならと高田先生と協力、何とかしてと苦心しましたが、9時には多くの医師も見え10時には宮内省の佐〇侍医頭も見え土〇博士は蛭を付ける、古〇主治医は注射をされる、翌31日午前3時半に逝かれたのでした。

私が自分自身で治療行為したことは蜂○○候の場合26日の急性喘息だと言われた咄嗟のときに初めてでした。多くは侯爵邸内の雇人が会に来て療法を会得して施しておったのです。いわんやその他の患家に参りましても私自身が手を出すなどいうことはほとんど稀と言っていい位です。

ある新聞が、このことを少しばかり聞き齧ってその新聞社の方かどうか知りませんが、私の会に脅迫に来て、事務員に300円出せとか言ったとか言わなかったとか断ったとか申していました。それから何やかや書き立てた新聞があったようでした。ああした新聞の記事に真に受けられる方もありますまいが、その真相を聞かれたなら、なるほどと肯定さるると思います。

その後、先日増○○○○○○○長が、永○○○長と会われたとき蜂○○家の財務整理委員をしておられるので、私のことに話が及び、西という男は偉い男だよ、感心な男だ、蜂○○のことではいろいろの材料を持っておりながら、あの悪宣伝されたときも、いくらもその材料によって身の明かりを立てることができたのに、それをしないところは偉いと思う、云々と増○○長に言われたそうでした。

私は数万の会員を持っております。一蜂○○家のことをあばいて、身の明かりを立てても、何のためになりましょうか?

第3日目の取り調べは7月7日午後1時頃から、主として鈴〇家に関することを聞かれました。鈴〇夫人の手当中に、いろいろと起こったことを順次に聞かれた中で、夫人が病床で、「ユ〇ユ〇」と呼んだ。ユ〇という女を知っていられるかと問われましたので知りませんと答えたところ、重〇ユ〇という女を知っているでしょうと言われるのでそれなら思い出しましたと答えた。「ユ〇早う早う」と夫人が夢中に時々呼んだ。母親のほうが枕元で、夫人が目覚めたときに、お前はなぜ死んだ人の名など呼ぶのだ、ユ〇ユ〇としきりに呼んだではないか、今から死んだ人の名など呼ぶでない、と訓してきかした。ところが、ユ〇を呼んだのは西先生のところへ早く連れて行ってくれというのであったそうであります。

その重〇ユ〇なら、もと私の会員で去年の12月頃死んだ婦人であると、○○警部に私は言った。

その 重〇ユ〇 なるものは西式をやって死んだというではないかと聞かれましたから、いやそれは大変な間違いです、その真相はこうであると、 ユ〇なる女の死んだ事情をお話しました。 ユ〇 という女はもと鈴〇夫人の実家の柴〇家の女中で、心臓腎臓等の重病に罹ったので遂に不治の病となり私の療法で一時治って、亭主を持ち、(鈴〇夫人の子供のときから柴〇家に奉公していたとのこと)鈴〇夫人の病気のとき、西式の療法を受けなさいと神戸まで勧めに行った女である。そして前に述べたように鈴〇夫人は一時快方に向かったのであります。

ユ〇女の死んだのは昨秋、腸チフスに罹ったのに、○○病院で2度、他の医者で2度程とにかく数回医者に診てもらってチフスということの診断がつかず、放ってあるから、私はあなたはチフスであるから、すぐ伝染病院に入り、早く手当をせぬと危ないよ、と半ば脅しながら、注意を与えたが、数人の医者に診てもらってチフスではないというのだからと言うて荏苒日を送っているうちに、とうとう手遅れになった、伝染○○○○に行って診てもらったが結局チフスと断定されたのが、8日目であった。急いで○○病院に入ったがとうとう助からなかった。

○〇警部は、私にどうしてチフスと診断されたかということでしたから、私独特の体貌学に基づいて判断した、私の式では、全ての病気の見分け方にこの体貌学を応用すると答えたら、それは一体どういうのかと言われるから、体貌学というのはこうこういうものであると話してユ〇女をチフスであるや否やを見分けたのは、その認定方法に13通りもあるが、その内の8つの方法を試みました。その8つをみな言うことはどうかと思うから、その内3つだけを申しましょう、と、3つを話しました。

1、今から80余年前、英国のマーチソンという医者は稽留性の高熱が1週間以上続くときは、チフスと知るべし、もし間違っても結核なり、と言っている。

2、米国の、アブラムスという医者は稽留性高熱の者が胸椎第11番の脊椎骨を叩くと疼痛を感ずるのはチフスの疑いあるもので、胸椎第3番の痛むのは結核なりというのである。

3、仏国のマックオーリフという医者は、人間の体貌を4つに区別した。シゴー氏の分類に従って、稽留性高熱の場合チフスに罹れば

(1)呼吸型の者は咽喉の痛みを訴え

(2)消化型の者は下痢を訴え

(3)筋肉型の者は腰痛、関節疼痛を訴え

(4)脳型の者は頭痛を訴える

いま重〇ユ〇なる者を観察するに稽留性熱型はチフスの疑い十分であり、胸椎3番を叩打するも平気なり、しかるに胸椎第11番を叩打するときは疼痛を訴える、これよりしてチフスの疑い十分である。重〇ユ〇は完全に消化型である、いま1日12,3回の下痢を訴える、これよりしてチフスの疑い十分なりと認定しました。

その他室内の臭いとか体臭とか顔貌には歴然としたチフス顔貌を現しており、ユ〇女の妹なる者にも一日も早く手続きを採るよう注意を与えました。

他への伝染も恐れ、ことにその主人が餡屋に勤めているというので、尚々のこと伝播することを恐れて、隠蔽すべきでないと説き聞かせました。それにユ〇女の場合は消化型の方であり、下痢しているのに、固形物を食うというから、それはいけない流動食がよいと言った。この話を詳細に話したので、ユ〇女が医者の診断不明から手遅れとなって死んだことがわかった。ユ〇女が亡霊となって現れて夢現の間に招魂をするという支那に古い迷信がありますが鈴〇夫人の場合もそうなったわけでありました。

重〇ユ〇女が3週間も早く、チフスの診断が決定したなら、ユ〇女も死なず、鈴〇夫人も逝去せずに済んだことと確信します。

次に鈴〇夫人が断食療法をおこなったことの可否についても話しましたし、断食酸毒症についても申し述べました。

私も前約束した方には必ず断食中に参りますが相手は相当に多数ですから皆が皆まで私が行くということはいたしません。私が断食をされる方の家へ一々行っていた日には身体がいくつあっても足りませんし、だから断食をされるに当たっては十分自分で処置のつくまで納得されることを条件としまして、どなたでもこちらから無理に勧めた覚えは絶対にありません。相手が何千人、何百人という信者または患者がおこなうのですから、私も断食中に必ず参りますなど言ったこともなければ約束もメッタにいたしません。日曜日毎に関西、その他に旅行する身で、そんな約束はできません。けれども鈴〇さんの場合は立石電気局長より依頼されたことであり、そのときも神戸に2度か参りました。東京に参られてからも2度ほど参りましたが、7日間を2回、無事に済まされましたのでしたが、いつも私は初めと終わりをヤカマシク申します。最終は大事ですから軽はずみをなさってはいけませんとくれぐれも言っておりましたのに、遂に60日の規定を過ぎて80日目に相談なさらずに決行されたことは返す返すも残念でした。今迄で私の方法の断食で死なれた方はありません。只今今回の突発事件のため、目下断食をされつつあった家庭に動揺を来しはせぬかという点を非常に心配しております。理解のない方に親戚でもあると大騒ぎをしてしまってせっかく治ろうとする患者を不安にしてしまって却って危険に落としてしまうというのを恐れるのです。しかし前にも述べました通り、相談を受けて、ご自分で納得しご自分で万事決行するという決心をした方々が断食をおこなうので私のほうから人が付いて、やらせるというのは絶対にないのであります。行くということは全く厚意で、自分で自動車を雇って時間を費やして行くのが多くの会員の人々で、万一行きましても会員の方々は当然とでも思っていられるか、多くはそのまま、ありがとう位のものです。いわんや私のほうであくまで責任をもって仕遂げるまで付き添うなどということは致したことはありません。行くということが既に重大なる厚意なのです。日当でももらうとか自動車の迎を受けるなども至って稀です。

それから、鈴〇夫人が、危篤に陥ったとき、私は、治るから大丈夫だから、心配するな、治る、治る、治る、と盛んに言っていた。

それは精神療法を2割5分も西式にはとり入れてあり、「医学研究の方法学」には入っておらぬが、これは人間の機微を穿った、気持ちの転換法で、瀕死の病人の前で、泣いたり、喚いたり、悲しんだりしていては、病人も気が落ちて、生力を減殺されるに至るから、家人そのほか周囲一般の人が、大丈夫なような顔をして、互いに元気づけることに努めねばなりません。そのために治る治ると言うていたのであると係官に申しました。

係官は、私を難ずる人々が、治るから大丈夫だと言っていたのに死んだではないかと言うている云々と、私に言われるから、そのように答えました。

だいたいの取り調べに答えた要点は右の様であります。

10日に、築〇〇〇〇長から、ちょっと来てもらいたいと呼ばれて行ったところが、口頭で、甚だお気の毒だが、あなたは、届出中に、断食療法も、裸体療法も書いてなく、届出以外のことをやっていたから、誠にやむを得ない科料処分にするからご承知を願いたい。

と、こう申されたから、私は、私の会では書いていないことを実行しておらない。患者先で頼まれればやむを得ず、家人承知の上でおこなうとこう言うた。

しかし、結局、科料位なら届出せぬことはこちらの落ち度ゆえ、服しましょうと言って、その日は土曜なので、翌々日の月曜日に金15円の科料を納めました。

それで事は一段落つき、全てが済んだことと思っておりましたところ、14日に、私のみを禁止するという13日付の警○○監の名で処分命令書が来ました。

そういうような次第でありますから、自分としては現在、今後どうするかも、何も考えておりません。

自分の不明不徳から、世間を騒がし、ことに皆様にも影響の及ぶことであり、甚だ申し訳ない次第だと深く遺憾の意を表するものであります。

なお皆様の中で、以上、私の話で不審の点、また参考となる点等で聞きたいことがありますれば、知る範囲内でお答えいたします。

最後に一言申し上げます。私のところには医者で始末ができないという難物が担ぎ込まれます。私としては断るに断ることができません。私の手に触れて死ぬことは満足であるという。これでは今回のような出来事が多く突発するということを禁止という紙1枚で助けられました。(終り)

記者から──最後に記者からこの文は速記者ならぬ私の要領筆記でありますために、たくさんの間違いがあろうと思います。ご諒承を願います。(8・6・19、惟精生)

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その後の東京日日新聞に「西氏の患者また死亡す」と題し、佐〇〇〇氏の令閨死去の事実を掲載しましたが、該記事は事実相違の点すこぶる多く、且つ非常に誇張されておりますから左に事情を明らかにしておきたいと思います。なお佐〇〇〇氏は6月9日に「周囲の人々の希望により、今後医者にかけたいから」という申し出があったので、西先生は同日以後は全く関係を絶たれ、死亡された18日まで医療のみに依られたことは、特に読者諸君にご記憶を願わねばならぬ点です。以下西先生の談話です。

佐〇〇〇氏の奥様は森田松栄さまといって大正13年冬、婦人之友社から「遺伝研究、生命の科学」と題するフランセス・グューリック・ヂェウェット女史の(by Frances Gulick Jewet : – The Next Generation, 1921.)訳本を出された位の頭の持ち主で、頭脳のしっかりした科学者的の風格あるご婦人でウッカリ人の説などを信じられるような方でなく、私も5、6年前から知己で日は浅いお付き合いではあるが、よく私の学説には理解を持たれ、今年4月の下旬頃、市の電気局の真野君とご夫婦で会に来られ、「妻が胃癌の疑いがあると医師から診断されて切開手術の必要があるからと言われたので、妻は遺言をして、手術をしてもらうと覚悟をしておったところへ、宅へエスペラントを習いに来られる西式に熱心なご婦人で断食も何回もおこなった方から、それは断食療法のほうがよいからと勧められて、実はお相談に来ました」とのことでした。

私は旧知の仲でもあり、真野君とも懇意の間ですから、早速体貌の観測をしたが、「私には胃癌とは思われないが医師が疑いがあると言えば、それでもよいが私には名前は付けられないが胃潰瘍の疑いは十分あり得ると認定するが、なお、別の医師に診せてご覧なさい。体貌の上からは肝臓のほうを健全にする必要があるから、とにかく、このパンフレットと断食の書物を差し上げますから、よく研究し、十分納得なすって実行されるのが安全でしょう。親戚、知己の間にもよく理解される必要がありますよ」と念を押してお別れしたのであったが、それから間もなく食事がいけないがどうしたらいいかと佐〇〇〇君自身で来られたから、私は、もう始められたかなと思ったが、「とにかく食欲が出なければ出ないで一向差し支えないから、生水だけは十分飲ませなければならぬと答え、いろいろなものは却って食べたり飲んだりしてはいけない」と答えました。

ある夜、初めて行きましたが、そのときの状態では病勢は却って治っておるから大に安心し、その後6月になって1回行かれ、実母のほうが大変心配されておられるから、先生の学説に理解のある高田医学士に行ってもらったら大に安心され、食欲はなくとも病勢が衰えさえすれば、他の多くの実例からしても、そのうち食欲が出てくるもので、随分中には両三日も昏睡状態となって骨と皮ばかりになった方が急に食欲が起こり、それより回復の道程へと転向し、疾病も治り更に元よりよい健康体を獲得されて喜んでおられる者の多い中に、実に運が悪いと言おうか、間が悪いと申しましょうか、断食療法の極致に到着されたという時も時、あの新聞記事の誇大な報道で一転し、他の30有余人の方々と同様、喜ばるべき運命を悲しき方面へと転ぜられたことは返す返すも残念でした。衷心何と申していいか言葉も出ない次第であります。

云々と西先生は暗涙に咽ばれつつ言葉を結ばれました。

西勝造 主幹 「テトラパシー」 第3巻第7号 昭和8年6月25日発行

* 荏苒 (じんぜん): なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。

荏苒とは - コトバンク
デジタル大辞泉 - 荏苒の用語解説 - [ト・タル][文][形動タリ]なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。「荏苒として今日に至る」「荏苒と日を送る」「長野にある妻の里に―一週間ほど滞在して」〈長与・竹沢先生と云ふ人〉

* 稽留 (けいりゅう): とどまること。とどこおること。

稽留とは - コトバンク
デジタル大辞泉 - 稽留の用語解説 - とどまること。とどこおること。滞留。

*令閨(れいけい): 他人を敬って、その妻をいう語。令室。令夫人。

令閨とは - コトバンク
デジタル大辞泉 - 令閨の用語解説 - 他人を敬って、その妻をいう語。令室。令夫人。

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